<ガザの戦闘から1年>ネタニヤフ・イスラエル首相の「大宗教戦争」 「人道主義」と「教義」の谷間で非戦闘員の犠牲続出 「大イスラエル主義」対「パレスチナの大義」 パレスチナ全土をイスラエル領とする既成事実つくりの野望ちらつく

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 パレスチナ自治区ガザでイスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が始まってから2024年10月7日で1年が過ぎた。「天井なき牢獄」と言われたガザは、イスラエルの攻撃で瓦礫の山と化し、ガザ保健当局によると、ガザ側死者は1年間で4万1870人となり、少なくとも1万人以上の遺体が埋もれたままだ。ガザ人口の9割に当たる190万人以上が避難生活を続ける。それでもネタニヤフ・イスラエル首相はハマスの掃討戦を継続し、さらにレバノンに侵攻、イラン攻撃もうかがっている。ネタニヤフ氏の戦線拡大から「ハマス殲滅」を足場に周辺地域の反イスラエル勢力に大きな打撃を与え、バイデン米政権および国際社会の合意になっている「2国家共存」を断念させ、パレスチナ全土をイスラエル領とする既成事実つくりの野望がちらついてきた。バイデン米大統領のイスラエルに対する影響力の無力ぶりを浮き上がらせ、米大統領選挙でトランプ前大統領の再選の後押し効果を期待していることも間違いないだろう。

妥協困難な「宗教戦争」

 ネタニヤフ氏の戦線拡大は、イスラエル対ハマスというイスラエル占領地をめぐる占領軍対被占領民族の抵抗・反乱勢力という戦争を、イスラエル対周辺の国家を含む地域戦争へ発展させたことになる。周辺の反イスラエル勢力には、レバノン、シリア、イラン、イラクなどのほか反イスラエルのイスラム過激派組織を抱えている国もある。

 イスラエルのガンツ元国防相はニューヨーク・タイムズ紙(10日国際版)への寄稿で、イスラエル情報機関から直接得た情報として、イランを中心にハマス、ヒズボラ(レバノンのパレスチナ系反イスラエル武装組織)、フーシ(イエメンの親イラン武装組織)、さらにシリア、イラクなどの反イスラエル勢力がイスラエルに対する「ジハード」に乗り出そうとしていると警告した(注:ジハードは聖戦と訳されるが、イスラム教の異教徒に対する戦い)。

 ガンツ氏はガラント国防相と相前後してネタニヤフ氏の軍事攻撃一点張りの強硬姿勢を批判し、「二国家共存」による紛争解決を目指すべきだと主張して、6月に戦時内閣メンバーを辞任した(戦時内閣は首相、国防相、軍参謀本部議長など6人で構成。ガンツ氏の辞任でその後解散)。

 イスラエルや米国、西欧諸国は、イスラム過激派とされるハマスが3千年のパレスチナ民族の聖地として分割によるイスラエル国家創設を認めず、その破壊を目指していると非難してきた。しかし、パレスチナはユダヤの神からが授かったユダヤ民族5千年の聖地として全土をイスラエル領にしようとするネタニヤフ氏も、「2国家共存拒否」ではまったく同じ立場であることはあまり表に出ない。ガザの戦争は元々「宗教戦争」だった。第2次世界大戦後、世界で最悪の人道危機とされる非戦闘員の大量虐殺と破壊をもたらしながら双方がなお強硬に戦い続けている。彼らの教義には世俗主義の人道主義の訴えは届かないのではないだろうか。

 ガンツ氏の寄稿は「二国家共存」を断念して反イスラエル勢力との全面戦争に立ち向かおうとを呼びかけているとは思えない。戦争をさらに地域の宗教戦争に拡大させる愚を避けて、国連総会決議の原点である「2国家共存」へ立ち戻るよう訴えたのだと思う。

「イランは乗り気ではなかった」

 ワシントン・ポスト紙電子版(10月12日)は、ガンツ氏が引用したとみられるハマスの内部文書をイスラル筋から入手したと報じた。イスラエル軍が制圧したガザのハマス地下陣地から押収したもので、その内容はハマスのガザ軍事部門トップ、シンワル氏が2021年イランにイスラエルを2年間で殲滅する「ジハード」を率いるよう要請した手紙だった。

 イランは驚いてそのような準備はしていないし不可能と判断、ハマスが単独でやることになって武器と資金の援助を援助することになった。しかし、イランは資金援助の使途を細かく報告するよう求めたことが示唆されている。ワシントン・ポスト紙はこの文書を本物か偽作か判断を下していないが、イスラエルは本物とみているという。

