石破茂前首相は8月13日のTBSーCSテレビの収録で、女性天皇のありようなど、皇室典範の再改正が必要だとの考えを示した。細川護熙元首相も発売中の月刊「文藝春秋」9月号で皇室典範改正について、「甚だしい女性差別」などと厳しく批判、首相体験者からの高市早苗首相の政治姿勢やその手法への異議が相次いだ。
皇室からも、秋篠宮殿下が8月13日、パラグアイへの公式訪問を前に記者会見。10月24日に施行される改正皇室典範について見解を問われ「制度に関わることなので控えたい」としながらも、天皇陛下が6月の会見で「国民の皆さんの理解が得られるものになることを望んでいます」と発言したことに「その通りだと私は思っています」と賛同した(朝日新聞)。天皇発言は改正皇室典範成立前だが、秋篠宮発言は典範成立後のことで、当事者による初めて公の場での発言であり、その意味は大きい。
秋篠宮が、その際「私も生身の人間 思うところはあります」と述べたことは、憲法上、政治的権能を持たない「皇位継承第1位」の皇族がギリギリの言葉で政府のこの問題での対応に強い不満をにじませたものだと、私は考えている。
そもそも、皇室典範が国会でたった計6時間の審議で決まる前に、高市政権は当事者である天皇や秋篠宮からきちんと意見を聞くべきだった。その点でのデュープロセスにも大きな問題があったのではないか。
天皇制に批判的な意見を持つ人々もいることは十分に承知している。だが、旧皇室典範も認めていない旧宮家からの養子案が「皇族数の減少」を口実に「皇族数の確保」から「皇位継承問題」にすり替えられた。「国のかたち」が変わる可能性のある皇室典範の改正問題は憲法の定める国民の総意に基づくはずの象徴天皇制を根本から揺るがせかねない大きな変化であり、だからこそ右派団体の日本会議などが政権を後押ししてきた問題でもある。
その意味でも、今回の改正で旧宮家からの男系男子による養子を認めたことは、「時代遅れ」にとどまらず、戦前の天皇制へ回帰する方向性を示したともいえるのではないか。上皇ご夫妻が作ってきた国民と寄り添う「平和志向」の象徴天皇制が変質してしまうのではないか。30代から「昭和天皇の死去」「浩宮(現天皇)の結婚問題」「平成さん(上皇)の退位宣言」など、大手メディアの皇室担当や退職後も皇室ウオッチャーを続けてきた私自身の立場から見ても、とても心配である。
また、今回の問題を機に、神話上の神武天皇の即位を元年とする「皇紀2686年」=太平洋戦争に入る少し前の昭和15年に国威発揚を目的とした『皇紀2600年式典』があった=だとか「万世一系」などの「戦前の亡霊」が政権政党の幹部の政治家の口から堂々と出始めたことも「戦前回帰」という批判だけではすまされない危うさをはらんでいる。
たびたび、引用するので恐縮だが、高市氏自身、就任前に書いた右派雑誌「HANADA」での「わが国家観」で「男系の血統が126代も続いた『万世一系』というご皇室2千年以上の伝統は『天皇陛下の権威と正当性』の源です。世界の王室にも比類はありません」と書いている。
私は必ずしも、そうは思わないが、高市氏は「ファッション右翼」にすぎないという論者もいる。今回の皇室典範改正は麻生太郎自民党副総裁主導だと指摘する人もいるが、この問題は日本維新の会との連立政権合意書にも「26年国会での皇室典範改正を目指す」としっかりと書かれており、やはりこれも日本会議など首相となった高市氏の支持団体に向けた肝いり政策であることは間違いない。この点は確認しておきたい。
石破氏は皇室典範再改正について、前首相という立場もあってか、やや煮え切らない表現だが、再改正について、こう言及している(TBS NEWSDIG)。
「昭和天皇がいわゆる側室は置かないと仰せになって。そうすると、必ず男性が生まれるとは限らないわけで、どんどん減っていくわけですよね。これどうするんですかという問題」。
