✺神々の源流を歩く✺第15回「新羅神社と白鬚神社」 

投稿者:

敦賀は渡来人にとって重要な地だった

 若狭地方は若狭湾に面し、湾内は敦賀半島、内外海半島、大島半島をはじめ多くの入江や島などからなり、静かな良港である。敦賀から福井行の特急に乗ると、隣の今庄との間に木ノ芽峠という山塊が立ちふさがる。今は北陸トンネルができ一気に通過してしまうが、それまでは冬の間は雪で人の通行が何カ月も途絶え、これが北陸七カ国、若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡の開拓が遅れた理由とされる。

 もっともそれは近代になってからのことで、若狭地方は北九州、山陰、北陸とともに、大陸や朝鮮半島と向き合い、先進文化が真っ先に入る玄関口だった。若狭は、朝鮮語の「行き来する」に由来するとされることからもうかがえる。琵琶湖を経て京都、奈良にも近く、古来、地勢学的にも重要な地だったのである。

若狭湾に入った渡来人内陸部へ

 若狭湾に入った渡来人たちは、山塊が閉ざしているにもかかわらず、どんどん内陸部に広がった。木ノ芽峠を越えた敦賀地方にも、新羅神社や新羅仏、新羅鐘などを保存している寺院が少なくないことからもそれがうかがえる。

 敦賀から北陸トンネルを越えた隣の今庄町では、渡来人が信仰したといわれる新羅神社と白鬚神社を見たかった。福井県神社誌によると、今庄町の新羅神社は上宮さん、神紋は右三つ巴紋で、白鬚神社の方は下宮さんと呼ばれて神紋は左三つ巴紋で、神紋が対になっていて面白い。

信露貴彦神社は新羅神社と同じ

 今庄駅から、宿場町の面影を残す街道を歩いてすぐに、歴史がありそうな「郷社 新羅神社」と深く刻まれた石柱が立つ。鳥居をくぐって参道を進み石段を上がり、これを何回か繰り返して本殿にたどり着いた。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。白鬚神社もここから歩ける距離にあった。

 『今庄町誌』をみると「敦賀郡松原村沓見にある信露貴彦(しろきひこ)神社は、南条郡今庄町今庄の新羅神社・白鬚神社、堺村荒井に鎮座する新羅神社と同じである」とある。ということは祭神も同じということになるが、神紋が対であることも一体性を示唆しているようだ。新羅、白木、白城など同じ音だが、新羅と書かれ中世になって白木とも書かれるようになったらしい。山中襄太氏の『地名語源辞典』も「白木」は「新羅来(しらき)」とする。水野祐氏は「日本神話を見直す」のなかで、「新羅を白城として白の字をあてたのは、新羅が西方の国で五行思想では西方が白色であることによる」という。

日野川、叔羅川は新羅川だった

 『南条郡誌』には「今庄町は古くは今城と書けり。これ白城の誤する乎。此の町の東に河あり、日野川と云う。此れ即ち古の叔羅川なり」とある。日野川、叔羅川はともに新羅川であったことから、斯羅、白木、新羅、白城、新良、新良貴などの表記は同じものを指しているのである。