1960年の日米安全保障条約に反対する安保闘争から60年。同年6月15日に全学連と警察隊の衝突で大学生の樺美智子さんが死亡し、国会周辺を大規模なデモが取り囲んだ。戦後75年を迎える日本は今、コロナ禍を転機に大きな曲がり角にある。60年代の日本は高度成長を遂げたが、その国家形態はいびつなままだ。55年後の2015年9月、安倍政権が強引に推し進めてきた、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法が参院で可決、成立し、「戦争のできる国」へと突き進んだ。国会前には多くの市民が集まり、「憲法違反、採決撤回」と怒りのコールが繰り返された。
ボクがニュースカメラマンになったきっかけは60年安保の時。1960年5月20日、安保条約は衆議院本会議で強行採決された。6月15日、全学連と警察隊の衝突で大学生の樺美智子さんが死亡し、国会周辺はデモの渦に囲まれた。6月19日には同条約は自然成立した。岸内閣は、同条約の批准書交換の日である23日に総辞職を表明した。
当時高校2年生だったボクは都立小松川高校新聞部の同級生に頼まれて初めてカメラを持って国会議事堂前にでかけた。その歴史的瞬間はいまでも脳裏に焼き付いている。
現在、新型コロナウイルスの感染が世界中に拡散、人類は見えない恐怖に右往左往している。安倍晋三首相は「緊急事態宣言」を発した際に、憲法への緊急事態条項の新設を国会の憲法審査会で議論するよう求めた。「宣言」と「条項」は大きく異なる。自粛や休業要請にとどまる宣言に対し、自民党草案によると、条項は政府に強大な権限を与える規定。国会を経由せずに法律と同等の命令を出せ、内閣に独裁権を与えるものだ。安倍政権は新型コロナに便乗し、9条改正への第一歩にしようとしているのだ。
9年前の東日本大震災も日本にとって未曽有の国難となった。大規模地震対策特別措置法は実質的には有事立法といえる。東海地震を想定してできたこの大震法は「大規模な地震による災害から国民の生命、身体及び財産を保護するため」だが、本部長は内閣総理大臣。総理が自衛隊に出動要請を行えば自衛隊は出動できるのだ。
まやかしの憲法解釈を駆使しながら、悲願の憲法改正を図る安倍首相にとってコロナ禍の緊急事態宣言は絶好の機会だったのだろう。まるで「火事場泥棒」的なやり方だ。コロナ感染の第二波がこの秋にも予測されるが、この際にも緊急事態条項を持ち出さないか、警戒しなければならない。
。