こう述べて、女性天皇のありようなど皇室典範の再改正が必要だとの考えを示した。男系男子について「よくよく理解したうえで交わる議論をしないと」と強調した。
また、細川氏の批判はもっと分かりやすい。
「この法案は、他のいずれにも増して『この国のかたち』に関わっている。ほとんどのメディアや保守系の学者を含む名だたる識者たちが疑義を呈して。国民の支持も乏しい改正案が『静謐な環境』という名の下、駆け足でだまし討ちのような形で成立した。野党の多くも賛成に回ったのは、政治の劣化にとどまらない空恐ろしさを感じさせる」
また、福田康夫元首相も、ジャーナリストの松原耕二氏のTBSのBS番組のインタビューに応じ「日本の天皇が女性ではいけない理由が分からない」と語っている(19日、東京新聞)。
8月7、8、9日のNHKの世論調査。改正皇室典範が成立したことを受けて、今回の改正が、国民の理解を得られていると思うかを尋ねたところ、「十分得られている」がたったの3%。「ある程度得られている」が26%。「あまり得られていない」が41%、「全く得られていない」が23%。読売新聞の7月末の調査では「女性天皇」に賛成が85%、同じ時期の共同通信調査も賛成が81%に上った。そのせいか、改正典範成立後の8月の各社調査では支持率が10ポイント以上も落ちるところがあった。これらの世論調査結果から見ても、今回の改正皇室典範は国民の支持をほとんど得られていない高市政権の「ゴリ押し」とみられても仕方がない。
右派系の神道学者、皇室研究者ながら「女性・女系天皇」論を展開してきた高森明勅(あきのり)氏は8月16日の東京新聞記者、望月衣塑子氏のユーチューブ番組「オッカ君チャンネル」に出演。また、17日発売の週刊ポストで「皇室典範改正でむしろ『愛子天皇』への道は開けた」との特集記事などで 、旧宮家の男系男子の養子先である常陸宮ら四つの 養親となる皇族方はおそらく、養子を受け入れないだろう。また、旧宮家の該当者もいまのところ養子に入ることを明確にしている人はおらず、結局、引き受け手はいないのではないかという。
その上で「愛子内親王が結婚後も皇族に残るとすれば、次の典範改正の内容次第で愛子天皇の可能性が出てくる。旧宮家の男系男子との養子縁組がうまくいかずに(皇室典範を)再改正する場合、皇位継承を安定的に維持していくためには女性天皇を認め、愛子内親王など男系の女性皇族にも皇位継承を可能にする選択しかない」としている。また、そもそもだが、高市政権はめどがあって、皇室典範を改正したのか。めどがあるならば少なくとも、それを国民の前に示すべきだ。
スイスとオーストリアに挟まれた欧州の立憲君主国であるリヒテンシュタインは、国家元首となる公爵位の継承について15日、男子限定から性別を問わずに第一子優先とする公爵家の家法の法改正を採択したと発表した。共同通信によると、これにより欧州の世襲制の立憲君主国ではすべて、女性にも継承権がみとめられることになった、という。2005年の皇位継承のための有識者会議での結論と同じである。
「男系男子」による皇位継承は、日本会議など右派団体の強い悲願だった。今回それが実った。詳しくは、17日発売の週刊ポスト8月28日、9月4日号のトップ記事「高市首相と日本会議危うい“共依存” 旧宮家養子案は“1丁目1番地” 奈良の支援組織も日本会議人脈」が詳報しているのでこれを読んでほしい。大手メディアにはなぜこのような記事が書けないのか。私もこの問題の背後には、地方議会で草の根の意見書採択運動を地道に進めてきた日本会議があると考えている。
▼81年目の広島、長崎の「原爆の日」に改めて考えたこと
極めて個人的な話で恐縮だが、私は1945年9月生まれ。原爆が米軍によって落とされ、8月15日の「終戦(敗戦)の日」の直後に母の疎開先の静岡県で生まれた。児童心理学者だった祖父は45年6月まで広島文理科大学(現在の広島大学)につとめ最後は学長だった。祖父母は8月6日の原爆投下時には広島市の中心部から約18キロ離れた地御前村(現在の廿日市市の一部にあたる)に住んでいて被爆を免れた、と聞いている。祖父は兵庫県出身で、大学退職後もこの家に住み続けていた。
