「メルケル演説を読んで」制限は命を救うため 「移動の自由は権利」と強調 安倍会見と対照的

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  当ブログ(watchdog21.com、3月27日)に転載された、メルケル独首相のテレビ演説全文(ドイツ語翻訳家・林美佳子さん仮訳)を読んだ。最も印象に残ったのは、メルケル首相が、新型コロナウイルス感染症対策として打ち出した制限政策について、「移動の自由」は「苦労して勝ち取ってきた権利」とした上で、その制限は「絶対に必要な場合のみ正当化され」「今、命を救うために不可欠なのです」と述べている点だ。

苦労して勝ち取った権利

 入国や市民生活の制限が、欧州統合の歴史、テロや難民問題などの現状を踏まえてのギリギリの選択だったことを演説は示している。感染拡大防止を至上命令とし、危機意識をあおって自粛を求める、といった日本の政治家の一本調子の姿勢との違いが際立つ。

 メルケル演説から、制限と「移動の自由」に関する部分を拾うとー。

  「今でもすでに制限が劇的であることは承知しています。イベント、見本市、コンサートは中止、とりあえず学校も大学も保育所も閉鎖され、遊び場でのお遊びも禁止です。

 連邦政府と各州が合意した閉鎖措置が、私たちの生活に、そして民主主義的な自己認識にどれだけ厳しく介入するか、私は承知しています。わが連邦共和国ではこうした制限はいまだかつてありませんでした。

 私は保証します。旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです」

 一方、新型コロナと国民の権利に関して、安倍晋三首相の見解を記者会見(3月14日、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法施行日)で見ると、「様々な私権を制限することとなる緊急事態の判断に当たっては、専門家の御意見も伺いながら、慎重な判断を行っていく考えであります」(首相官邸ホームページ)とある。法案審議の段階で、緊急事態を宣言すれば、都道府県知事は学校や興行施設の使用を制限し、催し物の中止を指示することができ、医療施設を開設するため所有者の同意を得ずに土地・建物を使用することも可能な点が、私権制限になると指摘されたことに関しては触れず、私権制限は当然の前提として、実施するに当たっての手続きについて述べる形になっている。国民の権利として財産権を明記した日本国憲法29条「財産権は、これを侵してはならない」)には言及していない。

 メルケル演説を何回も熟読した後、「移動の自由」が欧州連合(EU)の主要な基本理念であることをEUの略史で学び、日本史では、織田信長の「関所の廃止」(信長公記)を史料集で読んだ。幕藩体制、明治以降、戦時下、戦後の変遷、そして日本国憲法22条「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」の原理と現状については今後、調べる課題とした。

医療関係者、スーパーのレジ係に感謝の言葉

 メルケル演説は一人一人の国民に声をかけるような口調になっている。急増する感染者について「統計の抽象的な数字だけの話ではありません。お父さんであり、おじいさんであり、お母さんであり、おばあさんであり、パートナーであり、要するに生きた人たちの話です。そして私たちは、どの命もどの人も重要とする共同体です」とし、医療施設で働いている人へは、次のように感謝の言葉を述べている。

  「私は、この機会にまず、医師としてまたは介護サービスやその他の機能でわが国の病院を始めとする医療施設で働いている方すべてに言葉を贈りたいと思います。あなた方は私たちのためにこの戦いの最前線に立っています。あなた方は最初に病人を、そして、感染の経過が場合によってどれだけ重篤なものかを目の当たりにしています。そして毎日改めて仕事に向かい、人のために尽くしています。あなた方の仕事は偉大です。そのことに私は心から感謝します」

 感謝の言葉は、食料品などを日々供給しているスーパーマーケットで働く人たちにも向けられる。

  「ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同胞のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます」

 一方、前述の安倍会見では、「この2週間余り、感染拡大を防止するため、現場で、学校で、職場で、そして地域で、大変な御協力を頂いた全ての国民の皆様に心より感謝申し上げます」と抽象的な表現になっている。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の検疫終了に触れ、「医療関係者をはじめ、1カ月半の長きにわたり過酷な現場で全力を尽くしてくださった全ての皆様に心から敬意を表する」と話しているが、各地の医療関係者らへの感謝の言葉はなく、レジ係の人たちは登場しない。

