中国製生成AIが世界に衝撃 スタートアップが格安で開発 先行企業オープンAIのデータを不正利用の疑い浮上 見劣る日本の研究力低下 容易でない日本のイノベーションへの貢献 企業、大学、研究・教育機関の力量問われる 分野別大学ランキングも低評価 

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 「中国AIアプリ 米で首位 『ディープシーク』「DeepSeek」波紋 市場は警戒感」。日経新聞1月28日付朝刊2面に載ったこの記事を読んだときは、「ホーッ」という程度の感想しか持たなかった。「ディープシーク」というのは起業して2年もたたない中国の小さなスタートアップだったためだろう。ところが同日の同紙夕刊1面トップ記事「エヌビディア株17%安」をはじめとする新聞・放送の続報の多さ、内容に驚く。

「チャットGPT」の登場からわずか1年で

 発表直後から世界中に大きな衝撃を与えた米企業「オープンAI」の生成AI(人工知能)モデル「チャットGPT」の登場からわずか1年ちょっと。その機能を一部しのぐ生成AIモデル(サービス)を、それも先行モデルの10分の1、約560万ドル(約8億7000万円)という格安の開発費でつくり上げてしまったというから衝撃の大きさは当然か。トランプ米大統領と孫正義ソフトバンクグループ会長、オープンAIのサム・アルトマンCEOらが並んで記者会見し、オープンAI、ソフトバンクグループ、オラクル3社が、米国内のAIインフラ整備に5000億ドル(約78兆円)規模の出資を行うと発表したばかり。それもディープシークの新生成AIモデルに対する株式市場の反応がすばやかった一因のようだ。

 関連続報は翌日以降も続く。ディープシークが先行企業オープンAIのデータを不正利用した疑いが浮上、オープンAIが米政府や提携するマイクロソフト社とともに調査を始めた。オープンAIは「同社開発の先端AIモデルの複製をディープシークが試みている」と見ている。イタリア政府がディープシークに対し、個人情報の取り扱いを説明するように求め、1月29日にはイタリアにおけるグーグルとアップルのアプリストアでディープシークのアプリがダウンロードできなくなった。さらに31日には、台湾のデジタル発展部(デジタル発展省)がディープシークの生成AIサービスを当局機関が利用することを禁じた、などなど波紋の広がりが続く。

開発者イノベーターの自負主張 

 一方、これだけの衝撃を与えた側の言い分もまた十分、興味をひかれる。「(米シリコンバレーに衝撃を与えたのは)これまで追随するばかりだった中国企業が、今回はイノベーターとしてそのフィールドに参入したからだ」というディープシークの起業者、梁文鋒氏の言葉が報道されている(1月31日付日経新聞朝刊)。衝撃が米国にとどまらず欧州や台湾などにも波及しているところを見ると、「先端モデルの複製」と片づけるわけにはいかないようだ。

 イノベータ―とはそもそもどのような成果をあげたものを指すのだろうか。40年ほど前、名古屋大学プラズマ研究所長や日本学術会議会長などを務めた後、参議院議員をされていた伏見康治氏を議員会館に訪ねたことがある。氏は太平洋戦争終了後、いち早く原子力研究の重要性を主張した物理学者だ。当初、抵抗が多かった学界をまとめ、原子力の研究と利用に関し、原子兵器に関わることを防ぐための厳しいしばりといえる「自主、民主、公開」の三原則を物理学者の茅誠司氏と共に提唱し、1954年の日本学術会議総会で声明として可決させたことでも知られる。この三原則は翌1955年に制定された「原子力基本法」の第一章第2項に明記され、今に至るまで日本の原子力の研究、開発、利用についての基本方針となっている。

 参議院議員会館に伏見氏を訪ねたのは、原子力三原則ができて30年になるのを機に、原子力研究・開発・利用についてどのように考えておられるかを聞くためだったと思う。今でも忘れられない言葉がある。「核分裂反応を利用して核爆弾ができることを実証した。これに比べたら、今、核爆弾をつくるなど技術的には簡単なこと。できると分かっているのだから」。実現可能かどうかわからないものを実証することの困難さに比べると、できると分かっているものをつくることなどはるかに容易。核兵器保有国が増えるのを防ぐのは無理という話の中での言葉だった。

