新型コロナウイルス禍は収まる気配がない。世界中が似たような対策をとるような事態になっている。渡航制限や国境閉鎖のような強制的措置をとった時期が早いか遅いか。感染規模の大小がこのような単純な理由で説明されては、今後の教訓は得られまい。この際、日本の科学者コミュニティの役割を見つめ直してもよいのではないか、と筆者は考える。科学的根拠に基づく政策決定が求められているにもかかわらず、日本の科学者コミュニティは十分な役割を果たしていない、とかねてから疑問に思っているからだ。
行政府は科学者を大事にしているか
行政府に気に入られた学者だけが審議会や専門委員会の委員に取り込まれて政策決定に影響力を持つ。実際には限定的としか思われない影響力でしかないのに…。こうした日本の社会構造が気になりだしたのは、40年以上も前、記者生活を始めて10年以上たったころだ。取材対象だった原子力船開発や原子力発電の安全規制などに関わるいろいろな専門委員会が行政府に設けられていた。委員たちは科学技術庁や通産省(いずれも当時)が選ぶわけだが、委員たちに大した手当が支払われているとも思えない。なぜ大学の教授たちが研究や教育の時間を割いて官僚の下請けみたいな仕事を引き受けるのか。ある役所の課長にそうした疑問をぶつけたことがある。「研究生活送っているだけでは知りえない情報に接することができる。そんなメリットと満足感が得られるからでは」という答えだった。
あれからだいぶたつが、シンポジウムやテレビの報道番組で、行政府の要職や審議会の委員を務めている、あるいはその経験のある科学者たちの発言からしばしば感じることがある。パネルディスカッションや同じ番組に出ている他の研究者に対して抱いている優越感のようなものだ。「批判は大いに歓迎する。しかし、何より大事なことは今、何をやるかだ」。数カ月前にのぞいた科学技術政策をテーマにしたシンポジウムでも、政府の審議機関と公的研究機関の双方で枢要な立場にいる科学者からこのような言葉を聞いた。「研究だけしているあなたたちに私の苦労など理解できまい」という気持ちが言葉の端から透けて見える。科学者より官僚に仲間意識を持っているのでは、とすら感じさせるような発言もあった。昔、役所の課長から聞いた言葉は結構、的を射ているのでは、と思い返したものだ。
生かされていない10年前の教訓
3月10日、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」のメンバーである岡部信彦川崎市健康安全研究所長の記者会見が日本記者クラブで行われた。「爆発的な感染拡大に進んでなく、一定程度持ちこたえている」。3月14日の安倍晋三首相の記者会見をはじめ盛んに引用された記述が含まれていた見解を、同会議がまとめた翌日だ。岡部氏は、新型コロナウイルス感染症について縷々(るる)説明した最後に、10年前に自身がかかわったある報告書を紹介した。
岡部氏が紹介したのは、「新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議報告書」と題する文書。2009年4月にメキシコでの集団発生に端を発した「新型インフルエンザ(A/H1N1)」は、1年間で214カ国・地域に18,000人を超える死者を出し、日本国内だけでも約2,000万人が感染し、203 人が亡くなった。報告書は感染拡大が収まった2010年6月10日に公表され、国内でとられた対策を総括した上でさまざまな提言を盛り込んでいる。岡部氏はこの総括会議の委員を務めていた。
「あまり反省は生きていない。きわめて残念だ」という氏の言葉に驚いた。総括会議報告書が提言したにもかかわらず今に至るまで実行されていない、と氏が指摘したひとつは「意思決定システムの明確化」。政府対策本部、厚生労働省対策本部、新型インフルエンザ専門家会議といった政府の意思決定に関わる組織を整理するよう提言していたのに、今も変わらないということだ。
もう一つは「地域の状況に応じた対策の必要」。地方自治体が中心となる医療提供体制の確保や感染拡大防止などについて「地域の状況に応じて判断し、対策を推進」することを求めた提言だ。岡部氏が、例として挙げたのが、側近の意見を取り入れ安倍晋三首相が決めた措置と伝えられている「学校の一斉閉鎖」。岡部氏は、すでに感染拡大が見られる北海道と、感染者が全く出ていない沖縄の島とでは異なる対応がありうる、との考えを示したうえで、次のように語った。「何が適切な対応かを決める立場にある自治体は、感染症対応力を持っていないといけないが、それができる人材は自治体に育っていない」
日本学術会議の力量
「新型インフルエンザ(A/H1N1)対策総括会議」のメンバーを見ると、座長は宮内庁皇室医務主管なども務めた金澤一郎日本学術会議会長(当時、故人)。委員には岡部氏のほか、尾身茂自治医科大学教授(当時、現・地域医療機能推進機構理事長)など現在「新型コロナウイルス感染症専門家会議」のメンバーとなっている人たちも含まれている。座長の金澤一郎氏が会長を務めていた日本学術会議というのは、日本学術会議法により政府機関として1949年に設置された。「わが国の科学者の内外に対する代表機関」と同法に定められており、日本の科学者コミュニティを代表する組織とされている。
