国家公安委員が身分伏せ「黒川問題」で官邸迎合コラム   読売新聞の元論説主幹が古巣の紙面に

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 公益財団法人、新聞通信調査会が発行する月刊誌「メディア展望」9月号に、共同通信編集局長を務めた元同僚の江畑忠彦氏が寄稿した「国家公安委員の首相官邸迎合記事」と題する記事が大きく掲載された。その内容は、6月20日付の読売新聞朝刊の解説欄に「法務・検察の不都合な真実」という見出しで掲載されたコラム「補助線」の筆者、小田尚(たかし)氏の署名肩書が「調査研究本部客員研究員」とされているのに、実は同氏は読売を退社した現役の国家公安委員であることが伏せられた、おかしなスタイルなのを真っ向から批判したものである。

 小田氏のコラム自体を読んでいなかったので、私は江畑氏の寄稿で初めてその内容を知った。稲田伸夫検事総長の後任人事に端を発し、検察庁法改正案の廃案によって安倍晋三政権の幕引きに一役買った「政治と検察」の問題をこの長文のコラムは論じている。「法務・検察の不都合な真実」という見出しに象徴されるように、官邸筋の言い分をそのまま紹介し、一大事に発展した責任は法務・検察のご都合主義にある、という論旨だ。

 江畑氏と同様に私も衝撃を受けたのは、このコラムの内容の真実性もさることながら、筆者の小田氏が現役の国家公安委員でありながら、それを隠すように天下の読売新聞の解説欄に堂々と政権擁護の記事を書き続けていたことである。それは渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆のお墨付きによるものとみてよいだろう。言論人の枠にはまらず、自らが政界のプレイヤーでもあったことを最近のNHKスペシャルのインタビュー番組で自負していた渡辺氏といえども、いくらなんでも、これはひど過ぎるとあきれた。

「黒川さんはよく知らないんだ」と当惑の安倍首相?

 小田氏の経歴とコラムの内容を紹介する。69歳の小田氏の名前と経歴には私もかすかな記憶があった。2017年5月に、伝統ある日本記者クラブ理事長に就任しながら翌18年1月、任期を1年以上残し「一身上の都合」によって辞任することが発表された。珍しいケースだったので、覚えている。ところが、その直後に安倍政権が読売新聞グループ本社取締役論説主幹の小田氏を国家公安委員に充てる人事を公表したので、あぜんとした関係者もいたようだ。

 解説欄に全6段のこの記事は「稲田伸夫検事総長の後任に『内定』していた、黒川弘務東京高検検事長が5月21日、辞表提出に追い込まれた。(略)後任には好敵手とされた林真琴名古屋高検検事長(当時)が就いた。(略)稲田氏が7月に退任すれば、検事総長への道が開かれる」と、この一大事の経緯を紹介。 
続いて「メディアは『法務・検察関係者』を情報源に『黒川氏は安倍官邸に近過ぎる』『稲田氏が後任の検事総長に林氏を推薦したが、官邸が黒川氏を処遇するよう求めた』などと報じていた」と指摘。「だが、首相官邸関係者から見えた景色は、これとは異なる。安倍首相も『私は、むしろ林さんと親しい。黒川さんはよく知らないんだ』と当惑していた」と官邸の言い分を検証もせずに伝え、他メディアの報道に反論する。

 小田氏はさらに「昨年10月、稲田氏が、後任の検事総長を黒川氏に託し、自身は今年1月で退職することで、杉田官房副長官の了承を得たという」「年は明けたが、稲田氏は『4月の国連犯罪防止刑事司法会議(略)を花道にしたい』と言いだし、黒川氏の定年を前に辞めようとしない」と書く。これは当初、自分の後任を黒川氏としていた稲田氏が心変わりし、辞めようとしないので、折衝に当たっていた辻裕教法務次官が黒川氏定年延長の奇策を生み出し、混乱に輪をかけたという、首相官邸が流布したがっているストーリーそのものだと江畑氏は批判する。

 小田コラムはこのほか、広島地検による自民党の河井克行前法相の妻、案里参院議員陣営による公職選挙法違反の捜査に触れ、「稲田氏は『捜査の指揮を執りたい』と、そのままポストに居続けた」「元々は昨年10月末に週刊文春が発掘したネタだが、稲田氏ならではの指揮が必要らしい」と、稲田氏に照準を当て、やゆに努めているのが特徴だ。

