✺神々の源流を歩く✺ 第9回「大和に来た出雲の神々」

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野見宿禰が埴輪をつくり殉死止める

 奈良の三輪山周辺を「出雲」に関係する神社や地名を訪ねて歩いたら、これがなかなか多い。桜井市から長谷寺へ向かう国道165号線にかかる歩道橋には、「桜井市出雲」と表示があり、三輪山の北には出雲屋敷の地名がある。出雲姓の表札も見かけ、出雲から来た人々が集落をつくっていたという趣がある。

往古から出雲とかかわり

 日本書紀には「野見宿禰(のみのすくね)」が垂仁天皇の前で、力自慢の當麻村の「當麻蹴速(たいまのけはや)」と、力比べをした記事がある。「奈良県磯城郡誌」には、「出雲の称は古昔野見宿禰出雲より来たりてこの地に居住し、土偶をつくりたるに依りて起りたりと伝ふ。…出雲より来りたる土師の氏人此の地に子孫繁殖して終に一郷をなしたるには非ざるか」とあり、往古から出雲とのかかわりをうかがわせる。

 野見宿禰はまた殉死をやめて、埴土で人や馬などを作り陵に埋めることを提案して、天皇に喜ばれたという。そのために出雲から100人の土師を呼び寄せたといわれ、これが「出雲」の名前が広がったきっかけかもしれない。出雲屋敷には「ヲナンジ」と呼ばれる小字名もある。「ヲナンジ」とは大己貴命(おおなむち)のこととされ、大神神社の祭神である。

 都祁 (つげ)とは珍しい名前だが、古代朝鮮語で日の出を意味するトキノ(都祈野)に由来するという。日本書紀には「闘鶏」(とき)とあり、渡来人が早くから開拓した地ではなかろうか。

鉄との深い関係

 初瀬川の水源のある奈良市藺生(いう)町の葛(くず)神社と、都祁白石町の雄神(おが)神社の祭神は、いずれも出雲健雄(たけお)だという。この雄神神社も本殿はなく、拝殿から祭神の「雄雅山(540メートル)を拝む。大神神社とともに古い形式である。拝殿に「金銀銅鉄」と書かれた扁額が架かっているのは、その昔、鉄や銅、金、銀などの採掘や精錬でにぎわっていたのではないか。

 三輪山の東南にある十二柱(じゅうにはしら)神社は、出雲村の村社だが、ここも神殿がなく「ダンノダイラ」(三輪山の東方の山の上にあった古代の出雲集落)にある磐座(いわくら)を拝む。この磐座にも鉄分が含まれているとされ、この神社も鉄と関係が深かったようだ。

氷室は新羅から出雲をへて奈良へ伝わったか

 岡本雅享氏の「出雲を原郷とする人たち」によると、明治の初めごろまで、村民が年に一度、そろって「ダンノダイラ」へ登って、出雲の先祖を祀り、皆で食事をして相撲をしたりして、先祖をしのんだとの記録があったと紹介している。
氷室神社 の主祭神「闘鶏稲置大山主命(つげのいなきおおやまぬしのみこと)」は、氷室の起源とされる。先年、韓国の新羅の古都、慶州の半月城を見学した際、氷室があったが、出雲は新羅文化の影響を受けているので、氷室はまず出雲に渡り、出雲の人々が奈良に伝えたのかもしれない。

 奈良には多くの出雲系の神社が進出しているが、奈良以外の地方ではどうか。水野祐氏の「出雲文化の東漸」によると、東国八か国の式内社のうち出雲関係の神社は、三割四分を占めるという。神社はその地を開拓した祖先を祭るために作られたとされる。出雲人は長い時間をかけて、東北各地にも鉄や金銀を探し求めて広がっていったのだろう。

 出雲に関係する名前は奈良だけでなく、吉備、但馬、三河、阿波、薩摩、兵庫、土佐、武蔵などに多いとされるが、長い時間をかけた交流があったのだろう。