米大統領選挙は既に一部の州で郵便投票が始まって、最後の投票日まであと5週間ちょっと。民主党候補のカマラ・ハリス副大統領(59)と共和党候補トランプ前大統領のテレビ討論(10日)は、ハリス氏圧勝との見方が支配的だったが、ハリス氏の僅差のリードをトランプ氏が追うという情勢にほとんど変化は起こっていない。これは両候補とも支持票固めを終えて、まだ投票先を決めかねているのが中間派ないし無党派の票だけになっているためとみられている。残り少ないこの「残票」の奪い合いをどちらが制するのか。予測はしがたいが、9月下旬に入って米主要メディアには、ハリス候補を後押しする状況がいくつか起こっていると伝えられる一方で、トランプ氏には痛手となりそうな記事が少なからず報じられている。
10の世論調査でハリス氏リード
ハリス氏は、世論調査の支持率でトランプ氏に追い抜かれたバイデン大統領が高齢で選挙戦からの撤退を余儀なくされ、7月下旬に急きょバイデン氏の後継者になってトランプ氏を追いかけた。テレビ討論直前の9月上旬に新聞、テレビ、大学などが世論調査機関と合同で実施した10例の世論調査の結果では、ハリス氏が支持率で初めてトランプ氏に追いつき、追い越した。
以下はその要点。
▽ハリス氏は10例の調査のうち7例でリード。最大差は52%-46%の6ポイント差、最小差は49%-48%の1ポイント。平均支持率は48・44%。
トランプ氏はそのうちの1例ではリードを保ち(48%-47%)、平均支持率は44・9%。2例は互角(47%-47%、45%-45%)だった。平均支持率の差は3・6ポイント。
次はテレビ討論が終わってから2週間が過ぎた9月下旬に実施された同じ世論調査機関の10例の調査結果から。
▽ハリス氏のリードが1つ増えて8例となり、最大差は52%-48%と4ポイント差だった。平均支持率は49・1%。
トランプ氏のリードはなく、互角が2例(48%-48%、47%-47%)。平均支持率は46・2%。平均支持率の差は2.9ポイント。
決戦7州できっ抗
この結果を見ると、ハリス氏が支持を広げたように見えるが、平均支持率の差は2・9ポイントへと縮小しており、差が開いたとは言えない。テレビ討論の勝敗は支持率にはほとんど影響が及ばなかったことを示している。
それでも投票日が迫る中、一般投票でハリス氏がほぼ3%のリードを維持したことで、普通の選挙ならば「ハリス優勢」といえるだろう。しかし、米国の大統領選挙制度は独特で、一般投票の結果が当選者を決めることにはならず、大統領を決めるのは各州が選出する大統領選挙人の投票である。
各州とワシントンDCの選挙人は、それぞれの一般投票で多数を獲得した候補者にそろって投票する。勝者総取りといわれるこのルールは州ごとに決められている。当選と落選が入れ代わることがない範囲ならば、勝者総取りに従わないことも許される州もあるといわれる。(メーン、ネブラスカの2州だけは一種の比例配分)。
この制度によって2016年大統領選挙では民主党候補のヒラリー・クリントン氏が一般投票で300万票近い差をつけたにもかかわらず、トランプ氏が激戦州となった7州で勝って大統領選挙人の多数を獲得して当選した。2020年選挙では民主党候補のバイデン大統領が700万票差で一般投票を制したうえ、これらの激戦州をそっくり奪い返して当選した(トランプ氏は全く根拠を示すことなく投・開票票に不正があったと主張して敗北を認めていない)。今度の選挙でもやはり、この6ないし7州の激戦州の勝敗が当落を決めるとみられている。
ワシントン・ポスト紙(9月25日電子版)によると、主要な世論調査機関の調査結果の平均値を算出し、これまでの支持率の推移などを加味して、この時点での信頼できる数値として報道した激戦7州の両候補支持率は次のとおり。
7州のうちハリス氏のリード4州、トランプ氏のリード3州である。このうちノースカロライナ(トランプ)とネバダ(ハリス)の両州のリードはそれぞれ1%に満たない僅差だが、支持票が増える方向に向かっているという判断によるとしている。
州 名 大統領選挙人数 支持率差
(東部) ペンシルベニア 19(人) ハリス +3
(南部) ジョージア 16 トランプ +2
