勝負服なのか、かなり高級そうなレースのジャケット(産経新聞は「ロイヤルブルーに金銀の花柄レース」と報道)に大事な場面でよく見かける真珠の首飾り・・・。高市早苗首相は9月17日午後6時半、皇居で天皇に内奏後、満面に笑みをたたえた自信たっぷりの表情で内閣記者会との組閣後記者会見に臨んだ。この間約45分。これを「記者会見」と呼んでいいのか。記者からの首相が嫌がるような厳しい質問は一つもなく、相変わらず、事前に用意されたとみられる記者からの質問の答えを首相はジェスチャーたっぷりに読み上げるだけだった。このような「八百長」とも見えてしまう会見は国民を馬鹿にするもので、内閣記者会はぜひやり方を変えるための交渉を官邸側と始めるべきである。
林芳正氏を除いて前回総裁選で戦った政敵を含めた主要閣僚が留任する中で、今回組閣で特徴的だったのは「裏金議員あり、失言の過去あり」とのマイナス要素の大きい人物までも初めて登用したことにある。岸田文雄元首相や石破茂前首相の政権ではやらなかった暴挙である。そして、裏金議員の登用について、こう言い切った。 「過去に行ったことがなかったことにされるわけではないが、その後説明を尽くし、2回の選挙を通じて国政に送り出していただいた。襟を正して重責ある公務に臨んでいただく」
まるで「みそぎは済んだ」という言いぶりである。高市氏の言葉はもっともらしく聞こえるが本当にそうだろうか。自民党の「政治とカネ」の問題は本当に解決したのか。高市氏はこの問題で首相就任後何かしたことはあるのか。裏金をめぐっては、農水大臣となった簗(やな)和生氏の不記載額が1746万円、文科大臣の関芳弘氏が836万円、簗氏が役職停止半年、関氏が戒告処分を党から受けている。東京地検も起訴とはしなかったが、犯罪事実は認められる起訴猶予処分にしている。
しかも、直近の9月11日から14日の時事通信の世論調査では、裏金事件に関与した議員の閣僚への起用について7割近くが反対している。高市氏はこの事実をどう見るのか。支持率がまだ高いので何をしても大丈夫との万能感からくる自信と党内基盤のない高市氏が自身を総裁選で支えてくれただけでなく、その考え方も近い復古主義的考えの持ち主が多い旧安倍派に対するお返しの意味しか考えられない。
また、失言の過去について、国家公安委員長の葉梨康弘氏は法相時代の2022年に「法相は朝、死刑のハンコを押し、昼のニュースのトップになるのはそういうときだけ」と発言、辞任に追い込まれた。葉梨氏はキャリアの警察官僚出身で、今回は警察の親玉でかえり咲いた。失言癖はなかなかな治らないといわれる。 当時の発言を会見で「本意ではなかった」と弁明してメディア報道のせいにしているが、大丈夫か。
また、簗農水相も21年,性的少数者への「理解促進」法案を議論する自民党の会合で「生物学的には、自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」と発言、問題となった。18日の就任会見で「公の場での発言は差し控える」と逃げている。
一番の問題は、内閣改造よりも、自民党の役員人事だ。まず、国会対策委員長に高市首相のイエスマンである若手の村井英樹元官房副長官を抜擢した。村井氏は46歳の財務官僚出身。国対副委員長だった5月に出演したインターネット番組で、「日本の首相が国会対応に費やす時間は欧米に比べて格段に長い。ゼロベースで見直した方がいい」と主張。野党議員の首相への質問については「地元有権者へのアピール」という認識を示した(17日付東京新聞)という。村井氏は18日に早速、連立相手の維新の会の遠藤敬国対委員長と会談。会談後の記者会見で「国会における審議の充実化、効率化をしっかりと進めていきたい」と強調した(19日付朝日新聞)。それでなくとも、高市氏の国会出席は歴代首相と比べて極めて少なかった。それをさらに「効率化」するとは。首相には説明責任があり、国会は国権の最高機関であることを無視していないか。
村井氏の発言は高市氏にごまをすったとしか思えない。高市氏は自分の言うことをよく聞く人物が好きだ。今回の改造で43歳の小野田紀美氏も外国人問題で自分の考えに近く、従順だから続投させた、とみられる。高市政権では、よほど力がなければ、「イエスマン」は重用され、耳の痛いことを言う人は排除される。分かりやすいと言えば、分かりやすい高市氏の人事手法である。こういうやり方は、危機に陥った際に組織そのものを危うくする。