「モリ・カケ」でも官邸を代弁、安倍首相の「メシ友」

 「補助線」というのは、数年前から小田氏のコラム名のようだ。小田氏は読売新聞の政治部長、編集局次長、同総務、調査研究本部長などを歴任している。2017年4月15日のコラムでは「『森友』政局に幕引けるか」と題して、こう論じている。「常識的には、国有地払い下げの手続きに国会議員が介在することはない。秘書も含めて、そんな危ない橋は渡らないものだ」「口利きが『ない』ことを立証するのは『悪魔の証明』にほかならない」

 同年6月17日に加計学園問題では、前川喜平氏について「前次官の乱という様相を呈している」としたうえで「『総理の意向』はしょせん、伝聞の伝聞に過ぎない。それによって、行政のあり方はどうゆがめられたというのだろう」と前川氏を批判。さらに「規制緩和で新規参入を認めたい内閣府に対し、規制を維持したい文科省が、政府内の議論で敗れただけではないのか」というように、言論機関としての姿勢はほとんど見られず、官邸の代弁者のような姿勢が目立つ。新聞の「首相動静」を長年フォローしている人によると、小田氏と安倍首相の会食回数は第2次政権発足から十数回に及び、首相の「メシ友」と言われる。

 ところで、国家公安委員とは、どういう存在なのか。そのホームページによると「国家公安委員会は、国務大臣である委員長と5人の委員の計6人で構成される合議制の行政委員会です。この制度は、戦後新たに導入されたもので、国民の良識を代表する者が警察を管理することにより、警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保を図ろうとするものです」とある。要するに、戦前の軍国主義の暴走、特高警察による国民の管理、支配を反省し、警察など行政の民主化、政治的中立を確保するのを目的に設けられており、警察庁を管理している。公安委員の任期は5年。特別職の国家公務員で、厳正公平にその職務を行うことが必要なので、積極的な政治活動が制限され、秘密を守る義務などがある。

 いつ頃始まったのか、調べきれていないが、5人のうち1人はマスコミ界から時の政権が選んでいるようだ。小田氏の前任者は共同通信社出身の奥野知秀氏。2013年2月に奥野氏が共同通信デジタル社長を退任し、共同から初めて国家公安委員に就任した際には、社内やOBから「メディアから国家公安委員を出すべきではない」という意見もあった。国家公安委員の年間給与は、内閣官房が作成、公表した「主な特別職の職員の給与」表(2016年末現在)によると約2345万円で、かなりの高給である。

メディアは権力の番犬か監視犬か

 黒川問題を論じたコラム「補助線」に対し、「読売はここまで政府PR紙になったのか、と情けなくなった」と怒る読売OBもいる。鬼頭史郎・京都地裁判事補が三木武夫首相(当時)に検事総長の名をかたってロッキード事件つぶしの謀略電話をかけた事件をスクープした前澤猛氏(元読売新聞論説委員)。中国の天安門事件を北京特派員として現場で取材した高井潔司氏(元北京支局長、論説委員、北海道大学名誉教授)の2人である。高井さんと私は昔、テヘラン特派員として苦楽を共にした仲間である。私が共同通信退職後に「メディア展望」の編集長になって高井氏との交流が復活し、中国関係の原稿の寄稿やシンポジウム開催などでお世話になった。先輩の前澤さんとも、高井さんの縁で飲み仲間になった。

 コロナ禍でもあり、お2人としばらく会っていなかったが、江畑論考で刺激を受け、この件を追っていたら、なんと7月の段階でお2人がネットメディアで小田氏を厳しく批判していたことを知った。その内容を簡単にご紹介する。

 最初に、このコラムの重大な問題点に気付いたのは前澤さんだったが、原稿アップ前に前澤さんから意見を求められた高井さんの方が先に7月1日に「月刊ライフビジョン」のメディア批評欄にアップした。タイトルは≪読売客員研究員にとって執筆に「不都合な肩書」―メディアは権力の番犬か監視犬か≫と、ワサビが効いている。いわく「こんな説得力のない原稿では(略)行政から中立を求められる『国家公安委員』の肩書で原稿を書くわけにはいかなかったのではないか」。

