「検事長事件と記者」 マージャン取材で何を報道したのか、それが問題だ 検察と記者の距離の在り方を考える

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 黒川弘務検事長事件は「3密」と「賭けマージャン」の二つの面からの批判が中心だが、もう一つ提起されたのは、検察という公権力と新聞記者の距離の在り方だ。これは取材方法への批判だが、核心は、記者が当局とのマージャンという取材手法を使って、国民の知る権利に応える報道をしてきた、と説明できるかどうかだ。この第3点を考える参考として、取材方法の基本と検察取材の実際-の2点を紹介したい。 記者には黒川氏に直接取材できる記者として、黒川氏の定年延長閣議決定をめぐる真相を書いてほしいものだ。

取材か遊びか

 このニュースを聞いた最初の感想は、「東京高検トップとマージャンか、よく食い込んで取材しているなあ」-だった。社会的な常識と懸け離れた反応だ。共同通信社会部記者として、警視庁取材をした3年間の体験がいまも身に染みついている。
 同時に、マージャンをした産経新聞の記者、朝日新聞元記者の行為は、そもそも取材だったのか、検事長取材などで何を書いたのか、という疑問が浮かんだ。

 朝日は、広報担当が「取材活動ではない、個人的な行動」とコメントし、「社員は東京社会部の司法担当記者だった2000年ごろ、黒川氏と取材を通じて知り合った」「2017年に編集部門を離れ、翌年から管理職を務めていた。黒川氏の定年延長、検察庁法改正案など、一連の問題の取材・報道には全くかかわっていない」との調査結果を5月22日朝刊に掲載した。
 産経は「今後も取材源の秘匿の原則は守りつつ、社内規定にのっとり厳正に対処してまいります」(広報部コメント、21日)と、取材であることを認めている。検事長が産経記者手配のハイヤー(法務省調査結果)に同乗して帰宅している点も、取材であることの傍証になっている。
 産経のコメントは、「3密賭けマージャン」へのおわびの言葉だけで、今回の記者の行為が取材・報道に不可欠だった、というような肯定的な文言はない。

検察内部情報で特ダネ

 検察関係の報道には、公式発表に依らず、検察内部への独自取材による社会的意義の大きい報道がある。朝日については、「徳洲会から猪瀬直樹・前東京都知事への5000万円提供をめぐる一連のスクープ」(2013年)や、郵便不正事件での大阪地検特捜部検事の証拠改竄報道(端緒は検察内部からの情報。参照・朝日新聞取材班『証拠改竄 特捜検事の犯罪』朝日文庫、2013年)をすぐに思いつくが、産経の場合は記憶にない。

 今回の取材方法については、取材源への多様なアクセスを認めつつも「一線を越えた」という声もあるが、ここでは、取材方法に関しての基本的な考え方を書いた三つの文章を紹介する。
 (以下のA-Cは、私が文教大学情報学部で担当していた新聞報道論で、テーマ「取材方法」の資料として配った中から抜粋した。見出しは松野)

取材は危険な芸

 〈資料A〉 危険な芸
 「忘れてはならぬことがある。それは、情報公開法があろうと、なかろうと,ジャーナリストの取材はつねに〝危険な芸〟だ、ということである。ジャーナリストの仕事には、たしかに、スパイの要素も、文献を調べる学者の要素も、統計を操作する官僚の要素も、場合によっては脅したり、なだめたり、取り引きをしたりする政治家の要素も、未分化に混在している」
 (斎藤文男「国家秘密と国民の知る権利」の「情報公開法とジャーナリストの任務」=稲葉三千男編『メディア・権力・市民』(青木書店、1981年)所収)  著者=当時・九州大学法学部教授

「目的は手段を浄化する」

 〈資料B〉 違法と呼ばれても取材・報道する覚悟
 「行儀のよい、おとなしいジャーナリズムで、社会の信頼を得られるものではない」「日米の軍事関連情報をはじめジャーナリズムの自由を規制する各種の動きは、強まるばかりである。日本社会の知る権利に応える報道は、たとえ違法と呼ばれても取材し、報道する、そういう覚悟が求められているときではないか」「ジャーナリズムの世界は二四時間、公共性という社会的責任を意識せずにはおれない職場である。コンプライアンスなど本来、不要なはずだ」
 (原寿雄『ジャーナリズムの可能性』岩波新書、2009年) 著者=元共同通信編集局長

