2004年に亡くなった時には英タイムズ紙が紙面の半ページを使い追悼記事を載せた。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授など英国での研究生活が長くノーベル経済学賞に最も近かった日本人ともいわれる森嶋通夫氏。生前、森嶋氏が明言していたと聞いたことがある。「日本はいずれとるに足らない国になる」と。欧米先進国の人たちがこれまで日本や日本人に深い敬意を払った時期があるのか疑問だが、筆者が最近、気になるのはお隣中国人の日本に対する関心の度合いだ。
文部省科学技術・学術政策研究所は「科学技術の状況に係る総合的意識調査(NISTEP定点調査2023)」結果を5月14日に公表した。「第一線で研究開発に取り組む研究者」と、大学、国立研究開発法人などの管理者と企業、大学発ベンチャーなどから選ばれた「有識者」を合わせた2000人以上を対象に、毎年実施している大規模継続調査だ。質問項目は研究人材、研究環境、研究活動・研究支援、産学官連携・地域創成、大学の機能拡張・戦略的経営など65項目に及ぶ。
心配は将来担う人材確保にも
内部研究費など基盤的経費が減少している。十分な研究時間が確保できない。回答結果からは大学の研究者や管理者によるこうした不満や危機意識が数多く見て取れる。日本の研究力低下をうかがわせるデータや、特に指導的立場にある学界の人たちなどから緊急な対策を望む声は近年、あちこちで目、耳にしてきたので、大きな驚きはない。しかし、「望ましい能力を持つ博士後期課程の進学者の数」を聞いた質問項目に対する「第一線で研究開発に取り組む研究者」たちの回答が、目を引いた。「十分と認識」から「著しく不十分と認識」まで5段階に回答を整理・区分けすると、全体として最低ランクの「著しく不十分と認識」という集計結果となっているのだ。大学管理者層の答えも二番目に低いランク「不十分との強い認識」だった。
博士後期課程というのは、4年制学部から修士課程を経ての進学者と医学部など6年制学部からの直接進学者がいるため、2年間の修士課程を博士前期課程、その後の3年間を博士後期課程と区分けしている。博士後期課程在籍者はすでに研究者としての道を歩み始め、近い将来、大きな役割を発揮すると期待される層といえる。こうした博士後期課程の大学院生たちを身近でみている「第一線で研究開発に取り組む研究者」たちが、自分たちを取り巻く研究環境という現状に対してだけでなく、将来の日本の学術・科学技術を担う人材確保に対しても大きな危機意識を持っている現実は注視せざるを得ない。
とまあ考えて、科学技術振興機構の中国人向けウェブサイト「客観日本」に「教育 – 【调查】日本博士生质量堪忧,研究学者和管理人员危机感增加 – 客观日本 (keguanjp.com)」(日本語原文記事の見出し「博士課程進学者の質に懸念も 高まる研究者・管理者の危機感)」という記事を書かせてもらった。
「客観日本」は、中国のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)「微信(WeChat)」の公式アカウントも持っており、こちらでもウェブサイトに掲載された記事が配信されている。本文の後にその時点で記事を読んだのが何人か、数字で表示されるから筆者にとってもありがたい。驚いたのは、日本の「第一線で研究開発に取り組む研究者」たちの危機意識を紹介した記事を、配信後の1週間で1万4000人を超す人たちが読んでくれたことだ。
直近1年間に配信された筆者の記事では最も多い。同じ5月には、「気候変動」「気候危機」について「言葉の意味・もしくは現象の内容までよく知っている」日本人は、それぞれ20.6%、10.1%に過ぎない、という記事も配信している。日米英3カ国の住民を対象にした博報堂による調査結果を紹介した記事だ。こちらを読んでくれたのはわずか269人。約5万6500人いる「客観日本」の「微信(WeChat)」フォロー数(読者)からみても、1万4000人という数字は大きい。
大学ランキングにも関心大