ノースカロライナ 16 トランプ +0(1未満)
(中西部) ウィスコンシン 10 ハリス +3
ミシガン 15 ハリス +2
(西部) アリゾナ 11 トランプ +1
ネバダ 6 ハリス + 0(1未満)
*選挙人総数538人、270人以上獲得で当選
最大の選挙人を持つ州がカリフォルニア=54人
続くのがテキサス=40人、フロリダ=30人、ニューヨーク=28人
最少は3人で、6州とワシントンDC
拮抗する激戦7州の追い込み戦で、どちらが抜け出すのだろうか。米主要メディアの報道から、 両候補を取り巻く最近の情勢を紹介する。
「正常な米国に戻ろう」とハリス氏呼びかけ
テレビ討論でハリス氏は、米国を失敗国家に転落させたとするトランプ氏の激しい攻撃のペースには乗らなかった。敵をつくっては過激な個人攻撃を加えて緊張と分断を深めるトランプ政治に国民はもう疲れ果てている。米国は今も自由と希望の国だ、正常な米国に戻ろうー。ハリス氏はその後のキャンペーンでもこの呼びかけを続けている。米メディアはこれが受け入れられているとみている。
ハリス陣営は8月に3億6千万ドル(約5百億円)の選挙資金を調達、その後も民主党候補として記録的な献金を集めている。トランプ陣営の3倍といわれる。この資金をテレビなどのADに投入しているが、特に若者向けにSNSやTikTok(ティックトック)などに力を入れているという。
トランプ陣営はバイデン政権の下のインフレで食費や住宅費が高騰した責任を追及し、世論調査の経済政策の信頼性でバイデン氏はトランプ氏に10〜15ポイントの差をつけられてきた。ハリス氏は「中産階級育成・低所得層救援」の手を打つと公約しているが、米経済がインフレを脱して安定に向かい始めたこともあってか、経済政策についての信頼度でトランプ氏に追いつきそうになっている。
テレビ討論で「虚偽発言」
トランプ氏はテレビ討論でハリス氏の国境管理の失敗で大量の不法移民が入り込んでいると批判しながら、オハイオ州スプリングフィールドでハイチからの不法移民が地元民のペットの猫や犬を食べていると発言した。司会役のABCテレビのジャ-ナリストが市当局を取材したがその事実はないと指摘したが、地元のテレビが報じていると譲らなかった。
この「ニュース」は地元の根拠のないうわさ話が広がり、トランプ氏が大統領選挙の副大統領候補に指名したバンス氏が事実無根と知りながら世間の注目を集めるために作り上げた話であることが分かった。オハイオ州知事(共和党)はこれに抗議するとともに、ハイチから移民を合法的に受け入れて衰退する地元の「町おこし」計画を進めていることを明らかにした。しかし、トランプ氏はこの「虚偽発言」を引っ込めてはいない。
「個人攻撃」キャンペーン
大統領再選を阻まれたバイデン氏から政権を奪還することに執念をかけてきたトランプ氏にとって、突如バイデン氏が撤退、相手がハリス氏に入れ代わったことは全くの想定外。4年かかけて積み上げてきたバイデン打倒戦略は無用となってしまった腹立たしさ、そのハリス氏に大統領再選を阻まれるかもしれないという怒り。トランプ氏の対ハリス選挙戦略と言えば、ひたすら人種差別・女性軽視の個人攻撃、空いた時間はゴルフというトランプ氏に、選挙対策担当は世論の反感を買うだけと繰り返し忠告してきたが、無視されてきたと報じられている。
トランプ氏はハリス氏がバイデン氏の後継者になると、白人かインド人か黒人か分からないとか、馬鹿、無能、精神異常など、よくそこまでと思われる個人攻撃を始めた。最近はさらにエスカレートしてハリス氏の性行為についてまで野卑な虚言を振りまくようになっていたが、ワシントン・ポスト紙電子版(9月28日)はトランプ氏が激戦州のひとつ、ウィスコンシン州の選挙集会での演説で、バイデン氏は知的障害にかかっているがハリス氏は知的障害者として生まれたなどと述べたと報じた。
これに対して米障がい者協会会長が同紙に声明を寄せて、トランプ発言はハリス氏に対してだけでなく、すべての身体障碍者に対する誤りと憎しみに満ちた偏見をあらわにしていると激しく非難した。
共和党有志らの「反トランプ」「ハリス支持」
