「日本学術会議会員の任命拒否」政府から独立した科学アカデミーは必要ないのか 欧米と同等の機関持たない不幸と恐ろしさ

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 菅義偉首相の所信表明演説と代表質問、梶田隆章日本学術会議会長の記者会見、梶田会長ら学術会議幹部と井上信治科学技術担当相の意見交換、とわずか数日の目まぐるしい動きを見て、あらためて感じた。よほどのことがないと、日本学術会議はさらに政府にとって都合のよい機関になってしまうのではないだろうか、と。よほどのことというのは、日本国民の多くが、欧米主要国では当たり前の科学アカデミーと同等の機関を持たないことの不幸と恐ろしさに気づき、声を挙げるということだ。

 中国科学院、中国工程院という隣の国の強大な科学アカデミーは、国務院直属の機関として大きな役割を果たしている。しかし、こうした政府機関である科学アカデミーは世界全体でみるとわずかしかない。日本学術会議はその一つである。欧米主要国と同様、政府から独立した機関が日本にも必要ではないか。こうした議論がなかったわけではないことは、拙稿「『菅政権の学術会議会員任命拒否』 独立・中立の科学アカデミーは必要ないか」で紹介済みなので、詳しくは繰り返さない。今回の事態は、日本学術会議自体が政府から真に独立した機関になるための行動を起こす何度目かのチャンスにも見える。しかし、日本学術会議自身が、政府とともに今後のあり方を検討しようという姿勢である限りは、まずその期待はかないそうもない。

政府から完全独立の機関の論議はなぜ起きないのか

 菅義偉首相の所信表明演説が行われたのと同じ10月26日、日本学術会議が推薦した会員6人の任命拒否に抗議し、撤回を求める運動を始めた呼びかけ人である鈴木淳東京大学文学部教授と古川隆久日本大学文理学部教授が、日本記者クラブで記者会見した。任命を拒否された6人の1人、加藤陽子東京大学文学部教授の東京大学2年後輩という古川氏が、「これは見過ごせない」と加藤教授の同僚である鈴木氏に相談したことがきっかけで始まった抗議活動だ。

 両氏の呼びかけに応じ、任命拒否撤回を求める文書には大学教授や出版社社員など23人が賛同者として名を連ねている。10月3日に始めたオンライン署名の呼びかけに対し、わずか2日間で10万人を超す署名が集まり、締め切りの12日までには14万3691人に達した。任命拒否撤回を求める文書とともに14日、内閣府に提出されている。任命拒否は前例のない学問の自由と独立に対する侵害であり、ひいては社会に計り知れない損害をもたらしかねないことをあらためて両氏が強調した。記者会見の最後に、お二人に質問した。「政府や議会は金は出すが、活動には口は出さない。こうした欧米主要国の科学アカデミーと同様の政府から完全に独立した機関になるのが早道、という議論は科学者の中から起きないのか」

 「政府機関かどうかは本質的な問題ではない。政府の一部に日本学術会議のような独立した機関があることは、日本の民主主義が健全であることの証でもある。税金を出しているのだから言うことをきけとか批判的なことは言うなといったようなことが起きない、健全な民主主義が成り立っているかどうかが問題」。古川氏からこのような答えが返ってきた。記者会見の後に短時間話す機会があった古川氏から、なるほどと思わせる発言もあった。「米国の科学アカデミーと同じようには考えられない。日本は大学からして政府から完全に独立した機関ではないし」。確かに国立大学はずっと文部科学省の一機関だったし、国立大学法人になった現在でも、文部科学省から副学長あるいは理事を受け入れていない大学は多分ないはずだ。

 古川氏も鈴木氏も日本学術会議の会員や連携会員の経験はないという。学術会議にこれまで関わった科学者に限らず、学術会議に関心のある科学者なら、大半が古川氏と同様の考えを持っているのでは、とあらためて感じた。

 このように考えるのは理由がある。これまで日本学術会議に深く関わってきた科学者の何人かから似たような話を聞いていたからだ。日本の大学では、教員の評価は研究業績だけに限らない。例えば東京大学は、教員にできるだけ研究と教育に専念することを求めているものの、審議会など政府機関の委員になることは奨励している。そんな声も聞く。政府機関に関わることが評価されるということなら、日本学術会議も政府機関で会員が特別公務員であった方がむしろ好ましい、と考える科学者が多くても不思議ではない。

