<写真特集>「能登半島地震から間もなく1年(上)」遅々として進まない能登の復興 無残な姿をさらけ出す倒壊したビルや家屋 被災地への関心低下の懸念浮き彫りに 人々に重くのしかかる地震、豪雨、そして大雪の三重苦

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 能登半島地震で倒壊した輪島市中心部にあるビル。公費でようやく解体作業が始まった。7階建てのビルは隣接する居酒屋を兼ねた住宅が巻き込まれ、48歳の母親と19歳の娘が亡くなった。(Photo by Ken Shindo)

 2024年1月1日に能登半島を襲った震度7を観測した地震から間もなく1年。能登の復興は遅々として進まない。倒壊したビルや家屋などが依然として、いたるところで無残な姿をさらけ出したままだ。被災地の課題として、人口減少や住まいの整備、インフラ復旧を挙げる声が多い。まるで忘れ去られたようだ。思うように進まない生活再建や、被災地への関心低下の懸念が浮き彫りになっている。地震に続く9月の記録的豪雨で打ちのめされた能登半島は今、厳しい冬を迎えて大雪により孤立する地区が出たり、一部地区で停電も起きいている。地震、豪雨、大雪と続く三重苦が能登の人々に重くのしかかる。

 能登半島地震でトラブルが相次いだ北陸電力志賀原発(石川県志賀町)。建屋や設備の安全は確保できたが、外部から電力を受ける変圧器が損傷。復旧は長期化し、今も外部電源の一部が使えない。原発外では事故時の避難道路の寸断や屋内退避施設の損壊が多発し、国の指針を見直す動きにつながった。自然災害と原発事故が起こる複合災害への対応は全国的な課題だ。

 12月、能登半島地震の被災地を駆け巡り、復旧・復興がまだまだ遠いことを実感させられた。

12月8日に降った初雪で凍てつく、ようやく復旧したばかりの大動脈の幹線道路。

里山空港や能越自動車道・のと里山海道と能登町や珠洲市の中心部を結ぶ、奥能登には

なくてはならない重要なインフラだ。(Photo by Ken Shindo)

 

初雪で白くなった山林の崩落現場。9月21日、台風14号から変わった線状降雨帯の

豪雨で奥能登地方は河川が氾濫、土砂災害が多発し、15人が死亡した。(Photo by Ken Shindo)

 能登半島北西端に位置する北陸電力の志賀原発。同原発の地盤は元旦の激震で4メートルも隆起、燃料プールの冷却水が周囲にあふれた。11月8日、北陸電力は停止中の志賀原発2号機の原子炉建屋の壁をふさぐパネル装置に5センチの隙間ができていたと発表した。地震の影響でパネルを固定するクリップが変形、壁とパネルの間が開いたとみている。手前が1号機、奥が2号機=2024年12月

(Photo by Ken Shindo)

核燃料の移動に使う巨大なクレーンがそそり立つ志賀原発の埠頭。海底が隆起、

港湾施設が使えなくなった。(Photo by Ken Shindo)

                            (了)