「未曾有の災害に直面して国民が覚える不安感は、直面するリスクに関する正確な情 報が、必ずしも的確に伝達されていないことに起因することが少なくありません。たとえ深刻 な情報であっても——むしろ深刻な情報であればあるほど——正確に国民に伝えられるべきもので す。そうであればこそ、事態の深刻さを冷静に踏まえた適切な行動を求める呼びかけは、人々を動かす力となるものだと思います」
率直で基本的な学術会議の提言
これは、2011年3月18日、日本学術会議幹事会が、「東北・関東大震災とその後の原子力発電所事故について」と題して発表した声明の一部である。「放射性物質の漏出問題はその適例であります」と続く声明は、巨大地震によって原発の冷却装置が破壊され、原子炉が暴走し、メルトダウンが起きてきている状況の下で、パニックになり、またそれを恐れて情報統制をしようとする事故当事者に投げかけた率直で、最も基本的な提言の1項目だった。
情報開示が感染拡大を止める
いま、新型コロナウイルスの感染が全国に広がり、その感染ルートも明らかにならない状況の下で、政府と関係者に求められるのは、この「情報開示」そのものであることをまず確認したい。これまでのことで言えば、「情報を隠してはいない。本当にわからなかったのだ」「わかってもどうしようもない。対応は同じだ」ということかもしれない。
しかし、特別機派遣、指定感染症の指定、クルーズ船の留め置き、下船方法などの方策を見ると、こうした事態に、どういう方法で、なぜ、そうするのかについての情報開示は不十分で、次々と「失敗」による感染拡大が進んでいるように思えてならない
根拠なき「政治的判断」
安倍首相は、その後、2月26日には大規模イベントの自粛、27日には小、中、高校の一斉休校を呼びかけ、続いて4日にはリレー方式での党首会談で新型コロナウイルス対策で新法を呼びかけ、5日には中国と韓国を対象に入国者を2週間隔離する方針を示すなど、強引な対策を打ち出した。しかし、これらの判断は、科学的根拠は示されない、単なる「私の政治判断」。担当の省庁や官邸の側近も直前まで知らされない形での「独裁的決定」だった。
決定や要請は、法的に認められることなら、あり得ることだが、その場合には担当の役所で、事実に基づき検討をした上で行われる。決定の理由がわからず、根拠になった事実が明らかにされないことなど、およそ民主的ではないしあり得ない。
改めて事実と科学に基づく民主的な政治を
コロナウイルスについては「お湯を飲むと予防できる」から「アオサが効く」、あるいは「実は某国の兵器」まで、根拠が怪しい噂が流れ、マスクは当然としても、これまた根拠がないのにトイレットペーパー買い占めが起きるなどの問題が起きた。社会的な不安な中で、「事実」から離れたフェイク、ウソ情報が世の中を惑わせる。そして政府の間違った政策も、不安を煽る。
「やっている感」を示したい首相が、いろいろなパフォーマンスを示すのをストップせよと言っても無理なのかもしれない。しかし、どんな行動も、事実が正しく伝えられ、それが広く共有され、ルールに沿って、決めるべき場所で検討され、その方法をとることが最良だと話し合われるなら、それ以上のものはないだろう。しかし、昨今のように、根拠になった「事実」も、その判断の基になった「事情」や「科学的根拠」も明らかにされないまま、「政治的判断」と称して勝手に行われるなら、それは民主主義ではないだろう。
全医療機関で希望者全員の検査を
これまでのところ、試薬や機器、体制に問題があったにしても、自分の体調がよくなく医師を訪ね、医師も含め「検査を」という人に対して、「基準に合わない」と検査を断ったケースが続出したのは、やはり問題である。報道によれば、民間にはかなりの数の簡易キットも試薬もあり、一定の検査はできたはずだ、ともいう。感染が全国に広がり、その感染源も明らかにならない事態になってきた今、必要なのは早急に全国の全医療機関を対象に、あくまで全国民的レベルで、防疫と検診を進めていくことを考えることだろう。