再稼働を目指している日本原子力発電東海第二原発について住民たちが運転差し止めを求めていた訴訟で、3月18日水戸地裁が日本原子力発電に対し、運転差し止めを命じた。この判決で思い起こしたことがある。7年前に日本記者クラブ会報に載せてもらった記事だ。 取材ノート | 日本記者クラブ JapanNationalPressClub (JNPC)。
「これはいずれ大きな関心を集める」あるいは「公表されたらそこそこの扱いになる話」。という思いから他社の記者より先に書いた記事の多くが、共同通信社加盟の全国紙とブロック紙、さらにはNHKをはじめとするテレビ局にも使われない。つまりは東京、大阪、愛知、福岡、北海道の人たちが目にすることはなかった。そんな元通信社科学記者の嘆き節のような記事に、日本記者クラブ会報の編集者がつけたタイトルは「領域の拡大求めて科学記者40年 横串突き通す取材活動を」。見出しくらい前向きにしてやろう、という温かい気持ちからだったのだろう。筆者がつけた元の見出しは「書いても載らなかった話」だった。
原子力施設防災指針は体裁整えただけ?
思い起こしたというのは、「書いても載らなかった」一例として挙げた話だ。1979年の米スリーマイルアイランド(TMI)原発事故の後、原子力安全委員会は、原発事故が起きた場合の防災指針づくりを検討せざるを得なくなる。専門部会が設けられ、避難活動はどうあるべきかといった指針に盛り込む内容の検討が行われた。専門部会委員の一人だったのが、当時、東海原発、東海第二原発が運転中の東海村の村長、川崎義彦氏(故人)。最終会合の一つ前の専門部会が開かれた日、会合を終えて東海村に戻る川崎氏から常磐線の車中で事実上その日にまとまった専門部会報告書の内容を教えてもらった。
専門部会報告書には「防災対策を重点的に充実すべき地域」として原発から半径8~10キロの範囲を指定し、原発事故が起きた場合の避難計画を策定する必要が盛り込まれていた。この報告書に基づいた初の原子力施設防災指針が、実際にTMI原発事故の翌年1980年につくられたのだから、「発表前に書く価値あり」と筆者が考えたのは当然といえよう。しかし、この記事もまた東京、大阪、愛知、福岡、北海道の人たちの目に触れることはなかった記事の一つとなる。
ところで川崎氏から教えてもらったものの記事に入れなかったことがある。避難計画を作る必要がある地域として「原発から8~10キロ圏内」という幅を設けた理由だ。切りのいい10キロにされると島根県の県庁所在地である松江市の中心部まで入ってしまい避難計画を作るのが困難になる。こうした中国電力島根原発の立地上の事情を汲んで、8~10キロになったという。科学的根拠に基づく決定といえるか。今ならそんな批判も出そうな決め方だが、とにかくこれまで全く考慮外だった原子力施設事故に対する住民避難対策の必要を認めたのだから、原子力施設の安全対策上、大いなる前進。そっちを強調するのを優先しよう。記事で触れなかったのは、そんな思いからだった。
避難計画策定は14市町村中5自治体だけ
福島第一原発事故が起きて、8~10キロという数字が、全く実態に合わないことが露呈された。当然、福島第一原発事故後に行われた原子力規制体制見直しの一環として、避難計画が必要とされる範囲も広げられる。原子力規制委員会が定めた新たな原子力対策指針で、「予防的防護措置を準備する区域」として原子力施設から約5キロ圏内、「緊急防護措置を準備する区域」として約30キロ圏内という範囲が定められた。それが今回の水戸地裁判決を可能にしたともいえる。
水戸地裁が日本原子力発電に対し運転差し止めを命じた判決は、東海第二原発から30キロの範囲に入る14市町村のうち、広域避難計画を策定したのは比較的人口の少ない5自治体にとどまっていることなどを挙げて、実現可能な避難計画や実行できる体制が整っているというにはほど遠い、と断じた。
