東洋の古典に、「トップは二つの目でしかものを見られないが、何十万何百万という国民の目でみられているから、日ごろの言動に注意が肝心だ」というのがある。岸田政治には、安倍、菅政治が右に舵を切った対米依存強化、反中国志向から、資源小国で貿易立国という立場を踏まえて、かつての宏池会の理念にあるようなバランス感覚のある新思考が期待された。岸田文雄政権の退陣は、国民の「ノー」というジャッジが、政治を動かしたと言えるだろう。また岸田氏は、自ら政治不信にけじめをつけたことは、それはそれで望ましい意思表示だった。
早くも総選挙の憶測
だが自民党の総裁選により後継総裁、首相に誰がつくのか、水面下では激しい多数派工作が展開されているといわれるが、メディアの予想を見ている限りではまだ不透明だ。候補者の日ごろの言動や人柄などが知られていないうえに、「かくあるべし」といった政治理念が語られていないことが大きい。下馬評を見る限り期待の余地は少ない。
同じ時期に立憲民主党の代表選挙もあるので、比べてみて報道の違いなども知れ関心が深まるのではないか。その後、国会で首相指名が行われるが、早くも新首相のイメージが新鮮なうちに衆院解散、総選挙になるという憶測が飛ぶ。万事、目先のことに目が向きがちだが、候補者には状況を前向きに切り開いて行こうという迫力のある議論を期待したい。
増税、社会負担増の中、生活関連テーマあまり語られず
タレント的な言動で知られる候補はいても、物価の高騰、雇用問題など生活に関連するテーマはあまり語られていない。メディアは「憲法改正に反対ですか、賛成ですか」という単純化した質問で、その候補者の憲法観を紹介していく。結論も大事だが、そこへ行きつく理由、説明がもっと大事である。
税金や社会負担が増えているのに、財政赤字はなぜ増え続けるのか、行財政改革はどうして行わないのかなども語り合うべきだ。食糧需給率が減少、食の安全も心配だ。外交交渉は当事者の歴史感や知識、全人格のぶつけ合いだといわれるが、外国の要人と丁々発止とやれる人が何人いるのか。「期待なき政権交代」にならないことを祈るばかりだ。
対米中でにじみ出る安倍色
岸田政治には、安倍政治からの脱皮も求められていた。政権の生命線ともいえる支持率の低さは、「物価」「旧統一教会問題」「防衛費急増」「裏金と政治」を巡る主要問題での岸田政権の不十分な対応やまずい政策が 招いたものだろう。「モリ、カケ、サクラ」では、国有地売却に関する決裁文書を、財務省上層部から改ざんに加担させられ、自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さん問題は、法治国家で起きた事件とは思えない。新政権も国会の場でさらに解明が欠かせない。
安保3文書による軍事予算の膨大な増強、南西諸島など各地の軍事強化を打ち出し、5年間で43兆円増やす。だれでも次は増税だなとピンとくる。「敵基地攻撃能力の保有」は、東アジア地域や日本の平和と安定に役立つかどうか。対米傾斜・対中外交軽視などでも安倍色がにじみ出ている。
岸田氏はトップ外交が結構としても、こういう時代では国会議員、経済人、文化人など各界各層の相互交流が欠かせない。かつて自民党の議員外交は野党にも呼び掛けて、北朝鮮に超党派の議員団を派遣する度量があった。広島出身の政治家としては、安倍政治に遠慮せずに核廃絶条約に積極的に取り組むべきだったのではないか。
「新しい資本主義」は不発
驚異的な物価高騰、アベノミクスで解決できなかった非正規社員問題や貧困層への対応、岸田政権でも取り組まれたが、まだ改善の跡が見えてない。経営者は分かりにくいと批判的だ。官邸は経済産業省から財務省主導になったが、政策にバランスを欠いているという指摘もある。
岸田政権の売りでもあった「新しい資本主義」は、グローバリズムを批判しているように見えて注目されたが、その後具体策が盛り込まれたという話は聞かない。社会構造調査などをみると、日本でも中流層が減り下流層が増えている。例えば春闘の賃上げなどと結びつけた新しい視点の政策などが必要だったのではないか。
「令和所得倍増計画」は池田勇人政権、「デジタル田園都市国家構想」は大平正芳政権の田園都市構想からの拝借である。「異次元少子化対策」は、安倍政治の印象があり新鮮味はいまいちだ。いつの間にか話題にならなくなった。
議員の不祥事をはじめ、政治資金関係の逮捕者、秘書勤務給与の詐欺行為、不倫、暴行なども目立った。永田町は政治家の低質化、小型化が進んでいるように見える。
政治が混乱すると、永田町で話題になるのが石橋湛山である。石橋は軍部の前で堂々と「日中戦ってはいけない」と発言するなど、若いころから一貫した理念を貫こうとした政治家だった。
候補者の人物月旦
はじめに戻って自民党総裁選の候補者の顔ぶれがほぼ出そろったところで、候補者周辺の評判なども聞いた。名前は知られているが政策、識見などは初めて聞く候補者も多い。候補者が大勢立候補して賑やかに話題をさらい、「政治と裏金問題」が話題になることを避けようとの思惑もうかがえる。