さらに、参院では与党が過半数割れの中、野党との調整役を担ってきた石井準一参院幹事長を交代させた。「交代」というよりも「更迭」なのかもしれない。自民党の参院幹部人事は参院が自発的に決めることになっているので、高市氏は石井氏の人事については、参院が決めたことだと涼しい顔だ。
前国会で、高市氏は自分の延命策でことし1月、衆院解散をしたにもかかわらず、3月末までの成立に固執。強権的なやり方をいさぎよしとしない参院執行部、特に石井氏の対応に大きな不満を抱いていたといわれる。だから、石井氏を交代させたと見るのが順当だろう。かつて、将来の事務次官候補と言われた財務省主計局次長が東京税関長に左遷させたやり方が思い出される。高市氏に逆らったら飛ばされる。これでは、高市氏周辺はイエスマンばかりになってしまわないか。
18日付朝日新聞は社説で「高市政権新体制 『熟議』喪失での懸念」の見出しで「衆参両院で国会対応に当たる幹部が交代したことは『数の力』を頼んだ強権的な手法を一層強め、民主主義を支える熟議が失われないか、疑念を抱からずを得ない」と書いた。熟議が失われるどころか、国会が弱すぎる野党に加えて高市氏のいうがままの何でもありの状態にならないか。
主要閣僚は変化なしのあまり変わり映えのしない改造人事を高市氏はなぜやったのかー。当初の狙いは、麻生太郎副総裁の支配から脱するために、麻生氏の義弟の鈴木俊一幹事長をお気に入りの萩生田光一幹事長代行に代えたかったのではないか、それに失敗したとみる政界ウオッチャーもいる。だから、「目玉人事」もなかった。この人事で高市氏が気にする支持率が上がるかどうかはまだ分からない。「踏み絵」という見方もある「事前アンケート」という支持率狙いがどれだけ効果が出るか。国民はこれを高市流のポピュリズムだと見越しているとは思うが・・・。ただ、食料品消費税の値下げでは、NHKの支持率が53%で前月から横ばい、時事通信が前月比4・3ポイント減の44・1%と、当初高市氏が考えていたように支持率アップにはつながらなかったようである。
10月上旬から始まる臨時国会では、継続審議となっている衆院比例の定数削減、安保関連3文書の改定とこれも「国論を二分」するテーマが中心となる。インフレを加速させる円安基調は続き、物価高は収まりそうもない。唯一の同盟国、米国のベッセント財務長官から高市政権の中心的政策である「責任ある積極財政」を指しているのだと思うが「リフレ政策をやめろ」との前代未聞の疑問符がつけられている。米国に逆らった政権は日本では長続きしない。昨年11月の高市氏の愚かな台湾有事発言で中国の習近平氏を怒らせてしまった問題は高市政権が「日本はオープンだ」と言うだけで、ほとんど何も手を打っているとは思えない状況が続いているので、目に見える進展はない。
そんな中で、2月の衆院選で大勝ちしたことの「万能感」からくるのだろう。高市政権は、改正皇室典範で見せた強権的な手法は改まるどころか、今回の党役員人事でも垣間見られたようにとどまるところを知らない。
89歳になる元自民党政調会長の亀井静香氏はFNN(フジテレビ系)のインタビューで「高市早苗は、独りよがりというか、そのうちナチスみたいになるんじゃないか。もうその兆候が出ている。高市は何を言ってもいいと思っているのか。危険だね。今の国民は自分で考える力がない。考える力がないから独裁政治になるんだ」(9月11日)と警告する。
また、92歳のジャーナリスト、田原総一朗氏も13日付の東京のインタビューで「人が生きるとはどういうことか。日本はどんな国であるべきで、国際社会をどう生きるか…。高市首相には、そうした哲学が見えない。哲学がないから人の話を聞かないのだと思う。国論を二分するような政策は簡単にイエスかノーか決められないから議論しなきゃならない。めんどくさい議論をするために国会がある。首相は国会を好きじゃないようだが、面倒臭い議論をやめることは全体主義になることだ」と批判する。
人生の大先輩である政治家とジャーナリストの二人のわれわれへの警告は重い。「ナチスみたいになるんじゃないか」「議論をやめることは全体主義になることだ」との二人の言葉をいまこそ、かみしめたい。
▼ 高市政権の終わりの始まりか ICC赤根所長の制裁に抗議や撤回の言葉なし
