コラム「番犬録」第26回 許していいのか高市首相陣営の選挙中の情報操作 民主主義の根幹を揺るがす 手ぬるいメディアの政権批判 大手メディアは改めてこの問題の報道を いま問われる「権力監視」のメディアの姿勢 非核三原則見直しも視野にする危険な安保3文書改定 加速する「前のめり国論二分政策」 過去の戦争への反省が全く見られない昭和100年式典の首相の式辞 なぜか天皇の「おことば」がなかった 高市氏の式辞から抜けていた「進むべき進路を誤った」の文章

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 5月7日付の東京新聞の「本音のコラム」には全く同感である。

 青山学院大名誉教授(行政法)の三木義一氏は「高市(早苗)首相の醜い情報操作」の見出しで、週刊文春5月7日、14日「ゴールデンウイーク特大号」に掲載された6ページのトップ記事「独占入手 高市陣営が流した『進次郎は無能』動画」についてこう書いている。

事実だとすれば、ひどすぎる高市首相陣営の情報操作

 「情報操作をやる奴がトップの国で『(国家)情報局』を整備しろなんて、情報操作でスパイを作る情報捜査局ができるだけだ」と厳しく批判した。三木氏の文章には、「ご隠居」とべらめえ口調の相方のやり取りの中に絶妙な政権批判が含まれており、私も愛読者のひとりである。

 ご隠居のこの結論の前に相方が「週刊誌で明らかにされたこのことを大手マスコミはちゃんと報道しているんですか。こういう情報が垂れ流されていることがマスコミ衰退の一因だから、なぜ高市の辞職を求めねえんだ」と言葉も荒いが真実の一端を突いている。

 確かに大手メディアは私の見ている限り、このことを報じていない。「文春砲」 の効果は文春が報じた後に大手メディアが短い記事でも、後追いで伝えることに意味がある。しかし、高市首相になってから高い支持率に忖度してか、大手メディアの文春砲後追いは減っているように見える。

 週刊文春によると、昨年の前回総裁選(2025年9月22日告示、10月4日開票)の期間中に「前回総裁選で、メディアも議員も散々小泉を持ち上げてたけれどi カンペで炎上i 無能で炎上i ボロが出まくって大炎上ii」「小泉アウトi」などとショート動画に投稿。林芳正衆議院議員についても「こんな人が自民党のトップなら 日本も終わりですわ」と写真も使って投稿した。これらの動画を投稿したのは「真実の政治」と名乗るアカウント。投稿の責任者は明らかにされていないとしている。

 文春が取材を進めたところ、「動画作戦」をけん引したのは、高市氏の最側近である公設第1秘書・木下剛志氏らという。木下氏は動画作成で主力を担うことになる起業家でサイバー技術者である松井健氏とメッセージのやり取りをしていたことをつかんだ。松井氏は暗号資産「サナエトークン」で高市事務所側との連携を以前、文春に実名告白していた人物だったという。

 この「動画作戦」は総裁選だけでなく、今年2月の衆院選でも高市陣営は同様行為に及んだ。木下秘書の依頼によって、選挙直前に発足した中道改革連合の大物議員たちへのネガティブキャンペーンにも関与していたという。

 誹謗中傷の対象となったのは、 選挙対策委員長だった馬淵澄夫氏、幹事長の安住淳氏、岡田克也氏、元代表の枝野幸男氏の4人。「とても日本人の道徳心とは思えません。皆さんに知らしめて」とポケットに手を突っ込んで演説する写真とともに批判された安住氏。「巨大スーパーだけが生き残る弱肉強食の国を作る」と言われた、親族がスーパーを経営している岡田氏。枝野氏に至っては「プロのクレーマー」と非難する動画が投稿された。これらの投稿はすべて削除されている。記事ではこの4氏は落選、中道は167議席から49まで激減したなどと書いている。詳しくは週刊文春を購読してほしい。

 総裁選を争った身内の政敵をおとしめ、衆院選では、野党第1党の議席が大幅に減り、自民党だけで3分の2を超える圧勝。この「動画作戦」がすべて高市氏の勝因だという証拠はなく、もちろん「実力」もあったとは思う。しかし、特に衆院選は高市氏の独断による解散で行われ、投稿された当時、現職の首相だったことを考えると、この報道が事実ならば、日本の民主主義にとって選挙制度の根幹を揺るがすほどのとんでもないことが起きていたことになる。
 
