「黒人の命は大切」を掲げたデモを、軍事力を使って制圧しようとしたトランプ大統領とこれを拒否した軍部。両者の間に生じた亀裂は、予備役に退役軍人、家族を加えると200万人といわれるトランプ氏の固い票田にも大きな動揺を与えている。トランプ氏が4年前に一般投票では敗れながら予想を覆して当選を決めたのは、接戦となった中西部や南部の有力州の過半数を僅差で制し、大統領選挙人の多数を効果的に獲得したからだった。これらの州には軍関係者の票が多い。ここにトランプ離れが生じると、再選は困難になるだろう。
積み重なった「トランプ不信」
トランプ氏に軍現役と引退組が一体となって強く反対した理由として、トランプ氏が憲法で保障された言論・表現の自由に基づくデモ行動を制圧するために、政治目的に使ってはならない軍を投入しようとしたことがあげられている。これに加えて、軍内部にはトランプ氏に対する積もり積もった不満、怒りがあった。米国の主要メディアから、その主なものを挙げる。
中東への米軍派遣を前政権の権力乱用による失敗と攻撃して軍の任務・犠牲には無理解。軍に相談なく一方的な米軍撤収(シリアなど)。戦死将兵に対する非礼な言動もしばしば。ベトナム戦争で捕虜になり拷問に耐えて帰国、共和党上院の重鎮となった故マケイン氏を「捕虜」と呼ぶ蔑視発言。2018年中間選挙(議会・知事選など)に向けて強硬な移民政策誇示のために軍隊をメキシコ国境地帯に動員。国境閉鎖のための壁建造費に国防予算を転用。軍法会議の有罪判決をいくつも理由不明のまま破棄。乗員のコロナ感染防止に尽力した空母艦長を解雇、などなど。
トランプ支持見直しも
こうした「反トランプ」の思いは当然、家族も共有している。ニューヨーク・タイムズ、ワシントン・ポスト両紙によると、陸海空海兵の4軍に州兵を含む予備役、それに引退したベテランたちには、共和党支持者が多い。2016年大統領選挙での出口調査によれば、トランプ氏支持が58%、2018年中間選挙では共和党支持が60%に達している。しかし、大統領選挙および議会・知事選挙が迫る中で、トランプ・共和党支持を見直す人が出てきており、考え中の人も多いという。
米軍135万人、州兵(予備役も兼ねる)44万人、予備役40万人のうち17%が黒人、また海外駐留中の米軍の40%が黒人だという。手錠をかけられ無抵抗の黒人が白人警官に首を圧迫されて死亡したことに抗議する「黒人の命は大切」を掲げたデモが全土に広がったことがきっかけで、全米各地で南北戦争に敗れた南部同盟リーダーの肖像や記念物を撤去する動きが広がっている。米軍基地にも南部同盟軍の将軍の名前を付した基地や施設が数多く存在しており、米軍はこれらの名称変更や必要な撤去などに取り掛かかっている。
南部諸州が奴隷制度維持を譲らず、合衆国という「同盟」から脱退を宣言して内戦になったのが南北戦争。南部同盟とその軍隊は合衆国(北部)から見れば反逆者である。多くの黒人将兵にとっては、「奴隷解放」の敵だった南軍将軍を記念する名のついた基地や施設などで生活することは耐え難い屈辱である。他の基地への転勤を願い出る黒人兵も少なくなかったという。だが、トランプ氏は「歴史を抹殺することはできない」とこれに反対を表明して、軍との新たな摩擦要因になっている。トランプ氏を「南軍最後の将軍か」と揶揄するメディアもある。
選挙結果は「受け入れる」
トランプ氏は、制度上は軍最高司令官である。とはいえ、国防総省および米軍首脳部だけでなく、退役軍人や将兵の家族も含めた「オール米軍」から強い不信感を突き付けられた下では、トランプ氏が今後も大統領選挙戦やその他、自分の政治的利益のために米軍部隊に命令を下して動かすことは極めて難しくなったのは明らかである。しかし、民主党側はトランプ氏がその野心を捨て去ったとは受け止めていないようだ。