トランプ氏の常軌を逸するハリス氏個人への中傷・攻撃がここまできたことに対して、共和党の亀裂も深まっている。トランプ政権のペンス副大統領に始まり、当時のホワイトハウス幹部スタッフや閣僚クラスの中からトランプ氏には投票しないとの動きが広がっている。共和党下院の幹部だったチェイニー議員は民主党のトランプ弾劾を支持してトランプ支持派によって議会から追われたが、同氏の父親でブッシュ(父)政権の副大統領だったチェイニー氏もトランプ不支持を表明した。同氏はネオコン派と組んでイラク侵攻などの極右路線を主導したことで知られるが、トランプ氏を米国にとって危険な人物と非難した。
西部ユタ州を本拠とするモルモン教(キリスト教の一派)はロムニー上院議員(2012年大統領選の共和党候補、オバマ氏に敗れた)を有して共和党の一角を占めているが、その中からトランプ氏には投票しないグループが出てきた。
若い女性を中心にZ世代に絶対的な人気を持つ世界的な歌手テイラー・スウィフトさんは2020年 選挙でバイデン候補支持を表明、トランプ氏は今度は自分を支持させようと画策していると伝えられた。スウィフトさんはなかなか意思表示しなかったが、9月に入ってハリス支持を宣言。トランプ氏は「そのツケを支払うことになる」と無粋なコメント。
以上のようなトランプには不利になると思われる動きが、「残票」が少なくなっている中で実際にどこまで影響するのかはわからない。「反トランプ」は投票所に行かないかもしれない。
中央集権か州権優先か
11月5日の投票結果がどう出るにしても、トランプ氏の登場による米国政治の混迷の背景に大統領選挙人制度という独特の米国民主主義があることに変わりはない。米国は1775年の独立戦争開始、76年の独立宣言のあと88年に憲法制定、さらに引き続き最初の「補正」の10条制定が終わったのは91年だった。憲法制定がこのように難航したのは、連邦政府の中央集権による統一国家形成に対して州側 (英本国の直轄植民地、自治植民地など州側にはそれぞれの事情)は「州自治権」を最大限に確保しようとしてせめぎ合ったからだ。
トランプ氏登場以後の共和、民主両勢力の対立・分断の背景には、大統領選挙制度だけではなく、米国の地方政府が日本あるいは西欧諸国のそれと比べてより強い権限を持っていることがうかがえる。各州の立法、行政、司法の3権を握る幹部はすべて選挙で選出され、連邦議会(基本的に歯連邦と同様上下両院)による州法に基づいて、州の統治が行われる。州知事、州議会、州事務総長、州司法長官(検察)、州裁判長などのトップはもとより幹部級まで選挙で選ばれる。これをめぐって民主、共和両党が激しく争う。これが選挙にも連邦レベルの政争が持ち込まれることにつながる。
例えば大統領選挙や連邦義会(上下両院)の選挙の実務はすべて州当局が担当する。トランプ氏が2020年選挙で敗れたのに民主党の「不正投・開票」があったと主張、共和党が知事、州議会、州事務総長らを独占している州に「不正の証拠」を探し出せと圧力をかけたのも、こうした構造があるからだ。
まだ「実験国家」の米国
共和党は現在、過半数の州で知事、上下議会の多数を握っている。これらの州で司法長官や裁判所も支配下に収めていることが多く、連邦政府からはほとんど独立に近い。トランプ氏の権力を支えているのがこれらの州である。トランプ氏の証拠なき「盗まれた選挙」、議会襲撃事件など100件にも及ぶ違法行為に対しても連邦政府は効果的な対応ができないのも、そこに最大の理由がある。
大統領選挙制度によって、一般投票の民意に反する大統領が生まれる事態が頻繁に生じる可能性が生じたのは近代になってからだ。資本主義経済の発展、特にグローバリズムによる国家の経済構造が肥大化し、農村地帯と大都市・工業地帯の両地域の境界線があいまいになり、重なり合う地域も出るようになった。各州の人口数と大統領選挙人の比率をぴたり合わせて修正することは困難で、選挙ごとに微調整をするにとどまってきた。その中で今大統領選挙結果に大きな影響力を手にすることになったのが前出の7州と言えるだろう。
トランプ氏の登場で、米国は果して民主主義国家なのかという疑問を感じることが次々に起こってきた。この疑問に対して民主党の有力者で著名な日系経済人は、自分を諭すような感じでこう答えてくれた。「米国はまだ実験国家なんですよ」
(9月29日記)