朝鮮半島西南部、東シナ海100キロ海上にある済州島は火山島である。中央にそびえる霊峰、漢拏山(はんらさん、1950メートル)は、三角形のすそ野が広く、島のどこからでも望めて信仰の山になっている。後に触れる3姓穴からが湧き出た3神人が、射矢で狩猟して活躍する神話の舞台でもある。
「三多三無」の島
済州島は別名「三多(さんた)三無」の島と呼ばれる。海で働く女性が多い、強い風の日が多い、石が多いが三多だ。強い風と言えば、済州島の空港から乗ったタクシーの運転手さんが、民俗博物館近くの海岸に車を止めて、少し歩いてごらんなさいというので、車を降りたら強い風どころでない。立っていられなくなりすぐに砂浜にしゃがみ込むありさまだった。
民家の屋根の傾斜が少なく、褐色の玄武岩の石垣が家を隠すほど高いのは、風が強いからだとすぐわかった。また島のどこを掘っても玄武岩層に突き当たるので、石はいくらでもある。大昔から伊勢、志摩、伊豆の海では済州島からの海女が働いていた。そういえば伊勢、志摩の島に飾ってある小さな祠には新羅系の神がいくつもあった。今、現役の海女にはその子孫が多いという。済州島の海女は20メートルの深さまで潜れるという。
「三無」とは泥棒がいない、門がない。物乞いがいないの三つだ。また門に扉がない。代わりに横木が置いてあり1本は近くにいる。2本はすぐ戻る、3本は長めの留守という意味といわれる。泥棒がいないからできることなのだろう。風が強いので板戸は役に立たないという。済州島で使われている筏舟は、対馬に現存する筏舟に酷似している。対馬、与那国島にいる小型の馬は、韓国では済州島だけにいるとされる。日本書紀に素戔嗚尊が班馬の皮を逆はぎにして、天照大神に投げつけたとあるが、この班馬は済州島の馬だったとの見方がある。また日本で活躍している韓国人には済州島出身者が多いという。
「耽羅」と呼ばれた独立国
同島は7世紀に高麗王朝に統合される前は、「耽羅」(たんら)と呼ばれ独立国だった。1998年に特別自治区となり、いまはビザ無しの入国やリゾート、カジノ開発など観光収入が島の経済を支える。島を訪れる中国からの観光客は、コロナの前は年間1000万人を超えた。
済州島出身の玄容駿元済州大教授が、1985年に日本で出版した「済州島巫俗の研究」によると、堂は韓国の本土では失われつつあるが、済州島の2009年の調査では、359カ所で行われており、行政区域は215里あるから平均1.3か所あることになる。
女性が中心の祭祀
堂は、日本ではどこの村にもあった鎮守の森や、沖縄・奄美の御嶽(うたき)に似ていて、村の行事や冠婚葬祭の中心になっている。開村以来の歴史を持つ「本郷堂」、子供たちの成長を見守る「イルレ堂」、海女や漁夫のための「ドンジッ堂」などと呼ばれ、「クッ」と呼ばれる儀礼を行う巫女(シャーマン)が祭祀を主宰する。
巫女は赤、黄色。金色など色鮮やかな礼服を着て、感情豊かな歌と踊り、日本の巫女の舞のようなものを披露する。最後に人々から心配事や悲しみを聞き、演劇的な表現をして人々と心を一体にする。
玄氏は、「もともと済州島に根付いていた土俗信仰の上に、韓国本土から入ってきた仏教の影響が加味され、さらに13~14世紀に元の直接支配を通じてモンゴル仏教の影響を受け、さらに、朝鮮王朝の下で、儒教が国教として広がるなど、何回も大きな影響を受けている」という。ただし「日本の本土や沖縄・奄美のそれとは、仏教・儒教との関わり、政治体制の関わり、男女の役割分担という点で似ていながらも相違点もある」とする。
済州島では、堂の担い手は女性中心で続けられているのが特徴で、堂の祭壇や祠も小ぶりで簡素だ。これに対して、男性社会では「酺祭壇(ポジェダン)」と呼ばれ、儒教式の儀礼で行われる。女性が伝統の巫俗信仰を守り、男性は儒教の作法で行われるという二つの構造になっている。
神社を知るうえで欠かせない東アジアからの視点
玄教授は、「済州島と日本はアルタイ・ツングースからの北方からの影響、黒潮に乗ってやってきた南方の影響、そして道教の影響などがミックスされたアニミズム・シャーマニズムを伝統文化の根底に有するという点で共通しており、またそのバランスが全体としてみると大変似ている」という。
したがって神社を知るには韓国をはじめアニミズム・シャーマニズムの原点であるウラル、アルタイ、シベリア方面はもとより、南方など広く東アジアの視点から見つめることが欠かせないのだろう。
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