ウイキペディアなどによると、広島文理科大学は爆心地から1・4キロのところにあり、被爆、建物は外郭を残して全壊した。多数の教職員や学徒動員されず残っていた理系学生らが被爆死している(45年末までの死者は計134人)。現在も歴史的建造物として現存しているという。
学生や同僚を原爆で失った祖父は私が赤ん坊のころの46年19月に74歳で亡くなっている。祖父は原爆投下についてどう考えていたのか。大勢の学徒を送り出した時の気持ちはどうだったのか。いまや知る由もない。重い病気だったようで、学長を任期を残して辞めている。学長を続けていたら、祖父自身も被爆者だったのかもしれない。だから、祖父が被爆後に広島市内に入った形跡はない。少したってから、東京にいた父が祖父の代わりに市内に入ったとは父から聞いている。2週間後までとの条件があるので、よくわからないが、「入市被爆」の可能性もあったのではないか。
おそらく、元気だったはずの祖母も市内に入ったのではないか。被爆後の惨状を目の当たりにしたのではないか。戦後、私と東京で一緒に暮らしていた祖母は私が小学校高学年のころに死去したが、よく孫の私と昔のことなどを話すことが好きな人だった。だが、祖母の口からはなぜか、原爆のことを一切、聞いた覚えがない。語りたくなかったのか。今にして思えば、聞いておくべきだったと悔やまれるー。こんなことを書いたのは、被爆81年目に当たって、人間の運命というのは不思議なものだと改めて感じたからである。
81年目の広島、長崎での一連の行事が終わった。昨年10月、首相に就任する前から日本の国是である非核三原則の見直しを持論としていた高市氏。広島でも長崎でも、「我が国は非核三原則を堅持しており」との言葉で歴代の首相が「堅持しながら」「堅持しつつ」と言っていた言葉とは異なる表現で現状の説明でごまかした。決して、持論を封印したわけではなく、むしろ、チャンスがあれば、「持たず、作らず、持ち込ませず」のうち、「持ち込ませず」の見直しをする可能性を強くにじませたといえるのではないか。
8月9日の長崎での「平和祈念式典」。鈴木史朗長崎市長は、平和宣言で、核兵器は「絶対悪」だと指摘。「長崎を最後の被爆地に」と誓い、政府に非核3原則を堅持し、核兵器に頼らない安保政策への転換を迫った。広島の松井一実市長に続いて、今年11月の核兵器禁止条約再検討会議への参加を求めた。しかし、高市氏は記者会見で「我が国の安全保障の確保と核軍縮の実質的な進展のために、何が真に効果的かという観点から検討する必要がある」との言葉でオブザーバー参加にすら慎重な姿勢を示した。「逃げた」というよりもむしろ、核抑止論に立脚する高市氏がこの問題では、何事にも米国に追従する姿を改めて見せつけたというところだろう。
広島では使われず、長崎で使われる被爆者手帳を持てない「被爆体験者」という言葉。私も恥ずかしいことだが、勉強不足からこの言葉の意味をきちんと理解していなかった。「被爆体験者」とは、国が定めた長崎の被爆地域は、爆心地から南北12キロ、東西7キロという非常に変則的な形をしている。これは原爆がさく裂した瞬間に出る「初期放射線」が及ぶ範囲と、被爆当時の行政区分をもとに線引きしているためなのだという。12キロ圏内で線の外側にいた人は、国により、放射線の影響はなかったとして「被爆体験者」というカテゴリーに入れられ「被爆体験に起因するトラウマが原因で病気になった可能性がある精神疾患者」と定義されている。
