「人種差別の歴史」から抜け出せない米国 南北戦争の「戦後統治放棄」が呪縛に オバマ、トランプ両政権党登場とグローバリズム破綻で人種差別が最大の争点に再浮上

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 米ハーバード大学が入学選考で黒人などの少数派を優遇しているのは人種平等を定める憲法に違反するとした米連邦最高裁判決。学生選考には公正が求められるという点で、日本でも関心が寄せられていると思う。だが、米国では奴隷制度を廃止した南北戦争(1861~65年)以後も、政治、社会、文化のいたるところに根強く残る人差別問題のひとつが浮上したに過ぎないともいえる。

 トランプ政権は最高裁判事に3人の欠員が生じたのに乗じて、慣行無視の手法で保守・右派判事を送り込んだ。共和党はこれによって、ケネディ暗殺の後を継いだ民主党ジョンソン政権が公民権法、投票権法を補強した差別是正のための大統領行政命令を58年かけて葬ることに成功した。その執念にまず驚く。

積極的差別是正措置と「逆差別」の訴え

 黒人が公民権法や投票権法によって白人と同じ権利を得たからといって、白人と同じスタートラインに並んで同時にスタートを切るのでは、就職・雇用、教育などでの面で白人と均等な機会を得ることは難しい。そこで長年の差別によってどのような不利益をこうむったか(家庭や居住の環境、教育や交友関係)を総合的に評価して、必要なハンディキャップを与えるというのが積極的差別是正措置。

 政府機関及び関連事業体は採用に際しては地域の人口構成比に応じて黒人に一定の枠を設けたりした。大学の学生選考でも多様な移民国家としてキャンパス多様化が必要として、黒人学生には学力評価基準や人数枠の特別措置を組み合わせることが許された。公立学校では生徒の人種を多様化するためにバス通学導入を求めたりした。

 こうした「積極的差別是正」政策によって入学を阻まれたとする学生が、白人に対する「逆差別」と訴えた訴訟もあった。最高裁は「人種を理由」とする差別となる可能性はあるとし、この学生は入学を認められたが、総合的な措置の一つであれば憲法には抵触しないと判断した(1978年バッキー判決)。これを覆した違憲判決は黒人のための枠が設けられていることによって差別を受けたとするアジア系学生グループの提訴を受けたものだった。彼らは米国で長年人種差別を受けたわけではない。米メディアは共和党がこのアジア系学生たちの裁判を後押ししたと報じていた。

奴隷は「解放」されたが・・・

 米国では北軍36万人、南軍26万人、合わせて62万人もの戦死者を出した南北戦争(1861〜1865年)で奴隷制度を廃止し、奴隷を解放した。以来そろそろ200年近くが経つのに、いまだに黒人差別の呪縛から抜け出せないでいる。その始まりは、米政府(北部)が戦争には勝ったが、政治の混乱から南部奴隷州の「戦後統治」に失敗したことに始まっている(インディアンと呼ばれた先住民やヒスパニックないしラティノと呼ばれる中南米系移民などの少数派も人種差別の対象になっているが、最も重い差別の歴史を背負っているのが黒人)。

 リンカーン大統領の共和党政権が率いる政府軍は南部連合諸州を軍事占領下に置き、100万人とされた黒人奴隷を解放して白人と同じ市民権を与え、南部の「北部化」を進めた。黒人の数は白人より多かったので、州議会に進出して多数を占め、州政府の要職に就く者も出たし、州兵に当たる民兵にも黒人が多数加わった。

 南部諸州の白人(民主党が支配政党)は必死に抵抗した。支配者の地位は手放したくない。奴隷時代の抑圧に対する報復への恐怖もあった。武装組織を編成、解放黒人や「北部化」を支持する白人に対してテロ攻撃を加えたり、誘拐してリンチにかけたりする白人至上主義の秘密組織も結成された。代表的なのがクー・クラックス・クラン(KKK)(今も存続しているものもあり、トランプ政権のもとで表に出て活動している)。

「解放奴隷」置き去りの北軍撤収

 リンカーンは再選後間もなく、そして戦争勝利が決まった直後の1865年4月暗殺され、副大統領就任1カ月のジョンソンが後を継いだ。しかし、南部出身の新大統領と共和党首脳部が南部政策を巡って対立、弾劾裁判は1票差で不成立になったものの政治はマヒ状態に陥った。3年後の1868年大統領選でグラント将軍が当選するが、南北戦争のヒーローの下で政治の乱れが続いて汚職が蔓延、南部白人の執拗な武力抵抗に疲れ果てていく。
 1876年大統領選は、共和党のヘイズ候補と、戦争には加わらず党勢を伸ばした(北部)民主党ティルデン候補の接戦となり、4州(3州が南部)の開票結果に疑いが出た。両党の秘密交渉の結果、有利とみられた民主党が譲歩してヘイズ候補の当選を受け入れ、代わりに南部の軍政を取りやめ撤収した。せっかく解放した黒人を置き去りにして逃げ出したのだ。

「隔離」は差別ではないという判決

 これで南部諸州の白人勢力は、黒人が憲法によって獲得した基本的自由をはく奪する州法を次々に制定していく。黒人隔離法と呼ばれる。州法が憲法に優先するとされ、ワシントンは黙認した。彼らが第一に狙いをつけたのが投票権。読み書きのできない多くの黒人がテストを科せられたり、納税証明が投票権の条件に加えられたりして、黒人の大半が選挙人登録を拒否された。白人は議会を支配して「合法的」に権力を奪還した。