全文を読んで考える

 メルケル氏は就任から14年余。テレビ演説は大晦日以外では初めてという異例の演説で、「第二次世界大戦以来の最大の試練」(毎日新聞)と報じられているが、上記の部分の報道は見当たらない。当ブログへの翻訳全文掲載は、演説(18日)から10日近くも経っていて、執筆者の文章は序だけなため、「翻訳の転載か」というのが第一印象だったが、読後には「全文を読む、そして考える」ことの大切さを実感した。

 ブログ転載を新聞と比較し、以下の2点を確認した。

 1点目。新聞は、記録性を特長の一つとするが、本紙では演説のポイントと要旨を掲載し、全文は本紙ではカットし「全文はウエブ版で」と注を付けて、有料のウエブ版に誘導する形が最近の傾向となっている。日本の首相の施政方針演説はいまだに全文掲載が慣例のようになっているが、「全文はウェブ版で」という処理でいいのではないか。逆に、国民生活に影響する重要な資料は、無理をしてでも紙面に掲載するという度量が新聞編集者にはほしいものだ。ネットの場合は、分量に関係なく掲載できる点が魅力で、今回、それが発揮された。

 2点目は、ブログの場合、素材の新鮮さに大きな価値を置くメディアとは違って、今回のように演説から日が経っていても、「重要なものは重要」と掲載することができる。メルケル演説の翻訳全文を転載・紹介した筆者・坂井定雄さんは、共同通信の社会部、科学部、外信部、ベイルート支局、ジュネーブ支局などで記者活動を続け、そこで培った国際感覚に基づいて、この演説を広く伝えることに価値あり、とした。その発想には脱帽だ。

メルケル氏は国民に呼びかけた

 最後に、上記の演説と記者会見の印象が対照的に感じられるのは、発表に臨む姿勢、政策を表明するスタンスの違いが一因ではないか、と推測した。

  メルケル演説は、「親愛なる国民の皆様」という呼びかけで始まっている。この言葉について、林美佳子さんが翻訳末尾に説明をしている。

 「Liebe Mitburger, liebe Mitburgerinnenという呼びかけは、字義通りには『親愛なる男性の共に暮らす市民、親愛なる女性の共に暮らす市民』」を意味しますが、それを自然な日本語に表現することは難しく、『親愛なる市民の皆さま』が近いとはいえ、一国の首相が『市民』に呼び掛けるのは日本人にはやはり奇異に響くのではないかと思い、『国民の皆様』を訳語として選択しました。日本語としての『普通さ』を優先させた結果です」

 ドイツ政府の英文訳は、「Fellow citizens」で始まっている。いずれにしろ、「国民」「市民」の一人一人に協力を呼びかけている。

 一方、安倍首相の新型コロナ関係の記者会見は3回だが、冒頭は「新型コロナウイルスが世界全体に広がりつつあります」(2月29日)、「新型コロナウイルス感染症に関する特別措置法の改正案が昨日、成立いたしました」(3月14日)、「新型コロナウイルス感染症が世界で猛威を振るっています」(3月28日)で、いずれも、呼びかけもあいさつも抜きで始めている。

  記者会見は文字通り、記者を前に話をすることだが、テレビ中継、特にNHKの実況中継(大相撲の場所中は取り組み終了直後)を想定して設定しているわけだから、画面を見ている視聴者が相手だと意識すれば、「こんばんは」ぐらいはあってしかるべきだろう。さらに、目前の記者たちは「国民の知る権利」を代行する人たちだ、というジャーナリズム論のイロハを首相が認識していれば、記者の背後にいる読者・視聴者に向けて呼びかける形に自然になるはずだが、そうはなっていない。

 NHKの世論調査の内閣支持率(3月9日放送)で、支持しない理由は「人柄が信頼できないから」がトップで39%、次の「政策に期待が持てないから」30%を超えている。記者会見の印象がこうした数字に反映している、と推定する。

 *出典

メルケル演説=ネット上の林美佳子さんの仮訳

安倍首相記者会見=官邸ホームページ