「入管法改正」「ウィシュマさんの死」から入管法を考える 悲劇を二度と繰り返さないためにも人権無視の改正案はNO 国際基準に合わせた抜本的見直しが必要だ

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 「大好きな日本の子どもたちに英語を教えたい」という強い夢を抱いて、日本語留学生としてあこがれの日本にやってきたスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさん=当時(33)=が2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局で収容中に亡くなってから2年2カ月がたった。「憲法記念日」の5月3日、NHK総合テレビで「事件の涙 姉 ウィシュマをたどって~名古屋入管収容女性の死から2年~」が放送された。午後9時半からわずか30分という放送時間には不満は残るものの、ウィシュマさんが書いた男性からのDVに脅えるローマ字のメモやスリランカの言葉で書かれた日記が公にされるなど見応えがある内容となっていた。放送の時間帯からいっても、連休中の視聴者にこの問題をクローズアップさせ、「ウィシュマさんの悲劇」を繰り返さないためには、どうしたらいいのかを改めて考えさせられる番組だった。

 5月9日、非正規滞在(不法滞在)の外国人収容を厳格化する入管難民法改正案は衆院本会議で自民、公明、日本維新の会、国民民主各党などの賛成多数で可決した。立憲民主、共産、れいわ新選組などは同日、難民保護を目的とする対案を参院に共同提出した。参院での論戦を経て、政府は今国会中の成立をもくろむ。

 改正案は、非正規滞在などで、強制退去を命じられても本国送還を拒む外国人の長期収容の解消が狙いだ。出入国在留管理庁はこれらの外国人を「送還忌避者」と呼ぶ。昨年末で4233人、大半は入管施設での収容を一時的に解く「仮放免」の状態で、18歳未満の子どもは約200人いる。難民の支援者らは「送還を拒んでいるのは、母国で迫害される恐れのある難民や、日本に家族のいる人たちだ。送還されれば、命を失いかねない人たちもいる」と強く批判、市民の反対運動も盛り上がってきた。

 改正案は①難民申請回数が3回目以降の人は強制送還が可能になる②認定基準に満たなくても、難民に準じる人「準難民」を「補完的保護対象者」として在留を認める制度を新設=ウクライナ避難民(入管庁HP=4月16日現在で2413人を受け入れている)のようなケースを想定③従来の「仮放免」に加え、民間の監督者の元で暮らす「監理措置」の導入ーなどが柱。

 ウィシュマさんの悲劇は、結果として、今回とほぼ同じ内容の21年に提出された改正案を廃案に追い込むきっかけとなった。改正案の問題点の理解を深めるためにも、法案の閣議決定が3月7日だったのだから、NHKはもう少し、早い段階でこの番組の放送できなかったのか、との思いは残る。しかし、この番組に一定の影響力があったことも事実であり、それは評価したい。

国連機関からの要請を政府は無視し 「人権後進国」ぶりさらけ出す

 大事なことは、オーバーステイの外国人にも人権があり、日本も加盟する国連の難民条約は難民申請中の送還を禁じており、申請回数の制限もないことである。日本が過去5回(任期3年)理事国をつとめた国連人権理事会の特別報告者はこの4月、改正案について「国際人権基準に満たない」として、基準に合わせた抜本的見直しを求める共同書簡を日本政府に送った。書簡によると、入管施設の在り方について、「収容や釈放の決定に裁判所が関わっていない」と問題視し、収容期間に上限がないことも「拷問禁止条約に抵触する」としている。ところが、情けないことに、政府はこの書簡を受け入れるどころか、「一方的な公表に抗議する」と反発する始末だ。22年には、国連の「自由権規約委員会」が仮放免の外国人について、労働や生活保護受給を禁じていることに懸念を表明して「収入の手段を与えるべきだ」と要請。「子どもの権利委員会」も19年、仮放免の子が医療も十分に受けられない状況を問題視し、改善を求めた。

 国際条約が国内の法律よりも上位にあることは国際法上の常識である。LGBT問題などに続き、日本はまた「人権後進国」ぶりを世界にさらけ出した形だ。

 政府が2年前に廃案にしたはずの、改正案がなぜか、復活した。入管法違反で名古屋入管に収容されたウィシュマさんは難民認定申請者ではなかったが、「入管収容者の人権」というテーマは共通であり、NHKの番組は、入管問題を理解する上で、分かりやすい素材を提供してくれたのではないか。