政府からなぜ露骨な攻撃を受けやすいのか

 菅首相は、代表質問に対する答弁の中で「民間の研究者や若手が少なく、出身や大学の偏りがみられることなどを踏まえ、多様性が大事だということを念頭に任命権者として判断を行ったものである」と主張した。しかし6人が任命拒否されたため、慈恵医大の会員は一人もいなくなり、2人しかいなかった立命館大学も1人になってしまったのが実態。女性会員の比率も37%で、女性閣僚や女性国会議員の比率に比べると格段に多い。大学の偏りや多様性を念頭に判断というのは全く説得力がないのは明らか。要するに真の理由はほかにあると考えるのが自然だろう。

 日本学術会議がこれほど政府から露骨な攻撃を受けやすいのはなぜか。政府機関だからということのほかにも理由がある。科学アカデミーというのは、研究業績が並外れた科学者しかなれないというのが国際的な常識。選出されたら終身というのが当たり前らしい。「米国工学アカデミー会員は終身で、亡くなっても名前は名簿から消されない」(阿部博之元東北大学総長・米国工学アカデミー外国人会員)。会員の任期は6年、定年の70歳になると会期末を待たずやめなければならないという日本学術会議の会員は、海外の主要な科学アカデミー会員に比べると、権威という面でもだいぶ異なるのが実像と言える。

 実際に今年8月に公表された公益社団法人日本工学アカデミーの「立法府とアカデミアの知的情報共有に関する調査・試行研究成果報告書」でも、次のように指摘されている。「設立の根拠となる日本学術会議法を見ると、先進国の科学アカデミーとは基本的に性格が異なることが分かる。例えば、会員の任期は6年と限られている。会員は必ずしもわが国で学界を代表する科学者ではなく、選任時点で選任要件を満たした専門家ということになる」

政権の科学軽視批判する三つの米アカデミー

 米国は、科学アカデミー、工学アカデミー、医学アカデミーというそれぞれ政府から独立の機関が「National Academies」という連合体をつくり、共同の活動にも力を入れている。9月24日には、新型コロナウイルス感染拡大に関し、科学への政治的干渉に警鐘を鳴らす声明を科学アカデミーと医学アカデミーの会長が連名で出している。公衆衛生当局者からの助言や提出された証拠を無視し、科学者を嘲笑するようなことが行われていることを憂慮しての声明だ。科学に基づくだけでなく、公衆の信頼を確保し、健全な公衆衛生の指示を遵守するための十分に透明性のある政策決定が必要であることを強調し、ベストな科学や科学者の信用を損なうような行為は、すべての人々の健康と福祉を脅かすものだ、と言い切っている。要するに、トランプ政権の科学(者)軽視をまともに批判している。

 National Academiesの大きな役割は、政府や議会からの要請に応じ、さまざまな検討を行い、提言することだ。言いっ放しの機関でもない。9月14日に出した三つのアカデミー会長の共同声明でもさまざまな新型コロナウイルス感染対策に関する活動が紹介されている。小中学校の再開にあたって必要な感染予防法、人員配置、公平性の確保などについてのガイダンスを示した活動もその一例。人種差別への影響を調べるという議会から要請された大規模調査を近々始める予定なども記されている。10月2日にNational Academiesとして出した報告書は、新型コロナワクチンが利用可能になった時を想定し、ワクチンを公平に配分するため4段階に分けた細かな対応を提言している。

 日本学術会議も新型コロナに関しては、3月6日に「大規模感染症予防・制圧体制検討分科会」を設置し、対応の検討を始める」という声明を出し、7月3日にはその分科会が、内閣府に常設の組織として感染症予防・制御委員会(仮称)を設置すべきだとする提言をまとめ、公表している。しかし、National Academiesの活動に比べると、活動内容は明らかに見劣る。大規模感染症予防・制圧体制検討分科会の提言内容も検討対象が限られており、さらにどの程度、実際の政策決定に影響を与えるかもはっきりしない。

 ただし、こうした比較だけでは、日本学術会議に気の毒だろうから、米国科学アカデミーについて少し、説明したい。2011年の東日本大震災では日本の科学者たちに対する国民の信頼が著しく低下したという声が聞かれた。同年10月には科学技術振興機構と政策研究大学院大学が共催した「社会における科学者の責任と役割」というシンポジウムが開かれている。基調講演者として招かれた元米国科学アカデミー会長の生化学者、ブルース・アルバーツ氏は、米国科学アカデミーについて次のように語っていた。

 「毎年、200以上の報告書を出しているが、このうち85%が政府からの要請に応じたものだ。さまざまな審議依頼に答えるため六つの分野に分かれ全部で60くらいの委員会がある。委員に選ばれると、旅費、宿泊費、食費、日当は支給されるものの報酬はない。博士号を持つ専任スタッフが約400人いる」。会員や委員の活動はボランティアだが、専任スタッフの人件費などは政府をはじめとする審議依頼側からの収入で賄われる仕組みが出来上がっていることだ。

