✺神々の源流を歩く✺ 第7回「熊野本宮大社」

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八咫烏に東アジア文化の交流をみる

 熊野本宮大社(和歌山県田辺市)を訪れたのは2018年5月初めだった。階段を上り鳥居の前に立つと、鶯が出迎えてくれた。まだ一本調子で発声練習中という感じだった。

日本サッカー協会のシンボルマークも八咫烏

 熊野本宮大社は、古事記、日本書紀の神話によると、神武天皇一行は大阪湾から大和川を溯って大和に入ろうとしたところ、豪族、長髄彦命(ながすねひこのみこと)の一族に阻止され、大きく紀伊半島を迂回して上陸した地である。

 神社の神紋は三本足の八咫(やた)烏である。神武一行はここでも長髄彦命の抵抗に遭い難航するが、天照大神が放った八咫烏が神武の矛に止まって、無事に大和へ道案内をしたとされる。日本サッカー協会のシンボルマークでもある。

キトラ古墳や法隆寺にも

 少し経って、韓国の古代の国家(高句麗、百済、新羅)のうち百済の古都、扶余市の国立博物館を訪ねた。閉館間際だったので駆け込んだらあっと驚いた。玄関に八咫烏の旗が沢山、並んでいる。日本からサッカーチームが来ているのかと思って尋ねたら、「そうではなく今日は韓国では八咫烏のお祭りの日です」と言われてまた驚いた。八咫烏とは記紀神話の霊鳥だとばかり思っていたからだ。咫とは長さを表す単位で、親指と中指を広げた長さ18センチとされる。八咫だから18センチの8倍で144センチ、やや大きめのカラスである。

高句麗の古墳に描かれる

 八咫烏は朝鮮半島では、かつて高句麗(紀元前1世紀~7世紀)があった地域(現在の北朝鮮)の古墳に描かれている。高句麗の人々も太陽に三足烏がいると信じていたのだろう。日本では奈良県高市郡明日香村の「キトラ塚古墳」の壁画や、法隆寺の玉虫厨子の台座などにも描かれている。八咫烏は記紀神話だけの専有物ではなく、八咫烏は広く東洋の文化圏に共有されている伝承といえるのだろう。

中国の石碑にも

 この八咫烏にはもう一つ後日談がある。少し後になって中国の西安にある石碑の博物館、碑林を何人かの仲間と訪れた。「文章は経国の大業」という名言を生んだ国だけに、文字を刻み込んだ石碑が、それこそ無尽蔵に収蔵されている。
古い順に見ていくと紀元前、初めての統一国家、秦が倒れると群雄が割拠する戦国時代に入る。次第に項羽と劉邦が頭角を現す。この両雄が談判する鴻門の会を描いた石碑があった。高校の漢文の教科書にも載っている有名な場面で、よく見ると左上に月が彫られ、中に兎がいて杵でうすをついている。隣のもう一つの月にはカエルがいた。そして右上の太陽のなかにはなんと3本足の八咫烏がいるではないか。

 余談になるが中国では、月の兎が臼でついているのは薬だという。その薬は不老長寿の薬だ。朝鮮半島では薬でなく餅をついているといわれる。