川崎氏がかつて村長を務めていた東海村は、ほぼ全域が東海第二原発から5キロ圏内に入る。広域避難計画は策定済みで、30キロ圏外に位置する取手市、守谷市、つくばみらい市の県内3市と避難先の確保などを取り決めた「原子力災害時における東海村民の広域避難に関する協定」も締結済みだ。ただし、原発から8~10キロという避難計画策定範囲を原子力安全委員会の専門部会が決めたとき、専門部会委員として川崎氏が、本当に避難計画が必要だと考えていたとは思えない。「避難訓練をして年寄りがけがでもしたら誰が責任をとるのか」と不満を筆者に漏らしていたからだ。
しかし、当時、川崎氏がこのように考えたとしても批判する人は少なかったのではないか。日本の原発が周辺住民の避難を必要とするような事故を起こすことはない、と思い込んでいたのが日本人の大半だったと思えるからだ。東海第二原発から15キロくらいしか離れていない地域で育った筆者自身も例外ではない(東海第二原発はまだなく、現在廃炉作業中の東海発電所が建設中の時期だったが)。東海第二原発が運転開始してからも祖母や叔母がそこで生活していたのに、福島原発事故が起きるまで、避難を必要とする原発事故が起こる可能性を真剣に考えたことはなかったと思う。
深層防護でなかった日本の多重防護
水戸地裁の判決は、深層防護という国際原子力機関(IAEA)が福島原発事故以前から示していた原子力施設の安全確保に関する考え方を重視しているのも特徴だ。深層防護とは、設計による安全確保とそれを超える事態が進展した場合の対応策からなり、IAEAは5層に分けた防護レベルを定めている。深層防護については筆者の前稿「新たな「安全神話」も、不十分な確率論的リスク評価 福島原発事故10年目の実態 – ウォッチドッグ21 (watchdog21.com)」で紹介した「原子力発電所過酷事故防止検討会」(注)の提言書で次のように説明されている。
(注:阿部博之元東北大学総長・元総合科学技術会議議員が呼びかけ人となったボランティア組織。事故直後に設けられた国会、政府、民間団体による三つの事故調査委員会と異なり、原子力安全にかかわってきた科学者・工学者が中心で、検討作業に費やした期間も長いのが特徴)
「『事故を起こさない』、『起こしても拡大させない』、『起きたとしても公衆に被害を及ぼさない』という基本的な考え方に基づく。『異常の発生防止』、『異常の拡大防止と事故への発展の防止』、『放射性物質の異常な放出の防止』、『過酷なプラント状態の制御』、『放射性物質の大規模な放出による放射線影響の緩和』という5層の防護レベルを定義している。防護レベルを多段に設け、一つの防護レベルが損なわれても、全体の安全が脅かされることがないようにする、という考え方を採っている」
この説明を補足すると、5層のレベルのうち、第1~第3層は「主に設備設計での対応」、第4層は「アクシデントマネジメント策による事故の拡大防止」、第5層は「原子力事故となった場合の防災での対応」とされている。日本ではこうした深層防護が行われていなかったことが、福島原発事故で明らかになった重要な事実だ。「原子力発電所過酷事故防止検討会」の提言書は次のように指摘している。
「日本でも福島原発事故以前から『多重防護』という言葉で、原子力施設の安全が確保されているという説明がなされていた。しかし、(深層防護の第4層に相当する)事業者が進めてきたアクシデントマネジメントは(原子力施設の)内部事象に起因して過酷事故に至る事象であり、外部事象、とりわけ地震による外部電源の喪失、津波によるタービン建屋への浸水、非常用ディーゼル発電機および蓄電池等の被水による使用不能などの状況、それらによるプラントレベルの共通要因故障とその対策は考えていなかった。(深層防護の第5層に相当する)原子力施設外の防護活動は、短期間で収束するものを想定し、福島原発事故のように長期間にわたる対応を規定したことはなかった」
要するに日本の多重防護と称するものは、IAEAの深層防護とはほど遠いものだった、ということだ。
水戸地裁判決が論議呼ぶ可能性