国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長らが8月18日、「権力乱用だ」として、トランプ政権の制裁対象とされた問題。高市氏は19日に「大変残念に思っている。これからも米国を含む関係国と意思疎通を継続しながら対応していく」と記者団の質問に答えただけで、米国への「抗議や撤回」などの言葉は一切なかった。
2024年11月、戦争犯罪と人道に対する罪の疑いでICCがイスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相に逮捕状を発付。翌25年2月、トランプ米大統領がICC職員らへの制裁を可能にする大統領令に署名した後、ICC裁判官らへの制裁が続いた。今年1月7日、高市氏は赤根所長と会談し、その際に「ICCがその役割を果たせるよう、日本政府としてICC及び赤根所長を力強く支援していきます。赤根所長に敬意を表します」とまで言っていた。
高市氏の今回の対応は、このことを忘れたかのようなひどい対応で、東京によると、8月21日の自民党外交部会などの会合で、出席者から首相が今回の事態を受けて「大変残念」と述べるにとどめたことに「国として赤根氏を守っていく立場ではないのか」「日本政府として『法の支配』を重視していることを内外に発信すべきだ」などの声が上がった、という。当然の声である。「同盟国の『横暴』に向き合おうとしない首相に対する失望感も高まりつつある」と書いている。
唯一の同盟国である米国に対して、日米地位協定などで日本の政府は常に腰が引けているが、トランプ政権に「抱きつき外交」を続けてきた高市氏の今回のあまりにも情けない振る舞いは、さすがに配慮のし過ぎどころか「法の支配」をゆるがせにするものであり、「抗議」も撤回要求もしないことに各紙の社説はそのほとんどが強く批判し、SNSでも米国に撤回を求めるべきだとの声が大きくなってきた。
今後、高市政権がどのような対応をするのか不明だが、このまま事態を放置すれば、対米従属の「奴隷外交」との声も上がってくるのではないか。「だまし討ち」のように無理矢理に通した「改正皇室典範」問題に加えて支持率の低下は目に見えている。あくまでも私の期待を込めてでもあるが、これが高市政権の終わりの始まりになるかもしれない。
ローマ規程とは、重大な国際犯罪を犯した個人を裁く常設の国際刑事裁判所(ICC)を設立するための国際条約で1998年に採択され、2002年に発効、日本は07年に加入した。オランダのハーグに本部があり、現在125カ国が締約国となっている。米国、ロシア、中国は加盟していない。
国際政治学者の東野篤子筑波大教授によるこの問題の解説(友人のFBから)では、検察官で当時は法務総合研究所長だった赤根氏を日本政府は16年、日本のICC判事候補として正式に指名した。17年の締約国会議で行われた判事選挙で、日本政府が赤根氏を擁立し、第1回投票でトップ当選した。そして、18年3月から判事を務め、その後の24年3月、同僚判事から選ばれて所長になった、という。つまり、日本政府が強く後押ししてICC判事になったということで、この点でも日本政府に赤根氏を守る責任があるのではないか。
心配されるのが、米国の制裁による影響だ。赤根氏の「戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない」(文春新書)によると、トランプ氏の発した大統領令の内容は、経済的な制裁が中心。法的文書としては非常に概括的あいまいな規定ぶりであり、また、いつでも一方的に対象の範囲を広くすることが可能だ。米国内の資産凍結、米国への渡航禁止、米企業との取引禁止を科すことができる。近親者、代理人、ICCの捜査に協力した者、制裁対象者に商品やサービスを提供した者にまで何らかの制裁や罰を加えることを視野に入れた規定となっている(文春オンライン)。
22日付東京新聞は、日本の金融機関が赤根氏の銀行口座やクレジットカードなどを凍結する可能性もある、と指摘する。もちろん、日本の金融機関が大統領令に従う法的義務はない。ただ、国内の金融機関も足並みをそろえなければ、2次的制裁として基軸通貨国である米国の決済システムから排除される恐れがあり、口座凍結などの対応を取る可能性が指摘される。
