✺神々の源流を歩く✺ 

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第25回 滋賀県 苗村神社(なむら)と長寸神社(なむら)

 東海道本線の近江八幡駅から、竜王町をバスで約二十分、川守停留所で降りると、道路を挟んで目の前に見上げるような苗村と長寸両神社が東西に向かい合っていた。        
 漢字は違っても共に「なむら」と読む。「なむら」とは明らかに「あなむら」の訛伝で、天日槍が住んでいた吾名邑(あなむら)にちなんでいるようだ。       
 東本殿の祭神には事代主神、大国主神、素戔嗚神が並ぶ。いずれも出雲の神々である。向かいの西本殿は、「苗村神社御由緒略記」によると、祭神は那牟羅彦神(なむらひこのかみ)、那牟羅姫神、国狭槌命(くにさづち)の三神である。

向かい合って建つ2つの「なむら」神社

     
 今井啓一氏の「天日槍」をみると、前の2神は天日槍夫妻で、一行の人々が定住した村々でも尊崇されていたとする。この地の豪族、沙々貴公の裔孫、佐々木筑前四郎太郎義綱が神主として、奉祀してきた。                  
 東本殿の素戔嗚尊にも渡来説があり、各地にある素戔嗚尊を祭る神社も渡来の人々によって、祭祀されていたようだ。古代史家の段熙鱗(たんひりん)氏は、「日本に残る古代朝鮮」(近畿編)で、「冒頭の祭神名は天日槍夫妻のことであり、平安時代以降の和風化の習慣によって和風の名に改められたもの…」とみる。                                     
 周囲には6世紀ごろの東苗村古墳群が広がり、境内の丸く盛り上がっているところも、円墳の趣がある。神社が出来た由来から考えると、この神社も古墳に祀られている人を、子孫が社を建てて祀っていたのであろう。

 一方、長寸神社は大日本地名辞書によると、「長寸神社は,吾名邑の新羅人の祭れるものにして、後世牛頭大王に混したるなり。また按ずるに、延喜式長寸神社の「寸」は「村」の古字なれば長寸は那牟羅とよみて、吾名邑の略なるべし」とあり、 長寸神社も吾名邑に定着した天日槍の一行の人々によって祀られていたようだ。

朝廷が注目した天日槍一行の行動

 朝廷の指導で編纂された古事記や日本書紀を見ていて感じることは、半島渡来の天日槍の一行の行動に、かなりのスペースをさいていることである。それだけ一行は朝廷にとっても注目される存在だったのだろう。                  
 それはともかくとして天日槍の一行が立ち寄った地域は、鉄や銅、須恵器、稲作、灌漑、養蚕、医療など今でもかかわりがあるところがある。こうした技術を持った集団が広く移動したことによって、大陸や朝鮮半島の新技術が列島に広められていったのではないか。