広島では裁判を起こした84人の「黒い雨」体験者が地裁、高裁で勝訴し、菅義偉首相の時代に国は上告を断念。これをきっかけに「黒い雨」体験者を被爆者と認める新基準を作り、22年度以降、ことし6月までに7565人が新たに被爆者と認定されている。しかし、国は長崎についてこの新基準を適用せず、同じ被害を訴える長崎の「被爆体験者」は取り残された状態となっている(NBC長崎放送)。
この「被爆体験者」3団体の代表は、高市氏が被爆者4団体の代表と面会する場で「被爆体験者の苦しみを直接聞いてもらいたい」と発言の機会を求めたが、結局、その機会は得られなかった。「面会はできるが、発言はできない」との方針は首相官邸側の意向とみられるが、長崎市は「被爆者団体代表者1人しか発言できないため」と理由にならない説明をしているという(毎日新聞)。本当に情けない、高市首相は被爆者や「被爆体験者」の要望を聞くために長崎にきたのではなかったか。
高市氏と被爆者団体との面会にまたネット上で批判の声が上がっている。
9日午後1時10分から同40分までの約30分。首相は長崎市内のホテルで被爆者団体代表との面会に応じた。SNSに上がった動画を見ると、長崎原爆被災者協議会の田中重光会長が「今日、総理は長崎の原爆資料館を見学されました。いま国会議員の中で、戦争体験者や戦争を知らない人たちが大部分を占めています。ぜひ、お帰りになったら、広島・長崎の原爆資料館を見学されることをお勧めください。ありがとうございました」と結びの言葉を述べた。この場面で、首相について「人の話を聞く態度じゃない」などと批判された。私もフェイスブック(FB)仲間が上げる動画を何度も見たが、高市氏は中傷動画問題で野党から追及されているときと同じように「上から目線」で相手をきつくにらむような表情を続けていた。この人は自分に反対する野党や社会的弱者にはとても冷たい。敬意がない。この点でも、とても首相の器とは言えない。
会長が「ありがとうございます」と締めくくると、首相も軽く会釈を返していたが、会長の発言が気に入らなかったのか、何であんなに被爆者に怖い顔を見せるのだろう。19日発売の週刊文春「高市首相『自己アピール動画』に映らない“裏の顔”」によると・・・。
田中会長の言葉が強烈だ。その通りだったのだと思う。高市氏の傲慢な態度が被爆者を逆なでした。
「歴代の首相の皆さんは外交儀礼的に握手を求めてくるんですが、高市さんは差し伸べてこなかった。最初から握手する気がなかったってことですよ。やはり(歴代首相で)最も冷たい感じでしたね。今回は被爆者の話を聞いてやってるという態度でした」
朝日の首相動静によると、この後、同じホテルで会場を移してたった7分間の「記者会見」という名の形だけの事実上のぶら下がりがあった。「被爆体験者」についての記者の質問に「係争中の訴訟に関するものでもあり、お答えは差し控えたい」とのいつもの冷たい答弁だった=首相官邸ホームページ(HP)。カンニングペーパーを隠そうとしたのか、首相の前のテーブルに置かれた大きな花だけがなぜか目立った。
高市氏は、この日午後6時17分には公邸に戻っている。せっかくの被爆体験者との面会になぜ発言が許されなかったのか。6日には、帰京後、長い時間、歯科医に行ったことがネットで批判されている。高い支持率を維持し続けていただけに、改正皇室典範など国会での強行運営がたたったのか、このところ、支持率の低下が止まらない。朝日によると、首相に絡むSNSでの動画も、首相にネガティブなものが増えてきているという。
今年の「原爆忌」で改めて思ったことは、被爆者の平均年齢が86歳に達し、継承者が少なくなってきていることへの対応をどうするかである。厚生労働省によると、被爆者手帳を持つ全国の被爆者は今年3月末で9万1105人、30年前の3割以下である。「核抑止」によりかかるのではなく、唯一の戦争被爆国である日本の広島や長崎の「被爆の実相」を世界に伝え、その「絶対悪」を今後も訴え続けることしか核廃絶の道はない。東京新聞の8月6日の社説。「バトンを落とさぬように」はこう書く。
