新自由主義経済のモデル「ワシントン・コンセンサス」(注1)が破綻した後の国際経済のモデルには、バイデン大統領の経済政策がふさわしい。「バイデノミクス」と呼んで、「新しいワシントン・コンセンサス」にするー。米政権首脳のこうした発言がメディアの関心を呼んでいる。米経済の先行きはまだ分からないのに先走りすぎとの批判も出ている。もちろんトランプ前大統領との選挙戦で低迷する支持率を上げる狙いは一つ。併せて冷戦後の世界経済を率いてきた市場任せの「新自由主義」経済は失敗に終わっても、米国は「バイデノミクス」を押し立てて世界経済をリードする、と米国および世界へ向けて宣言したものと受け取れる。
(注1:「ワシントン・コンセンサス」は新自由主義経済の基本とされる経済政策で、政府支出の削減、財政赤字の是正、税制改革、規制緩和、公営企業の民営化、貿易自由化、直接投資受け入れなど)
景気後退の懸念払しょく
J・サリバン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は民主党系シンクタンク、ブルッキングス研究所で「米国の新しい経済政策」と題して演説(4月27日)し、ここでバイデン政権の2年半の経済政策を初めて「新しいワシントン・コンセンサス」と紹介した。
米政府はこのころから経済回復に自信を深めたとみられるが、最新(7月12日)の経済指標発表で確信したようだ。インフレ率3%、失業率3.6%で、インフレ再燃さらには景気後退への懸念はほとんど払しょくされた(P・グルーグマン氏ら)。雇用創出数はバイデン政権わずか2年半で1320万人。このペースは、最近の大統領2期8年のレーガン政権(1610万人)、クリントン政権(2390万人)、オバマ政権(1260万人)をはるかに超えている。
「新自由主義」を全面批判
サリバン氏はバイデン政権が前政権から大きな経済的課題を引き継いたとして、下記の四つを上げた。これはそのまま新自由主義への批判となり、「バイデノミクス」がすべて克服したと誇らしげに説明した。
(1)市場の機能を過剰に信じて規制緩和、公的機関の民営化を進めすぎ、産業基盤の空洞化を招いた。貿易自由化による利益は現場で働く人たちへは届かなかった。
(2)経済統合を進めることによって、各国がより責任ある開かれた国となって国際秩序は平和的で協調的になり、安定に向かうーとの前提から、地政学的および安全保障を背景とする国家・民族間の競合・紛争への関心が不十分となった。
(3)気候変動の加速についていけず、経済成長を優先して(民主党オバマ政権の先進的な努力があっにもかかわらず)クリーンエネルギーへの転換が大きく遅れた。
(4)「トリクルダウン」(注2)による経済発展とは逆に、経済的不平等・貧富格差の拡大、そして民主主義が危機に瀕していた。強権的な減税、公的インフラに対する投資の減退、野放しの企業合併、(中産階級を育ててきた)労働運動への抑圧などがもたらしたものだった。
(注2:「トリクルダウン」は大企業や投資家が大きな利益を上げれば、その富の一部が広く滴り落ちて全体が繁栄するという理論。徹底した自由経済を基本に経済活動に対する規制は最小限とし、税金も最小限、社会保障には反対といった1981年登場のレーガン政権の供給重視の「サプライサイド・エコノミー」に対し「金持ちのための経済政策」とする批判として使われるようになった)
「『大きな政府の時代は終わった』という時代は終わった」
サリバン演説を受けて主要メディアやエコノミストの間で「バイデノミクス」「新ワシントン・コンセンサス」が広く取り上げられるようになった。バイデン大統領も6月末のシカゴでの演説で「バイデノミクスというのがあるらしい。ウォールストリート・ジャーナル(米経済紙)やフィナンシャル・タイムズ(英経済紙)がそう書いている」といって30分余り、そのPRに努めた。
2021年にバイデン政権がスタートした時、米国は新自由主義経済政策を柱とするグローバリズムによって貧富の格差が広がり、一部富裕層へのかつてない富の蓄積の一方で中産階級が崩壊して低所得層が急増したうえにコロナが蔓延、疲弊しきっていた。僅差ながら上下両院の多数を握ってスタートしたバイデン政権は最初の100日間に、1・9兆ドル(約200兆円、当時)の低・中間所得層向けの大型「コロナ救援策」を共和党の反対押し切って成立させ、続いて経済再生をかけた2兆ドル超の雇用創出計画(広義のインフラ投資、構想では10年で5兆ドルともいわれた)を提示した。
同計画を大恐慌さなかの1932年に共和党長期政権にとって代わった民主党ルーズベルト政権の「ニューディール」になぞらえて、メディアは「バイデン・ニューディール」と呼び、「グローバリズム(新自由主義経済)によって「『大きな政府の時代は終わった』という時代は終わった」と報じた(ニューヨーク・タイムズ紙)。
「大きな政府」への回帰か新型か
この「バイデン・ニューディール」には「小さな政府」が党是の共和党だけでなく、民主党上院の少数の保守派も警戒し、このために多数による「強行突破」は困難となった。しかし、バイデン氏はこの大型計画をいくつかに分解し、共和党の一部の支持も取り込んで段階的に議会通過を図った。老朽化した道路・橋梁、港湾などに絞った「インフラ投資法」、気候変動対策、医療保険充実に、半導体産業再建やサプライチェーン再構築など国際競争にかかわる緊急案件をパケージにした「インフレ抑制法」などだ。
中間選挙で惨敗の予想を裏切る「判定勝ち」を得た後の昨年末、議会では、ウクライナ武器支援と医療、教育、労働、環境、経済など国民生活や自然災害対策をひとまとめにした「乗り合いバス」法案を通過させた。
これらのすべてを「バイデノミクス」というわけである。政府の産業政策が経済の方向を主導する「大きな政府」型と言えそうだ。これは「大きな政府」への回帰なのか、それとも新しい型の「大きな政府」の始まりなのか。
支持率低迷の不思議
議会共和党の一部は緊急性の高い「インフラ投資」や「半導体産業再建」に賛成票を投じたが、党としては反対を通した。しかし、これらの法案による工場建設などが実施段階にはいり、地元に大きな雇用がもたされることになった地域では、反対してきた共和党議員も大喜びしているというニュースが報じられるようになってきた。それでも世論調査によるバイデン氏の支持率は依然として40%そこそこと低迷が続いている。なぜなのか。不満を訴える民主党だけでなく、メディアも不思議がっている。最近、バイデン氏の不人気は政策の問題ではなく、80歳を超えた高齢での出馬への反対との見方が出てきた。
7〜8%のインフレ下だった中間選挙では政権党の民主党は経済政策への支持では、不動産ビジネスの成功者トランプ氏は経済に強いと信じる共和党支持層に大きく差をつけられた。これが選挙結果に大きく影響したとはみられていない。共和党の「小さな政府」は南北戦争後のほぼ70年、共和党の「自由放任」の経済政策が長期繁栄をもたらしたことに始まる。その後はルーズベルト政権を引き継いだ民主党の「大きな政府」が長期支配、1980年のレーガン元大統領の「保守革命」がこれに終止符を打って以来、共和、民主両党の激しい政策・政権争いが続いてきた。
グローバリズムがもたらした大きな貧富格差が世界にポピュリズム政治を広げた。トランプ氏の登場もその一つだ。トランプ氏を軸にする選挙戦は次の大統領選挙が5回目。世論の審判に注目したい。
(7月16日記)