 ガンツ氏は寄稿の中で、戦争の引き金になった昨年10月7日のイスラエルのキブツ(集団農場)へのハマスの攻撃の背景を軽く見ていたのは過ちだったと自戒した。しかし、今の事態はネタニヤフ氏が2009年からの長期にわたる政権独占の末に19年に汚職(収賄・背任・詐欺)で起訴され裁判中の身にもかかわらず首相職を手放さず(21年選挙敗北で一時政権を離れるが22年末復帰)、政治の混乱を引きずってきたことがハマスに付け込まれたとして、ネタニヤフ氏の責任を追及している。

予想された「紛争」

 パレスチナは長年トルコ帝国の版図の一部だったが、第1次世界大戦後に英国の委任統治下に置かれた。アラブ諸民族の独立の流れの中、1947年に国連で設立早々の国連で、パレスチナを2分割してユダヤ人とアラブ人(パレスチナの住民はその一つ)の2国家創立を認める総会決議がまとまった。当時のトルーマン米大統領はじめとする民主党には同決議はいずれ大きな問題を引き起こすとの強い慎重論があった。

 ユダヤ人はこの2分割案を受け入れたが、パレスチナ全土はユダヤの神から授かった民族の聖地と信じる「大イスラエル主義者」たちは不満だった。この地に3千年の歴史をもつアラブ系住民(パレスチナ人、大半はイスラム教徒)は2千年間も世界に離散(ディアスポラ)していたユダヤ人の帰還のために土地の半分以上を取り上げられるのは受け入れられないと強く反対した(アラブまたはパレスチナの大義)。パレスチナにはユダヤ人の移住者が続々と移住し、両者の間で流血の衝突も始まっていた。

 決議の採否は米国の出方にかかっていた。ルーズベルト大統領の急死で突然昇格したトルーマン大統領は、大統領選挙を翌年に控えて国民の人気低迷に苦しんでいた。ユダヤ人票だけでも欲しいという進言もあって支持に踏み切った。

 ユダヤ人は1948年、国連総会決議を受けてイスラエル国家の独立を宣言。パレスチナ人と周辺のアラブ・イスラム国家は同決議に反対して戦争が始まった。欧米の支援を受け十分な戦争準備があったイスラエルは、独立したばかりの国が多く寄せ集めのアラブ軍を圧倒、パレスチナ国家に割り当てられた領土の77%を占領した。戦火を避けて避難したまま帰れなくなったパレスチナ人は70万人とされる。「ナクバ」(大災難)と呼んでいる。イスラエルとアラブ諸国はその後も戦争を繰り返し、イスラエルは1967年までに国連総会決議が割り振ったパレスチナ領土の全て、ヨルダン川西岸および飛び地のガザを占領した。

「違法入植地建設」の人口70万人に

 第2次世界大戦は植民地主義に終止符を打った。国連憲章は国家主権および領土保全の原理を謡っている。イスラエル支持の米国も、イスラエルが占領地を領土にすることを認めるわけにはいかない。米国は国連安保理をリードして、イスラエルに占領地からの撤退を求める2つの国連安保理決議を成立させた。1967年の決議242と、これを再確認する1973年決議338である。

 イスラエルでは1970年代後半、建国以来政治の主導権を握ってきた穏健リベラルな労働党に代わって右派リクード党政権が登場、以後リクード主導の時代が続いている。リクード政権は占領地に国民を送り込んで農業開発を推進する入植地建設計画の推進に乗り出した。入植地のイスラエル人口は現在70万人に膨れ上がっている。

 イスラエルは、占領地の取り扱いは紛争解決の和平交渉で取り決める問題、入植地建設はそれまでの間の占領地統治の一つと主張する。パレスチナ側は「二国家共存」の国連総会決議に違反して、占領地を領土化するための既成事実作りであり、その一方で長期にわたって占領地の住民(ガザとヨルダン川西岸を合わせた人口は計約510万人)を特定地域に隔離し、監視する事実上の植民地支配のもとに置いているとみる。

 これが紛争を険悪化させる最大の争点である。だが、米政権が本気で占領地への入植にストップをかけることはなかった。

オスロ合意つぶしの「悪魔の同盟」

 1992年にリクード政権に代わってラビン労働党首(元国防相)を首相に中道・左派連合、宗教政党の連立政権が復活、翌1993年ラビン首相とアラファト・パレスチナ解放機構(PLO)議長が「オスロ合意」に調印した。「二国家共存」の最終目標に向けて、イスラエルが占領を続けているヨルダン川西岸とガザを段階的にパレスチナ自治政府の統治に移行することになった。だが、リクード党は反対、パレスチナ側にも反対勢力が台頭した。ラビン首相は2年後ユダヤ教過激派青年の銃弾で暗殺される。1996年には初の首相公選でリクード党首ネタニヤフ氏が首相に。