「内なる差別」を告発するメッセージ

 亡くなる直前の名古屋入管でウィシュマさんがベッドで横たわるシーンから始まる。「ウィシュマさんはスリランカから来日した留学生だった。在留資格を失い、収容された名古屋の入管施設で求める医療を受けられずに亡くなった。来日し、国に賠償を求める裁判を求める2人の妹=ワヨミさん(30)とポールニマさん(28)=、外国人の収容の在り方を見直す議論が続く中、同じ悲劇を生みたくないと声をあげている」とのイントロが続く。このあと「そんな妹たちに投げかけられたのは社会からのさまざまな声でした」とテロップでさまざまな声が紹介される。

 「なぜ収容されたのか」「不法滞在にならなければよかった」「スリランカに帰れ」「日本のルールを守れ」ーなど、ヘイトスピーチとみまがうような心ない言葉がテロップに現れる。しかし、世の中には、ウィシュマさんの理不尽な死を悲しみ、共感するひとたちだけではない。ネットの書き込みなどを見ていると、このように考える人々も決して少なくないのではないか。実は、入管や理不尽な制度を続ける政府にも根っこにはこういう発想があるのではないかと考えている。1960年代に法務省高官が「外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由」と著書に書き、その後、国会でも問題となった。いまだにそういう排外主義的な「差別感」が心の中に残っている人がいる。この番組はそういう日本人の「内なる差別」を〃告発〃するメッセージだ。私はそうとらえている。

 ここで改めて、「ウィシュマさんの身に起きたこと」を遺族側に立って訴訟を担う指宿昭一弁護士の論考(月刊誌 Journalism2021年11月号の特集「入管」=「ウィシュマさんの代理人から見た報告書の欺瞞とメディアの責任」)や訴訟弁護団のまとめ、法務省の入管庁最終報告書などからその経緯をみておきたい。

【ウィシュマさんの身に起きたこと】

■入国から在留資格失うまで
17年6月 留学生として入国。日本語学校に通っていたが、18年6月、日本語学校から除籍。19年1月、在留資格失う。
■交番に出頭、逮捕、入管収容、帰国希望から在留希望へ 男性のDV
20年8月19日 ウィシュマさんは「日本に身寄りがない」と述べて交番に出頭。入管法違反で逮捕。同居のスリランカ人男性からのDVが理由だった。翌20日 名古屋入管に引き渡される。収容開始時点で、ウィシュマさんは帰国を希望していたが、10月に同居男性からの「スリランカに帰ったら、探し出して罰を与える」との手紙を受け取り、恐怖心から11月中旬に在留希望に転じた。
■第1回「仮放免」申請、体調悪化、尿検査が「飢餓状態」を示す
21年1月14日 第1回目「仮放免」(一時的に収容を停止し、一定の条件を付して、身柄の拘束を仮に解く制度)申請。18日 体調が悪化、吐き気や胃液の逆流など。28日、吐瀉物に血が混じる。31日、単独室に移動。2月3日ごろ、歩行が困難になって、車椅子の使用を開始。同月5日、外部病院で診察。カルテに「内服できないのであれば、点滴、入院」と記載されていた。同月15日、尿から飢餓状態を示す「ケトン体3」などを検出。
■仮放免不許可決定、自力で歩くこと不可能に
2月16日 仮放免申請の不許可決定が告知され、嘱託医師が精神科の受診を勧める。同月18日、庁内診察室の医師が精神科の受診を指示、自力で歩くことも、食べることも、トイレにいくこともできず、嘔吐を繰り返すようになる。同月22日 第2回仮放免申請。
■「仮放免すればよくなる」と精神科医
3月1日、カフェオレをうまく嚥下(えんげ)できず、鼻から噴出した様子を見て、看守が「鼻から牛乳や」と述べる。(この姿は監視カメラに映っていた)。3月4日、入管が外部の精神科を受診させ、薬を処方。入管はこのとき、「詐病の疑いがある」という趣旨の内容を精神科医に伝えていた。しかし、この精神科医は「仮放免すればよくなる」という意見を入管側に伝えていた。
■反応なくなり、死亡確認
3月5日 ぐったりした様子で体を動かすことがほとんどできなくなる。看守らの問いかけに対しても「あー」とか「うー」などの声を発した際、看守は「アロンアルファ?」と聞き返す(冗談か)。血圧や脈の測定ができない。そして、3月6日、ウィシュマさんは看守の問いかけに「あー」などと声を上げることだけしかできない。看守は「ねえ、薬きまっている?」と発言。午後1時頃からは反応がなくなった。午後2時15分ごろ、やっと、救急搬送を要請、自動体外式除細動器(AED)を装着し、心臓マッサージを実施。午後3時25分ごろ、搬送先の病院でウィシュマさんの死亡が確認された。