 大手メディアはいまからでも遅くないので、このことを取り上げる報道をすべきだ。また、高市氏には国会や記者会見での厳しい説明責任が求められる。JNN(TBS系列)の直近の世論調査では高市内閣発足から半年以上が経過してもなお74・2%という驚くべき支持率である。派手なパフォーマンスが国民から受けているのだろうが、率直に言って何かが変である。 

▼やりたい放題の安保関連3文書改定

 高市早苗政権による国家安全保障戦略など安保関連3文書の改定のための有識者会議での議論が4月27日、始まった。政権発足後、防衛費について関連経費を含め5年でGDP(国内総生産)比2%の引き上げを前倒しで25年度中に行うとともに、早々と26年度内の3文書改定実施も決めていたので、予定通りの動きではある。

 この日の有識者会議初会合で高市氏は、日本の平和を守るために「総合的な国力を徹底的に強くしていくことが大事だ」と訴え、無人機や人工知能(AI)を用いた「新しい戦い方」への備えや継戦能力の確保に向けたや防衛産業の基盤強化や経済安保の推進などを訴えた。

 さらに、高市氏はこの3文書改定を「国家の命運を左右する重要な取り組みだ」と位置づけた。続いて「日本を取り組む安保環境は一層厳しくなっている」とのいつもの前置きを述べたうえで「一刻の猶予もなく、わが国の抑止力と対処力を強化する必要がある」と、「国家の命運を左右」や「一刻の猶予もなく」という国民受けを狙うオーバーな表現で危機感を煽った。

 「前のめり国論二分政策」といってもよい政策が次々と、猛スピードで進んでいる。

 防衛装備移転三原則を見直し、殺傷力のある武器輸出の全面解禁、スパイ防止法制定を見据えた「国家情報会議」創設に続く、今回が第3弾となる。武器輸出解禁の閣議決定が4月21日、23日には「国家情報局」設置法案が衆院を通過。そして、安保3文書改定が27日とわずか1週間。国民生活にとって重要な「食料品の消費税」減税やイラン戦争による石油危機、ナフサ不足などで高市政権は国民から「遅すぎる対応」との批判を招いているにもかかわらず、防衛、安保、インテリジェンス政策は日本維新の会というアクセル役はいるが、ブレーキ役がいない。だから、それ行けどんどんとなる。できるかどうかは別にして最後は憲法改正に行きつくのだろうが、このようなやりたい放題で肝心な国民の意見をきちんと聞こうとしない高市内閣のやり方で「専守防衛」のはずの日本の平和主義は大丈夫なのか。

 高市氏が「強くしたい」とする「総合的な国力」=外交力と防衛力を、経済力、技術力、情報力、人材力と有機的に連携させるもの=についての主なテーマは、首相就任前の2024年4月に出した編著書「国力研究」(産経eブックス)に掲載されている。高市氏がやりたくてやりたくて仕方がなかった肝いり政策なので、会議の名前も「国力」との言葉を使った「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」となっている。

 有識者会議について、朝日新聞は「有識者の人選からは、政府が目指す安保政策の方向性が透ける」と書いた。座長の佐々江賢一郎・元駐米大使、黒江哲郎・元防衛次官らメンバーは15人。今回の大きな焦点は「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則がどうなるかだ。

 高市氏は編著書の「国力研究」で「持ち込ませず」は「ジャマ」と表現。国会でも「堅持」を明言していない。だから心配なのだ。側近の元空将が「核兵器の保有」をオフレコ懇談で口走った経緯もある。唯一の戦争被爆国である日本で、有識者会議がこの問題でどういう結論を出すかに世界の注目が集まるのは当然だ。

 朝日新聞によると、メンバーの山崎幸二・元統合幕僚長はこの日の会議後に記者の質問に「持ち込ませず」の見直しについて、「会議の目的の中において議論すべき問題」と答えている。もともと、山崎氏は「非核三原則見直し論者」だ。