あの戦争から80年余。被爆者に限らず、戦争体験者のお年寄りが地域の中、家庭の中で、何かにつけて戦争の話、原爆の恐ろしさを子供たちに語るーと言った場面はほとんどなくなっています。社会の中でどうやって「想像の戦争被害者」を増やして、歴史の教訓を次の世代、次の次の世代へと伝え続けていくか。問われているのは想像力です。心しておくべきでしょう。私たちがバトンを渡せなければ、そこで終わりなのだ、と。
ここでは「想像の戦争被害者」という言葉に注目したい。少なくとも、高市氏がやろうとしている非核三原則見直しや防衛費増強、スパイ防止法などにその道はないことだけは確かだ。(8月11日)
▼「お上に逆らう者は排除」の 学術会議の会員選考案
科学者が戦争に協力したことを反省し、1949年に首相の所轄の下、政府から独立して運営されてきたはずの「学者の国会」と言われる日本学術会議。20年10月、菅義偉首相が、学術会議が推薦した会員候補のうち、6人の任命を拒否したことで「学問の自由」をめぐりすったもんだの議論が続いてきた。その結果、会議が推薦した候補者を首相が任命するやり方をやめることになり、10月に「国の特別機関」から特殊法人化することになったが、今後の会員選考案に「安保上懸念のない者」との要件が入ったことに「思想調査だ」と研究者らから批判の声が上がっているという。8月13日の東京が「こちら特報部」で取り上げた。
東京によると、8月6日と7日の学術会議の臨時総会。「特定の外国や外国組織の意をくんだ活動を行う可能性がある等、日本の安全保障の観点から懸念のある者を会員とすることは、学術会議としては避けるべきである」との会員選考案が示された。
「懸念事項のチェックリストを作成し、推薦者に記入を求めた上で会議内で審査する等の方法が考えられる」「外国籍だけでなく、日本国籍を持つ会員の選考に当たっても適用することを検討すべきである」と書かれた。その上で、会員の要件案として「日本の安全保障にかかる懸念のない者であること」を挙げている。これは会員候補者に対する「思想調査」となるだけでなく、「お上に逆らう者は排除する」ことにつながらないか。記事では、この案、学術会議事務局によると、いつどう決めるかは現段階で決まっていない。10月までに組織内の分科会でさらに、詰めるのだそうだ。
この背後に何があるのか。議論の経緯が不透明なのではっきりしたことは分からない。直接ではないが、東京の記事は高市氏が経済安保担当相時代から前のめりな経済安保政策をめぐる動きに対して、「学術会議側が意識を働かせた痕跡もある」と指摘する。これも、タカ派首相への「忖度」だったのか。
「安保上の懸念がない者」という要件案を示した学術会議分科会の議事要旨をたどっていくと「経済安保保障の確認」と言った文言が繰り返し登場している。そして「他の公的組織等の例を参考に調査が必要ではないか」といった意見も出ていた、という。
この臨時総会では、125人の新会員候補者を承認した。会員は現在の210人から250人に増える。任期は6年で、3年ごとに半数が交代する。8月下旬に氏名を公表するが、6年前の「任命拒否」の際に拒否された会員候補の6人が含まれているかは明らかにしていない。拒否した理由に関しても、いまだに明らかになっていない。
10月に新会員となる125人の選考は、外部の有識者からなる候補者選考委員会が行った。会員候補の推薦は、特殊法人化に伴って会員に加えて経済団体や学会からも可能になり、計1725人の推薦があった。新たな学術会議法は、首相に任命される監事と評価委員が業務内容をチェックする(毎日新聞)。このチェックも「政治的介入」になるのではないか。
「安保上に懸念のない者」という排除要件はあいまいで、政府に批判的な意見をもっていれば、誰でもひっかかる可能性がある。やはり、どう見ても、これは、政府からの独立を建前とする「学者の国会」の会員選考にまで時の政権が手を突っ込み、今後、制定が予定される高市政権の肝いり政策であるスパイ防止法を先取りした学術会議側が政府に迎合し始めたようにしか見えない。(8月14日)