 1896年にルイジアナ州ニューオリンズの鉄道会社が州法「鉄道隔離法」に基づき車両を白人用と黒人用に分けたのは憲法違反の差別と黒人(白人との混血)が訴えた裁判で、連邦最高裁は同法を合憲と認めて訴えを却下した。判決理由は(黒人を)「隔離しているが平等」という無理やりの論理を立てた。

 この判決は白人社会から黒人を締め出す「ホワイト・オンリー」を正当化した。これによって黒人は「奴隷制度」に代わる「隔離」という新たな差別の中に閉じ込められることになった。「奴隷制から隔離へ」。これが南北戦争の歴史的意義になった。

 南北戦争後、北部の産業はさらに発展、第1次世界大戦にも参戦して世界の大国にのし上がった。共和党は約70年にわたり多数党として政治権力ほぼ独占するが、奴隷制度を終わらせたリンカーンの党なのに、「隔離」という黒人差別の解消に取り掛かることはなかった。北部や中西部の大都市や工業地帯へ職を求めて多くの黒人が移住し、黒人人口は全米に拡散していった。「隔離」という合法的黒人差別もまた、全米に拡散することになった。(『Watchdog21』2020・7・17拙稿「黒人の命は大切」参照)。

公民権運動で「隔離法」撤廃

 「黒人隔離法」の外に黒人を連れ出したのは、1930年代の大恐慌のさなかに共和党に代わって登場した民主党ルーズベルト政権だった。ルーズベルト大統領は北部のリベラルなインテリ層や労働組合に加えて少数派を取り込んだ「ルーズベルト連合」を政治基盤にして、1970年代へと続く「民主党時代」をスタートさせた。黒人は政治勢力としてこの連合の一角に場所を得た。

 第2次世界大戦で黒人部隊が編成され、日系二世部隊とともに欧州戦線に派遣され、両部隊は戦争勝利に貢献した。だが、彼らが帰った先は隔離されたスラムだった。白人の暴力的な弾圧に耐えて差別反対の運動が起こり、非暴力運動を唱えるキング牧師という指導者を得て、白人も加わる公民権運動となった。  

 公民権運動はケネディ大統領からジョンソン大統領へと、民主党の両政権の支持を得て、1964年公民権法、翌65年投票権法が成立、「ホワイト・オンリー」の「隔離法」は効力を失った。公民権運動は南北戦争の積み残し、黒人に平等を保障する法的な枠組みをつくった。

 ジョンソン大統領は、法的枠組みができれば十分とは思っていなかった。「投票権法」成立とともに、黒人差別を撤廃して平等を実現するための「積極的差別是正」を推進する大統領行政命令を加えた。さらに1968年に三つ目の「公民権法」を成立させている。同法は先の二つの法律に違反した際の罰則を定めた。

「南部失っても正義のために」

 ジョンソン大統領は南部の大州テキサス出身。ルーズベルト大統領に引き立てられ、南部民主党では数少ないニューディール派だった。「黒人差別」撤廃のための政策を推進することによって、民主党は「南部を失うだろう。しかし、正義のためにやらねばならない」と側近に漏らしていた。

 「公民権法」と「投票権法」に対して、共和党には南部諸州からの議員は少なく、上下両院とも支持が多数だった。しかし、民主党は工業の北部と、奴隷制度の上に農業で発展した南部にまたがる政党で、南部議員の大半は両法案に強硬に反対した。公民権法審議で上院では54日におよぶフィリバスター(上院ルールで認められる議事妨害)が行われた。先に成立した公民権法にたいする民主、共和両党の上下両院の採決結果を見よう。

民主党 上院44~23(比率66~34%)、下院152~96(同61~39%)
共和党 上院27~6 (比率82~18%)、下院138~34(同80~20%)

 民主党の反対票(34〜39%)の大半は南部の「奴隷州」の議員の票だった。

米国はどこへ行くのか

 ケネディ暗殺の衝撃に続く公民権運動の高揚の中、1964年選挙で民主党が大統領、上下両院で圧勝、黒人差別撤廃を一気に進める議会体制ができた。しかし、公民権問題にひとまず区切りがついた後の1968年大統領選で南部民主党の民主党離れが始まった。共和党ニクソン候補が接戦を制して大統領に当選、4年後も圧勝で再選された。

 そのニクソン大統領が「ウォーターゲート事件」で辞職、後継フォード大統領の「ニクソン恩赦」への反発が加わって1976年大統領選でカーター民主党政権が生まれた。だが1980年大統領選で南部民主党の保守派の共和党への大量脱出が起き、共和党レーガン候補が圧勝した。これによって民主党は北部中心の人種差別反対のリベラル党に固まり、奴隷解放のリンカーンの党だった共和党は黒人差別主義を取り込んだ保守政党に転換した。民主党対共和党の対立構図の内容が書き直された。

 その構図の中から初の黒人大統領のオバマ政権が登場、これが共和党をさらに右寄りに押しやった。レーガン政権に始まるグローバリズムがとことん貧富格差を広げて崩壊、人種差別・白人至上主義を隠さないトランプ政権を押し出した。トランプ支持派が支配する州では、小学校から高校までの公立学校の授業で「人種差別の歴史」を取り上げてはいけないというキャンペーンが進められている。人種差別問題が再び政治・社会の最大の争点にのし上がっている。米国はどこへ行くのだろうか。
                                   (7月7日記)