貯蔵タンクの大型化、固体化など他の方法も専門家から指摘されていたのに、政府・東電は最も内外の批判を浴びやすい〃処理水〃の海洋放出をあえて選んだ。「関係者の理解なしには、処理水の処分は行わない」との2015年に東電が福島県漁連に出した文書での約束を事実上、反故にしてまで漁業者の反対意見を封じる形で強行した。一方で、「脱原発論者」だけでなく、国民の間からは「いくら微量だからと言っても、本当に健康や環境は大丈夫なのか」と心配する声もまだ聞かれるものの、直近のマスメディアの世論調査を見ると、世論はこの2、3年で海洋放出「反対」から「賛成」に大きく変わってきていることも数字が示している。
一連の〃処理水〃をめぐる「大丈夫だ」「大丈夫だ」とのマスメディアによる「海洋放出報道」がこれを後押ししたのではないかー。今後も少なくとも、廃炉予定の2051年12月までは続く〃処理水〃の海洋放出。「なぜ世論が大きく変化したのか」。この重大な疑問にメディアは自己検証して答える必要がある。
「安全・安心」報道は続く
東京電力第1原発から出た汚染水を処理した微量の放射性物質が残る水(私はこれを〃処理水〃と表記する)の海洋放出から9月24日で1カ月が過ぎた。〃処理水〃海洋放出について、経産省はHPでこう説明している。「ALPS(多核種除去設備)処理水って本当に安全なの」というタイトルで「東電第1原発の建屋内にある放射性物質を含む水について、トリチウム以外の放射性物質を、安全基準を満たすまで浄化した水のことです。トリチウムについても安全基準を十分に満たすよう、処分する前に海水で大幅に薄めます。薄めた後のトリチウム濃度は、国の定めた安全基準の40分の1(WHO飲料水基準の約7分の1)未満になります。安全基準を満たした上で、放出する総量も管理して処分するので、環境や人体への影響は考えられません」と書かれている。
こういう水なので、「安全・安心」であるかはともかくとして、近くの海水や魚を検査すれば、「基準下限値未満」になるのは当然だ。例えば、魚の調査を担当する水産庁は9月25日、8月24日の放水以来、毎日実施してきた魚に含まれる放射性物質のトリチウム濃度の分析結果を公表。「1カ月間、いずれも検出限界値未満の『不検出』とした。水産庁はこれを国内外の風評抑止に役立てる狙いで、日本語と英語で発信、今後の公表頻度や中国語展開などは未定」という(東京新聞26日付朝刊)。このほか、東電、環境庁、福島県もそれぞれの調査結果を発表し、健康や環境への「安全・安心」をアピールした。
また、懸念された「風評被害」についても「目立って確認されておらず、福島県内の漁業者は胸をなで下ろしている」(東京新聞24日付)という。放射線による健康被害、特に長い時間をかけて起きる「内部被ばく」は見えにくいし、例え、ガンや白血病などの被害が出てもその因果関係を明らかにすることは難しい。ALPSを使っても放射性物質は完全に取り除くのは不可能で、基準値以下の微量なものはやはり残る。このことは東電も認めている。長期間の放出で本当に健康や環境に影響はないと言い切れるのか、というのが「風評被害」と合わせて海洋放出に反対する人々の理由である。相次ぐメディアの「安全・安心」発表の報道で、結果として「科学的に考えれば、環境や健康への被害は考えにくい」との方向に国民を誘導していないか。
IAEAの「お墨付き」
政府や東電のキャンペーンに寄り添った一方的な「安全・安心神話」がマスメディア報道によって拡散される。これに、国際原子力機関(IAEA)の「包括報告書」という〃お墨付き〃が7月4日に加わった。経産省HPでは、IAEAが「ALPS処理水の海洋放出について、国際安全基準に合致していること等を結論付ける「包括報告書」を公表した内容のポイントが書かれている。①IAEAは原子力分野について専門的な知識を持った権威ある国連の関連機関で、専門的な立場から第三者として検証②その結果として、海洋放出は「国際安全基準に合致」し「人及び環境に対する放射線影響は無視できるほど」③放出中、放出後についても長年にわたって海洋放出の安全性確保にコミットーなどとアピールしている。
だが、IAEAは原発の利用を推進する立場の国際機関。〃国際原子力ムラ〃のリーダー役であることも指摘しておきたい。前の事務局長は日本人で、元外交官、天野之弥(ゆきや)氏は09年から亡くなるまでの約10年間つとめた。近く原子力規制委員会から職員を派遣する予定との報道もある。日本のIAEA分担金も21年基準で米国、中国に次ぐ第3位で、多額の拠出金も出している。だからこそ、その中立性を問題視するメディアもある。東京新聞は7月8日付朝刊の「こちら特報部」では「資金提供する組織に評価を求めれば『配慮』が働く恐れがある。お墨付きをもらう相手を間違えていないか」と書いた。