国際的にもそのようにみなされているのは、全米科学アカデミー、英王立協会、ドイツ国立科学アカデミー、フランス科学アカデミーなどとともにGサイエンス学術会議を構成していることでも明らかだ。G7(先進国7カ国首脳会議)が開催されるのに合わせて、いくつかの提言を盛り込んだ「Gサイエンス学術会議共同声明」を作成し、会議開催前に議長国首脳に提出している。しかし、日本学術会議の影響力は他のGサイエンス学術会議メンバーに比べると、はるかに見劣りする。金澤一郎氏が日本学術会議会長だった時にインタビューした際の発言から、日本学術会議の力のほどがうかがえるだろう。
「日本学術会議の年間予算は13億円。全米科学アカデミーと比べると二桁小さい。今さまざまな審議会が果たしている役割は、学術会議が引き受けるのが本来の姿だとは思うが、『すべて学術会議にやってほしい、そのための予算も付ける』と言われたら対応できない」
問題は予算の少なさだけではないことを、金澤氏は次のようにも言っていた。「会員数210人というのは、中途半端な数。会員2,000人の全米科学アカデミーと同じことをやるには少なくとも1,000人の会員が必要だ。会員のほかに連携会員が2,000人いるが、2,000人が本当に動けるようにならないと、政府からのすべての諮問や審議委託にはこたえることはできない」。会員、連携会員がすべて非常勤で、事務局にも専任の学者がいない現状では、金澤氏が認めることももっともといえる。
米科学アカデミーは博士スタッフ400人
では全米科学アカデミーなる機関の力のほどはどれほどか。できたのは、南北戦争最中の1863年。リンカーン大統領が署名した議会法によって設立されたが、日本学術会議とは異なり政府から独立した民間の非営利機関だ。故人を含む会員(終身)のうちでノーベル賞の受賞者が約500人いるというから、日本学術会議とは権威でもだいぶ差がある。東日本大震災が起きた2011年の11月に「東京電力福島原子力発電所事故への科学者の役割」というテーマのシンポジウムを東京都内で開かれた。基調講演者として招かれた一人が、全米科学アカデミーで原子力放射線研究委員会運営責任者を務めるケビン・クロウリー氏。クロウリー氏は、地質学が専門の博士号を持つ科学者だが、全米科学アカデミーの専門スタッフで、会員ではない。全米科学アカデミーにはクロウリー氏のような博士号を持つ専門スタッフが約400人いる。
非営利の民間機関が、なぜ400人もの博士号を持つ専任スタッフを抱えられるのか。1年に200~300もの報告を出しており、この85%が政府からの要請に応じたもの。調査費用から専任スタッフの人件費を賄える資金が調査委託費として毎年入ってくる。一方、調査研究に政府は全く口出ししない。金だけ出して口は出さない関係が定着している。調査研究には全米科学アカデミーの会員をはじめとする年間6,000人以上のトップレベルの科学者、技術者、医師が参加している。これらの科学者たちに報酬は支払われないのは、日本学術会議と同じ。違うのは、米政府、米議会さらに市民からの評価だ。全米科学アカデミーが信頼される助言提供者とみなされているのは、まず独立の機関であり、さらに中立であるから、とクロウリー氏は語っていた。全米科学アカデミーの調査研究に参加することは名誉であり、公への奉仕だ、と科学者たちは考えている、という。
「新型コロナウイルス感染症」では、当初、米国政府の関心は薄かったが、途中から急に海外渡航の禁止など対策強化が図られた。米政府は2月28日、全米科学アカデミーと全米工学アカデミー、全米医学アカデミーの3機関から成るNational Academiesに対して、「新型コロナウイルス感染症」を含む21世紀の健康脅威に関する重要な科学・政策情報を政府に提供する委員会の設置を要請した。すでに感染症、公衆衛生、臨床医学、リスクコミュニケーションなどの専門家15人から成る委員会が発足し、活動を始めている。委員会が扱う情報には医療、公衆衛生に関する対策だけでなく誤った情報に対処するための戦略の検討なども含まれている。政府から独立した科学者コミュニティに委員会の設置と政府への情報提供・助言を委ねる米国と、政府の中に自分たちが選んだ科学者からなる専門家会議を設けて議論させる日本との違いは、ここでも明らかだ。
2008年以降、政府からの諮問ゼロ
科学者コミュニティの力量、政府との関係にみられる日米の大きな違いについて、日本の科学者たちはどう考えているのだろうか。日本学術会議は、金澤一郎会長の前任者である黒川清会長就任時の2003年に大きな改革を行っている。会員は任期3年で3期続けて務められていたのを任期3年で2期までとし、さらに70歳という定年制も取り入れた。選出法も学協会から推薦してもらう方法から、日本学術会議の会員が新会員候補を推薦する方法に変えた。これによって会員の若返りが図られ、活動も活発になり、行政府からの諮問や審議依頼が増えた、というのが金澤一郎会長(当時)の主張だった。
