8月24日から始まった福島第1原発での「汚染水」を処理した水の呼び方(表記)をメディアがどう使うかは、一見小さなことのように見えるが、実は原発報道の在り方を考える上で重要な問題だ。その使い方によっては、政府や東電の意向に沿った「官製キャンペーン」にメディアが寄り添うことになりかねない危険性があるからだ。新聞やテレビなどの大手メディアの報道では、それぞれの媒体で多少のニュアンスは異なるものの、そのほとんどが海洋放出した水を見出しやテロップ、記事で「処理水」と呼ぶ。
保管タンクにたまった〃汚染水〃をALPSで取り除き、取り除けないトリチウムを海水で薄めて海に流すのだから、東電の言うように微量な放射性物質は残るが、その大半は取り除かれ、海水に希釈されて薄まっていることは事実であろう。だから、これを「処理水」と呼ぶことには、一定の根拠があると考える。ただし、「処理水」表記には、「処理された、きれいで安全な水」というバイアスのかかったニュアンスが感じられる。まして、〃処理水〃を「安全・安心」なものと国民にアピールしたい政府・東電もメディアがこの言葉を使ってほしいと考えているのではないかと推察する。政府はこの水を「ALPS処理水」と呼び、岸田文雄首相も会見などで使っている。メディアの使い方とほぼ同じと考えてよいだろう。
「世論誘導の言い換え話法」
これに対して、原発に反対する環境保護団体などは、この水を「汚染水」と呼んでいる。放射性物質が完全に除去された水ではないのだから、これにも、やはりそれなりの根拠があり、間違っているとはいえない。環境保護派は、「処理水」表記について「たくみに世論を誘導する言い換え話法」と強く批判、「処理汚染水」や「汚染水」と呼ぶべきだと主張する(雑誌「NO NUKES voice vol28」の森松明希子氏『処理水』『風評』『自主避難』〈言い換え話法〉」)。このことについて、メディアなどの事実の検証を専門とする非営利組織の「日本ファクトチェックセンター」は「福島第1原発の処理水と汚染水の違いは何?海洋放出は危険?」(7月19日)で、「「汚染水」の表現では浄化処理前の水か、浄化後の水か不確定だ」との理由を挙げて「『汚染水』表記は問題をミスリードする恐れがある」と指摘する。さらに、この見解に対して、ネット記事では批判もある。
「処理水」か「汚染水」かの表記の問題はこれほど、けっこう、やっかいで、いまや、これをどう呼ぶかは海洋放出に反対なのか、賛成なのかの踏み絵として政治性を帯びた論争的なものになっている。
「処理水」は日本だけ?
海外ではどう呼ばれているのか。中国は「核汚染水」とする。中国表記のように「核」がつくと「核兵器」を連想させ、何かおどろおどろしいものに感じる人がいるかもしれない。私も中国の水産物全面禁輸の報道に接した際に「核汚染水」と初めて聞いてそう思った。しかし、原発は英語で「nuclear power plant」という。われわれは、このことで少し思い込みがあるのかもしれない。日本では、なぜ初めから「核」という言葉を避けるように「原子力発電」を使ったのか。「平和利用」を強調するためだったのではないか。そう指摘する識者もいる。米国を含めた海外メディアは「radioactive water(放射線水・汚染水)」「nuclear wasted water(核廃水)」などという表記がほとんど。「treated water」(処理水)との表記は日本だけのようである(9月7日のまぐまぐニュース=原彰宏氏氏「中国に限らず海外メディアは『汚染水』と報道)。
また、NHK国際放送は2021年4月13日、前田晃伸会長(当時)が衆院総務委員会で英語表記を「radioactive water(汚染水)」から「treated water(処理水)」に修正したことを明らかにした。「適正に処理された水だと明確にするために修正した」と説明した。足立康史議員(維新)の質問に答えた(毎日新聞21年4月13日付)。政権や保守派に忖度する傾向のあるNHKらしい変更である。
タンクの約7割が「不完全な処理水」との報道
「汚染水」を処理した130万トン(東京ドーム1杯分超)を超える水が福島第1原発の敷地内に1000基以上ものタンクに貯蔵されている。このうち、放射性物質が基準値以上で処理が不十分な水が約7割もあり、それも〃処理水〃として貯蔵されていたことが暴露されたことがある。18年8月、トリチウム以外は取り除かれたはずなのに、水を貯めるタンクの約7割に「62種類の放射性物質が放出基準以上に残っている」と共同通信が報道した。その後、メディア各社もこれに続き、メディアは「東電が情報を隠蔽」と書いた。
