東京大学の次期総長を選ぶ総長選考•監察会議が9月28日に開かれ、約8時間のロング会議を経て総合文化研究科の藤垣裕子教授(64)を選出した。文部科学大臣による任命を経て2027年4月1日に、東大で32人目の総長に就任する予定だったが文科省は10月20日、選考の経緯を検証するよう求める依頼を東大に出した。文科省がこうした依頼を大学に出すのは初めてで、関芳弘文科相は「今なお選考過程・選考理由について明確な説明がなされていないとの声も多く、遺憾」と苦言を呈した。
高市改造内閣で「裏金議員」ながらも入閣した関文科相がもし、藤垣氏の任命を拒否し、東大に総長選考のやり直しを求める強硬策に出れば、政界に激震が走る。「文科省官僚の藤垣氏に対する嫌がらせで、最終的には認めざるを得ないのでは」との見方もあるが、2020年に日本学術会議が推薦した会員候補のうち6人を菅義偉首相(当時)が任命拒否した前例もある。この事態の推移から目が離せない。
自民党元幹事長の甘利明氏は29日、Xに「ダブルスコアで勝った候補を外すって何のための投票なんだろう?東大の闇は益々深まる?」と投稿。
教職員の意向投票で2位とダブルスコア
東大の教職員による意向投票は常勤の教授、准教授、常勤講師のほか部長級・課長級などの職員の計2,583人を有権者として行われた。意向投票は2回行われ、5人で行った1回目の上位3人による2回目の結果は次の通り。
① 染谷隆夫 1,107 副学長 元工学部長
② 藤垣裕子 553 元理事・副学長
③ 山本隆司 451 理事・副学長
この結果を踏まえ、9月28日午後1時から16人の委員で始まった選考会議は延々と各自の意思表示、投票などを繰り返し、最終的に藤垣氏を推した委員が最多数に上り、8時50分に閉会した。藤垣氏については①科学技術を社会に伝えるコミュニケーション力②学術への信頼を回復する意思と能力③文理融合④学内外の対話⑤国際経験⑥より開かれた大学への変革力⑦分断を乗り越えるための知見と能力―を評価したという。
藤垣氏の代表的な業績は、科学技術を専門家だけの問題にせず、社会・市民・政策との関係から捉える「科学技術社会論(STS)」を日本で発展させたこと。科学的知識をそのまま社会の意思決定に当てはめるのではなく、どの範囲なら有効なのか、どの条件では限界があるのかを見極める考え方である。環境問題、医療、原子力、食品安全など、科学だけでは結論を出せない問題を考える際の重要な視点になっている。
選考会議で決定は政府・自民党が導入したルール
意向投票で藤垣氏にダブルスコアで優勢だった染谷氏が敗れたことに、多くのマスコミは社説などで疑問符を呈した。産経新聞に至っては社説(10月5日付)で「東大がおかしい これでは国民が納得せぬ」と題し、「選考会議の議長である国谷裕子・元NHKキャスターは会見で『総合的に考慮した』『国際的な経験をもとに、より開かれた大学に向けた変革を実現する能力がある』としたが、あいまいな理由では納得を得られまい」と手厳しく批判した。
また自民党元幹事長の甘利明氏は9月29日、Xに「ダブルスコアで勝った候補を外すって何のための投票なんだろう ?東大の闇は益々深まる?」と投稿した。
だが、この甘利氏の投稿には文部行政をよく知る人の間から「あなたが始めた改革の帰結ではないか」と失笑が沸いている。というのは、かつて多くの国立大学では教員らの投票で学長を選んでいた。だが2004年度に各国立大学は国から独立した法人となり、 企業経営者ら学外メンバーも入れた選考会議が最終的に選ぶ仕組みが法制化され、意向投票は参考情報の一つという位置づけになった。2015年施行の法改正では選考会議が基準を定め主体的に選考する権限を強化し、投票結果への過度依存は不適切とされた。
甘利氏は当時の第2次安倍晋三内閣で閣僚を務めており、過去の国立大学の学長選考について「学長は何も動かせない。その状態を革命的に変えようとしたんだ。学長に人事権を与える。学長選考会議に外部の人間を入れる。それまでの学長選考は、労働組合員の投票で社長を決めるようなものだった。そんな状態では、学長が改革はできない」と、学内投票による決定を「労働組合員の投票」と批判していた。
2位以下候補を選出の例が続出
こうしたことを受けてか、最近では筑波大学や千葉大学など各地の国立大学で2位以下だった候補が学長に選ばれており、東大だけが特別なケースではない。京都大学も6月の選考会議で、意向調査3位だった立川康人・副学長を次期総長に選出し、10月1日に就任した。これに対し職員組合や一部の教員らから「過程や結果の説明が不十分」とする声明が出されている。今回の東大総長選挙に対しても10月13日に工学系研究科、法学政治学研究科などの教職員有志が選考会議あてに要望書を提出。意向投票の結果をどのように考慮したか、どの評価項目の判断が決め手になったのかなどについて説明を求めている。