 1999年にはバラク労働党首がネタニヤフ氏に圧勝して政権奪還。クリントン米大統領は2000年にバラク氏とアラファト氏をワシントンに招いてオスロ合意の詰めの協議を仲介した。協議は順調に進んだが最後の詰めーユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3大一神教の聖地エルサレムを国際管理にゆだねるにあたって、教義上どうしても妥協できない問題が残ったとされ、挫折に終わった。

 イスラエルではその後はリクード強硬派政権が続き、占領地のヨルダン川西岸やガザを取り囲む防壁の建設、飛び地のガザの入植地は撤収するなど占領地の保持、パレスチナ住民の抑圧・孤立化、オスロ合意の空洞化が進む。ネタニヤフ氏が2009年再び首相についた。ガザに閉じ込められた住民の中からイスラム原理主義の武装組ハマスが台頭し、自爆テロとイスラエルの報復攻撃の血なまぐさい報復合戦の裏で、ネタニヤフ氏は「オスロ合意つぶし」を共通の利益にして、そのハマスを極秘に後押ししていた。カタールからオイルマネーを引き出してハマスの運動資金に回した。いわゆる「悪魔の同盟」だ。イスラエル一国支配がすすめば無用の存在になるハマスは、いずれ抹殺すればいい。

ハマスもネタニヤフ氏も「追い詰められた」

 トランプ大統領はイスラエルが占領しているエルサレムをイスラエルの首都と認定、テルアビブの米大使館を移転、イスラエルと国交のなかったアラブ首長国連邦、バーレーン、モロッコとの国交正常化を仲介、歴代大統領で最もイスラエルのために尽くしてきたと胸を張った。バイデン政権もサウジアラビアとの国交樹立の後押しをしてきた。占領地領土化の既成事実作りが着々と進行しているようにみえて、ハマスは追い詰められた。その危機感が逆ばねになって昨年10月7日のイスラエル・キブツへの奇襲攻撃に駆り立てたとみられている。

 ネタニヤフ氏はいくら国際世論の非難を浴びても、バイデン氏がいくら自重を求めても、その時々の選択の中で最も強硬な道を突っ走ってきた。そのネタニヤフ氏を支えているのは二つの極右ユダヤ教政党からで出ている2人の閣僚である。ネタニヤフ氏が極右政党のトップにのし上がった時、「何者か」と欧米のメディアが強い関心を寄せた。その中に、ネタニヤフ氏は世俗主義者と言っているが、熱心なユダヤ教信仰の環境で育ったとするリポートがあった。これまでのネタニヤフ氏の「選択」はこの2人の閣僚に引っ張られてきたというよりは、3人は一体とみた方がいいように思える。

 5月から6月にかけて、ネタニヤフ氏は国際司法裁判所(ICJ)の「ジェノサイド」(特定民族に対する大量虐殺)容疑の警告に加えて、国際刑事裁判所(ICC)がネタニヤフ氏とガラント国防相とハマス首脳の逮捕状請を請求した。イラエル政権内からガラント国防相、戦時内閣からはガンツ元国防相が相次いで記者会見して、この戦争は軍事攻撃一点張りでは解決しない、「二国家共存」解決への準備を進める必要がある、とネタニヤフ氏に公然たる批判を突き付けた。

 米国、エジプト、カタ-ル3カ国が仲介する「停戦・人質交換」交渉も動き出した。ハマスが休戦案を受け入れたのに、イスラエルが頑なだと停戦拒否の悪役がハマスからイスラエルに入れ代わった。米当局筋から「合意近し」の情報が流れた。

 ネタニヤフ氏は追い詰められたことがやはり逆ばねになって、この包囲網破りに出た。イスラエル軍が難民ャンプの国連運営の学校を空爆して子どもや女性ら40人が死亡するなど武力制圧路線に舞い戻った。3カ国仲介の合意は遠のいていった。ハマスやヒズボラの首脳が次々に暗殺され、ガザの戦火はレバノンからイランへと広がり出した。

(「Watchdog21」2024年1月14日、同2月3日、同3月3日の拙稿参照)
                             (10月12日記)