衆議院は14日解散された。衆院選が19日公示、31日投開票のスケジュールで実施される。野党は、立憲民主党と共産党を中心とした「野党共闘」を図り、10年近い安倍・菅政権への国民の審判を仰ぎ、岸田政権と対決する。一方、れいわ新選組の山本太郎代表の東京8区出馬をめぐるトラブルで、山本氏の支持者の間からは「これで東京8区は(同区に出馬する)石原伸晃に決定だ。立憲のせいだ」などと、この間、地元で運動してきた立憲の候補予定者や市民活動家への攻撃が目立っている。
その背景にあるのは「有名人でなければ勝てない」との思い込みではないだろうか。8月に行われた横浜市長選挙でも立憲が推薦し、共産党や社民党などがこぞって支持した無名の山中竹春氏では勝てないので、「著明な」田中康夫氏に切り替えろという横浜市民以外の「ネット民」の声が相次いだ。
しかし、結果は山中氏の圧勝だった。「リベンジ」を最大の理由に掲げた山本太郎氏を立候補断念に追い込んだのは、選挙区の市民の声だった。「有名人」選挙は長い間続いてきたが、市民との距離はどうだったのか。横浜市長選挙の総括から考えてみたい。(本稿は、日本ジャーナリスト会議神奈川県支部の求めに応じて、『JCJ神奈川』9月25日号に掲載した記事の転載です)。
菅義偉前首相にとどめを刺した選挙結果
菅義偉首相は9月3日、「個利個略」とまで陰口をたたかれながらも執念を燃やしていた総裁選に臨まないと表明した。臨時国会で次の首相が指名され、菅氏は表舞台から降りる。安倍・菅一強といわれた現在までの自公の政治を支えた菅義偉首相にとどめを刺したことに横浜市長選挙の最大の意義があるのではないか。
国政レベルだけの話ではない。横浜市では、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)だけでなく、至るところに「スガ支配」と噂される利権構造がはびこってきたが、菅氏の退陣で「スガの天領」とすら揶揄されてきた横浜市政が生まれ変わる可能性が出てきた。「ガラスの団結」が成功した横浜方式
「ガラスの団結」が成功した横浜方式
2019年8月22日、林文子前市長がそれまでの「白紙」から一転して、山下ふ頭へのIR誘致を表明して以来、カジノは横浜市の大きな問題になっていた。市長表明を受けて生まれた「カジノの是非を決める横浜市民の会」が昨年集めた住民投票条例案請求の署名は約20万筆に及んだが、今年1月の臨時市議会で自民、公明両会派の反対多数で否決された。その時から、「カジノに反対する市長を選ぼう」が、集まった市民の合い言葉になった。その後、紆余曲折を経て、立憲民主党が推薦する山中竹春・前横浜市立大学医学部教授を共産党や社民党などが支持・支援し、最後に連合神奈川が「推薦」という、市民や労組が一緒になって応援する「横浜方式」の共闘態勢で選挙戦に臨むことになった。これは、メディア評論家らから「ガラスの団結」と批判されたが、結果的に最もうまく機能した。
一方、菅氏にとっても「絶対に負けられない」市長選挙だったが、最終的に立候補したのは身内の小此木八郎国家公安委員長だった。小此木氏はなおかつ、これまでの自民党の方針を覆して「横浜でのカジノIRを断念する」と表明した。小此木氏の立候補表明は自民党市連を分断させ、自主投票となったことから、自民党にとっては推薦もできない選挙戦になってしまったことは、菅氏にとって大きな誤算だっただろう。
功を奏した勝手連の「どぶ板選挙」
山中氏を担いだ選挙戦の特色を一言で表すなら、勝手連による「どぶ板(型)選挙」だった。8人も乱立した立候補者の中で、山中氏は知名度(いわゆる「三バン」の中の看板)が最も低い候補の一人だった。相手をするのは現職の大臣や、過去の政治履歴やタレント性を誇示する候補者たちだったが、それを覆したのは多くの市民による自発的な政策チラシの戸別配布であり、18ある行政区の区民の会や、各市民団体が8月8日の告示前までに数十万枚ものチラシを配付した。また山中氏も立候補表明後、連日のように街頭に立って演説し、知名度を高めていった。
「山中選挙」のもう一つ大きな特徴は、「コロナとカジノから横浜を守る」としてコロナで対決軸を鮮明にしたことだ。小此木氏が横浜カジノを「取りやめ」と表明したことで「争点がぼけた」と無風化を予想する評論家が多かったが、コロナ感染の爆発、緊急事態宣言の継続という状況下で、有権者の共感を得ることができた点が、「スガ支配」下の横浜で、小此木候補に大差を付け勝利した要因の一つとみている。
「どぶ板選挙」はかつて自民党や公明党が得意とするものだった。公職選挙法改正で戸別訪問が禁止されているが、政策チラシの戸別配布という地を這うアナログ的手法は有効であり、野党と市民が一体になって闘えば、新聞・テレビ各社の世論調査に表れてくる数字とは異なった結果が生まれることを示したのも、横浜市長選挙の教訓といえそうだ。