菅新政権が繰り出した、日本学術会議への会員任命拒否という露骨な攻撃が既に2018年に準備されていたと書いたが、なぜ、この時期に急に準備したのか。謎を解くカギは2017年の学術会議の「安全保障と学術に関する検討」論議にある。
学術会議は1950年と67年に「戦争を目的とする科学研究を行わない」との声明を出したが、「軍民共用(デュアルユース)」をどうするかという議論などが起き、あらためて検討し直したものだ。2017年2月4日には学術会議講堂に多くの聴衆を集め「安全保障と学術の関係〜日本学術会議の立場」とのフォーラムを開催、多方面の関心を呼んだ。同会議は3月24日、最終的に「1950年と67年の声明を継承する」との声明を発表し、軍事研究を行わないとしたが、文面の曖昧さにもかかわらず、軍事強化のため異論を排したい安倍政権に衝撃を与えていたらしい。
軍事研究参加に一定の歯止め
日本学術会議はなぜ2017年に声明を発表したのか。話は遡る。
15年、装備施設本部、技術研究本部などを統合して発足した防衛装備庁は早速、安全保障技術研究推進制度を設立。大学や国の研究機関に所属する研究者に自衛隊の装備につながる技術の基礎研究を公募し、研究費の支給を行うと発表。学術会議はこれを受ける形で16年5月に検討委員会を設けて議論を進めてきた。
検討委員会では軍事研究協力の問題点として①資金源②資金提供の目的③研究成果の公開性-などをあげ、防衛装備庁に疑問を投げかけてきた。その中で装備庁側は③について「公表を妨げることはない」と明記すると表明したが、「公開は全面的に自由」とはしなかった。これでは、論文などを発表することで成果を公開するという研究者の立場からすると、公開させられないこともあり得ることになる。
議論ではまた学問の自由、自治を重んじる大学での研究成果の取り扱いが焦点となった。大学は知識を受け継ぎ発展させるための機関であり、人類全体に貢献するべきとの「あり方」論があり、時の政権や軍事機関の要請に無批判に応じることの危険性が指摘された。
私が傍聴した17年2月4日のフォーラムは検討委員会の中間とりまとめ報告に続いて学術会議内外の7人が意見を述べたが、会員だけとは異なって白熱した論議となった。この中で目立って飛び出してきたのがデュアルユースに対する意見だった。
あからさまな戦争目的の兵器以外なら許されるという意見があり、その延長上にデュアルユースまでは許されるべきなどという意見が飛び出したが、大半は軍事研究そのものに反対する論議となった。このフォーラムの様子はメディアに伝えられたこともあって、研究者の間で反響を呼び、3月24日学術会議としての声明が発表された。その内容は、先に記載したように「1950年と67年の声明を継承する」というもので、科学コミュニティの軍事研究参加に一定程度歯止めがかけられた。
ただ、実際に声明を受け取って驚いたことは、中間取りまとめまでは「軍事研究に関する声明」としていたのが、いつの間にか「軍事的安全保障研究に関する声明」とタイトルがすり替えられていたことだった。声明によると軍事的安全保障研究とは「軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究」とのことだが、よく分からない。「こんなところで政府に忖度している」と厳しく批判する研究者もいたが、まずは軍学共同への道を開かずにすんだ。
戦争目的には従わないとした二つの声明
では、継承するとした二つの声明とは何だったのだろうか。1950年声明は学術会議発足の翌年、まだ日本が占領下にあった時にまとめられた。全文は次の通りである。
戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
日本学術会議は1949年1月、その創立にあたって、これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家、世界平和の礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。
われわれは、文化国家の建設者として、はたまた世界平和の使として、再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに、さきの声明を実現し、科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないとする固い決意を表明する。
この1950年声明が公表された4カ月後には警察予備隊が設置され、朝鮮戦争が始まり、日本は独立する。そんな中の声明だったが、学術会議はその後「戦争から科学と人類を守るための声明」や「憲法擁護声明」などを次々と否決する。
その後、沈黙は続いたが67年、半導体国際会議などに米軍資金が投入されていたことが判明し、朝永振一郎会長が5月「米軍資金導入は遺憾、再発防止策を検討する」との見解を全会員に表明。10月の総会で「軍事目的のための科学研究を行なわない声明」が採択された。
声明では「科学者自身の意図の如何に拘(かか)わらず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している」として、次のように述べている。
ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が又(また)平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を表明する。
1950年声明が占領下にあって、まだ科学研究の土台がほとんど破壊されたままの時代に採択されたのに対して、67年当時はベトナム戦争で日本の経済が活気づくという時代であり、米国の日本科学技術に対する圧力も強まった時代だったが、学術会議も84年の改組前でまだ声明を出すだけの力があった。また朝永振一郎氏が会長を務めていたことにみられるように、政府の基礎研究への助成も少なくなかった。
それから半世紀経って、学術会議はようやく三つ目となる声明をまとめたが、この間、基礎研究への助成は大幅に減少している。一方で、防衛装備庁の助成金は科研費などに比べてはるかに高い。若手研究者らが、防衛装備庁の軍事研究に魅力を感じる一因にもなっている。
また歴代政府は「政府と独立しない」組織を求め、59年には内閣総理大臣の諮問機関として科学技術会議を発足させた。科学技術会議は2001年には総合科学技術会議に、さらに14年には総合科学技術・イノベーション会議と変化し、特定分野への多額の助成を行っており、日本のノーベル賞受賞者たちが長年コツコツと研究してきたようなテーマへの助成は減る一方だ。
このため、17年の学術会議声明では「軍事的安全保障研究」への不参加を示すだけでなく、「学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である」と、自主的な研究への科研費の増額を求めている。だが菅政権の姿勢を見ていると、そうした希望は望み薄と感じられる。
政権とどこまで対峙できるか
今回の菅政権の強権姿勢に、戦前の天皇機関説事件や滝川事件と同じような学問への弾圧の先駆けとみる識者はかなりに上り、学術会議の会員に政権との対峙を求める声も大きい。
哲学者の内田樹氏はツイッターで「内閣に承認された残り99人の学者たちは『政権にとって無害なのでオーケー』と判定されたということですよね。政権にとって無害であることが学者として優先的な評価項目だということに本人たちはものすごく腹を立てているんじゃないでしょうか」「権力におもねる政治家や官僚、言論人を形容する特別な言葉はないが、学者については存在する。『曲学阿世』という言葉だ」と厳しく突きつけている。
取りあえず政府への「要望」を出した学術会議が、どこまで対峙できるか分からないが、何としても頑張っていただきたい。ただ心配なのは、かなり多くの会員が無関心でいるように思えることだ。