 また、会議で遠藤典子早大大学院教授は「中国による太平洋での活動が非常に活発化している」として「日本も原潜保有を検討すべきだ」と発言したという。さらに、山崎氏は「ウクライナの最大の教訓は総力戦の重要性だ」とも発言し、「総力戦」という言葉を使った(読売新聞)。総力戦は第1次世界大戦から使われ、私のような古い世代には、戦前の「国家総動員体制」を連想させる物騒な言葉だ。これを元制服組のトップが使うとは、「平和国家日本」も恐ろしい時代になったものである。

 メディアからも、読売新聞グループ本社の山口寿一社長とフジテレビの清水賢治社長の2人が有識者会議のメンバーになっている。いくらその報道がメディアとして「政権寄り」だとしても、「権力監視」が大きな役割であるはずのメディアからの委員入りはいただけない。テーマが「国論二分政策」だけに、その中立性が問われないか。

 防衛費の増額も大きな課題である。トランプ政権は同盟国にGDP比で中核的な防衛費3・5%、関連経費1・5%の計5%への増額に向けた取り組みを求めている。3・5%で20兆円、5%で30兆円。「平和憲法」を持つ日本に、これ以上の防衛費増額は本当に必要があるのか疑問だ。もし、増額するとしても、財源をどうするのか。何らかの形で国民が負担するしかないことになる。それでもなぜか、高支持率の続く高市氏は防衛費を上げて日本を「軍事国家」にしたいのだろう。

 スウェーデンのストックホルム国際平和研究所が4月27日に発表した「25年の世界の軍事費」によると、日本は第10位。いつの間にか日本も世界のトップクラスの軍事大国となっている。軍事費をさらに増額したならば、アジアの周辺諸国はどう考えるか。この秋には有識者会議は提言をとりまとめ、12月には政府が新3文書を閣議決定する段取りである。非核三原則は別にして、有識者会議の方向性は見えている。その結論が政権に「お墨付き」を与えることになる。繰り返しになるが、平和憲法を持つ日本の防衛にとって、安保3文書の改定が「危ない内閣」による「危ない改定」という分岐点になることは残念ながら間違いない。(4月28日)

▼「国体」という言葉につながる「国柄」という表現を使う違和感 

 昭和元年から満100年を迎えることを記念して4月29日(昭和天皇の誕生日)に東京・日本武道館で開かれた政府主催の「昭和100年式典」の高市早苗首相の式辞には、過去への戦争の反省が全くみられないなど大きな違和感を感じた。

 式典をめぐっては、開催を求める超党派の議員連盟の麻生太郎会長が24年に当時の 岸田文雄首相に要請。高市内閣が昨年11月に閣議決定したうえで行われた。衆参両院議長、最高裁長官など各界代表5600人が参加した。

 午後2時から始まった式典では、天皇、皇后両陛下が舞台中央に着席(戦没者追悼式の着席場所は舞台中央ではない)。国歌斉唱の後、高市首相の式辞に移った。約6分の式辞の中で私が強い違和感を感じた部分をユーチューブ動画で見たうえで、官邸のホームページに掲載されている全文から拾ってみた。

 まずはじめに、高市氏は「私は日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代に顧み、我が国の伝統や歴史の重みをかみしめながら、将来に思いをいたす機会にしたいと思います」と述べた。

 私が違和感を抱いたのは、戦前の万世一系の天皇の統治を神聖化する概念といわれる「国体」という言葉につながる「国柄」という表現をわざわざ使っていることである。「国体護持」という言葉は、敗戦後も天皇制を維持、存続させることを指し、ポツダム宣言受諾の日本側の絶対条件だった。

 憲法第1条は「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定し、象徴天皇制は国民から圧倒的に支持されている。月刊「HANADA」25年12月号に載った高市氏の「わが国家観」によると、男系の血統が126代も続いた「万世一系」という御皇室2千年以上の伝統は、「天皇陛下の権威と正当性」の源です。(中略)政治の世界では政権交代が起きても、日本には国民統合の象徴として国内外の尊敬を集める国家元首たる天皇陛下がおられ、国会の安定感や国民の誇りに繋がっています、と書いている。このような考えから「国柄」という言葉を使ったのかどうかはよくわからない。

 この後、高市氏は式辞で「昭和は、戦争、終戦、復興、高度成長といった、未曾有の変革を経験した時代でした。先の大戦後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者(高市氏は「せんそう・ぎそうしゃ」と読み間違えている)の御遺族をいたわり、戦後復興に勤しむ国民の皆様を励まされました」と続けた。