 〈資料C〉 許容範囲すれすれで
 「取材方法に、一点の曇りもないことは理想である。しかし、権力の不正や腐敗を暴く調査報道の取材は、そんな生易しいものではない。落とし穴に落ちてしまってはいけないが、『目的は手段を浄化する』ことも念頭において、許容範囲すれすれのところを狙って、突っ込んでいくことが大事だ。社会からの厳しい報道批判の風をうけて、最近の新聞記者は萎縮しているのではないか、という話をよく聞く。権力との闘いに萎縮してしまったら、新聞の未来はないといえよう」
 (柴田鉄治『新聞記者という仕事』集英社新書、2003年) 著者=元朝日新聞社会部長

 以上の資料で最も古いAは、沖縄返還密約暴露で取材手法が問われたことを踏まえての文章。B、Cもそれぞれの時代を反映した文言になっているが、今日でも通用する基本的な指摘だ、と私は考える。

平検事への庁内取材禁止

 次に、検察取材の実際について。社会部の取材の中でも検察取材は、公式発表以外の情報の入手がもっと難しい分野の一つだ。検察と取材側の力関係に大きな差がある中で、検察側が、幹部以外の“平検事”への取材禁止というルールを強制し、取材の壁を高くしてきた。
 平検事への取材を禁止する“河井方式”については、塚原政秀氏が「検事長と新聞記者の賭けマージャンが提起した問題」(当ブログ5月26日)で取材体験を踏まえて述べている。私は検察取材の経験はないが、ジャーナリズム論での講義内容を基に補足したい。
 検察取材はかつて、昼間の勤務時間中に平検事の庁内の部屋を回って取材をしていた。それを禁止したのは、東京地検のスポークスマンだった河井信太郎次席検事だった、と共同通信の先輩記者が悔しげに話していた。
 その河井次席検事は1965年に、毎日新聞が独自ダネを報じたことが記者クラブの申し合わせに違反したとして除名処分となったのを機に、「除名社とは会わない」として毎日新聞記者を定例会見から締め出し規制を強めた。(参照 朝日新聞・連載企画「検証 昭和報道」の「捜査当局との距離は」「検察、出入り禁止で圧力」 2009年10月11日朝刊)

平検事の夜回り取材も禁止

 河井方式によって、記者は、平検事の自宅を夜回りすることで非公式情報をつかむことになるが、統制は、平検事の自宅取材禁止へとエスカレートする。
 これは、「出入り禁止」と呼ばれる。東京地検特捜部の部長、副部長以外の検察官、検察事務官などに取材した場合などは、「担当副部長の部屋での取材不可」から最高検、東京高検、東京地検への出入りを禁止することだ。要するに、平検事への一切の取材禁止という規制だ。記者会見の時、出入り禁止となった記者がいると、検察幹部が口を開かないため、記者は会見室を外へ出るしかない。
 「特捜部の出入り禁止は、私が特捜部長時代の79年ごろから、私が考えてやったのが初めてだろう」という吉永祐介元検事総長の講演内容を上記の朝日の連載記事は記している。
 報道側は、出入り禁止は国民に事実を伝える上で大きな支障をもたらすとして改善を検察当局に求めたるが、改善されなかった。近年の動向について、担当した駒澤大学法学部のジャーナリズム論での配布資料(2015年)では、出禁数は減少傾向にあり、背景に一連の検察不祥事以降、大型事件の減少・検察の統制力減衰していることをあげている。ロッキード事件(1976年)、リクルート事件(1988-89年)当時は「巨悪を眠らせない検察」との社会的評価があったことも記している。
 黒川氏は、法務省官房の課長、審議官、官房長を歴任していて昼間、取材できるポストにいたため、捜査の中心の検察官とは違う形で記者との関係ができた可能性もあるが、検察の取材制限は現在も、基本的は変わっていないと推定できる。上記のような極めて困難な取材状況についての認識があるため、「検事長と記者がマージャン」との報道に対し、「よく食い込んでるなあ」とい最初の感想になったわけだ。

余人に代えがたい記者として

 結論的に言うと、マージャン中には無粋な話は避けるかもしれないが、産経の記者は黒川氏を自宅まで送るハイヤーの中で仕事の会話をすることは可能で、その話を裏付けるデータを集めれば、黒川氏の定年延長に関する閣議決定(1月31日)の核心に迫る記事を書けるのではないか、余人をもって代えがたい記者ならではの記事を読みたいものだ。そうした報道こそが、ジャーナリズムの三つの役割で最も重要なwatchdog(権力を監視する民主主義の番犬、当ブログ名の由来)としての役割を果たすことになり、信頼失墜が加速している新聞・放送の復権につながっていくと考える。