バイデン民主党政権が発足して10カ月。米国の主要メディアでは最近、トランプ氏が2024年大統領選挙に出馬、たとえ敗北しても再び「不正選挙」を主張し「クーデター」で大統領に返り咲こうとしていると指摘、これに備えないと米国民主主義は危うい-こんな危機感を訴える記事や論評が目につくようになってきた。その理由は、トランプ支持勢力による1月6日の米議事堂占拠が、大統領選投票に敗れたトランプ候補(共和党)を当選者にすり替えようとしたクーデター未遂事件だったことを示す事実が、調査報道や議会調査によって次々に明らかになったからだ。トランプ氏は今も「大統領選の勝利を盗まれた」と根拠なき主張を繰り返して共和党支配と支持層固めを進めていて、支持者の多くは大統領選への再出馬を期待している。
「クーデター」は未遂
この世論の動きにきっかけを与えたのが、歴代大統領と側近たちの政治・外交の舞台裏を描くドメンタリー・ジャーナリストとして知られるB・ウッドワード氏とワシントン・ポスト紙R・コスタ記者がトランプ政権からバイデン政権へのきわどい政権移行の流れをたどった新著 『Peril(危険)』 の発売(9月21日)だった。同書はバイデン大統領の当選を最終的に確定する 21年1月6日の上下両院議員合同会議で、議長を務めるペンス副大統領が、それを覆して「トランプ当選」を宣言するという議事運営の筋書きを描いた「イーストマン・メモ」(イーストマンは起草した大統領法律顧問の名前)の存在を報じた。
ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト両紙やCNNニュースがこれを引用して報道したが、その他のメディアはしばらくあまり関心を示さなかった。次の2024年大統領選選挙はまだ先だし、両院合同会議は議事堂に乱入したデモで一時中断を余儀なくされたものの、デモ排除後に再開。「バイデン当選」を確認して終わっていたからだろう。
しかし、民主党系の政治学者や弁護士などが「イーストマン・メモ」を知って、米国の憲法や大統領選挙関連法にはトランプ氏が違憲、違法の追及をかわして政権奪取を可能にする隙間が広く空いているので、トランプ氏は次の選挙でもっとうまく悪用する恐れがあると警告した。
ワシントン・ポスト紙(電子版)がこれを詳しく報じるとともに、緊急に法改正あるいは新法制定などの対策に取り掛かる必要があると民主党を促した。ニューヨーク・タイムズ紙もこれを受けて「2024は米国民主主義が死ぬ年か?」という見出しの長文記事を掲載した(9月30日)。これで「イーストマン・メモ」をめぐる報道がにわかにあわただしくなった。
上院委員会も調査結果公表
米議会上院司法委員会の多数派を占める民主党委員が続いて、「イーストマン・メモ」 策定に至るトランプ大統領と側近たちの動きを詳述した報告を公表した(10月7日)。それによると、トランプ氏は2020年末から翌21年1月6日の議事堂襲撃直前の直前まで、連日のように側近を集めた会議を開催、大統領選の結果をひっくり返す「逆転劇」のシナリオを練っていた。1月2日の会議ではローゼン長官代行ら司法省幹部らを呼びつけて、「不正選挙」の捜査を何もしていないと叱責し、ローゼン氏らを解任して協力する人物に入れ替えると圧力をかけた。ローゼン氏らは省幹部が総辞職することになるだろうと、この計画にかかわることを断った。ローゼン氏らは、その2週間ほど前に、トランプ氏の腹心と言われたバー司法長官が「不正はなかった」と公に発言して更迭された後にトランプ氏から指名されたばかりだった。
大手TVニュースもこの議会調査の発表を受けて、トランプ氏と共和党が議事堂占拠の重大さを軽視していることは重大(NBC)、トランプ氏の最近の言動は「不正選挙」の大嘘をまた繰り返そうとしていることを示している(ABC)と大きく取り上げた(いずれも同12日)。