 亡くなる直前の監視カメラ映像を見ると、点滴を訴えるウィシュマさんの叫びに対して、冗談をいうなど、看守には、ウィシュマさんへの死への危機感や思いやりは感じられない。それだけに恐ろしい。そして、悲しい。これを入管庁報告書は看守など末端職員の責任に矮小化している。これは虐待である。その管理システムや入管法自体が人権無視の装置になっていないか。報告書には、このことへの言及は一切ない。当時の上川陽子法相、佐々木聖子入管庁長官(法務官僚)の責任は重いが、謝罪しただけだ。「人の命や保護よりも送還を重視するという基本原則が一番問題なのに、メディア向けに反省しているというポーズを示しているにすぎない」と指宿弁護士が前掲の論考で怒りを込めて糾弾していることにはうなずくばかりである。

「命まで奪われることなのか」「貧しい国の出身だからか」と妹たち

 指宿弁護士はウィシュマさんの死因は「餓死」としている。21年8月10日に入管庁が出した最終報告書には、20年8月の収容開始時のウィシュマさんの体重は84・9キロ、21年1月20日、72・0キロ、2月7日、69・5キロ、2月19日、65・5キロ、司法解剖時は63・4キロ。収容から死亡まで半年余り、この間、体重は21・5キロも減っていた。そして最終報告書は「病死と認められるものの、複数の要因が影響した可能性があり、各要因が死亡に及ぼした影響の有無や死亡に至った経緯の特定は困難である」と結論した。こんなに短期間にやせ細ったウィシュマさんの身体に、そばにいた入管職員は気にならなかったのだろうか。ナチスのユダヤ人迫害のような悪を「凡庸な悪」と表現したユダヤ人の哲学者、ハンナ・アーレントの言葉を思い起こす。

 NHKの「事件の涙」中でウィシュマさんの妹(画面ではワヨミさんに見えるが自信がない)は「私たちも姉が法律に反して滞在したことは罪だと分かっています。ただ、だからといって、命まで奪われることはないのではないでしょうか」と訴える。また、22年6月、名古屋地検が入管幹部ら13人を不起訴処分にした際にはポールニマさんは「こんな結論は私たちが貧しい国の出身だからか」と憤りをあらわにしている。肉親としては、当然の怒りだろう。

事実上、期間無制限の入管収容

 ではウィシュマさんは、なぜ入管の施設に収容されたのか。元入管職員で弁護士の渡邊祐樹氏によると、日本の入管制度では「全件(原則)収容主義」といって、在留資格がない外国人は原則、すべて収容することになっている。在留資格がない外国人は日本にいてはいけないので本国に返すのが原則。強制帰国させるため施設に収容して、逃亡を防いでいる(ブログCall4「日本の入管問題の今」)。収容期間は30日で、さらに30日の延長が可能だが、入管の入国審査官による審査後、理由ありとされれば、「退去強制令書(令書は命令の文書)」が出されて、これによる収容期間には上限がない。事実上、無期限に人を収容することができる。日本での難民専門の研究機関・難民研究フォーラムによると、各国の平均収容期間は2018年から20年で米国45・7日、カナダ13・9日、フランス16・8日、ドイツ24日に比べ日本は549・5日と桁外れに多い。司法審査もなく、行政機関の判断だけで、こんなことができるなんて、とても信じがたい。適正手続きを定めた憲法31条や裁判を受ける権利を定めた32条違反ではないのか。ウィシュマさんのように、入管収容中に死亡した事例は自殺も含め07年以降18人にも上る。

 今回の改正案では、前回21年の法案にもあった収容に変えて、支援者や親族ら「監理人」の監督の下で、施設外で暮らす「監理措置」の導入の骨格は維持された。政府側の説明によると、この「監理措置」に修正を加えた、という。それは、現行の「全件収容主義」を転換し、監理措置か収容かを個別の事案ごとに判断することを明確にする。判断に際しては、逃亡や証拠隠滅に加えて「収容で受ける不利益の程度」も考慮するという(1月12日、朝日新聞デジタル)。しかし、判断するのはあくまで入管当局である。「全件収容主義」のタテマエを変えた意味はあるものの、その運用には危うさが残る。