日本学術会議の職務と権限について、日本学術会議法は、政府が科学関連予算や重要施策について日本学術会議に諮問することができ、「科学を行政に反映させる方策」などについて政府に勧告することができると定めている。諮問に対する答申と、勧告が日本学術会議の重要な職務と法律にも明記されているわけだ。ところが「諮問」自体がほとんどなく、「勧告」もまたほとんどない状態が長らく続いていた。黒川会長時代の2004年に農林水産相から「地球環境・人間生活にかかわる水産業及び漁村の多面的な機能の内容及び評価について」諮問があり、これに対する答申を行っている。金澤会長時代の2007年にも国土交通相から「地球規模の自然災害の変化に対応した災害軽減の在り方について」の諮問があり、答申が行われた。
さらに「勧告」も黒川会長時代に「大都市における地震災害時の安全の確保について」が、金澤会長時代に「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」が出され、それぞれ政府の対応を求めている。しかし、黒川、金澤両会長時代でも、諮問に対する答申や勧告の数はこの程度でしかない。2011年に金澤会長が退任してからは今に至るまで政府からの諮問は全くなく、勧告も出されていないというお寒い状態が続いている。政府からの要請は、諮問より格下の「審議依頼」に限られ、数も年に1,2回、年によってはゼロという少なさだ。結局、日本学術会議の政府や社会に向けての発信は、「声明」や「提言」という一方的な主張が大半となっている。
2011年3月に起きた津波による福島第一原子力発電所事故の際も、政府から日本学術会議に諮問や審議依頼が来ることはなかった。事故調査委員会が設置されたのも、国会と政府に、だった。ちなみに国会の「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」は、憲政史上初めて国会に設けられた調査委員会だ。調査委員会がそれまで設けられたことがないという事実自体、日本の立法府もまた、政府同様、科学者コミュニティを軽視していることを示している。
国会事故調査委員会の委員長に指名されたのは元日本学術会議会長の黒川清氏。日本学術会議の力を評価したというより、黒川氏個人の力を期待しての人選といえる。国会事故調査委員会報告書に盛られた提言の中には、その後の政策に生かされたものもある。原子力規制委員会の新設などだ。ただし調査報告書をまとめた5年後に、黒川氏は日本記者クラブでの記者会見で次のように語っている。
「事故後にできた原子力規制委員会は(府省から独立した)三条委員会で、委員は独立している。しかし、スタッフは各省などからの出向者だから親元を気にしており、独立して行動している人などいない。国会事故調の報告書では、新しい規制組織の一員として職務への責任感を持った人材を集めるために『ノーリターンルール』を例外なく適用することを提言した。しかし、実行されていない」
日本学術会議改革の動きなし
科学者コミュニティ側に、もっと政府の政策決定に影響力を持ちたいとする動きはないのだろうか。2015年3月に元日本学術会議会長の吉川弘之元東京大学総長らから成る「日本学術会議外部評価委員会」が、「日本学術会議第 22 期3年目 (2013 年 10 月~2014 年9月)の活動状況に関する評価」という報告書を当時の会長あてに出している。「政策決定者や社会の様々なアクターに役立つ提言を出すべきである」などいくつか注文を付けてはいるものの、抜本的な見直しが必要とは全く言っていない。吉川氏らがもっと出すようにと求めた「提言」というのも、答申や勧告ほどの重みがない、一方的に出す文書だから、政策決定者が真剣に受け止める保証は全くない。
全く同時期に内閣府の「日本学術会議の新たな展望を考える有識者会議」(座長:尾池和夫元京都大学総長)も、日本学術会議のあり方についての報告書を出している。「法律で独立性が担保され、政府に対して勧告を行う権限を有している今の状態を変える積極的な理由は見出しにくい」と、こちらもまた日本学術会議の現状に対し、危機意識も改革の意欲も読み取ることは困難だ。
行政府や立法府とは完全に独立した立場から、政策決定に積極的にかかわり、相応の責任も持つ、という強い意欲は今の日本の科学コミュニティにはなさそうだ。それで政府も困ることはないというのが日本の現実だろう。政策を決める際に科学的根拠らしいものが必要と思えば、各府省に属する審議会に議論してもらえば済むからだ。審議会委員は自分たちで決めるわけだから、扱いに困るような報告書が出てくる心配はまずない。こうした実態が定着してしまっているから、どんな報告書が出てくるか予想しにくい日本学術会議に大事な政策に関する諮問や審議依頼をすることはめったにない、ということではないか。