▼81年目の「終戦の日」 高市政権の「靖国」「式辞」でのやりすぎの正当化
「終戦の日」の8月15日。全国戦没者追悼式典が迫った午前11時18分、高市氏は会場の東京・北の丸公園の日本武道館駐車場でいったん降車すると、高さ約3メートルの武道館外壁方向に(神社参拝の作法である)「二拝二拍手一拝」を行った。わずか1分の出来事だった。その500メートルほど離れた壁の先には靖国神社が位置していた(朝日、毎日の記事を参考にした)。
首相就任前は節目には靖国参拝を続け、24年の前々回自民党総裁選では「祖国を守ろうとされた方に敬意を表し続けることは希望するところだ」と首相となっても靖国参拝を継続する強い意欲を示していた。さらに、政調会長時代の22年、シンポジウムで「もし首相になったら靖国神社に参拝するか」と質問されて「日本国のトップになるようなことがあったら、ずっと参拝を続けたい思いだ。途中で参拝を止めたり、中途半端なことをするから相手がつけあがる面はある。どんなに批判されても淡々と続ける」と発言したこともある高市氏。この日、参拝するかどうかをメディアが注目する中、直前に今回は参拝しないことを表明していた。だからこんなことを行い、支持者に向けてアピールしてみせたのだろう。これも、最近、落ちる一方の支持率回復のためのパフォーマンスだ。
さすがに、この場面は首相官邸ホームページには掲載されなかった。朝日によると、「靖国神社に向かって遥拝した」と政府関係者は認めている。「遥拝」とは「遠く離れた場所から神社などの方向を思い浮かべて敬意をこめて拝むこと」だそうだ。戦前の「宮城(皇居)遥拝」を連想させる。ウイキペディアによると、宮城遥拝は日本や大東亜共栄圏において、皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝、拝礼)する行為である。遥拝する場所は、日本国内(内地)、外地、外国を問わず用いられている。日本国民が天皇への忠誠を誓う行為の一つであり、御真影への敬礼とともに、宮城遥拝も盛んに行われた。特に第二次世界大戦中には、天皇へ忠誠を介して戦意高揚を図る目的で、宮城遥拝は盛んに行われた。それにしても、このような死語となった言葉を政府が再び使うとは。
メディア報道を見ると、こっそりではなく、どうも、メディアにも事前に知らせた上でのヤラセ行動と見られる。この日、靖国神社には、小泉進次郎防衛相ら4閣僚も参拝。鈴木俊一幹事長、有村治子総務会長、西村康稔選対委員長の自民党執行部も高市首相の「代拝」をするかのようにそろっての異例の集団参拝を行った。鈴木氏は「高市自民党総裁の気持ちを体して参拝した」とわざわざ述べた。この言い方では首相の「代拝」である。
代拝は、天皇に代わって侍従が宮中三殿に向かって参拝するという時に使われる。
高市氏の靖国神社遥拝といい、首相の代拝を自民党執行部がするというのは、事実上の「参拝をした」とアピールする意図が透けて見える。私は大反対だが、あれほど強調していた靖国参拝を高市氏はなぜしなかったのか。公然と遥拝や代拝という岩盤支持層向けの今回のアリバイ的で姑息な手法を使った高市氏の振る舞いは、国民の目をそらそうとするいびつな正当化にしか見えない。
これに日本を「新型軍国主義」と呼ぶ中国が強く非難。このところ、高市政権とは、良好な関係が続く韓国も外交省報道官名で「歴史を忘却した時代錯誤的な行為を行ったことに憤慨を禁じ得ない」とする論評を出した。安倍晋三元首相が第二次政権で靖国参拝した際には、米国も「深く失望した」とのコメントを出したが、今回は実際の参拝ではないので、反応はない。高市氏は今回の靖国参拝をしなかった理由について「アメリカが反対するからや」と周囲に語っているという(19日発売の週刊文春)。相変わらずの米国への追従ぶりである。長い間、日本により植民地支配された韓国や日中戦争で数百万人から1千万人以上の死者を出したといわれる中国からの反発は、当然、予想されたことである。
