✺神々の源流を歩く✺第63回 儒教式の村祭 男性は「酺祭」、女性は堂祭 

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 男性が中心になって行う村祭は儒教式で行われ、酺祭(ポジェ)壇と呼ばれる。女性中心の堂祭と酺祭はもとは、同じ一つの祭祀だった。ところが、朝鮮時代に儒教が国教になると、儒教形式の儀礼が強制され、男性主体の酺祭と女性中心の堂祭に分けられる。ただ同じ場所で男性の酺祭が終わった後、女性中心の堂クッが行われるので、互いに似ている。

厳しいしきたり守る祭官

 堂祭の主催者は祭官と呼ばれ、生年月日や祭日の干支などを選んで決められる。祭官になると、厳しいしきたりを守らなければならない。まず家の周囲に禁止縄を張って赤土を撒き、人の出入りを禁止する。そして斎戒沐浴して出番を待つ。赤土を大地に撒いて清めるという風習は、日本にもあるようだ。

 祭儀は三献、読祝、飲福の順に儒教形式で進められる。まず手水を行い、修祓、降神、献饌、祝詞奏上、玉串拝礼、撤饌、昇神の順に進む。日本の神社の儀式に似ている。祭の場所は小さな鎮守の森だったが、ビルの一室で行なわれることもあるという。

 年に一回の酺祭は、今回の訪問では見ることはできなかったが、済州道立民俗自然史博物館で何か所かの映像と、担当者から丁寧な説明を受けることができた。野村伸一氏の「東シナ海祭祀芸能史論序説」も参考に儀式はこう進められる。

旧暦正月の「新過歳」の祭り

 旧暦正月の「新過歳」(シングァセ)と呼ばれる祭りは、神房(シンバン)と呼ばれる祭主が、小さな石でできた祭壇の神門を開け、神の来歴を語り、食事や酒、季節の果物を飾る。女性たちは神門の前で踊り、大きな餅を高く投げ上げる。これは豊作を祈る儀式だという。

 続いて村と個々人の厄除けが行われ、模擬的な狩猟もする。地域独特の本縁譚(由来)が語られ、歌や音楽を交えて皆がにぎやかに歌い踊ったりする。

 一方、本郷(ノヌル)堂では、次のように行われている。文武秉蛆氏の「済州島堂信仰研究」などによると、午前8時半、堂には50人ほどの婦人たちが、準備した供物、果物、酒を持ってくる。9時を過ぎると、正装した神房がはじまりを告げると、太鼓と銅鑼の音が響いて、神衣を保管している神門が開かれ、神房が村人の名を家族単位で読み上げる。献酌して祭の次第を語ると、本郷神からの神意伝達が行われる。そこで神房が交替して厄除けが行われ、神を招き入れると、伴奏の音楽に合わせて皆で踊りを始める。

 神房は神刀を持って乱舞する。小巫が脇にいて酒を口に含み吐き、駆けめぐる狩猟神を再現する。三献官が入場し火のついた焼紙(ソジ)を上げ、神房が大きなカムサン旗を両手に持ち、本郷神以下の神がみに座席の按配をする。

 神饌が献上され、村人の拝礼が続く。各氏の家の祭祀ではそれぞれの祖先に関するする起源や由来が唱えられ、歌などを歌ったりする。やがて激しい音楽に変わり、神房が踊りながら餅を投げ上げて神に献じる。

現代のシャーマンの心象

 また苦労した生い立ちを持った人にまつわる物語が歌われたりする。この後、占いをして村やそれぞれの家に本郷神からの神意が伝えられ、最後に、神房が鈴を振りながら厄除けを行って祭りは終わる。

 この祭りは、音楽に合わせて歌ったり踊ったり、人々の苦しみや悲しみ苦労などを語り合ったりして、集まった人々の気持ちを一つにするところに特徴がある。巫俗が仏教や儒教などから迫害されたのはこういう場面だとされるが、根強く人々に引き継がれてきた。

 千人以上の巫女達にインタビューをしたといわれる古代史学者の徐廷範氏は、著書の「韓国のシャーマニズム」で、「巫女達の巫女的行事は愛情の欠乏を補う行為だとも言え、その見地からすれば巫女的な神は巫女達の恋人と言える」と、現代のシャーマンたちの心象を語っている。          

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