「令和2年7月豪雨」気候危機の時代に従来の防災対策では無理 「河川治水」から「流域治水」に転換する河川対策

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 「令和2年7月豪雨」と名付けられた今年の豪雨が発生してから約2週間。九州から本州一帯に長く延びた線状降水帯が停滞し、河川氾濫や堤防決壊による洪水は九州から岐阜・長野県、さらには東北の一部にまで及び、長期にわたる降雨期間を含めて前例のない広がりを持った災害となっている。「50年に一度が、毎年起きて……」という被災した女性の嘆きがテレビのニュースで紹介されたが、多くの人の実感だろう。

目前の気候危機に大きな転換

 地球温暖化による気候変動を疑う声は少なくなったようだが、海外では既に「気候危機」という言葉がトレンドになっている。今、目の前にある気候危機の時代に従来のような「防災」対策や意識では無理だと感じ始めた人も多くなったようだが、では、国はどうするのか。そう思っていたら、国がこれまでの「河川治水」に代わる「流域治水」への転換を打ち出した。一般になじみの薄い言葉だが、河川工学にとっては大きな転換だ。

 国が流域治水を打ち出したのは、令和2年7月豪雨まっただ中の7月6日。赤羽国交相の出身政党におもねったような「いのちとくらしをまもる防災・減災」「防災・減災が主流となる社会」を書き連ねた防災・減災総合対策を公表したが、その中に「あらゆる関係者により流域全体で行う『流域治水』への転換」という項目が初めて入れられた。

 この「流域治水」という言葉は突然出てきたわけではない。既に滋賀県では嘉田由紀子知事(現・参議院議員)時代の2014年に「滋賀県流域治水条例」が制定されている。その翌年の15年に嘉田氏らが中心になって東京で『温暖化時代の治水対策〜国と地方の取組から』というシンポジウムが開かれた。副題が「旧型『河川治水』から『流域治水』転換への期待」と名付けられた、このシンポには国交省から水管理・国土保全局の専門官も出席して基調講演しており、今年の総合対策につながる報告をしていた。ちょうど利根川水系の鬼怒川堤防が決壊して常総市などに大きな被害が起きた直後のシンポだったので、多くの人が詰めかけた。このシンポと滋賀県の条例を基に、流域治水とは何かをみていきたい。

河川につながる地域を豪雨災害の対策地に

 新明解国語辞典では「流域」とは「その川の流れに沿った一帯の地域」と書かれている。治水技術の専門家である大熊孝・新潟大学名誉教授によると、流域は「河川の四囲にある分水界によって囲まれた区域」を指し、具体的には「治水あるいは利水に重要な川のある地点を求めて、そこへ出てくる流水の供給源になった雨水の降下範囲の面積」という。

 熊本で多大な被害をもたらした球磨川を例にとれば、球磨川の流域は水源地から八代海に抜ける球磨川と球磨川に流れ込む川辺川など全支川を含め、雨水が流れ込む土地を含めた面積となる。

 一方、先のシンポで指摘された「河川治水」とは、球磨川なら球磨川のみ、川辺川なら川辺川だけで、各種のダムや堤防などによって河道内に水を閉じ込めようとするもの。大きな堤防が川に沿って建設されたことで、高度成長期以前なら住宅や工場が建てられなかったような川岸や河川敷に人びとが進出してきた。
河川内に洪水が閉じ込められなくなると、堤防が決壊したりして、周辺に被害が起きる。当然、支流には本流から水が流れ込むバックウォーターと呼ばれる現象が起き、支流ではその分水の量が増えることになる。そのたびに決壊したところをさらに高く強固にする「部分最適」手法では、別のところが決壊する、という繰り返しがこれまでだった。

 豪雨が本当に「50年に一度」の割合だったり、降り始めからの雨量が500ミリを超すというようなレベルでなかったら、まだ何とかなったかもしれない。しかし地球温暖化時代になって大雨のリスクが急速に増している。

洪水の変化に合わせる総合対策へ

 九州中部の熊本県を襲い、続いて九州北部の福岡県や大分県を襲った線状降水帯の降雨の供給源となったのは、例年よりも高くなっている梅雨前線沿いの九州西部の海水温であることは気象庁も認めている。線状降水帯ができるのは梅雨前線に限ったことではない。2015年9月に発生した利根川水系鬼怒川の氾濫は利根川から鬼怒川にかけて発生した線状降水帯によるものだった。

 多大な水害をもたらす豪雨が毎年のように発生している現在、従来のように川の中だけで対策を行おうというのが無理になっているという認識が、「川の外」である流域全体で治水を行おうという考え方になっている。

 滋賀県をみると、琵琶湖には四方から河川が流れ込み、琵琶湖からは淀川(途中、名称は変わるが)となって大阪湾に流れている。中でも琵琶湖西岸の安曇川は何度も氾濫して住民を苦しめてきたという。このため条例では、①河川内で流す対策だけでなく、流域にあたる「川の外」で②雨水を貯める対策③被害を最小限に留める対策④水害に備える対策〜の計四つを組み合わせて、地域住民が自助、共助によって総合的に災害の規模を減少させようとしている。当然、危険箇所での無防備な市街化への規制などまちづくりも含まれている。

 一方、国交省が打ち出した総合対策もよく似ている。これまでの河川管理者の取り組みだけでなく、国や都道府県、市町村、企業、住民ら「あらゆる関係者」により流域全体で治水を行おうとする。具体的には、土砂災害などの危険がある地域では開発を規制し、住宅移転を促進。調整池、ビルの地下貯水施設などのあらゆるところで雨水を貯められるように求めている。またため池や田畑などの貯水機能も活用するとしている。