開発チーム二十代中心の約140人 

 さてディープシークなるスタートアップはどのような集団なのか。新聞報道によると、創業者の梁文鋒氏は1985年中国広東省生まれ。浙江大学で情報工学の修士号を取得し、2023年に杭州市に「ディープシーク」(正式社名は杭州深度求策人工知能基礎技術研究)を設立した。約140人の開発チームは二十代中心と若い。筆者の目を引いたのは社員全員に海外経験がないという記述。日本で同じようなことができる人材や機関が存在しうるだろうかと考えてしまった。「中国はいつまでも他社の功績に便乗するのではなく、徐々にイノベーションに貢献する側に回らなければならない。イノベーションは単なるビジネスドリブン(特定の目標やデータに基づいて意思決定を行うこと)によるものではなく、好奇心や創造意欲から生まれるものである」。前述の1月31日付の日経新聞記事の中で梁氏はこう語っている。イノベーションを起こし続けられる国かどうかは、企業の力だけでなく大学をはじめとする研究・教育機関の力量さらにはその国の研究・教育システムも問われている。そんなことを言いたかったのではないだろうか。

日本の研究力低下裏付けるデータ多々 

 中国の研究力が日本を追い抜いたと言われて久しい。AIに関しては昨年8月に文部省科学技術・学術政策研究所がAI分野で世界最大の学会といわれるAAAI(Association for the Advancement of Artificial Intelligence)の2020年次大会発表文献数で、筆頭著者が所属する機関は中国(香港、マカオも含む)が最も多く全発表文献の43%に上るという調査報告書を公表している。日本はわずか2%だった。筆頭著者の多い所属機関も中国科学院、北京大学、清華大学、中国科学技術大学、浙江大学、上海交通大学と1位から6位までを中国の機関が占める。日本は33位にようやく東京大学が顔を出すだけだ。

 研究力の国際比較で最も分かりやすく、かつよく知られるデータの一つが、英国の教育誌や高等教育評価機関による世界大学ランキングだ。英教育誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」(THE)の世界大学ランキングは、「教育(学習環境)」、「研究環境」、「研究の質」、「企業との関係」、「国際性」の五つの指標をさらにそれぞれ複数の項目(全体で18)に分けて点数をつけ、総合点で順位づけしている。近年、日本の大学の評価が欧米主要国ばかりか中国や香港などアジア地域の大学に比べても大きく見劣りする結果が続く。

分野別世界大学ランキングも低評価 

 THEは、1月22日に「分野別世界大学ランキング」というのも公表した。「芸術・人文科学」、「ビジネス・経済学」、「コンピューター科学」、「教育学」、「工学」、「法学」、「生命科学」、「医学・保健学」、「物理科学」、「心理学」、「社会科学」という11の分野ごとに大学を順位付けしている。評価法は各専門分野に合わせた調整を行っているものの世界大学ランキングと同じだが、分野別ランキングの方が中国と日本の大学の研究・教育力の大きな差がよりはっきりと見て取れそうだ。

 この中の「コンピューター科学」分野は、人工知能・機械学習、ソフトウェア開発・エンジニアリング、データサイエンス・アナリティクス、情報システム、サイバーセキュリティ・ネットワーク、理論コンピューティングという領域を含むから、まさに生成AIに深くかかわる分野と言える。この分野での世界大学ランキングはどのようになっているかをみると、各国の生成AI開発力が推し量れそうだ。世界100位内に評価された大学を見ると、中国と香港の大学は合わせて13校ある。一方、日本は東京大学、京都大学、東京工業大学(昨年10月1日、東京医科歯科大学と統合、東京科学大学と名称変更)のわずか3校。順位の見劣りも明らかで、50位内に北京大学12位、清華大学13位、香港科技大学28位、香港中文大学30位、浙江大学32位、上海交通大学33位と中国、香港の6校が名を連ねているのに対し、日本はこれら6校のいずれより下位の37位東京大学だけとなっている。中国、香港だけでなくシンガポール国立大学11位、南洋理工大学19位のシンガポール2大学にも劣る順位だ。