 せっかく「戦争」に言及したのだから、戦争の悲惨さはもちろんのこと、日中戦争からアジア・太平洋戦争への反省についても当然触れるべきではなかったか。この戦争で日本だけでも310万人が亡くなった=うち230万人の日本の軍人・軍属の死者のうち6割の140万人は餓死・病死だったとされる(藤原彰氏の「餓死した英霊たち」)。一方、アジア太平洋諸国の死者は約2000万人と推定されている。

 この高市氏の言葉からは、日本の戦争被害者や軍の暴走を許し、無謀な国家総力戦にのめり込んで、侵略したアジア太平洋の国々の人々への思いは全く感じられない。広島、長崎の原爆投下、唯一の地上戦を戦った「沖縄戦」、そして、航空機や潜水艇などを使って「特攻」という形で死んでいった若者たちの無念さを示す言葉もなかった。
 
 さらに、高市氏は「今こそ、激動の昭和を生き、先の大戦や幾多の災害を乗り越え、希望を紡ぎ出した先人たちに学び、私たちも果敢に挑戦していく必要があるのではないでしょうか」と述べている。これは2月20日の施政方針演説と全く同じ表現を使っているが、「戦争」と「災害」が一緒くたになっていないか。そもそも、「戦争」は人間が起こすものである。何を学び、何に挑戦するのかもこれでは分からない。

 「昭和の時代は、未曾有の激動と変革、苦難と復興の時代であった」とする政府の「昭和百年ポータルサイト」の「基本的な考え方」では、「進むべき進路を誤って戦争への道を進み、先の大戦で多くの人々が犠牲になった」と書く。官僚が書いたとみられるこの文章には「進むべき進路を誤った」とあるのに、高市氏の式辞には抜けている。
 
 式辞にはこの後も「挑戦」や「希望」という言葉がちりばめられている。高市氏にとって「昭和100年以降の未来の日本」は明るさに満ちた国なのだろう。最後の「日本列島を、強く豊かに」との締めの言葉は確か、高市氏の編著書「国力研究」のサブタイトルだった。これは政治的スローガンであり、これではまるで「選挙演説」である。1時間足らずの式典全体が私には、海上自衛隊東京音楽隊による昭和歌謡メドレーを使った「政治ショー」のようにも見えた。
 
 式典で天皇の「お言葉」はなく、宮内庁は「政府の考え方に基づいた」(黒田武一郎長官)=29日、時事通信=としている。あくまで推定だが、高市首相はお言葉に「過去の戦争への反省」が盛り込まれるのが嫌だったのではないか。もしそうだとするならば、大変失礼な話である。(4月30日)

▼朝日新聞社説がメディアの「権力監視」を取り上げた意味

 問われているのは、「権力監視」へのメディアの姿勢である。

 「憲法記念日」翌日の5月4日付の朝日新聞朝刊に「メディアと政治 民主主義守る『事実』と権力監視」との社説が掲載された。高市政権となってから、まっとうな一問一答形式での記者会見がほとんど見られない。世論調査での内閣の高支持率に配慮してか、高市首相が次々と打ち出す「国論二分政策」に対するメディアの政権批判も手ぬるい。

 一部の新聞はともかく、テレビ局の情報番組などは「高市首相礼賛一色」で問題点などをほとんど報じなくなっている。このままでは日本の民主主義は後退してしまう。こういう危機感からか、最近、「政権忖度報道」も垣間見えるようになってきた朝日新聞が改めてメディアの「権力監視」機能のことを社説で取り上げた意味はある。

 社説はまず、米国の第2次政権発足以降のトランプ大統領による、報道や言論への攻撃を指摘したうえで、これは「米国だけの問題ではない」と述べ、「日本でも政治とメディアの関係は変質する。政治家の一方的な発言が増え、記者の疑問や指摘に向き合う双方向性のある説明は後退している」と問題提起した。この認識は私も共有する。