日本の調査依頼が放出前ではなく、21年4月の放出が決まった後の後付けだったことも、海洋放出反対派などからの不信を招いた。グロッシ事務局長は報告書公表に合わせてわざわざ来日し、日本記者クラブで記者会見。「中立的で科学的な評価に自信を持っている」と述べ、「IAEAは、処理水の最後の一滴が安全に放出し終わるまで、福島にとどまる」とアピールするなど大変なサービスぶりで、日本との親密さをみせつけた。しかし、この報告書公表とグロッシ事務局長の来日のメディア報道が国民の「安全・安心」世論の形成に大きな役割を果たしたことだけは間違いない。
反中国感情を刺激
また、野村哲郎前農水大臣のいうように、「想定外」だったのかどうかは別にして、(私は当然、想定内だったと見るが)放出直後のナショナリズムむき出しの中国による執拗なまでの「核汚染の水海洋放出反対」という国民の反中国感情をいたく刺激する言動がこれにさらに、拍車をかけた。このことを、日本のメディアが総力を挙げてここぞとばかりに煽った。このような構図の中で、メディアの世論調査での国民の意識も21年4月の菅義偉内閣の放出閣議決定前後の「海洋放出反対」から「賛成」へと大きく変わった。これが私の〃処理水〃海洋放出での世論変容の見立てである。
当初から「海洋放出ありき」だった政府・東電はさぞ満足なことだろう。「風評被害」を心配する漁業者には用意周到に1000億円という〃金目〃を用意した。漁業者の中にはそれでも納得できない人がいるはずだが、メディア報道では、その声もほとんどかき消された。
「賛成66%」の世論調査結果
私がこのように考えたのは、まず、〃処理水〃海洋放出に関するメディアの世論調査の結果にびっくりしたからだ。朝日新聞が9月16,17両日に実施した世論調査。「評価する」は66%で「評価しない」は28%。もっとも質問が単に海洋放出の「賛成」「反対」を問うのではなく、「政府と東電は、福島第1原発にたまる汚染された水から大半の放射性物質を取り除き、国の基準以下に薄めた処理水を海に流し始めました。このことを評価しますか」というかなり誘導的な内容なので、「評価」と回答した人もいたかもしれない。
ただ、NHKが朝日調査の少し前の9月8日から3日間行った調査でも、「海洋放出妥当」が66%、「妥当ではない」が17%と朝日調査と似たような結果が出ているので、国民の7割近くの人が海洋放出に「賛成」していることになるのだろう。
2年7カ月の間の世論の変化
朝日の1カ月前の8月19,20日の調査では、海洋放出「賛成」が53%、「反対」41%だったのが1カ月で大きな開きが出た。このときの中国の水産物輸入規制強化の動きに対しては「納得できない」が55%もあったことから中国の動向が皮肉にも「海洋放出賛成」に大きく寄与したとみられる。朝日調査では「海洋放出」について、22年2月には「賛成」42%、「反対」45%とまだわずかだが、反対が上回っていた。
菅内閣が閣議決定(21年4月)する少し前の21年1月の調査(郵送)では、「反対」が55%で、「賛成」は32%だった。このときと今年の9月調査を比べると、「反対」が27ポイント下がり、「賛成」が34ポイントも上がった。わずか2年7カ月の間の世論の変化をどう理解したらよいのだろう。
政権の「メディア戦略」
数字の羅列が続くと、文意がぼやけるので、毎日新聞調査を最後とするが、同社のNTTドコモのdポイントクラブを対象とした9月3日のスマートフォンを使った社会調査センター調査によると、海洋放出を始めたことについて「問題はあるが、やむを得ない」が54%で、「妥当だ」の29%と合わせて容認は83%、「放出はやめるべきだ」は10%だった。朝日、NHK、毎日の調査はいずれも質問も調査方法も異なるが、一定の傾向をみることができるのではないか。
つまり、一見、「賛成」や「評価」に見える人でも朝日やNHK調査の約7割の賛成のうちにも毎日調査のように「問題だが、やむを得ない」と考える人がかなりいるのではないかと推定できる。ざっくりと、言えば、賛成7割のうちにも「問題はあるが、やむを得ない」と考える人もけっこういるのではないか。そうでなければ、朝日調査でわずか2年7カ月の間の34ポイントという差ができたことを説明できない。ここにもネットを含めた政権の「メディア戦略」の一端がうかがえる。専門家の分析を待ちたい。
(続)