 「THE分野別世界大学ランキング」の11分野のうち革新的(イノベーティブ)技術・システムを生み出すのに重要な分野とみられるのは、「コンピューター科学」のほかにも「工学」(一般工学、電気・電子工学、機械・航空宇宙工学、土木工学、化学工学)と「物理科学」(物理学、化学、数学、統計学、天文学、地質学、環境・地球・海洋科学)がある。こちらの評価も「コンピューター科学」と実はあまり変わらない。「工学」分野ではシンガポール国立大学9位、北京大学11位、清華大学13位、南洋理工大学14位、上海交通大学26位、浙江大学27位のアジア勢の後にやっと東京大学31位が顔を出す。「物理科学」分野も似たようなものだ。日本で最高位の東京大学25位の上位にシンガポール国立大学10位、北京大学11位、清華大学12位、復旦大学22位というシンガポールと中国の4校が並ぶ。

 さらに「THE分野別世界大学ランキング」でもう一つ明白に見て取れる日本の大学の現状がある。前述の3分野に限らず「生命科学」「医学・保健学」さらには「芸術・人文科学」「ビジネス・経済学」「社会科学」など他の8分野すべてでもアジアの他の有力校が日本の大学より高い順位に並んでいるのだ。憲法・行政法、国際法、商法・会社法、刑法・司法、法理論・法哲学を含む「法学」分野に至っては、ランキング入りした日本の大学は全くない。あらゆる分野にわたって日本の大学を上回る有力校がアジア地域に限っても複数校存在するというわけだ。

研究力低下示す調査結果他にも 

 総務省統計局が昨年12月に公表した「2024年科学技術研究調査結果」によると、2024年3月31日現在の研究者数は、対前年度比0.3%減の90万7400人と8年ぶりに減少に転じた。国際学術・特許情報調査・コンサルティング企業「クラリベイト」が昨年11月に公表した価値ある研究成果を挙げた研究者であると認められた「高被引用論文著者」は、中国が1405人と全体の20.4%と米国の2507人(全体の36.4%)に次いで多い。「高被引用論文著者」が最も多く所属している機関も中国科学院(308人)が最も多く、さらに清華大学も92人と4番目に多い機関となっている。日本は76人にとどまり、8位の香港(134人)、10位のシンガポール(108人)、さらには清華大学1校よりも少ない。

 文部科学省科学技術・学術政策研究所が昨年8月に公表した「科学技術指標2024」からも似たような日本の状況が見て取れる。他の研究者から引用された数が上位1%に入る高被引用論文数(2020~2022年の平均)で日本は311本と世界12位。1位の中国6582本に大きく水をあけられているだけでなく、6位のインド560本、10位の韓国354本よりも少ない。

 日本の研究力低下を裏付けるデータはこのほかにも数多い。生成AI分野に限らず日本がイノベーションに貢献する側に回るのは容易なことではない、ということだろう。

 「THE分野別世界大学ランキング」でコンピューター科学」分野の上位100位内の中国・香港大学13校と日本の上位13校順位

分野別世界大学順位大学世界大学ランキング2025順位 分野別世界大学順位  大学世界大学ランキング2025順位
12北京大学13 37東京大学28
13清華大学12 67京都大学55
28香港科技大学66 90東京工業大学195
30香港中文大学44 101-125東北大学120
32浙江大学47 151-175大阪大学162
33上海交通大学52 201-250名古屋大学201-250
52中国科学技術大学=53 251-300早稲田大学801-1000
53香港大学35 301-400慶応義塾大学601-800
57香港城市大学80 301-350九州大学301-350
58復旦大学36 401-500会津大学601-800
66南京大学65 501-600筑波大学351-400
74香港理工大学84 601-800広島大学601-800
98ハルビン工業大学152 601-800北海道大学351-400

World University Rankings by Subject | Times Higher Education World University Rankings 2025 | Times Higher Education (THE)から作成):数字の前の=は、同順位(タイ)を示す

                     (了)