国内のすべての銀行が加盟する全国銀行協会は今回の対応について「各金融機関が個別に判断することであり、コメントできない」とする。日本クレジット協会も「法的な整理の方法がつかめず、極めて不透明だ。米カード会社から圧力をかけられれば、取引停止の可能性はある」という。外務省は「日本の金融機関の口座やクレジットカード利用について、政府が答える立場にはなく、各民間企業の判断にゆだねられる」とする。ただ、赤根所長とは緊密な意思疎通を図っており、米国を含む関係国等と意思疎通や働きかけを継続していく」と述べるにとどまっている、という。外務省の対応は何か他人事のようである。
どうも、トランプ政権はICCの解体を狙っているらしい。前述の著書で赤根氏は「今後考えられる最悪のケースは、ICCそのものが制裁対象になる場合です。そうなれば、世界中のあらゆる銀行や企業がICCとの取引をストップさせる可能性があります。職員に給与が払えなくなり、組織のあらゆる機能がマヒするかもしれない」と危惧している。
今回はパレスチナのガザ地区での戦争犯罪の容疑でネタニヤフ首相の逮捕状を発付した。イスラエルはICC締約国ではないが、パレスチナが締約国であるためである。ICCは締約国であるウクライナに侵略したロシアのプーチン大統領にも逮捕状を出し、逆に赤根氏はロシアから指名手配されている。
戦争における犯罪は第2次大戦後、ドイツはニュルンベルク裁判、日本は「東京裁判」(極東国際軍事裁判)で裁かれた。いずれも「平和に対する罪」「人道に対する罪」などで戦争犯罪人が裁かれた。これを「戦勝者の裁き」「事後法」だとの批判もあり、それを常設の国際刑事法廷として設立されたのがICCと言われる。
ICCの最大の資金提供国は日本である。これまで政権寄りと言われた読売新聞は改正皇室典範に続いて高市政権に厳しい姿勢を示している。「米国の圧力の前では、法の支配どころか、自国民の職務継続の権利を守るという決意すらしめせないのか。失望を禁じ得ない」(20日付の社説)。全く同感だ。
赤根氏は21日、トランプ政権から制裁対象に指定されたことについて「重要なのは、これを国際的な『法の支配』の終焉の始まりとさせないこと。日本と日本のみなさまの支援が重要なカギとなるだろう」と著書を刊行する文藝春秋を通じてコメントを公表した。世界中でトランプ政権の暴挙を非難し、米国追従を原因とした高市政権の不作為を徹底的に糾弾しよう。(8月21日)
▼右派系議員の間で進む「不敬罪の復活?」へのもくろみ
8月24日付毎日新聞に掲載された8月の世論調査結果。高市早苗内閣の支持率は41%と横ばいだったが、7月17日に成立したばかりの「改正皇室典範」の評価が著しく憲法の「国民の総意」から離れていることが改めて浮き彫りになった。
「あなたから見て、今回の改正が国民の理解を得られていると思いますか」との質問に、「得られていると思う」はわずか13%、「得られているとは思わない」は63%に上った。「分からない」は23%だった。質問の仕方が異なるが、改正直後の7月18,19日調査では、改正皇室典範を「評価する」が19%で「評価しない」は45%、「分からない」が35%だった。この結果は、時間が1カ月経過した時点でも、国民の理解がほとんど得らておらず、むしろ、逆に改正の意味が浸透するとともに、国民的理解は遠のいていったことを示しているように見える。
今回の改正皇室典範では「皇族数確保策」として「静謐な環境」の中で議論されたはずだった。①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持すること②旧宮家出身の男系男子を養子縁組で皇族とすることーの法制化が二つの柱だったが、いつの間にか、養子に男子が生まれれば皇位継承資格を持つことを明示。国会では議論の対象外としていたはずの皇位継承についても踏み込み「だまし討ち」の形となったこともこの世論調査結果に影響しているのではないか。
そんな中、21日付毎日新聞が報じた「不敬罪が復活? 皇室の保護巡り保守系議員による広がる動き」に注目したい。
