安倍晋三首相は3月28日、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて3回目の記者会見を行った。1回目の2月29日には、2日前に感染防止のために打ち出した小中高などの全国一斉の臨時休校要請について会見したが、一斉休校について明確な判断根拠を示さなかった。その上で、フリージャーナリストの江川紹子さんらが手を上げているのに、自分の一方的な説明を含めて36分で打ち切った。2回目の3月14日には、司会の長谷川栄一・内閣広報官が途中で会見を終えようとしたが「これで会見といえますか」と記者から抗議を受け、再開したものの、結局、首相の説明を入れて52分だった。
そして今回が3回目。28日には、特別措置法に基づいて政府対策本部が 「基本的対処方針」を決定、緊急事態を宣言することができる状態の中で、 「宣言をいつ出すのか」との非常に重要な質問に首相は「今の状態では、緊急事態宣言を出す状態ではないが、ギリギリ持ちこたえている」などと答え、 「生活困難世帯に現金を給付する」とアピールした。額が示されないなど、具体性の乏しい会見内容だった。今回は江川さんや幹事社を含め計10人が質問、挙手する記者はまだ残っていたが、54分で会見は打ち切られた。(朝日新聞29日付朝刊)。
1、2回目は会見後、首相は直接に帰宅、これにもメディアから批判が出たため、今回は、午後7時すぎから首相が出席する政府の対策本部を開いた。長時間の記者会見を避けているようにも見える。対策本部の後に、会見をやってもよかったのではないか、と見るのは意地悪が過ぎるか。会見は午後7時のNHKニュースを意識してなのだろう、いつも、午後6時から。NHKはまるで、官邸と打ち合わせたかのように、記者の質問途中にもかかわらず、3回とも午後6時40分ごろに、中継をやめて、首相のお気に入りと言われる岩田明子記者の首相に寄り添った解説が続いた。私などは岩田記者の解説はいらないかから、NHKには、会見が終わるまで中継してほしかった、と突っ込みを入れたくなる。3回の記者会見を中継で見た(もっとも、終わりの部分は見られな かったが)が、いずれも記者側の突っ込んだ質問はあまりなかったように感じ た。
自分の嫌なテーマはのらりくらりかわす
新型コロナウイルスについての首相の3回の記者会見。そこで見えてきたものは、3回目ではじめに幹事社の東京新聞記者が「森友学園問題で命を絶った近畿財務局職員の手記が公表された。遺族が求める第三者委員会を設置 し、再調査するつもりはないか」と代表質問した。これに対して、首相は、誠意のあまり感じられないお悔やみの後に、「財務省において事実を徹底的に調査し、捜査当局による捜査も行われた。国民に説明責任は果たさなければならない」と述べただけで、再調査するかどうかは明らかにしなかった。このこのことに象徴されるように、首相は、自分に都合の悪いことには正面から決して答えようとしない。
このところの国会論議でも、森友問題など自分にとってあまり触れてほしくない嫌なテー マについては、時には顔色を変え、野党の追及を、のらりくらりとかわしたり、「ご飯論法」と呼ばれる問題のすり替えがよく行われる。新型コロナウイルスの問題でも、記者会見では、一方的に官邸官僚の作った文章をプロンプタ ーを見ながら、身振り手振りを交えて巧みに読み上げるだけである。そして、 唐突に「小中高の全国一斉休校」などの政策を少数の側近だけで決めてぶち上げる。
東京五輪の延期についても、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長とのテレビ会談を首相が主導して実施し、〃やってる感〃を国民に見せつけた。東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が事前の会談で「延長は2年ぐらい間を置かなくても大丈夫か」と忠告したとの報道もあるが、安倍首相は、来年9月の自分の総裁任期中までにどうしても五輪をやろことにこだわりがあるのだろう。28日の記者会見でも「遅くとも来年の夏まで」と1年以内を再び強調している。私には、や っていることのかなりの部分が〃自分ファースト〃に見えてしまう。
無責任さに満ちた対応
おそらく、現在、感染源が追跡できない新型コロナウイルスの感染者が拡大 しており、そんなに遠くない時期に唐突に「緊急事態宣言」が出されるのだろう。「緊急事態宣言」は憲法で保障された「移動の自由」など私権を制限する劇薬だ。しかし、イタリア、スペインのように、新型コロナにより、感染爆発が起きて感染者や死者が拡大すれば、治療薬やワクチンもまだないのだから、人と人との距離を離すという意味で、その適用は「安心・安全」と「自由」を比較考量した上で、人命救助のためにはやむを得ない措置なのだろう。 それでも、私は宣言をめぐっては、事後でも仕方がないが、「国会による承認」は必要だと考えるのだが。
しかし、これも仕方がないことなのだろうし、ないものねだりは分かっている。国のトップがあまり信頼できない場合、宣言をその人物に任せることは、 個人的にはかなりつらいことである。私に「は3回の記者会見で見せた首相の言葉には、一つも心に響くものはなかった。直近の共同通信の安倍内閣の世論調査結果を見ても、内閣支持率こそ、45・5%と高水準を維持しているものの、 支持のうち、「首相を信頼する」は、12・9%にすぎず、「ほかに適当な人がいない」が46・9%に達している。一方で、「支持しない」と答えた人38・8%のうち、「首相が信頼できない」は42・3%もある。この結果を見ても、安倍首相に好感を持つ熱心な支持者はいるのだろうが、全国民から「信頼性」を持たれているとはいえない。
このところの、首相主催の「桜を見る会」の疑惑、森友手記、東京高検検事長定年問題、前法相夫妻の公職選挙法違反など首相のどの一つの対応を見ても、「説明責任」を口に しながら少しも説明しない「無責任さ」で満ちている。そして、時折、国会で の野党対応で見せる、丁寧とはとてもいえない「傲慢さ」にあきれる。
心打つメルケル首相の演説
ドイツのメルケル首相が3月18日に出した「コロナウイルス対策について」と題する重要演説全文(林美佳子氏翻訳)を坂井定雄氏が「ウオッチドッグ21」で紹介した。坂井氏はこの演説で、「その中で首相は、自らと連邦政府を何が導いているか、民主主義に必要な政治的決断を透明にし、行動の根拠 をできる限り説明して国民の理解を得るようにすると表明した。国家にとって この重大な危機に、国家が何をすべきか、民主的な社会と国民が何をすべきかを、明確に示した」と書いている。私はメルケル氏の言葉に心を打たれた。ぜひ、全文を通して読んでいただきたい。国家的危機に際して、慈愛に満ち、責任感に強く裏付けされた演説全文を通読すると、もしも、メルケル氏のような 言葉がわれわれに投げかけられたならば、国民はどれだけ安心するだろうか。
緊急事態の下における国のトップリーダーの在り方。それはまず、前提とし て国民を尊敬することから始まる。決してごまかしのない、丁寧で透明性のある、相手を納得させずにはおかない説明力のある言葉をきちんと持った政治家にこそ、危機や強制力を持った権限を委ねることができるのだと思う。ただ、 必ずしもあまり信頼性のない政治家をトップに選んだのはわれわれ国民である。