原発に詳しい、どちらかというと、海洋放出に賛成するジャーナリストらが書いた「みんなで考えるトリチウム水問題」(小島正美氏編著、株式会社エネルギーフォーラム)では「東電の側にもメディアが納得する形での情報の出し方が求められる。これはその悪い例だ」と東電の対応を批判。ただし、「放射性物質の存在を(必ずしも)東電が隠していたわけではない。16年11月の経産省小委員会にヨウ素129などがタンクに残っている資料が提出されていた」と書いている。専門の記者らが書いているのだから、そういうこともあるのだろうが、事故を起こした後2年間もの長い期間、3基の原子炉が「メルトダウン」していたことを隠すなど東電の隠蔽体質を考えれば「都合が悪いから隠していたのではないか」と疑われても仕方がないだろう。
揺らぐ表記の信頼性
21年4月、菅義偉内閣は「ALPS処理水」の処分方法を「海洋放出で行う」との基本方針を決めた。これに伴い経済産業省は「ALPS処理水」の定義を変更した。これまでの定義の「ALPS内で浄化処理され、敷地内のタンクで保管された水」を「ALPSで浄化処理した結果、トリチウム以外の核種について、環境放出の際の規制基準を満たす水」と変えた。これまでの定義では、タンクに貯蔵されたすべての水が「ALPS処理水」であると、誤解されるおそれがあったからだろうか。ついでにいうと、この7割の「不完全処理による汚染水」(東電はこれを「処理途上水」と呼ぶ)は再び、ALPSなどで2次処理されて海洋放出される予定だ。ただ、これもどれだけ放射性物質が除去されるのか、まだ実施していないので分からないというのが実態だ。このことを考えると、やはり「処理水」表記の信頼性は揺らぐ。
なぜ私がこのことにこだわるのか、というと、この「表記問題」が中国の海洋放出への反対や日本への「迷惑電話」などの動きも合わせて日中間亀裂だけでなく、日本内部での海洋放出問題での世論の分断を象徴しているように見えるからだ。また、メディアの報道がいつの間にか、政府・東電の意図通りに「処理水」を使った安全・安心キャンペーンに利用された大本営報道になっていないか。さらに、「反中国」が加わったことにより、日本でのナショナリズムが煽られ、「汚染水」などという言葉を使うのは中国に味方しているとの批判がネット上に飛び交うなど問題の本質と大きくずれる方向に誘導されているように感じるのは私だけだろうか。
だから、私もこの問題に接してどのように表記するか迷った。以上に挙げた理由で私は「処理水」表記を使いたくない。例えば、長い間、原発問題に取り組んできたルポライターの鎌田慧氏は「汚染水改メ処理水」という言葉を使う(東京新聞9月19日付、本音のコラム「侮辱の中に生きています」)。他のジャーナリストらの工夫も参考にしながら、私は微量かもしれないが、放射性物質は残っているという意味を込めて「〃処理水〃」と表記する。「〃〃は乱用しない」と共同通信の記者ハンドブックには書かれているが、「処理水」とあえて区別するため「〃〃」を使うことにした。
「風評被害」という言葉の魔力
〃処理水〃海洋放出3日前の8月21日、岸田首相は全漁連や福島漁連の漁業者代表と面会した。その際、「必要な対策を今後数十年の長期にわたろうとも、全責任をもって対応する」と述べ「安全性確保」とともに、「風評被害対策に万全を期す」ことを強調した。私がもうひとつ問題にしたいのは、首相が強調した「風評被害」という言葉である。
関谷直也東大大学院情報学環准教授の「風評被害~そのメカニズムを考える~」(光文社新書)によると、「風評被害」という言葉は、もともと学術的にあるいは公的に定義された用語ではなく、「マスコミ用語」なのだという。そして「コンセンサスのないまま社会に定着し、新聞やテレビによって広まり、みんながいつの間にか、何となく使うようになった」という。
この言葉が話題になり始めた2000年頃「事実ではないのに、うわさによってそれが事実のように世間で受け取られ、被害をこうむること」などと定義されていた。この言葉が行政文書などに使われることも多くなったが、「風評被害の原因を『うわさや事実でないことの誇張』といった単純な認識で考えると、その発生メカニズムをとらえ損ねてしまう。そのために認識しなければならないのは、『風評被害』を『うわさ』とは異なる現象としてとらえることである」と指摘する。
引用が長くなったが、この関谷氏の指摘は重要だ。今回の〃処理水〃海洋放出問題でも、「風評被害」は政府・東電にとって、使い勝手のいい魔力を持つ言葉なので、政府やメディアでこの言葉が氾濫している。あいまいな定義のまま、この言葉が使われ、〃処理水〃海洋放出への批判について「科学的根拠のない言説だ」とその言説による「風評被害」を強調する主張も出ている。放射線リスクのとらえ方は人によってさまざまで、「安全・安心」の度合いも一様ではない。それにも関わらず、首相自らが海洋放出する前から「風評被害」に言及することは、漁業者に寄り添っているのではなく、逆に〃処理水〃海洋放出により自らが作った「官製風評被害」を漁業者に押しつけているように見える。そもそも、他の方法も提案されているのだから、「風評被害」が予想されるようなやり方をすべきではない。また、この言葉により、メディア報道を政府・東電の都合の良い方向に誘導しようとする意図も透けて見える。