靖国神社は日本の戦前の精神的支柱となった国家神道の中心的施設で、東京裁判でA級戦犯とされた14人が合祀されており、1978年に戦犯合祀が判明して以来、昭和天皇だけでなく、その後の天皇は参拝していない。メディアは中国や韓国の反発ばかりを報道するが、首相や閣僚の参拝は憲法の政教分離原則違反の疑いが濃厚であることも指摘しておきたい。
もう一つは、戦没者追悼式での高市氏の式辞。予想されていたとはいえ、アジア太平洋戦争での「加害の教訓」を無視し、「歴史」に関する言葉が姿を消した。その上で反省に全く触れないなど「歴史修正主義」(最近では欧州の研究者は「歴史否定」というらしい)に満ちたひどい内容だった。
式辞で、石破氏が昨年の式辞で民主党政権以来13年ぶりに復活させた反省の文言を削除。歴代の多くの首相(安倍・岸田両政権)が言及してきた「歴史の教訓を胸に刻む」との表現も消えた。
さらに、高市氏は「戦争への惨禍を、二度と繰り返させない。この決然たる誓いを世代を超えて継承し、貫いてまいります」と述べた。ここで問題なのは「繰り返さない」ではなく、「繰り返させない」という微妙な表現。主語があいまいなため、先の大戦が「日本が主体的に戦禍を起こした『侵略戦争』ではなく、やむなく戦争に向かった『自衛戦争』だったというニュアンスが出かねない、と中央大学の中北浩爾教授(日本政治史)は指摘する。首相官邸は「より強い不戦の決意を表すため」と解説する(朝日)。これも、安倍首相を含む多くの首相が使ってきた「繰り返さない」という言葉の表現を変えている。中北教授の言う通りで、式辞のこの部分もやはり「正当化」だ。こんなズルイやり方は、「官僚臭」がするので、おそらく内閣広報室のしわざだろう。
かつて、1995年、34歳の高市氏が戦後処理や歴史教育の在り方をめぐる国会議論の中で、過去の戦争について「私自身は、当事者と言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と言い切った。
若いころの発言なので、かなり幼稚な言い方になっているが、高市氏の最近の国会答弁を見ていると歴史認識はこの時とあまり変わっていないように見受けられる。
私だってぎりぎり当事者とは言えない世代だが、「歴史からの教訓」を学ぶことは政治家として、最低限の義務ではないのか。ましてや、今や高市氏は日本の最高権力者である。
首相就任の前に出た右派系雑誌「月刊Hanada」昨年12月号に掲載された「わが国家観」によると、安倍氏を信奉する高市氏は「万世一系」を認める皇国史観の持ち主であり、教育勅語を評価するような歴史観の持ち主であることがわかる。
そんな首相の式辞の最後の部分では「今を生きる世代も、未来を生きる世代も、希望を持てる日本を、安全で安心して暮らせる社会を創り上げてまいります」と言って締めくくっている。この部分、安倍氏が15年8月に出した「戦後70年談話」の「あの戦争に何らの関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」にどこか似ている。
過去の戦争に「反省」のない高市氏。高市氏の言う「希望を持てる日本」や「安全で安心して暮らせる社会」とは何か。高市氏は、「日本列島を強く豊かに」をスローガンにして、「死の商人」を想像させる殺傷兵器の輸出全面解禁をすでに実施し、今後、スパイ防止法制定、軍事費の大幅増額を狙い、日本の国是である非核三原則の見直しの可能性も出ている。日本を再び「軍事
大国」にしようとしているとんでも政権である。今回のやりすぎた二つの「正当化」が私には、その象徴のように思える。 (8月16日)