大統領選挙を争う、民主党の候補指名が確定したバイデン前副大統領が「トランプは選挙結果を盗もうとしている。私の最大の心配だ」と発言(Watchdog21拙稿「『米大統領選』トランプ氏 敗北受入れ拒否か」6月13日参照)、これを受けてトランプ氏絶対支持のFOXニュースがインタビューした。トランプ氏は「もし、勝てなければ、先に進む、他のことをする」と答え、重ねての質問に「間違いなく」と確認、「わが国にとって悲しむべきことだ」と付け加えた(13日)。
「米軍動員」へ「布石」着々
テレビで公然と「受け入れない」と答えるはずはないだろう。だが、レーガン政権やブッシュ(息子)政権で軍事や安全保障の要職を占め、イラクへの「大義なき戦争」を強行した「ネオコン」(新保守主義)の理論家ケーガン氏は、トランプ氏がデモ制圧に米軍現役部隊を動員することを軍に拒絶された後も、軍を自分の政治目的に使うことを諦めていないとみている(以下、同氏のワシントン・ポスト紙電子版への寄稿から)。
トランプ氏はこれまで2020年大統領選挙は「(民主党の陰謀によって)史上最悪の不正選挙になる」と繰り返してきた。選挙に対する不信感を植え付けるためだ(筆者注:トランプ氏は2016年の大統領選挙で勝った後も、一般投票でクリントン民主党候補に300万票及ばなかったのは民主党の不正投票によるといい続けてきた)。
「黒人の命は大切」のデモが一部で暴力化すると「国内テロだ」と決めつけ、その後は「アンティファ」と名乗る極左アナーキストグループが挑発に出ている、と執拗に自分を支持するメディアに流している。民主党寄りの抗議デモに対する危機感を煽るためである(同:実際にはトランプ支持の白人至上主義などの極右白人がデモの暴力化を挑発していたと報じられている)。
就任以来、FBI(連邦捜査局)、CIA(中央情報局)をはじめとする情報機関を攻撃してその信頼度に傷をつけてきた。自分を批判する新聞やテレビ、雑誌などのメディアをすべて「フェイク(虚報、捏造)ニュース」と攻撃し続けている。これらもすべて、既成の統治システムに対する不信感を植えつけるのが狙いだった。
こうした「布石」を着々と打ちながら、信頼できるのは自分と軍だけと国民に思い込ませる。その仕上げが、軍部動員の前触れとして州兵動員によるホワイトハウスへの平和的なデモの強制排除と、国防長官と統合参謀本部議長を引き連れての選挙向けビデオ撮影のパーフォーマンスだった。
トランプという人物
これがトランプ氏の再選・長期強権政権への戦略だった。いつでも「軍部」を動員できるという切り札を手にしながら、大統領選挙で勝目がないとみれば「外国の介入」と言い立てて非常事態を宣言、選挙は無効にして独裁体制を敷く。
2016年の大統領選挙ではロシア情報機関が介入して民主党全国委員会のコンピューターをハッキング、入手したクリントン候補に不利となる情報を大量にネットに流した。この「ロシア疑惑」絡みでトランプ陣営幹部が訴追された。だが、トランプ氏は「ロシア疑惑」の狙いは自分の落選だった、といつの間にか話を逆にしている。これも「外国(ロシア)の介入」につなげる戦略の一部だったとみられる。
無理に無理を重ねてきたトランプ氏の再選・長期強権政権を目指す戦略が、軍部の反乱で挫折に終ろうとしている。このトランプ戦略はどこまで現実性があるのだろう。ケーガン氏はその判断はトランプという人物をどう見るかにかかっていると結んでいる。 (6月17日記)