 また、入管収容者が難民認定を繰り返さざるを得ないのは、日本の難民設定基準が厳しすぎることが原因だと言われている。だから日本は「難民鎖国」と言われる。このため、日本の「難民認定率」は欧米各国に比べて著しく低い。21年でみると、難民と認定されたのは74人。認定率は0・7%。英国63・4%、カナダ62・1%、米国32・2%、ドイツ25・9%、フランス17・5%で桁が全く異なる。22年の認定は前年から128人増えて過去最多の202人、認定率2・0%となったが、これはアフガニスタン政権が崩壊したことが影響、アフガンの難民が約7割の147人を占めているのであまり参考にならない。軍事クーデターで国軍による市民への弾圧が続く22年のミャンマーの認定は26人だけで、不認定が1941人。22年までの41年間の申請者は9万1664人で認定者は1117人にとどまる(3月25日付朝日新聞など)。

「DV被害者」であることを放置

 このような入管体制の中で、他に犯罪を犯していないのに、警察に出頭して入管法違反で逮捕され、すぐに名古屋入管に収容され、それが死につながった。ウィシュマさんは、この番組の中の自筆のメモで「わたし長い時間殴るもらって、犬みたいで家の中で怖くて待っていました(原文はローマ字)」と書いている。入管庁報告書でも「DV被害者として取り扱うべきではなかったか」という項目で「A氏(ウィシュマさん)はB氏(同居相手)から過去に殴る蹴るの暴力を受けたと発言。B氏から『スリランカで探して罰をやる』との脅迫的内容の手紙を受け取った。DV保護法や措置要領にいうDV被害者の可能性がある外国人として聞き取りを行うべきだった。しかし、職員は措置要領を認識せず、事情聴取もしなかった」と認定している。入管のマニュアルである「措置要領」には(DVと判明したときは)①即日放免を含め仮放免する②必要に応じて、婦人相談所に保護協力を求めるーことなどが書かれている。

 つまり、ウィシュマさんからそういう訴えはあったが、職員が本気にせず、放置していたということだろう。それにもかかわらず「手続きを行っていたとしても、必ずしも、退去強制処分を見直したり、DV被害者として特別の取り扱いをしたりすべき事案とはいえない」と言い切っている。職員による職務怠慢がはっきりしているのに、きちんと事情聴取もしないでよくここまで言えるな、とあきれる。ここまで言い切るのは、上にまで責が及ぶことを恐れているからだろう。「身柄拘束」という強制力を持ちながら、その適正な執行ができない入管の〃無責任体質〃極まれりというところだろう。

 指宿弁護士は Journalismでの論考でこう指摘する。
「入管は、外国人の命も人権も考慮しない。入管法の目的は外国人の『管理』にあり、外国人の命と人権の尊重でも、難民の保護でも、多文化共生でもない。そして、この『管理』は外国人への恐怖と敵視を背景にしている。かつて、日本が植民地を放棄したときに、植民地出身者の意向を聞くこともなく、国籍を剥奪して『外国人』と位置づけ、徹底した管理の対象としたのが、戦後の入管体制の出発点である。入管の体質は、このときから何も変わっていない」。この指摘は特に朝鮮の人々への仕打ちとして現れた。

 そもそも、不作為によるとはいえ、すでに死者まで出ているのだから、当事者であり、場合によっては刑事事件の被疑者・被告になりうる法務省・入管庁がなぜウィシュマさん問題の調査をしたのか。本来は、捜査機関か第三者委員会を立ち上げて調べるべきだったのではないのか。無期限に外国人の身柄を拘束できる権限を持つ行政機関が出入国管理から難民認定までやること自体、権威主義国を除いて、先進諸国の国際標準から逸脱している。国連からの勧告もある。それも、難民申請中の外国人の強制送還を可能にする改正案は、どこからみても改悪案であり、人権無視だけでなく、国際的にも日本の恥となるものである。岸田政権には今からでも遅くない、この改正案を廃案にした上で①収容前の裁判所による「司法審査」の導入や収容期間の上限設定②難民認定手続きの公平性・中立性を担保するための独立した行政委員会の設置や審査ーなどを中心とした国際基準に合わせた入管法の抜本的改正こそがいま、求められている。このような国際的にも注目を集めている問題を国会の多数の力で強行してはならない。

                                        (了)