「異議」押さえて「バイデン当選」確認
保守派週刊誌ワシントン・インクワイアーのドラッカー記者からも新事実が明かにされた。ペンス副大統領が「イーストマン・メモ」の実行を思いとどまったのは、G・ヤコブ首席顧問(ホワイトハウス法務局長から転じた)とM・ショート首席補佐官(いずれも当時)から、憲法上は選挙人票を開封し、集計するのは議長1人の専権とするのは無理があり、出席議員全員の役割だと忠告されたからだった(ワシントン・ポスト紙電子版10月16日)。
ペンス氏は合同会議当日の朝、トランプ氏に「憲法通りにやる」と伝え、「裏切り者」「勇気がないのか」と罵声を浴びせられて議事堂に向かったという。トランプ氏はホワイトハウス近くに集まった支持者の集会で正午から20分演説、ペンス議長が「正しい仕事」をしようとしている、「一緒に議会へ行こう」などと呼びかけている。「イーストマン・メモ」通りに事態は進行するとみての内容だった。集会には同メモの起草者イーストマン顧問も参加、トランプ氏の前に演台に立っていたことが分かっている。
午後1時、議事堂にはデモ隊が続々と押しけていた。予定通り合同会議開会。ここでもう一つの調査報道、ワシントン・ポスト紙P・ラッカー、C・D・レオニング両記者の『それをできるのは私しかいない(筆者仮訳)』(21年7月下旬発売)に改めて光が当たる。この日に何が起きたかを知る立場にいた140人にインタビューしたドキュメントである。
同書によると、ペンス議長が事前に用意した冒頭発言は、憲法に則とって会議を進めることを誓っていた。会議が始まり、アルファベット順に各州選挙人票の開封・集計に入った。トランプ氏が接戦で敗れたアリゾナ州の番が来たところで、トランプ氏に近い複数の共和党議員が異議を申し立てた。
これが1時35分。同党重鎮のマコネル上院院内総務が立って「憲法に従った議事を妨害することは許されない。敗れた側からの単なる言い分で当選者が引っくり返るならば、米国の民主主義は死への循環に陥る」と発言、トランプ派の異議を封じ込んだ。
2時13分、武装デモが議事堂に乱入を開始した。極右、白人至上主義、陰謀論者などのグループは口々に「ペンスを縛り首にしろ」と叫んで、探し回った。ペンス氏の「裏切り」をすでに知っていたのだ。議会警察とシークレットサービスが議員たちを秘密の緊急避難部屋にかくまった。デモ隊はその部屋のすぐ近くまで迫ったが、警察官の1人が逃げ回るふりをしながら別の方向に誘導し、のちに議会から功労賞を贈られた。
側近が「暴走」阻む?
共和党に穏健派がいなくなって久しいが、そのなかでペンス氏もマコネル氏も強固な保守派。ペンス氏に忠告した2人の副大統領側近も加えて、同党幹部の間にトランプ氏の虚偽の不正選挙主張を元にした政権復帰のための「クーデター」を支持せず、憲法を守ろうとしたグループもいることが明らかになった。
同書の中で、両記者はペンス議長の「裏切り」を個人プレーではなかったようだと伝えている。トランプ氏の長女イバンカ補佐官も加わった少数の側近グループは「イーストマン・メモ」のシナリオによって自分が当選者になろうとするのは無理と説得に努めたが、トランプ氏の「暴走」を止められない。そこでペンス議長が土壇場で「憲法に従う」ことでこの計画を未遂に終わらせる(トランプ氏を守る?)「陰謀」を仕組んでいたと推測している。ペンス氏はトランプに逆らって憲法を守った英雄との見方もあったが、そうではなかったことになる。
その真偽がどうあれ、穏健派がいなくなった共和党の中でペンス氏もマコネル氏も強固な保守派、ペンス氏に忠告した2人の副大統領側近も加えて、同党幹部の間にトランプ氏の憲法違反の「クーデター」には一線を画して憲法を守ろうとしたグループもいることが明らかになった。
(10月19日記)