 続けて社説は「高市首相のXへの投稿は岸田文雄、石破茂両氏を大きく上回る。一方、会見や、記者が立ったまま首相を囲む形の『ぶら下がり取材』は、官邸HPに掲載された記録を数えると就任半年で44回にとどまり、歴代3首相で最も少なく、岸田氏の半分以下だ。新年度予算成立時も官邸会見室での正式会見は開かれず、ぶら下がりが20分余り行われただけだった」と批判。「政権に都合の良い説明がSNSで拡散され、厳しい報道は攻撃されがちだ。萎縮で監視機能が弱まり、さらに政治が増長すれば、悪循環である」と書く。

 私は短時間な上、メディアに一応、きちんと対応している政権側のアリバイになっている「ぶら下がり取材」自体にも問題があると考えている。

 さらに「政治権力は監視がなければ腐敗し、暴走する。市民が権力と対等に判断できるよう情報を掘り起こし、共有する役割を担ってきたのが報道だ。(中略)事実に基づいて権力行使や政策の在り方を検証し、不適切であれば批判する。異なる意見をぶつけ合い、暴力ではなく議論を通して社会の方向を見定めるー。この公共的な言語空間を支えるのが(メディアによる)報道である」と結論している。

 ジャーナリズムの在り方としてもっともな「正論」であり、この部分には私も異論はない。
 
 ただ、「もちろんメディアにも不断の自省が求められる。取材手法の改善に努め、信頼を得る努力が欠かせない」とも書いているが、どういうことなのか具体的に示してほしかった。

 特に、高市政権になってからひどくなった「記者会見拒否」とでも言うべき事態にメディアはどう対処しているのか。私が知りたいのはまさにその部分である。

 例えば、朝日社説が例示した、4月7日に成立した過去最大規模の26年度予算成立後の記者会見。東京新聞4月10日付朝刊の「こちら特報部 語らない姿勢貫く高市首相 発信はSNSで、異論は回避」によると、前任の石破氏は予算成立の翌日に会見を開き約47分対応した。幹事社を含め4社から質問を受け、時間内に質問できなかった地方紙や雑誌など8社とフリー記者1人に対して、書面で回答した。これに対して、高市氏の4月7日の「正式会見」ではない「(事実上の)ぶら下がり取材」は約22分で、記者クラブ代表のテレビ局と新聞社の2社の質問に答えた。フリー記者には事前に会見の案内はなかった。ぶら下がりなので書面回答もなかったという。

 この記事で、政治ジャーナリストの安積明子氏は「予算成立という節目という以上に、ホルムズ海峡の事実上の封鎖で国際情勢が緊迫する中で、(高市氏は)広く質問を受ける義務があるはずだ」とコメントしている。やはり政治ジャーナリストの泉宏氏は「今回は記者クラブの所属記者だけが対象で、身内だけという形。総理は一方的にしゃべっていた。予算成立時にこんなやり方をした総理は、54年の記者歴で初めてだ」と驚きを隠さない、と語っている。

▼政治記者は高市氏に忖度か

 予算案の国会審議をめぐり、「消極的」との批判が集まる中、高市氏は「集中審議に応じない意向を示していたとの報道は、全く事実ではない」「最近は事実と異なる報道が増えすぎていることは残念です」などとXを使って反論した。

 高市氏は総裁選後、衆院議員全員にカタログギフトを配布した問題や週刊誌が報じた仮想通貨「サナエトークン」との関係についても、会見は開かず、Xで済ませている。Xは一方的に発信できるので権力者には都合の良いツールである。

 記者クラブ側は事前に質問事項を官邸側に提出している、と指摘するフリージャーナリストもいる。今回の予算成立後の会見も、幹事社から事前に提出された質問を基に答えたものなのだろう。自分の言いたいことだけを一方的に述べるのは、とても記者会見とはいえない。メディアの背後には国民がいる。聞かれたくないことにも真摯にかつ丁寧に説明する責任が高市首相にはあるはずである。

 日本の政治をウオッチする代表的な記者クラブである内閣記者会(首相官邸記者クラブ)は歴代首相と比べてみても、記者会見を極度に嫌う高市氏に「さら問い」を含めて十分な質問ができるような体制を作るよう官邸側と交渉しているのか。

 まさか、官邸担当の政治記者たちが支持率が高い高市氏に忖度して交渉すらしていないとは思いたくないが、そうだとするならば、その存在価値はない。いま問われているのは、「権力監視」のメディアの姿勢である。(5月5日)

                                (了)