やっぱりというか予想通りというか、自民党は巨大与党になった途端に、高市早苗政権にもおごりやゆがみが出てきた。
一昔前なら閣僚更迭
自民党は、総選挙大勝後の衆議院での予算審議では、野党の合意なく審議日程を委員長が職権で決めるなど強引な国会運営を見せつけた。閣僚や委員長が遅刻して、審議開始が遅れるなどの不祥事も続く。巨大与党の慢心がうかがえる。いずれも議会制民主主義の根幹に関わる問題で、本来、ありうべからざることである。
圧倒的な議席数を得た時ほど、政権与党には謙虚で小政党にも目配りした国会運営が求められる。
ところで、直近の読売新聞の世論調査の各党の支持率をみると、自民党39%(前回43%)、参政党5%(同4%)、国民民主党4%(同5%)で、中道改革連合は2%(前回5%)だ。有権者は中道改革連合への怒りを通り越して、拒否感を突き付けてた感じがする。
戸惑う立民,公明両党の支持者
ただ中道の前身、立憲民主党の衆院選を見ると、微増だが善戦している。2017年、(安倍晋三政権、枝野幸男代表)は、1,108万票、2021年(岸田文雄政権、枝野代表)は、1,149万票、2024年(石破茂政権、野田佳彦代表)は、1,156万票を獲得した。しかも回を重ねるごとにわずかだが議席が増えている。世論調査に応えるのと違って、投票所に足を運ぶ有権者は、立憲にそれなりの思いを抱いていたのだと思われる。
公明党が自民党との連立を終わらせたと言っても、26年も続いた政権党の総括もなく、新党の理念や政策などの議論もないまま、連立に飛びつくというのは急ぎすぎではないか。立憲、公明両党の支持者も大いに戸惑ったと思われる。
ところが立民と公明両党の執行部は違っていた。直近にも予想される総選挙に向けて、立憲の1100万票と公明党の600万票を合わせれば、1700万票になるはずと単純にソロバンをはじいたのだと思われる。立民と公明が連合した中道改革連合の目標議席も1700万票だった。
「選挙の数合わせの連合」
結果は中道は1044万票で、650万票も減らした。1700万票という目標は立民と公明両党がこれまでの得票数を単純に足したものだったと思われる。この目標は、政権の担当を目指すにしては、楽観的でかつずさんだった。有権者は一目見て中道は、選挙の数合わせをしただけに過ぎないと、見破ったと思われる。
中道の立党の理念や、日本社会の未来像、何を重点に取り組むのかなどは示されていない。他の野党の仲間とどう協力し合っていくのかメッセージもない。自分たちのことしか視野になかった感じだ。政党としての謙虚さにも欠けていた。この仕切りの間違えは致命的だった。
中道とかリベラルとよく言われるが、ヨーロッパやアメリカでもそれぞれ歴史や背景があって、「これこそ中道だ」と定義するのは難しいらしい。
一家言を持った議員をそろえる
党名に「中道改革」を掲げているので、中道政党ということで見ていくと、中道政治の役割は三つあるとされる。一つ目は、政権担当の予備軍として腕を磨くことで、まず政治や行政、外交、経済、社会福祉などに一流の見識を持った議員をそろえることだ。重量級の質問者がそろっていたら、国会論戦は重みを増し注目度も上がるだろう。今回の選挙ではベテラン議員が議席を失っているので、人材の育成は急務である。
二つ目は、英国の政治学者、ジョン・アクトンは「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する」という名文句を吐いているが、日本でも欧米議会のように政権交代が必要だということである。時々政権の交代があると、長年続いた利権の人脈など固定化した構造が断ち切られ、税金はより公正使われるようになるだろう。
三つ目は、さまざまな分野に既得権が張り巡らされていることだ。政権交代があると税金の無駄遣いや天下りなどはチェックされるから、政治や行政の在り方、機構などがガラス張りになること請け合いである。
議会政治のウオッチャー役として欠かせない。中道の存在意義はこういうところにある。中道が再起するには、敗因を徹底分析するとともに、自分たちの役割の重要さを再確認することが欠かせないだろう。SNSなどを活用も大事だがまず、まず、有権者の中に飛び込んで行って庶民感覚を肌で感じ取ることが先決だ。
議会政治の見所は「政権交代」
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党の不都合な関係や、裏金問題、政治献金の使い方、カタログ問題などはこれから先も究明が欠かせない。国有地の売却をめぐる公文書の改ざんを強要されて、自死した財務省近畿財務局の赤木俊夫さんのような事件は二度と起きないように、まだまだ糾明が残されている。
これまで自民党が大勝した総選挙といえば、中曽根康弘政権の衆参ダブル選挙(1986年)、小泉純一郎政権の郵政選挙(2005年)、それに今回の高市選挙の三つが挙げられる。このうち中曽根、小泉政権下の両選挙は、高市選挙と大きな違いがある。中曽根、小泉両選挙は、政策面で実績を積み上げて解散に踏み切り、国民の一定の評価を得ていることだ。
高市政権の勝因は、初の女性首相誕生、挑戦し跳ね返してきた政治家としてのパワーぶり、閉塞感のある社会に生きる若者層の共感を捉えたことなどとされる。しかし解散、総選挙が恣意的で、首相としての実績評価はまだこれからである。
政治の世界では個人の人気は移ろいやすいと言われる。また高市氏には成果がでないと日中関係など国際関係をポピュリズム的に利用するのではないかという懸念もある。
ネットとSNSが普及し、多党化が進んだ社会では、有権者は以前にも増して「情報」に関心を持つとされる。中道は、議会制民主主義にとって、重要な政権交代の意味をもう一度再吟味して、再出発の好機をつかんでほしいところだ。
ところで今の政治家にも大事だと思われるが、かつて吉田茂元首相をはじめ歴代首相に「宰相学」を説いた、漢学者の安岡正篤氏の話を何度か聞く機会があった。宰相には応対辞令が大事だということで、メモにはこうある。宰相は何百万という目で見られているので、笑顔は大事だが、相手の話を真剣に聞き、真剣に答える姿勢がより大事だとある。また宰相は、堂々していて多くの人に納得と安心感を与えること、相手の言うこはよく聞いて、発言にはある種の教えが必要だーとある。
安岡氏は請われると、四書五経にある「天下の患(わざわい)は小人を宰相にすることほど大なるはない」の一句を紹介。トップの心構えとして、「善ヲ善トシテ進メズ。悪ヲ悪トシテ退ケズ。賢者ヲ隠蔽シ、不肖、位ニ在リ。国、其ノ害ヲ受ク」と説いていた。
(了)