「朝鮮半島のにおい」
神社には気難しいところがある。神社を見る場合アジアの広がりと歴史の流れの中で見る視点が大事だ」と、先輩から言われたが、まず、神社のいわれや歴史を知ることから始めることが欠かせない。
ということで汗牛充棟というと恐れ多いが、上田正昭、柳田国男、岡谷公二、古くは伴信友の「蕃神考」、村山正雄「朝鮮関係神社攷」、出羽弘明「新羅の神々と古代日本-新羅神社の語る世界」、金達寿氏の一連の「日本の中の朝鮮文化」、金沢庄三郎など、訪ねるだけでなく先学の書をいろいろ勉強させてもらっている。
伊勢神宮の神主から意外な反応
伊勢神宮には長い間に10回以上訪ねた。いくたびに何か発見があり奥深い。神社の広さは伊勢市の三分の一が神宮の神域とされる。ただ韓国の新羅や百済、済州島、壱岐対馬、沖縄、中国の祭祀施設を見てきた印象からすると、伊勢神宮にはどこか朝鮮半島の祭祀に似たものを感じる。
伊勢神宮で、そのことを恐る恐る何人かの神主さんに尋ねたら「私も若い時からそう感じて、いまでもいろいろ研究しています」と意外な反応が返ってきた。「ただ伊勢神宮の神主がそう言っていたとは言わないでください」と笑った。
ある研究者から、伊勢神宮を見る前に伊雑宮(いそうぐう)を見ると、理解が深まるといわれた。ただそれを聞いた時には既に何回か伊勢神宮を訪ねていた。
歴史の風格感じる伊雑宮
伊雑宮は近鉄線の上之郷駅から歩いてすぐだ。伊雑宮の田植行事は全国的に知られる。上之郷駅で、降りた乗客は数人だったが、一番後に降りた人に、伊雑宮(いそうのみや)を訪ねたら、「伊雑宮(いさわのみや、いさわぐう、いぞうぐう)」などの読み方があることも教えてくれた。
旧街道に沿ったこんもりした森の中にある。参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、御札やお守りを扱っている。境内はこじんまりしていてよく掃き清められ、目につくものは木造の神殿だけで、明るい鎮守の森といった感じだ。白い玉砂利が敷かれ、玉垣と瑞垣に囲まれている。本殿の横に20年に一度行われる遷宮のための古殿地(こでんち。前社殿が建っていた旧土地)の空間がある。
伊雑宮については金達寿、谷川健一両氏は「日本の文化の源流を求めて」の対談の中で、しきりに感嘆したと語っている。
2013年10月の遷宮前に訪ねた時は、建物も風雨にさらされ古色がにじみ出ていて、歴史の風格が感じられた。真新しい光沢のある総檜の神殿もいいが、年を経て重々しさが加わった神殿の趣には何か深いものが感じられる。
「伊勢神宮は出雲族を抑えたシンボル」と金達寿氏
伊勢神宮は内宮(天照大神)と外宮(豊受大神、とよゆけのおおかみ)で構成される。皇祖神になったのは7世紀の終わりごろとされ、その前の歴史も興味深い。
「豊由気宮儀式帳」によると、雄略天皇の夢枕に立った天照大神が「五十鈴川の独りぼっちは寂しい。丹波の豊受大神と一緒に住みたい」とおっしゃったので、豊受大神宮はそれまで天橋立の近くの籠神社いたがそこを出て伊勢神宮に移ったとされる。
こうした伝説から歴史学者の中にいくつか仮説が唱えられた。例えば丹波は早くから稲作で栄えていた。農耕、土木の技能集団として出石族(朝鮮からの渡来した天日槍)が基盤を築いていた。そこへ天孫族が来て実権を奪っていったのではないかというものがある。
金達寿氏は「日本の中の朝鮮文化」(第4巻)で、伊勢神宮は出雲族を抑えたシンボルではなかったか―という見方を示している。
外宮の神職受け継ぐ渡会氏は「渡来人」の説
外宮の神職は、神宮ができて以来、渡会氏が受け継いでいる。渡会は朝鮮語でパタで、海を渡ってくるという意味があるとされ、遠い先祖は半島からの渡来人ではないかとの説がある。
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