水戸地裁の今回の判決は、福島原発事故から10年たっても、深層防護の第5層である「原子力事故となった場合の防災での対応」を備えていない現実を重視した点が特徴といえる。一方、深層防御の第1~第4層については、日本原子力発電の判断に誤りや欠落があるとは認められない、と断定している。原子力施設外の避難計画策定が適切かどうかについては、原子力規制委員会の所掌外とされているから、水戸地裁判決は原子力規制委員会の対応に問題なし、というお墨付きを与えたことになる。これは妥当な判断だろうか。
原子力発電所過酷事故防止検討会は、1冊目の提言書「原子力発電所が二度と過酷事故を起さないために〜国、原子力界は何をなすべきか〜」の刊行を機に、2016年1月「防災までを共に考える原子力安全」と題する報告会を東京都内で開いている。
そこで原子力発電所過酷事故防止検討会の主査を務める宮野廣法政大学大学院客員教授(元東芝原子力技師長)は「(福島原発事故後にできた)新規制基準の多くは、設計要因への対応、設備の対策であって、ソフト面での対応では十分な対策となっていない」と厳しく批判している。当時、原子力規制委員会の初代委員長だった田中俊一氏の「規制基準に適合したから安全が確保されたというわけではない」という発言が論議を呼んでいた。福島原発事故後、全て運転を停止していた原発を順次、再稼働したい政府にとっては、好ましくない発言だったわけだ。
報告会では、検討会の呼びかけ人である阿部博之元東北大学総長も「規制基準に適合したということと安全が確保されたということとは同一ではなく、田中委員長の言うことが正しい」と、新しい原子力規制体制ができたことで原発の安全が確保されたとする考えを明確に否定していた。
阿部氏は、併せて科学者の責任の重さを次のように強調している。「科学者は、政府、事業者などに助言することが期待されているが、科学の原理にもとる妥協は正しくない。また、科学者が地域共同体や市民などの目線、意向を尊重するのは当然であるが、科学的事象は非情であり、科学者はそこから逃げてはいけない」
急がれるリスク評価への理解と実装
原発の安全向上策として阿部、宮野両氏がこの報告会でそろって強調していたのが、リスク評価の重要性。「安全対策で『想定外』をなくすには、リスク評価により、起こり得る事故のシナリオ(考えられる状況)を認識することが必要だ。客観的かつ定量的なリスク情報に基づく合理的な安全対策の検討が、安全性向上に役立つ」。このように宮野氏は主張していた。阿部氏は2017年5月発行の原子力発電所過酷事故防止検討会提言書(第三分冊)「皆で考える原子力発電のリスクと安全」の中でも、「リスクを理解し、それを小さくする対策を講じれば、原子力安全は大幅に向上する」と重ねてリスク評価の重要性を強調している。
この提言書(第三分冊)には、リスクに関する次の三つの提言が盛り込まれている。「原子力安全にリスク評価を用いることを、国の制度として規定する」。「原子力防災計画にリスク評価手法を適用するとともに、一般防災にもリスク評価手法を適用することを期待する」。「国民のリスクに関するリテラシーの向上と人材育成の充実を推進する」
リスク評価手法の適用が遅れていることについては、前号で紹介した民間シンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ」の「民間事故調最終報告書」でも、次のように指摘されている。「福島原発事故でみられた事象と類似の事象の確率論的リスク評価は、技術の未成熟さを理由になされていない」。原子力発電所過酷事故防止検討会のリスク評価に関する提言は、現在でもその重要性、必要性に変わりはないといえそうだ。
とはいえ、リスク評価というのは一般の人間になかなか理解しにくい。筆者も例外ではなく、2015年と2017年の二度にわたり宮野氏にインタビューし、詳しく説明してもらったことがある。この時のやりとりの主要部分を再現し、リスク評価がいかなるもので、なぜ必要なのか、この記事を読んでくださる皆さんと一緒にあらためて考えてみたい。
リスクはベネフィットとのバーター
―リスクとは何か、分かりやすく説明願えないか。