米大統領選挙では黒人の文化や歴史なども議論されるといわれる。日本でも戦争を知らない世代が増えているが、被害を受けた国の国民は忘れないものだ。候補者はアジア、米国との戦争、占領、独立、復興に至る歴史や文化なども語りあってほしい。
石破茂元幹事長(67)。衆院鳥取1区。父二朗は鳥取県知事、参院議員で、その2世。慶応大から三井銀行へ。現在は無派閥。田中角栄首相の最後の弟子で、総裁挑戦4回。経験は十分で、さりげない岸田批判などは鋭いが、外交路線などまだ不明だ。
小泉進次郎・元環境相(43)。衆院神奈川11区。若手のホープの一人とされる。無派閥。曾祖父又次郎、祖父純也、父純一郎で4代目だ。無派閥で菅元首相の神奈川閥としての河野太郎デジタル相(61)と競合しそうだ。コロンビア大学院に学ぶ。知名度や清新さが売りだが、要職の経験がまだ少ない。
河野デジタル相。衆院神奈川15区。麻生派。祖父河野一郎氏の強引さと父洋平氏の慎重さを兼ねた安定感が身につくか。歴史への反省や、原発政策などへの対応、マイカードでは性急さが目立つ。周囲の意見を聞きながら事を運ぶ慎重さが欠かせない。
高市早苗・経済安保担当相(63)。衆院奈良2区。安倍氏からも右系思考が好まれ、党内に一定の支持を持つ。閣僚などの場数を踏み経験はあり、あとは安倍亡き後一本立ちができるか。渡米し、米国議員の議会立法調査官という肩書を使うが、その実態は不明とされる。
茂木敏充・党幹事長(68)。衆院栃木5区。旧田中派の流れにあるが、角栄流とは正反対で万事慎重で細かい。裏金問題での派閥解体時には退会者が出た。幹事長は岸田首相を支える立場だが、政治と裏金問題では対応が鈍く関係が悪化。頼みは麻生副総裁。「明智光秀になる」と、出馬声明のタイミングを慎重にはかっている。
野田聖子・元郵政相(63)。衆院岐阜1区。無派閥で、女性議員の中では正統派とされる。総裁選に出馬したこともある野田卯一の孫。高齢出産に挑戦し、障害を持つ子の母として苦境を経験した。20人の推薦議員が集められるか。
林芳正・内閣官房長官(63)。衆院山口3区。父義郎氏を継ぐ2世。岸田派の後継者として総裁選に臨む。安倍元首相の銃撃死の前に参院5期から衆院に代わり念願を果たす。官房長官をはじめ文科、農水、防衛など重要閣僚を経験したが、政治家としての姿勢や理念、理想など、政治家像が見えない。
上川陽子・外相(71)。衆院静岡1区。法相3回を通じて死刑執行の印を推してオウム真理教13人の処刑に踏み切り名を知られた。沖縄米兵少女暴行事件で、米政府にもきちっと抗議をし、日米地位協定の改正などにも言及していれば、総裁選の展開はもう少し違っていただろう。
トップは「才ではなく徳の人がふさわしい」
小林鷹之・前経済安保担当相(49)。衆院千葉2区。二階派。当選4回での入閣。岸田政権末期ににわかに脚光を詫びたが、政界、自民党ではともあれ、有権者にはなじみが乏しい。「能ある鷹」か、これからの精進如何。東大、ハーバート大に学び、財務省から外務省の米国大使館勤務。靖国参拝、高市早苗の総裁選推薦、統一教会接近歴など、時流追随型の一面も。
斎藤健・経済産業相(65)。衆院千葉7区。無派閥。東大卒後、通産省入りし、ハーバード大留学。埼玉県副知事後に政界入り、農協改革を進め当選3回で農水相、法相、経産相を歴任。ただ失言などで途中辞任した後釜としての起用だ。一時、石破出馬の推薦人になっている。当選5回。
加藤勝信・元内閣官房長官(68)。衆院岡山7区。東大卒、大蔵省入りし、福田派の加藤六月の次女と結婚して加藤姓に。厚生労働相を3回務め、安倍政権の官房長官に。厚生労働行政にはめっぽう詳しい。田中派の流れにある茂木派にいるが、人間的な面白みはいまいちだ。茂木派からは茂木氏も総裁選に出る。岸田派の上川、林、茂木派の茂木と加藤と、派閥解消の成果の一つかもしれない。当選7回。
ざっと以上だが このうち、20人の推薦人を何人が集められるか。自民長期政権が続いたことで、政治のあるべき方向や政策選定が硬直し、物価高、介護など国民生活に視線を向ける機会が少ない。大きなスケールで日本独自の構想を打ち出す試みも必要だ。
候補者11人中6人は世襲
上記11人のうち、6人が世襲だ。世襲制の弊害が指摘されているが、英国では世襲議員はどこから出馬できるが、親の選挙区からの出馬だけはご法度だ。また同一選挙区からは3期まで出られるが、さらに出たければ選挙区を変えれば可能だ。硬直化した選挙区に新風を吹かせ、何よりも利権の温床となる既得権をなくそうという試みとされる。日本では政権交代は少ないがアジアでは台湾、韓国でも政権の交代が起きている。日本でもこのくらいの改革はしないと世界の趨勢に遅れるのではないか。
かつて歴代首相に「宰相の師」と呼ばれた安岡正篤氏に、首相の風姿風貌について聞いたことがある。安岡氏は「外見は『天上満々、脚下満々』で自信があふれていること、人物は『才の人より徳のある人を選ぶべきだ』」と言っている。
(了)