ジャーナリストとしての「利益相反」

 前澤さんは7月11日に「NPJ通信」の「メディア傍見」欄に≪小田尚氏に国家公安委員の辞任を勧める≫と直球を投げ込んだ。いわく「小田氏が『景色』と表現した政府内の事実描写が『真実』かどうか、その客観的な裏付けはありません。このように、小田論文は全編、検事長の定年延長問題は、法務・検察の『横やり』でこじれたのであって、安倍政権は『とばっちりを受けた』かのように描き、そして最後を『検察当局は (河井元法相の選挙違反事件捜査について) 稲田氏ならではの指揮が必要らしい』と冷笑のニュアンスで締めています」。

 前澤さんはさらに「記者の職務にある者、言い換えれば『書く立場』のポストにいる人物、その一方では、記者から取材される側、言い換えれば『書かれる立場』のポストにいる人物――その二つのポストや役割を同一人が担うことはできません。それは『二足の草鞋』を履くようなもので、至難と言うより、記者としての『けじめ』がつきません。たとえて言えば、刑事裁判で検事役と弁護士役をひとりで演ずるようなものです」と批判。

 「ジャーナリズムからいえば、そうした二重人格のような人物は、職務上の『利益相反』を犯すことになるのです。とくに、今回の小田論文は、もっぱら安倍内閣を擁護し、法務・検察にとって『不都合な真実』とする事実を公表したのです。それはジャーナリストとしての執筆としては許されたとしても、国家公安委員会の委員としては、明らかに忠実義務に違反し、ひいては国民の信頼を失うでしょう」と指摘し、小田氏に辞任を迫っている。

スイス大使に読売の白石前会長、前川氏に特異な報道も

 「利益相反」ということでは必ずしもないかもしれないが、これも安倍政権に好意的な読売新聞に対する情実人事ではないかと批判の声が上がった他のケースとしては、昨年9月2日付で発令された読売新聞グループ本社会長で日本新聞協会前会長の白石興二郎氏の駐スイス大使の人事がある。白石氏は新元号についての有識者懇談会のメンバーでもあった。スイス大使の待遇は欧米諸国では最高ランクに位置する。

 安倍政権に批判的な声を上げた官僚に対し、読売新聞が極めて特異な報道をしたことも記憶に新しい。加計学園の獣医学部新設問題をめぐり、「総理のご意向」などと記した文書の存在を2017年5月に前川喜平・前文科省事務次官が証言した。その直前の5月22日、読売新聞は<前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中 、平日夜>と代金交渉までして、売春の客となっていたかのようににおわす記事を大々的に伝えた。

 菅義偉官房長官も5月26日の会見で「教育行政の最高責任者がそうした店に出入りし、小遣いを渡すことは到底考えられない」とコメント。読売報道と官房長官発言で前川証言の価値が一時的に損なわれたと言えよう。

 だが、同店の関係者証言によって、売春や援助交際の事実が一切ないことが明らかになり、読売報道への批判が逆に高まった。すると読売は6月3日付の紙面に原口隆則・東京本社社会部長が署名入りで、報道への批判に対して異例の反論を掲載。「一般読者の感覚に照らしても、疑念を生じさせる不適切な行為であることは明らか」「次官在職中の不適切な行動についての報道は、公共の関心事であり、公益目的にもかなうもの」と論じたが、首相官邸からのひそかな情報提供を受けて、前川氏の信用失墜を図ったとの疑惑は払拭できなかった。

寄稿を受け止めた新聞通信調査会

 「メディア展望」に初めて寄稿した江畑氏に連絡を取ってみた。小田氏の記事に珍しく腹が立ち、知人に話したら、自分の独りよがりでないことが分かり、執筆を思い立ったそうだ、同誌の倉沢章夫編集長(時事通信出身)は私の後任者だが、江畑氏との間に面識はない。倉沢氏が編集後記で「メディア人の在り方まで考えさせる、読み応えのある内容(略)編集をしていて、こうした寄稿があると本当に助かります」と書いている。寄稿をしっかり受け止めてくれた新聞通信調査会にも敬意を表したい。