毎日によると、自民党の右派議員が25年12月に作った「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」が典範成立以降、「皇室の尊厳を守る国民運動」を活発化させ、ことし7月に「皇族保護プロジェクトチーム」を設置した。その理由は、成立した改正皇室典範で養子の対象となる旧11宮家の男系男子について、同会代表の青山繁晴衆院議員は「すでに(本人や家族に対する)誹謗中傷の兆しが十分に出ている」と指摘。養子で皇族になる意向のある人が出た場合、中傷を受けて意思を変更することがないように「きちんとお守りするよう政府と連携して具体的に考えるのが立法府の責任だ。立法措置が必要なものもあるかもしれない」と述べた。
まだ、宮内庁の旧皇族への具体的な動きは始まっていないとされており、養子を受け入れる四つの皇族のうち、二つについて、親族がいることから麻生太郎自民党副総裁への批判はSNSなどで見かけたことはあるが、旧宮家について、具体名を挙げたひどい誹謗中傷などあったのか。あるのかもしれないが、少なくとも私は見たことがない。
毎日記事を続けると、現行法でも名誉棄損罪や侮辱罪があるが、いずれも被害者からの告訴がなければ罪に問われない「親告罪」。天皇や皇族が国民を告訴する形になることから、現実的にその適用は難しいとの問題意識が立法化の動きの背景にある、という。戦前には刑法で名誉棄損罪とは別に皇室や神社などに無礼や冒とくを行った場合に「不敬罪」が適用され、戦後の1947年に「主権在民」や「表現の自由」の観点から廃止された。最後の適用は46年の「食糧メーデー」の時の「朕はたらふく食ってるぞ」の「プラカード事件」で被告は不敬罪に問われたが、最高裁で免訴となっている。
「日本の尊厳と国益を守る会」が具体的にどのような法律を作ろうとしているのかはまだ分からないが、青山氏は「不敬罪の復活という話ではない」と言う。日本保守党は、皇室に関しては名誉棄損罪の「親告罪」をやめて「非親告罪」として。その適用をしやすくするこを考えているようである。
「国民運動」は7月6日には衆院議員会館で第1回総決起集会を開き、自民、国民民主,参政、日本保守などから代理も含めて約50人の国会議員や地方議員が参加した。
集会で発表された決議文では、皇族に対する誹謗中傷への対応が主要課題のひとつにあげられた。「昨今、匿名性の高いSNSの普及に伴い、ネットや一部マスメディアにおいて、皇室へのデマや誹謗中傷が拡散され、野放しにされている現状がある」と指摘。「こうした事態は、皇室の尊厳を冒とくするのみならず、悠仁親王殿下までの揺るぎない皇位継承と、将来にわたる安定的な皇位継承を阻害しかねない極めて深刻な事態である」としている。
これらの動きについて、甲南大の園田寿教授(刑法)は「不敬罪の復活を否定したとしても、機能的には全く同じ動きをする。まさに不敬罪そのものだ」と毎日で警鐘を鳴らしている。
青山代表によると、「護る会」は5月14日現在で会員数衆参自民議員124名。「青山繁晴の道すがらエッセイ」によると、昨年12月17日の会合に高市早苗首相が出席「総裁選や政権運営における護る会の支援に気持ちのこもった感謝を述べられた」という。党内に支持基盤が薄いといわれる「高市応援団」のひとつだ。
昭和元年から100年を迎えた今年4月29日の「昭和の日」の政府主催の式典。過去の明治100年式典では昭和天皇は「お言葉」を述べたが、今回、天皇の「お言葉」はなく、翌日になって、宮内庁がお言葉を発表するという異例の事態となった。高市氏がお言葉に「過去への反省」が盛り込まれるのを嫌がったのではないかと言われている。そうだとするならば、天皇陛下にまことに失礼な振る舞いではなかったか。(8月25日)
▼「遥拝」から垣間見える高市政権の手口
9月5日付の毎日と朝日が8月15日の「終戦の日」に高市早苗首相が行った不思議な靖国神社への「遥拝」について書いている。4日にこの問題で何か動きがあったわけではなさそうだが、たまたま両紙ともその「したたかな高市政権の手口」に言及しているので紹介しておきたい。
毎日は近現代史に詳しい伊藤智永久専門編集委員による「土記 再び遥拝について」。朝日は3人の記者による「高市首相の靖国遥拝の狙いはあつれき回避か、『アリバイ作り』か」と題するデジタル版の記事。
私も8月16日にFBにこの高市氏の「遥拝」について、「落ちる一方の支持率回復のための高市首相のパフォーマンスだ」と位置づけて、こう投稿している。