リスクを危険と同じ意味にとらえ、リスクが少しでもあると危険だとみなしてしまう。そういう人は多いかもしれないが、それは適切ではない。「リスクはゼロでない。絶対安全はない」というのは、原子力発電に限った考え方ではなく、食品や医薬品にも取り入れられている。ある一定のレベル以下にリスクを小さくすれば安全、とする考え方だ。
リスクというのはベネフィット(便益)とのバーター((交換)。車でも鉄道でも航空機でも乗っていて事故に遭うリスクはある。しかし、事故で亡くなる人がいることを知っていても、大半の人は利用をやめない。事故で亡くなる人は毎年1万人当たり数人。この程度のリスクは交通機関を利用する恩恵(ベネフィット)を考えると許容できる、とみなしているわけだ。
交通・輸送機関の場合は、過去に起きた事故事例をベースに、どのようにすれば事故は起こらないか考えている。しかし、原子力発電の場合は、基本的に過去に起きたことがない事故を論理的に予測し、事故が起きたらこうなるだろうと想定して対応を考えなければならない。従って、リスク評価が重要な手段となる。
リスク評価重視の米検査プログラム
―原子力発電に関わる当事者たちにもよく理解されていないということか。
確かに原子力規制委員会や原子力規制庁には、リスク評価は不確定要素が多いから実際の規制行政には使えないと言う人もいる。リスク評価は、過去に事例がない、つまり知られていないことを扱うので不確定要素が多く、信頼性に乏しいとみなすわけだ。そもそもリスク評価を実際に扱ったことがある人もいない。きちっとしたことが言えないと規制行政には使えない、とみなしてしまう。
しかし、米国では2000年から原子力発電所監視プロセス(ROP:Reactor OversightProcess)(注)という新しい検査プログラムが取り入れられている。原子力発電所全体を評価して安全かどうかを見る。細かいところまでは規制当局は関知せず、決められたことがきちんとできているかどうかは事業者の責任でやる、という考え方だ。事業者が努力して安全性を向上すれば、検査のためにかかる余計な費用も抑えられるということで、事業者には努力すればメリットがあるというインセンティブも働く。ここでもリスク評価が重要な役割を果たしている。
(注)個々の原子力発電所の運用実績に関するより客観的な情報に基づき、リスク重要度が最も高い機器や活動に規制当局の検査能力を集中させる検査プログラム。それまでの原子力発電所監視プロセスより一貫性と客観性の向上が実現された、と評価されている。
-リスク評価手法自体も、より良いものにする努力が必要ということか。
リスク評価を規制に取り入れることに加え、リスク評価のやり方自体にも新しい知見をどんどん取り入れる必要がある。リスク評価を行い新たな知見を取り入れていく、という本来の目的を事業者も、規制当局も忘れることのないように、継続的な活動を行ってもらいたい。私たちもその活動をしっかり監視していかなければならない。想定外の事態に対応する唯一の方法が、リスク評価だからだ。
一般市民もリスク評価に関与必要
-リスク評価について国民の理解も必要なのはなぜか。
福島原発事故で欠けていたアクシデントマネジメント、防災対応においてもリスク評価は必要で、自治体や一般市民も入らないとできない。その前提として一般市民もリスクを理解する必要がある。
原発の安全については、電力会社と地元の人々が議論する場をつくらないといけない。そこでリスク論議がきちんとできるようになれば、「こうすればリスクを下げられる」、「これだけリスクを下げておけば、避難するような場合もこういうことで済む」、「この場合はこういう手を打とう」といった話ができるようになる。実際に米国ではこうした話し合いが行われている。
以上のやりとりでも、水戸地裁判決によって浮かび上がった避難計画の不備を是正し、実効ある計画を策定することが、簡単ではないことが分かるのではないだろうか。判決が問題なしとした深層防護の第1層から第4層においても、原子力規制委員会や電力会社に任せたままにできない問題がまだまだ多い、ということもまた…。