データサイエンス軽視露呈 年越すチャットGPTの衝撃 ようやくデータ重視の書刊行

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  ウクライナとパレスチナ・ガザ地区に世界中の目が集中した年だった。大方の関心はこれらほど大きくはなかっただろうが、世界各国の指導者たちから産業界、学界の人々に衝撃を与えたもう一つの出来事がある。人間のように受け答えができる生成AI「チャットGPT」の登場がもたらした数々の動きだ。米ニューヨーク・タイムズが「記事を無断で利用された」としてチャットGPTの開発企業、オープンAIを提訴した。

 こうしたニュースをはじめ、12月の新聞各紙には生成AIにからむ記事が、パレスチナ・ガザ地区、ウクライナ関連の記事に引けを取らないくらい目についた。報道機関自身にとってもまさに人ごとではない話になっているということだろう。

AI事業者ガイドライン策定へ

 日本政府は12月21日の「AI戦略会議」令和5年12月21日 AI戦略会議 | 総理の一日 | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)で「AI事業者ガイドライン案」をまとめた。守るべき責務を課される事業者は、AIの開発、利用、提供というすべての事業活動に関わる企業や公的機関。人間の意思決定や感情などを不当に操作することを目的とせず、法の支配、人権、民主主義、多様性、公平公正な社会を尊重するAIシステム・サービスを開発、提供、利用するにあたって守るべき事項を定めている。3月をめどに策定し、その前の1月には「AIセーフティー・インスティテュート」を設立する、という今後の作業予定が「AI戦略会議」で岸田首相から示された。「AIセーフティー・インスティテュート」の任務は、AIの安全性の評価手法の研究や規格作成などとされている。

 こうした動きは、前年11月のチャットGPT公表がきっかけだ。チャットGPTが社会に及ぼす影響の大きさに主要国の指導者たちも大きな衝撃を受けた。5月の「広島G7サミット」で、早くも生成AIに関する国際的なルールの検討を行う「広島AIプロセス」の立ち上げが決まる。9月7日と12月1日にはオンラインによるG7閣僚級会議開催、12月6日にはこれらの閣僚級会議で決まった広島AIプロセス包括的枠組み政策とプロセス推進作業計画を承認する「G7首脳声明」発表、と重要な動きが続く。

軽視続いたデータサイエンス

 こうした流れを見て、日本もG7各国と足並みをそろえて着々と相応の対応をとっている、と感じる人が多いかもしれない。しかし、何とか乗り遅れまいとしているのに近い、というのが実態ではないだろうか。近年、日本の研究力低下を裏付けるさまざまな報告が相次いでいるが、AIさらにはその基盤ともいうべきデータサイエンスがからむ分野の遅れは特に目立つ。そもそも情報活用能力を言語能力と同様に「学習の基盤となる資質・能力」と位置付けた新学習指導要領が実施されたのは小学校が2020年度、中学校が2021年度、高等学校が2022年度から、とつい近年の出来事だ。新学習指導要領には小学校で「プログラミングを体験しながら、コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身に付けるための学習活動を計画的に実施する」ことが初めて明記された。

 高校では、全ての生徒がプログラミングのほか、ネットワーク(情報セキュリティを含む)やデータベースの基礎などについて学ぶ「情報1」が必須科目として新設された。それまでは「情報の科学」が選択科目だったため、プログラミングを学ばず卒業するという生徒が約8割に上るというのが実態だった。要するに小中高校の教育にデータサイエンスがきちんと位置付けられたのは近年の出来事でしかない、ということだ。

 政府の統合イノベーション戦略推進会議が、「文理を問わず一定規模の大学・高専生が、数理・データサイエンス・AIの応用基礎力を習得する」という教育目標を明記した「AI戦略2019」aistratagy2019.pdf (cao.go.jp)を策定したのも4年前の話。大学入試で数理・データサイエンス・AIの応用基礎力の習得が可能と考えられる入学者の選抜を重点的に行う大学を支援する、という目標も掲げられている。しかし、新学生指導要領の実施時期と併せ見れば、「AI戦略2019」の教育目標達成も簡単な話ではないだろう。

情報活用遅れる日本の医療

 経済協力開発機構(OECD)が11月7日に公表した「図表で見る医療2023」Health at a Glance 2023 – OECDという報告書がある。日本で電子カルテを利用している開業医は42%とOECD平均の93%に対しはるかに見劣りする。そんな現状が明らかにされている。報告書から見て取れるのは、日本で情報のデータ化と活用が最も遅れている分野の一つが医療という現実だ。データベースをリンク付けすることにより、医療の質のモニタリングを向上させるために医療情報システムのガバナンス強化策が必要、とOECDの担当者は指摘している。具体的に提言されているのが、プライバシー保護や個人情報の扱い方に関する研修や、データ共有のルールや手続の策定などによるデータ管理の強化、さらにデータの相互運用の国際的な基準の導入だ。(OECD公布38个成员国数据——日本医疗出众,医疗信息应用滞后 – 客观日本 (keguanjp.com)参照)