投票結果と選考結果の逆転に関し、選考会議の国谷議長は記者会見で「具体的にどういう議論があったかは保秘事項」とし、詳しい説明を避けたことが、火に油を注ぐ形になっているようだ。だが、人事問題について落選した候補者のマイナス点を選考者があけすけに明かせるわけはないと思う。
財政赤字解消に国の巨額支援を期待
国立大学協会は2024年に「各大学の財務状況は、もう限界です」とする異例な声明を発表した。法人化以降に国が教職員の人件費や研究費に使われる運営費交付金を減らし続けてきたためである。各大学とも学外からの寄付集めや共同研究による研究費獲得に懸命となったが、東大でも財務状況が急速に悪化し、25年度には約57億円の赤字を計上した。
そうした中で東大がいま懸命になっているのが、国が世界トップ級の研究大学を目指して巨額の重点支援を長期、大規模に行う「国際卓越研究大学」への認定である。これは10兆円の政府ファンドから国が支援金を出す制度。これまで2回の公募に東大も申請してきたが、認定されなかった。これまでに認定されたのは東北大学(2024年)、東京科学大学と京都大学(26年)。認定済みの東北大学は年100億円を超える支援を受けており、東大が認定されれば年400億円を超えると予想されている。総長選考会議は今回、国際卓越研究大学の認定への影響も重視してきた。
急務のガバナンス回復
2025年の2回目の審査で東大は計画の内容については高評価を得たものの、医学部で相次いで発覚した准教授らの不祥事(収賄事件、研究費の私的流用事件)に対する大学本部などの対応のまずさが問題視され、1年間の「継続審査」となった。
不祥事が起きた際に適切にガバナンスを発揮できる体制を整えているか否か。選考会議の国谷議長は選考後の記者会見で国際卓越研究大学への認定課題に言及し「申請が保留されていることの大きな要因として、責任あるガバナンス体制の構築が求められている」と語った。ガバナンス改革についての各候補の考え方が大きな判断材料になったのは間違いない、と述べた。
それでは「意向投票トップの染谷氏と2位の藤垣氏との間で、ガバナンス改革についてどのように判断が分かれたのか。
工学系関与の不祥事が背景に
東大は今年7月、工学系研究科と関係が深い一般財団法人「総合研究奨励会」で元理事・事務局長A氏が9千万円を不正に流用していたと発表した。A氏は解任され、刑事、民事の双方から責任を追及される。同会は寄付金や産学連携の収入などを財源に、工学関連の研究費や、研究者の海外渡航費支援などをしてきた。元工学部長の染谷氏も代表理事を務めていたことがあり、この不祥事への監督責任を負う立場である。
総長選考会議がこの問題に関する染谷氏の姿勢に注目したことは想像に難くない。だが8月に公表された染谷氏の総長候補者としての所見には、奨励会問題に関する言及はなかった。もし染谷氏を総長に選んだ場合、奨励会などの問題が蒸し返される可能性が高く、国際卓越研究大学の認定獲得に向けて大きなリスクとなりかねない。
この点が染谷氏を選考会議が選出しなかった大きな理由と言われており、国谷議長が「染谷教授が選ばれなかった理由を説明してもいいか」と選考会議の幕切れで諮った際に、猛烈に反対した委員がいたという。
国の大型プロジェクトと密接な染谷氏
染谷氏は国の大型プロジェクトと深く結びついた学者といわれる。シリコン半導体と異なる「有機半導体」や、薄く曲げられる「フレキシブル・伸縮性エレクトロニクス」の先駆者だ。最先端の半導体(2ナノメートル世代)を専門に製造する企業「ラピダス」にも染谷氏が深く関わっており、東大で産学連携を担当する副学長でもある。
そうした経歴を有する染谷氏が一敗地にまみれる形となった今回の総長選挙を、高市政権がすんなりと認めたくない。それが今回のごたごたの実態ではなかろうか。
解せない新聞、テレビの報道姿勢
この問題を見守る上で、もう一つ解せないのが新聞、テレビの報道姿勢である。「ダブルスコアの1位候補を逆転して選出した選考会議は説明責任を果たしていない」との大合唱で、工学系関与の不祥事のガバナンス問題に触れた詳しい報道はほぼ皆無に等しい。
こうしたお寒い実態はマスコミ現場の取材力の著しい低下とも見えるが、中には朝日新聞のように教員読者向けの特別サイトだけで「舞台裏を解説」と題して、工学系不祥事の背景を伝えている社もある。朝日新聞に対しては「重要なテーマなのに、なぜ本紙の紙面で勝負しないのか」と問いたい。
(了)