 球磨川の対策については地元の熊本日日新聞も7月9日付けの社説で「流域治水 球磨川でも新たな計画を」と題し「国、県、自治体は今後『流域治水』の考え方も踏まえて球磨川水系の新たな治水プロジェクトを策定すべき」と前向きの提言をしている。

明治の河川法制定が旧建設省的発想に

 そもそも日本の河川はほとんどが峻険な山を水源とし、急勾配で流れ、最大水量と最小水量の差が大きく、降雨が続くと急速に水位が上昇するという特徴を持つ。このため大雨になると避難の遅れに繋がりやすい。

 列島に暮らす人びとにとって、河川は山奥から恵みをもたらす一方、いったん荒ぶれば重大な被害をもたらすものとの認識が数百年以上前から続いてきた。荒ぶる自然に逆らわず共生するとの意識で、被害を最小限に抑えようとする考え方が、有名な信玄堤や霞堤、さらには聖牛、沈床などに表れてきた。完全に流れを止めるのではなく、流水がぶつかるところに柵や土手を設け、「ショックアブソーバー」のように流水のエネルギーを和らげ、氾濫原のような遊水池ところに誘導するという考え方だった。

 しかし明治以降導入した近代土木技術への過大な信頼と、とにかく自然を抑え込むという旧建設省的発想が、こうした考えを否定し、ダムや巨大堤防に頼る結果になっている。この流れの最初は明治22(1889)年の町村合併と明治29(1896)年の河川法制定だったと、嘉田氏は指摘している。河川法の制定で治水は「河道閉じ込め型治水政策」を拡大し、官僚的制御論の登場(水量計測)、地主制度の拡大、機能別水管理組織の拡大、発電、都市用水としての河川管理に続いてきた。

 そうして流域住民の中に植え付けられた「ダムがあるから安心」という依存意識が、ハザードから目をそらすとともに、正常性バイアスを生み、避難の遅れと被害の拡大につながっている。対策の転換は、明治以来の「洪水河道閉じ込め型」から「洪水織り込み型」あるいは「洪水溢水受容型」に代わり、流域住民の意識改革も迫られることになる。

見当違いの脱ダム民主党政権攻撃

 先の熊本日日新聞社説のように、メディアの中にも従来の「河川治水」ではなく「流域治水」に転換をとの声が出てきたが、いまだに「ダムがあれば」論が根強い。特に声が大きいのが、自民党支持者による「脱ダムの民主党政権が被害を招いた」という暴論だ。

 7月16日付け毎日新聞が「熊本水害『ダム建設中止の旧民主党政権のせい』論は本当か?」で詳しく展開しているが、球磨川支流の川辺川で長年にわたって旧建設省が建設計画を進め、2008年建設中止となった「川辺川ダム」による治水の可能性は非常に少ないと、多くの専門家は指摘している。

 もともと日本のダムには治水効果が少ないとされているうえ、岩を削って流れてくる水のためにダム湖には土砂が堆積して水量調節効果も低減している。土砂の堆積はダム湖だけでなく、川底にも堆積する。球磨川の場合、熊本県人吉市の下流部で川幅が狭くなるため、人吉市の下流域で土砂が堆積している。

 これが急激な水流で洪水水位が異常に高くなった理由で、川幅の狭くなった球磨村にある特別養護老人ホーム「千寿園」の水没と入所者14人の死亡原因となった。一時水位は9メートルに達していたという。

 川床を掘って洪水水位を下げるという策を採っていたら、どうだったか。元建設省(現国交省)河川局災害対策室長の石崎勝義さんによると、国は一時川床掘削を検討していたが、2001年に急に「川底を掘る必要はなくなった」と計画を変更したという(7月12日付しんぶん赤旗日曜版)。地元では「何が何でも川辺川ダムを造るための根拠にしようとしていたのではないか」と推測していると石崎さんは話しているが、ダム建設を中止した後、当初の計画通り川床を掘り、決壊しにくい堤防にしていれば惨事を軽減できたはずだ。

球磨川でダム決壊の事態か

 球磨川では2012年から18年にかけて河口から約20キロにある熊本県企業局の荒瀬ダムが撤去、解体されている。理由は堆砂による水害の激化とヘドロの堆積による周辺環境の悪化で、日本で最初のダム撤去として話題になった。

 一方、7月17日付けのデイリー新潮によると、同じ球磨川で荒瀬ダムの上流にあり、人吉市や球磨村より下流の芦北町にある瀬戸石ダムに決壊の恐れが高まっているという。徳島市に住む写真家、村山嘉昭さんがルポしているもので、電源開発が管理している同ダムでは管理事務所が水没。管理業務も行われておらず放置状態で、ダム湖だけでなく流域に大量の土砂や流木が大量に堆積しており、今後少量の降雨でもダム決壊という、かつてない惨事になりかねないという。

 もともと荒瀬ダムと同様、土砂やヘドロの堆積で水量調節機能が低下しており、流域住民から撤去の要望が出ていたダムだが、決壊したら八代市はじめ河口域に多大な被害を与えかねないのだが、電源開発や熊本県の動きはみえない。

 日本でも「流域治水」に動き始めたようだが、河川とどのように共生していくべきか、専門家の動きなどを見ていきたい。