 医療情報の活用の遅れに気づき対応を始めた大学もある。東京医科歯科大学は、2020年4月に、医療分野のデータサイエンティスト養成を目的とした研究拠点「M&Dデータ科学センター」を設置した。センター発足直前の2020年3月に発行された同大学広報誌によると、宮野悟センター長は「大学が持つ膨大な臨床データや生体試料にデータ科学という目を入れることで、医学とデータサイエンスに精通したスーパーメディカルサイエンティストを養成する」と、設立の目的を語っている。教員は新規採用の10人を含む29人、とセンターの規模も明らかにしている。53402_ext_07_1.pdf (tmd.ac.jp)

 その宮野センター長が月刊誌「選択」8月号の巻頭インタビューで、医療分野でデータサイエンティスト養成が急がれている状況を重ねて強調している。医療を情報工学がけん引する時代がすでに到来しており、実際、米英では医学部トップは情報工学系の人材へと次々に置き換わっている。このような現状を紹介したうえで披歴しているのが、センターの教員確保での苦労話。海外の女性研究者4人に招聘を打診したところ、提示した年俸1,500万円では「ワーキングプア」だとけんもほろろに断られた、という。確かに一時、1ドル150円を超すという円安が進んだ年だ。1ドル70円台だった11、12年前なら1,500万円は20万ドル近い額だが、約10万ドルに半減してしまっている。データサイエンス分野の人材獲得競争が医学分野に限らず世界的に起きている中で、円安がさらに同センターの教員確保の苦労に輪をかけているということのようだ。

多いデータ不十分の白書類

 データサイエンスを軽視してきた日本の状況を明らかにし、今後の教育、科学技術・イノベーション政策強化に役立つ可能性がある書籍が、12月20日に刊行されたことも紹介したい。「教育・科学技術イノベーションの現況【世界と日本】2023年版」JISTECの出版物 – 公益社団法人科学技術国際交流センター|グローバルに交流をサポートするだ。

 この書の特徴は何か。科学技術に加え一部、国際比較と教育に関するデータも取り入れた白書や報告書は毎年、複数の省から刊行されている。総務省統計局の「科学技術研究調査結果」や文部科学省の「文部科学白書」、経済産業省の「エネルギー白書」、内閣府の「原子力白書」、経済産業省・厚生労働書・文部科学省合同の「ものづくり白書」などだ。文部科学省科学技術・学術政策研究所の「科学技術指標」など政府研究調査機関から毎年、公表される報告書もある。

 しかし、教育と科学技術・イノベーションのデータを総合的に収録した書籍は民間機関発行も含め日本にはこれまで無い、というのが、新しい書発刊の狙い。例えば12月15日に公表された総務省統計局の「2023年科学技術研究調査結果」には、教育に関するデータは限られており、日本の現状を国際比較できるデータを示す表も経済協力開発機構(OECD)の公表データを基にした3つの表くらいしか見当たらない。「教育・科学技術イノベーションの現況【世界と日本】2023年版」は、日本の各機関が公表しているデータに加え、OECDや世界銀行、世界経済フォーラム(WEF)などによるデータを基にした表やグラフだけを載せたページ数が総ページ数296の半分以上を占める。

見劣る研究費、実質研究者数

 表やグラフが豊富で、国際比較した解説記事も多い同書からまず読み取れるのは、国際的に見劣る日本の研究開発投資額と実質研究者数。企業、大学、公的機関、非営利団体を合わせた国全体の研究開発費総額では日本は米国、中国に次いで世界3位。しかし、2010年から2020年の10年間の変化を見ると米国1.3倍、中国2.2倍、ドイツ1.3倍、韓国と英国は1.9倍、台湾1.7倍などほとんどの国・地域で研究開発額は大きく拡大しているのに対し、日本は1.1倍に留まる。さらに2015年から2010年の直近5年間ではマイナスとなってしまっている。

 研究者数でも似たような現実が見て取れる。単なる研究者数ではなく、研究に振り向けた時間数を考慮して研究のみに専念する研究者数に換算した実質(専従)研究者数で日本の大学は、2005年から2020年の15年間で0.95倍と減少してしまっているのだ。米国は大学だけの研究者数を示す数字がないから比較できないが、中国2・5倍、ドイツ1・8倍、フランス1・3倍、英国1・2倍と、いずれも実質研究者数をこの15年で増やしている。

 研究開発費と研究人材は科学技術活動推進に最も大きな影響を及ぼす。研究人材の中でも大学の研究者の役割は特に大きいとされている。「生産性向上、技術革新を生み出す教育、科学技術・イノベーションへの極めて少ない投資が国内総生産(GDP)の低成長をもたらし、GDPの低成長が教育と科学技術・イノベーションへの低投資をもたらすという負のスパイラルに陥っている」。発行者、科学技術国際交流センターの沖村憲樹理事長が「日本の改革再生を願う―調査結果を見て」と題する最終章でこのように断じているこの書が、日本の教育、科学技術・イノベーション政策の見直し、強化にどれほど影響を与えるかは予測しにくい。しかし、データサイエンス重視の教育、科学技術・イノベーション政策策定に変わらない限り、生成AIが急速に社会を変えようとしている時代に日本は追い付いていけないのではないだろうか。

                              (2023年12月29日記)