 アルバーツ氏は、政府から独立した機関ではあるとはいえ、政府との間に応酬があることを認め、次のようにも語っていた。「報告書を政府に提出するのと同時にマスコミを含め一般にも公開する方針をとり続けているが、これに不満の政権もある。『テロリストに利用されるから』といった理由で非公開を求めて来たこともあった。こうした政府からの要請に対し、科学アカデミーの基本方針を守ることに力を注いだ。要請された審議依頼に応えるために設ける委員会の委員選任に当たっては、特定の組織の意見を代弁しないかどうか、ロビー活動と無縁かどうかを見分けるなど慎重に検討の上、選んでいる」

米英とも運営資金出しても政府干渉せず

 このシンポジウムの翌月に開かれた日本学術会議、科学技術振興機構研究開発戦略センター主催のシンポジウムには、米国科学アカデミーに約400人いるという博士号は持つ専任スタッフの1人、ケビン・クロウリー氏が招かれている。同氏もアルバーツ氏と同じような実情を明らかにしている。「米政府からも市民からも信頼される助言提供者とみなされているのは、まず独立の機関であるということだ。われわれの調査、研究に政府は口出ししない。次に中立であるということ。特定の政治思想には関わらず、議会との関係においても民主党、共和党いずれともきちんと連携している。多くの科学者が一緒になって、統一された声になるよう意識した形で調査、研究のプロセスが設計されている。調査研究に参加してもらっている年間6000人以上に上るトップレベルの科学者、技術者、医師には、公への奉仕だと考えてもらっている」

 両氏の発言からすでに9年たっているので、念のため昨年1月、米国科学アカデミーを訪問し、意見交換をしてきた渡辺美代子日本学術会議副会長(当時、9月末で任期満了)に尋ねてみた。

 「政府から完全に独立した組織であり、会員の人選などに政府が関与することは一切ない。役割は政府などへの科学的助言が主。会員は約2000人で米国籍が必須。終身制で毎年、新たにそれぞれ100人弱が会員として任命される。事務スタッフは、米国工学アカデミー、米国医学アカデミーと合わせて約1000人。予算は年3億5000万ドル(400億円弱)で、7割が米国立科学財団(NSF)など政府機関から、残り3割は民間の財団や個人の寄付から得ている。民間からの収入にはかなり厳格な審査をしている。個人の寄付額は小さいが、その意義を重視している。成果物として政府などに向け毎年約200の報告書や高校向けテキストなどを出している」。米国科学アカデミーの役割と影響力は、トランプ政権下でも変わっていないことが分かる。

 米国だけ特別と考える人がいるかもしれないので、昨年、欧州の主な科学アカデミーの実態を現地調査した永野博 公益社団法人日本工学アカデミー専務理事(当時、現顧問)にも聞いてみた。例えば、英国を代表する科学アカデミー「王立協会」は「政府からの要請に応じ、あるいは自発的な提言活動をしている。毎年、政府から4200万ポンド(約53億円)受け取るほか公益法人、出版社、賃貸料収入などで活動している。政府からの資金を得ていることを理由に政府が影響を及ぼそうとする気配はない」という。科学アカデミーが運営資金のかなりを政府から得ているものの、活動に政府が干渉しないのは米国に限ったことではないということだ。

日本学術会議にかけられた攻撃の異常さ

 トランプ大統領の科学(者)軽視は、新型コロナウイルス対策でも世界中に知れ渡った。その米国でも三つのアカデミーがこれだけの役割を果たしている。菅政権、自民党だけでなく一部の科学者やジャーナリストなどが日本学術会議攻撃の理由として強調する10億円余りの国家予算投入が、国際的にみてそれほど大きな金額と言えるのか。さらに会員の選出に対しまで政府が露骨に干渉をする科学アカデミーが、海外には存在するのか。日本を代表する科学アカデミーと国際的にみなされている日本学術会議に現在かけられている攻撃の異常さに、もっと多くの日本人は気づく必要があるのではないだろうか。

 科学的根拠に基づく政策決定というのは、民主主義国家の基本。行政府や立法府が常に正しいことをやるとは限らない。国がおかしな方向に向かおうとした場合、チェック機関としての強力な科学アカデミーを持たない国がいかに脆弱か。日本学術会議関係者に限らずもっと多くの日本人が目を覚ますべきだと筆者は考えるが、思い過ごしだろうか。