「名誉ある撤退」はないー繰り返された米国の失敗 アフガンから撤退で「甘い見通し」たたる 欧州へのレジスタンスの歴史がタリバンに

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 米国がアフガニスタンから「屈辱的な撤退」を強いられた。その光景は46年前の1975年に同じようにプノンペン、次いでサイゴン(現ホーチミン)と、首都が相次いで制圧されて、混乱のうちにインドシナ半島から撤退した米国の姿と二重写しになっている。

「甘い見通し」

 米国史上最長の20年におよぶアフガニスタン軍事介入は、余りにもあっけなく幕を下ろした。バイデン大統領が8月末までに米軍を撤退させると宣言したことが、その引き金を引くことになった。米国が巨額の経費と多数の若者の命を投入して育成してきた現地政権・軍は「張りぼて」でしかなかった。

 バイデン大統領の見通しの甘さが批判されている。しかしバイデン氏が20年かかっても自立・自衛のできない政権つくりを打ち切ったのは、賢明かつ勇気ある判断だった(ニューヨ-ク・タイムズ紙社説)。米世論の7割が支持している。それでも、現地軍がこれほど脆弱な集団であることを見誤った。タリバンはバイデン氏が描いた「名誉ある撤退」を許さなかった。

 ベトナム戦争では議会の戦費打ち切り決議が同じように、サイゴン政権・軍のあっという間の崩壊をもたらした。「ゲリラの聖域」潰しのために中立の隣国カンボジアを戦争に引き込み、南ベトナム解放戦線・北ベトナムと和平協定を結んで時間稼ぎをする間に「名誉ある撤退」を図る。当時のこのニクソン・キッシンジャー外交の筋書きは、夢と消えた。

 米国はゴム草履履き、自動小銃しか持たないベトナム・ゲリラを軽視して戦争を始めた。しかし、重装備に空爆の支援を受けても米軍はゲリラを掃討できず、次々と部隊を増派、最大で50万人を超えた。さらに同盟諸国に部隊派遣を求め、サイゴン政権軍の育成にも力を入れた。それでも戦争には勝てず、米将兵の戦死者は58,000超に達して、反戦運動が広がり多数の若者が徴兵を忌避した。

 この反省からアフガン戦争では、カブール政権軍・警察の育成を進め、地上戦闘では米兵投入を最小限に抑えて空爆を多用、無人機(最近はドローンと呼ばれる)攻撃が広く採用されるようになった。それでも多数の民間人を巻き込むことは避けられず、民心を失った。こうしたアフガン人同士を戦わせる戦争が民族の分断を深めた。

「勝てない戦争」と知りながら

 米政府・軍が実は早くから「勝てない戦争」であるとわかりながらも、それを受け入れることができずに、「失敗」を覆い隠すための戦争を続けてきたことが、最近になってジャーナリストや内部告発によって明らかにされた。大統領や外交・軍事当局首脳部が政権内部からの楽観的な報告だけに頼らず、広くこうした情報に目を向けていれば「失敗」を繰り返すことは避けられたに違いない。

 ワシントン・ポスト紙電子版によると、同紙の調査報道担当で長年、軍事問題を追いかけてきたC・ホワイトロック記者が1,000人におよぶ関係者のインタビューをもとにまとめた「アフガニスタン・ペーパーズ-戦争の隠された歴史」が8月末に出版される。同紙電子版は出版を待たず、そのハイライト部分を順次、紹介を始めている。

 これまでに報じられたところでは、反対や批判があったベトナム戦争やイラク戦争と違って、「9・11テロ」実行犯の発信基地となったアフガニスタンへの戦争にはほとんど一致した世論の支持があった。  

 ブッシュ政権は戦争を始めるとすぐに、米軍が経験したことのないゲリラ戦の泥沼に引き込まれ、2005年末から 6年初めごろには「勝てない戦争」と分かった。だが「正義の戦争」であるために、その現実を明らかにすることができず、2期4年を通して「作戦は成功」と隠ぺいに走ることになった。

 次のオバマ大統領は何とか手を引けないか苦悩するが、逆に当面の苦境から脱出するための軍部の増派要求に屈して「勝てない戦争」を続けた。トランプ大統領はソロバン勘定で引き合わないと戦争終結を選択、2021年5月までに米軍を撤退させると2020年2月タリバンと合意。それをバイデン大統領が引き継ぐことになった。

高まるバイデン批判、擁護論も

 タリバン武装勢力は無抵抗の首都カブールに入った。米国に協力したのでタリバンの報復が怖いアフガニスタン人たちが、国外脱出を求めてカブール空港で米軍機に殺到する悲惨な映像が、バイデン大統領非難を巻き起こしている。

 だがバイデン氏は、オバマ政権の副大統領の時から撤退を強く主張しており、ひるむことなくその主張の正当性を押し通している。外交専門家の中からバイデン擁護の声も上がり始めた。

民族の誇りと宗教的献身

 そんな中でC・マーカシアン氏が7月に政治ニュースにサイト「ポリティコ」に寄稿した「米国最長の戦争で理解されていないこと」が注目されている。マーカシアン氏は博士号を持つ軍事史学者で、米国務省および米軍派遣軍のアドバイザーとして2004年以来、イラン、アフガニスタンの戦闘現場で調査に当たり、2013〜14年にはダンフォード米派遣軍司令官の顧問。ダンフォード氏が統合参謀本部議長に就いた2015〜19年には特別補佐官を務めた。アフガニスタン人口の42%を占める最大民族パシュトウンの言葉を話せる。

 マーカシアン・リポートは、アフガンスタン軍の腐敗ぶりを詳しく紹介している。定員35万人とされながら実際には多数の「幽霊」を抱えていて、彼らの給料分は幹部のポケットに入る。兵士たちの給料は半年から9カ月の遅配が普通。生活が苦しい兵士たちはタリバンの密かな誘いを受けて米国供与の銃砲から戦闘車両まで売り払って脱走。地域の有力者もタリバンと通じて秘密裏に戦闘を放棄-など。

 これに対してタリバンは武装勢力の戦闘意識を高めることに成功している。それを支えているのは、外国からの占領軍に対するアフガン人としての意識と誇り、そして宗教的献身だという。

レジスタンスの歴史

 マーカシアン氏は、タリバンは決して過激派ではないとみている。彼らの外国軍に対するレジスタンス精神の背景に、19世紀に英国侵入軍に対する2回の戦争で保護領にされたが、1919 年の第3次戦争で独立を回復した歴史を上げている。第2次大戦後、左翼勢力のクーデターで王政を廃止。その後の政治混乱に乗じて1979年ソ連軍が軍事介入したが、10年におよぶ執拗なレジスタンスによってソ連軍は撤退に追い込まれている。米国は密かにこの反ソ・レジスタンスを支援していた。ソ連軍撤退後はレジスタンス各派が相争う内戦となり、その中からタリバンが生まれた。

 ベトナム戦争の泥沼にはまり込んで敗退したマクナマラ国防長官(当時)は戦後、われわれはベトナム民族主義を理解していなかったと語っている。