日本学術会議も他の主要先進国の科学アカデミーのように政府から完全に独立した機関になってはどうか。日本学術会議会長当時の黒川清氏に尋ねてみたことがある。答えは「日本学術会議が政府の機関だから会員をやってもよいという人間が大半」。日本学術会議が政府から独立した民間の非営利機関になったら、喜んで会員になる科学者が減るだけ、という意味だ。
黒川氏は、日本の科学者に対して日ごろから手厳しい評価を隠さない珍しい科学者といえる。答えの趣旨は、政府から完全に独立した機関の方がよいが、現実的に無理、ということだろう。氏のユニークな言葉に「四行教授」というのがある。「大学を出て同じ大学の助手、助教授、教授(そして定年)という履歴書の記述が4行程度で済んでしまう純粋培養の単線路線を歩んだ人」たちを揶揄した言葉だ。「四行教授」でも通用していたのは、日米安保体制、冷戦下で大量規格工業製品が外国に買ってもらえる時代だったから。グローバル化が進むこれからの時代にはもはや通用しない。今の若者は学部生の時期から外国に出て、広く世界を見て、日本の「強さ」をどう生かすかに加え、日本の「弱さ」を自覚することが必要…ということを黒川氏は10年前から言っている。東京大学医学部卒、東京大学医学部助手、米ペンシルベニア大学医学部助手、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部助教授、南カリフォルニア大学医学部准教授、UCLA医学部准教授、同教授、東京大学医学部助教授、同教授、東海大学医学部長…。4行などに到底収まらない経歴を持つ黒川氏のような日本の科学者はまだまだ少数ということだろう。
言い放しの「提言」
現在、日本学術会議会長の山極壽一京都大学総長は、就任した翌年2018年6月に、同会議の会員・ 連携会員向けのメッセージを発表した。この中で「同会議の役割、活動を理解してもらうよう情報発信力を飛躍的に高める」という決意を表明している。これは3 月に公表された「外部評価有識者」(座長:尾池和夫元京都大学総長)の報告書「日本学術会議第 23 期3年目の活動状況に関する評価」に対する会長の考えを明らかにするものとして出された。「提言等を発出した際の国民への浸透具合の確認や、各方面からの反応の分析等、フォローアップについてはまだ改善の余地がある」という「外部評価有識者」の報告書に盛り込まれた注文に対する会長としての答えだ。
日本学術会議は、提言や声明を発出した委員会などは、それらの発信が社会にどのような影響を及ぼしたかをとりまとめたインパクト・レポートを作成して報告することを会員に求めている。報告書「日本学術会議第 23 期3年目の活動状況に関する評価」の対象となった第23期(2014 年 10 月 1 日から 2017 年 9 月 31 日)の間に発信された提言、報告、声明の数は実に約120本もある。前述したように、日本学術会議のより重要な活動は、政府からの諮問に対する答申や政府に対する勧告だが、答申や勧告は一つもない。文部科学省科学技術・学術政策局長からの審議依頼に対する回答が一つある以外は、すべて一方的な発信ばかりだ。さらに問題は、約120本の提言、報告、声明のうち、インパクト・レポートが報告されているのは半数強にとどまること。半分近くが自分たちの発信がどのような影響を与えたかを調べて報告するという義務を怠っているのだ。発信しても言いっ放しに終わっているのがほとんどという日本学術会議の活動実態が、こうしたデータからも分かる。
「末は博士か大臣か」は死語?
「末は博士か大臣か」という映画(1963年公開)がある。もともと誰が言い出したかは分からないらしいが、公開当時は、博士号を持つ人を多くの日本人は立派だとみなしていたということだ。今はどうだろう。修士課程から博士課程への進学者が減り、大学には危機感が高まっている。博士課程の大学院生を職業人とみなし報酬が支払われているフランスやドイツと違い、逆に学費を払い続けなければならない境遇にあるのが日本の博士課程大学院生。立法府、行政府、司法府も科学者を重用せず、業務遂行に科学者の意見を重要視していない。博士号を取得して職についても特に優遇されるわけでもいない、となれば、博士課程進学希望者が減るのは当然だろう。
そもそも「末は博士か大臣か」という評価は庶民だけであって、政策決定にかかわる政治家や官僚には、博士号を持つ人たちを尊敬するという気持ちは昔から希薄というのが実態かもしれない。しかし、行政府や立法府の政策決定や司法府の活動はより科学的根拠に基づくものであるべきで、科学者コミュニティは政策決定にもっと大きな役割を果たしてほしい。そう願う国民は多いと思う。科学者コミュニティが、まず率先して行動を起こさないで、だれが今の状況を変えることができるだろうか。