この1年間で次に多くの人に読まれた記事(読者数約9400人)は、5月13日に掲載・配信された「教育 – THE发布2024亚洲大学排名,日本大学的排名普遍提升 – 客观日本 (keguanjp.com)」(日本語原文記事見出し「日本の大学軒並み順位向上 英教育誌アジア大学ランキング」だ。毎年、さまざまな大学ランキングを公表する英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)」が公表した中東を含むアジア地区の大学ランキングを紹介している。日本の状況を紹介するサイトなのでこのような見出しをつけ、近年、各種大学ランキングで劣勢が続く日本の大学が、東京大学の5位をはじめ上位100位内には前年より4校増の10校が入り、10校すべてが前年より順位を上げたことを強調する内容とした。ただし併せて紹介した、1位の清華大学をはじめ、上位100位内に33校が入り、このうち前年より順位を下げたのはわずか4校のみという中国の大学の高評価が引き続き日本を上回る結果は、近年、公表された多くの大学ランキングと基本的に変わりはない。
中国の研究力、高等教育の水準はもはや日本を完全に上回っている。日本はむしろさまざまな問題を抱えている。こうした中国の人々の自信あるいは心地よい気分が「微信(WeChat)」の特定の記事が特に数多く読まれる背景にあるのだろうか。それを考える材料として、もう一つ次に読者が多かった記事(読者数約9200人)を紹介したい。3月12日掲載・配信の「经济・社会 – 全球创新机构百强中日本企业占38家,其中6家排名前十 – 客观日本 (keguanjp.com)」(日本語原文見出し「日本上位10位内に6社 革新的企業・機関ランキング」)だ。国際学術・特許情報調査・コンサルティング企業「クラリベイト・アナリティクス」が技術研究とイノベーションで世界をリードする企業・機関として評価・順位付けした「Top100グローバル・イノベーター2024ランキング」の内容を紹介している。
日本の高評価続く革新的企業
2000年以降に500件以上の特許を出願し、かつ直近5年間で登録した特許の数が100以上。こうした条件を満たす約3500の企業・機関の中から、特許が他者のアイデアに与えた影響力、特許が生み出した経済的資産、特許取得に投じた資金、特許の希少性という四つを指標でさらに厳密な評価を行い、上位100の企業・機関を選出している。日本からは最多の38企業(前年と同数)が選ばれ、3年連続で最多選出国となり、上位10位内にも6社が入った。クラリベイト・アナリティクスは、ロイターがトムソン・ロイターに変わり、さらにその知的財産・サイエンス事業部門が分離して発足した企業。大規模な論文データベース、特許データベースを所有し、学界、産業界などへの情報提供、分析、コンサルティングなど幅広い業務を展開している。
13年前から毎年、公表している「Top100グローバル・イノベーター」は米国と日本の企業・機関が大半を占める結果が続き、近年は日本企業の高評価が目立つ。中国は今回、前年から一つ増えたもの5企業にとどまる。中国人が大喜びするとは思えない結果となっているにもかかわらず、なぜこうした記事にも多くの中国人が関心を示すのか。「客観日本」の編集・制作に長年、かかわっている中国人の担当者に尋ねてみると、次のような答えが返ってきた。
「中国は若者の就職難が深刻。就職先として日本企業に大きな関心があるのが一つの理由ではないか」。確かに、中国国家統計局が昨年8月、年齢層で分けた7月の失業率公表を一時停止すると発表したことが日本国内でも関心を集めた。7月は社会に出る大学卒業者や大学院修了者が最も多い時期。直前6月の時点ですでに若年失業率が深刻な状況となっていたための失業率公表停止とみられている。
2021年時点で清華大学の学部卒業生・大学院修了者のうち就職先未定者の実質比率は大学が認める数値よりはるかに高い。就職できた人たちの就職先も中国共産党・政府とその関連機関・学校、さらに国有企業を合わせると69.9%を占め、人材がますます党・政府と国有企業に集中する人材の『国進民退』が加速しているという呉軍華日本総合研究所上席理事のリポートも一昨年2月に公表されている。日本企業に対する関心が高いなら、就職も見据えて留学先として日本の大学に対する関心もまた高い。そんな見方も可能だろうか。
「とるに足らない国」とはみられずか
とはいえ「Top100グローバル・イノベーター」に選出された企業は中国より日本の方がはるかに多いという記事が中国人の多くの関心を引く理由を、若者の就職難だけに結び付けるのもやや問題があるのでは。「客観日本」の「微信(WeChat)」フォロー数(読者)のうち「18~25歳」は8%、「26~35歳」は29%で、就職難に直面している世代が特に多いわけではないからだ。
限られた筆者の記事、それも科学技術・学術・高等教育に偏った記事に対する「微信(WeChat)」読者の反応だけから、中国人の日本に対する関心の度合いを見極めるのは土台無理ということだろうか。「とるに足らない国」とはみられていないようだが。
(了)