「終戦の日」の8月15日。全国戦没者追悼式典が迫った午前11時18分、高市早苗首相は会場の東京・北の丸公園の日本武道館駐車場でいったん降車すると、高さ約3㍍の武道館外壁方向に(神社参拝の作法である)「二拝二拍手一拝」を行った。わずか1分の出来事だった。その500メートルほど離れた壁の先には靖国神社が位置していた(朝日、毎日の記事を参考にした)。
今回、朝日と毎日の記事により、8月15日のこの時の高市氏の行動などの詳細がもう少し具体的に分かった。
日本武道館駐車場に午前11時9分に到着した高市首相は約9分間駐車場で車内にこもった。伊藤編集委員は「その理由は分からない。“謎の空白”」と書いた。内閣記者会を代表し、後続車で追尾している通信社の記者は不審に思ったことだろうと続ける。首相が車の移動を伴う場合は、共同と時事の通信社の番記者が代表して動きを追う。だから、この時の記者での目撃者は共同と時事の番記者だけだった。朝日によると、共同と時事の記者から聞いた内閣記者会の幹事社が首相秘書官に問い合わせ、まもなく「靖国神社に向かって遥拝したものです」との回答があった。この回答は報道各社に伝えられ、マスメディアが一斉に報道した。官邸は事前に細かい段取りまで決めていたのだろう。
さらに、朝日によると、「遥拝って何だ?」。官邸内ではそんな声も漏れた。事前に首相の遥拝を知らされていた人は限られていた。
「途中で参拝をやめたり、中途半端なことをするから相手がつけあがる面はある。日本国のトップになることがあったら、ずっと参拝を続けたい。これは強い思いだ」と党政調会長時代には語っていた高市氏。(こういう)過去の言動との整合性か。それとも他国とのあつれきの回避か。そのはざまで遥拝を選んだ。官邸官僚は「苦肉の策だった」と語る、と書いている。首相に近い閣僚は「保守支持層に対しては参拝への強い思いを示すことができ、中国、韓国からの批判は最小限に抑えることができた」と評価。首相を支持する保守系団体幹部は「今できることを最大限の姿勢で見せたのだろう」と理解を示す。
この姑息な作戦、高市政権にとってはしめしめうまくいった、と言いたいのだろう。だが、何も知らずに騙されて結果として、政権に協力してしまったメディアも情けない。これも「言論統制」の一種であり、メディアとして決して名誉なことではない。今回の毎日、朝日の記事はその点で一応、「検証記事」として読むべきかもしれない。
そこで毎日の伊藤編集委員の評価。図りに図った遥拝である。記者を目撃者に仕立て、ただし映像は撮らせない。ネットで拡散すると外交上の反発を招くからだ、と分析する。
この後の伊藤編集委員の指摘は重要だ。それは最近では「死語」に近くなっている「遥拝」という言葉の使われ方である。「遥拝」は、広辞苑では「はるかに遠い所から拝むこと」。記事データベースに収録されている1984年以降、朝日新聞の首相動静に「遥拝」はないそうである。
伊藤編集委員によると、「遥拝」は1937年(昭和12年)の国民精神総動員運動の名残だという。同年7月に日中戦争がはじまり、近衛文麿首相は女性や子供を含む全国民の戦意を高め、戦争に協力させようと、独ナチスに倣った運動実施を閣議で決めた。39年からアジア太平洋戦争開戦後の42年までは毎月1日は「興亜奉公日」と定められ、学校や職場や家庭で宮城(皇居)遥拝・神社参拝・国旗掲揚・勤労奉仕が行われた。食事は一汁一菜、生徒は日の丸弁当、飲食・接客業は休業日となった。その後「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」となり、敗戦でなくなった。
「立法事実がない」と学者から批判を受けても「国旗損壊罪」をつくり、大多数の国民の総意を無視して男系男子を維持するために旧宮家からの養子を認める「改正皇室典範」をだまし討ちで成立させた高市政権。この「遥拝」のアイデアもあまりにも復古主義が強すぎるので官邸官僚ではなく、神社本庁などで構成する「日本会議」のにおいがプンプンする。高市氏は4月29日の「昭和100年式典」で式辞の中に、戦前の万世一系の天皇の統治をを神聖化する概念といわれる「国体」という言葉につながる「国柄」という言葉をいれたこともある。その感覚は1931年満州事変以降の戦前日本の意識のままにあるとしか見えない。このような歴史認識の持ち主に首相をやらせて日本の民主主義は大丈夫か。心配で仕方がない。 (9月5日)