「ケ・セラ・セラ Whatever will be、will be…」。小学生のころラジオでよく聴いたドリス・デイの歌声を思い出した。5月15日に日本記者クラブで行われたアンドレアス・シュライヒャー経済協力開発機構(OECD)教育・スキル局長兼事務総長教育政策特別顧問の記者会見をのぞき、さらに「YouTube会見動画」で発言を何度か聞き直した後である。
OECDは2023年3月に「教育はテクノロジーとの競争に負けるのか? 人工知能(AI)の読解力・数的思考力の進歩」と題する報告書を公表している。世界各国国民(成人)の読解力と数的思考力を調べたこれまでのOECD成人力調査(PIAAC)結果とAIの進歩との関連を中心に、コンピュータが仕事と教育に及ぼす影響を評価した報告書だ。
「読解力と数的思考力を問うPIAACの問題に対し、どちらも大部分の人々より良い結果を出す可能性がある」。AIがすでにこうしたレベルに達しているという言葉にまず驚く。さらに「2026年には読解力と数的思考力の問題をすべて解けるようになる」との予測まで報告書に記されていると聞いて、もはや勝負は見えているかという気分になった。将棋や囲碁と違いあいまいさに満ちている言語の翻訳にはAIもてこずるはず。そう思っていたのはそんなに昔のことではない。
ところがどうか。考えてみると文字を翻訳するどころか音声を別言語の音声に翻訳する多言語音声翻訳システムが10年以上前に出来上がっている。多言語翻訳技術が飛躍的に進歩したのは目をむくような画期的技術が開発されたわけではない。「英文法や国文法で文章の意味を解析し、対訳辞書で相手側の言葉に直してやるという基本的手法による技術開発が行き詰まったため、とにかく大量の例文を集め、最も頻繁に使われている訳文を見つけ出すというデータ中心の考え方にパラダイムシフトしたのが決め手となった」。当時、情報通信研究機構多言語翻訳研究室長に聞いて、納得したことを思い出す。要はコンピュータのデータ処理能力が飛躍的に向上したためか、と。
とはいえ、シュライヒャー氏からはAIの進歩が想像をはるかに超えて急速であることを示す言葉が次々に出てきた。AIはいずれ必ずほとんどの大学入試問題を解けるようになる。機械ができるようなスキルを調べるだけになっている現在の大学入試と高校入試を、AIが代替できない人間の能力を評価し、能力の限界を広げるように変える必要がある。知識はAIが教えてくれるのだから、学生も科学者、哲学者、芸術家のような目で物事を見て、いろいろな領域に向かい合い、考える力を持つ人間に変わらなければならない…。
シュライヒャー氏は、初等中等教育についても抜本的な見直しを求めている。教師は教え生徒は教えられるという形ではなく、両者が一緒になって協創する学びの場に変えていかなければならない。そのために教師はデータサイエンティストになり自らの分析結果を教え方に活かすことが重要。そうしないと教師の魅力が薄れ、教師になりたい人が減ってしまう。外国に比べ優秀な人材が教師になっている日本も例外ではない、と。
教育現場はこうした要請に対応できるのだろうか。卒業した高校(茨城県立水戸第一高校)の同窓会本部からつい最近送られて会報に新任校長のインタビュー記事が載っている。香川県出身で茨城県とは特に関係がなかった元文部科学官僚だ。茨城県の県立高校長公募に応じた理由を「県下どこにいても都会に負けない中高一貫の教育が受けられるようにしようという理念に共感した」と語っている。当然「受験の年齢が下がることになる」と認めているが、最初に水戸市を訪れた時の印象が面白い。「水戸駅北口を出た時、予備校や塾が多いのにビックリした」
県立高校の多くを中高一貫あるいは付属中学併設校とし、さらに高校長の公募も、というのは経産官僚の経歴を持つ茨城県知事が主導した教育政策だ。ご本人は日立市の市立小学校を出た後、水戸市の茨城大学附属中学校に入学しているから、中学受験には何ら抵抗がないどころか、むしろその方がよいと考えているのだろう。
こうした身近な変化以外にも、シュライヒャー氏が示す近未来とは真逆の動きが進むのが日本の現況ではないか。教師の負担軽減のため運動部活動の指導を部外者に委ねる動きや、すでに教師志願者減で定員を満たせない学校が増えているといった。AIの進歩は常人の想像をはるかに超す。社会が早め早めに対応するなど無理。ケ・セラ・セラか。