朝日新聞はなぜ「論調」を変えたのか」
私は朝日新聞について、いろいろ毀誉褒貶はあるものの日本の知性を代表するメディアだと思っている。そして、少なくとも「脱原発」を志向するメディアのひとつであるとも考えてきた。そこで″処理水″海洋放出から1カ月の記事を見ると、9月24日付朝刊にも、翌25 日付朝刊にも紙面は中国の水産物輸入規制強化関連の話題ばかりで、海洋放出の環境や健康への言及は全く見当たらなかった。見出しだけ紹介しておくが、24日付は国際面で「香港 日本食に変わらぬ熱 すし店に行列50人」の1本のみ、25日付は1面準トップで「中国船が取ると自国産 日本船が取ると禁輸に」、その関連記事が国際面に、総合面には「ホタテ禁輸 欧米にも余波」、この記事のわきにベタで「海水・魚に異常値なし」。社会面には「迷惑電話かけた中国人」への電話インタビューといった内容だった。つまり、どちらかというと、「’反中国」’記事のオンパレードだ。
海洋放出前日の8月23日付の社説では「処理水の放出 政府と東電に重い責任」との見出しで「政府と東電は内外での説明と対話を尽くしつつ、安全確保や風評被害対策に重い責任を負わなければならない」と書いている。それが中国が水産物の禁輸を発表すると、スタンスを大きく変えた。8月26日付社説は「中国の禁輸 筋が通らぬ威圧やめよ」。その後も、朝日の強い中国批判の論調は続く。確かに、中国のこの問題でのナショナリズムに満ちた執ような対応は日本国民の反中国意識を刺激した。私も刺激されたひとりなので、そのことは認めよう。だが、デブリを通った世界初の‘’処理水″の海洋放出を決断し、反対の声を押し切ってまで強行したのは、政府と東電ではなかったか。
いま、メディアが中国批判をすると、国民受けすることは事実だ。だからといって、この空気に迎合したこのように大きな変節はどうかと思う。わたしのような古い人間は、中国の文化革命時代の朝日新聞の迎合的なキャンペーン記事を思い出してしまう。
東京新聞のそれなりの工夫
そして、メディアの中でも「脱原発」姿勢を明確にしている東京新聞。「こちら報道部」などで、この問題についてあらゆる角度から政府・東電を批判してきた。他のメディアのように記事のリード部分でいきなり「処理水」と書くのではなく、福島ウオッチを続ける片山夏子記者は「汚染水を浄化処理した水」とし、見出しや関連記事には「処理水」を使う。「処理水」だけだと、「きれいな水」という印象を読者に与えてしまうからだろう。
それなりの工夫だと思う。海洋放出1カ月の記事も記事自体が「風評被害」にならないよう慎重な書きぶりだ。主見出しも「風評『影響ない』福島安堵」と漁業者に寄り添っているように感じる。ただ、節目の記事なので海洋放出の環境や人への影響について、東電は「問題はないとしている」と書くだけで良かったか。
「予防原則」の考え方
今後、原発から気の遠くなるほど長い間、放出され続ける「基準下限値未満」とはいえ、微量の放射性物質を含んだ水が長い間に何か人間の健康や環境にとって大きな悪さをしないか。そう心配する人びともまだ多数おり、それが必ずしも「科学的ではない」わけではないことも事実だと思う。この問題のステークホルダーは地球温暖化の問題とともに、人類全体となる可能性があるからだ。この視点もこういう記事には必要不可欠だ。そうでないと、書き方にどのように工夫しても、結果として、政府や東電の戦略に寄り添うことになってしまうからである。
政府・東電による〃処理水〃の海洋放出以外に他の選択肢はなかったのか。閣議決定前の経産省の小委員会でもさんざん専門家により検討されたはずだ。たとえ微量でも気の遠くなるような長い期間の放射性物質の環境や健康への影響はゼロと言えるのか。どうしても放射性物質による「食物連鎖による濃縮」や「複合汚染」という言葉を思い浮かべてしまう。「人の健康や環境に重大かつ不可逆的な影響を及ぼす恐れがある場合、科学的に因果関係が十分証明されない状況でも、予防的な措置をとるべきだ」(ウィキペディアなど)との欧米を中心に取り入れられている考え方である「予防原則」を今回の海洋放出に取り入れるべきだとの〃環境派〃の主張は大変重要である。
反骨の研究者のかみしめたい言葉
最後に、フェイスブック友達の発信にあった「もともと放射能に『安全量』はない。『十分な拡散と希釈』とは広範囲に汚染を広げることである」という言葉を紹介したい。直接、今回の海洋放出を指したことではないが、京都大学原子炉実験所の元〃万年助教〃で反骨の原子力工学研究者の小出裕章氏が共著の「『最悪』の核施設 六ヶ所村再処理工場」(集英社新書)で書いたこの言葉をいま、改めてかみしめたい。
(了)