<処理水海洋放出(上)>浮かび上がるか厄介な真実 一般国民により確かな情報を

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 長崎県対馬市の比田勝尚喜市長が9月27日、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定作業の第1段階となる「文献調査」を受け入れない意向を表明した。福島第一原発の処理水海洋放出が招いた日本の水産業界をはじめとする深刻な状況が、市長の判断に決定的ともいえる影響を与えたのだろう。10月2日には東京電力ホールディングスが、風評被害を受けた漁業者らへの賠償手続きを始めた。これを伝えた日経新聞は「中国による水産物の輸入禁止で風評被害は全国に及び、現時点で影響額は100億円規模になったとみられる」としている。処理水海洋放出に強く反発する中国政府の姿勢が変わる兆しも見えない。

 こうした深刻な状況が続く中で筆者がわずかながら希望を持つことがある。原子力開発利用を主導してきた専門家たちの発言をはじめ重要な情報が、新聞紙上で目につきだしたと感じる読者は筆者だけだろうか。東京大学アイソトープ総合センター長や政府の食品安全委員会リスクコミュニケーション専門調査会専門委員などを務めた唐木英明公益財団法人食の安全・安心財団理事長(元倉敷芸術科学大学学長、元日本学術会議副会長)は、食品や原子力に関する安全問題で科学者の責任が大きいことを早くから強調していた。ただし、「『安全だ』と言うその科学者を信頼できるという感性の満足感がないと、人々は絶対に安心しない。安全と信頼が一対になって初めて安心する」と。(第4回「信用できないアンケート結果」(唐木英明 氏 / 日本学術会議 副会長、東京大学 名誉教授) | Science Portal – 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 (jst.go.jp)第5回「科学者、メディアの責任も」(唐木英明 氏 / 日本学術会議 副会長、東京大学 名誉教授) | Science Portal – 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」 (jst.go.jp)参照)

 しかし、原子力の開発利用に関して科学者、原子力専門家と多くの人々との間には唐木氏が重要だとするような信頼関係ができているようにはみえない。処理水の扱いという目先の問題以外にも日本の原子力開発利用が抱える課題は多い。しかもその多くがしりぬぐいを将来世代が押し付けられそうな難題だ。処理水海洋放出をきっかけに原子力開発利用の当事者である専門家が積極的に発言し、新聞や放送がきちんと伝える。その結果、確かな情報を基に原子力をめぐっては処理水だけでなく、より重大な問題が多々あることに関心を深め、真剣に考える読者、視聴者が増えるとしたら、その意味は大きいと筆者は考える。

 学者、専門家の発言の影響

 「専門家も入れた組織である原子力市民委員会などがモルタル固化や大型タンク案を出している。なぜかというと2011年に約50年分のトリチウム水が海洋に流れてしまっている。だからこれ以上は流すべきでないという判断から固定化してしまう案の方がよいと言っているのに、真剣に検討されなかった。国際原子力機関(IAEA)に示したのも海洋放出案だけ。米スリーマイル・アイランド原発事故の時は原発反対派も入れた12人の助言委員会で13年かけて対策を決めた。日本は国民、海外とのコミュニケーションを10年間怠っていた」

 9月初め視聴率が高い民放テレビの番組で新聞やテレビにもしばしば登場する高名な学者がこのような発言をしていた。旧知の原子力専門家に聞いてみたら、次のような厳しい感想が返ってきた。

 「どのような検討がされて来ているかを調べもしない学者としてあるまじき発言。固化は国のトリチウム検討会が検討したオプションの最下位に出て来る。100万トンを超える量の水を固化体にするとどれだけの量になるか量的感覚が欠如しており、固化体がどのような環境影響を及ぼしそうか考えていない。もう大量に海に出してしまっているからという論議もトリチウムには減衰があるということを無視している」

 学者、専門家としてそれぞれ際立つ経歴、実績を持つ人たちの見方がこのように異なるというのは、唐木氏の言う科学者と一般の人々との信頼関係と同様に大きな問題ではなかろうか。テレビ番組で発言した学者が根拠としているのは民間の組織である原子力市民委員会が2019年10月に公表した「ALPS処理水取扱いへの見解 ](ccnejapan.com)のようだ。この見解は、「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」が処理水の固化処理についても検討したことにも触れたうえで、大型タンクの建設かモルタル固化による永久処分を有力な選択肢として検討すべきだとしている。

 固化処理が外された理由

 「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」とは、「トリチウム水タスクフォース」とともに経産省に設けられた組織。「トリチウム水タスクフォース」が2013年12月から検討を開始し、2016年6月に報告書をまとめ、この作業を引き継いだのが「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」だ。2016年12月から検討作業を始め、2020年2月に報告書をまとめている。前述の原子力専門家の言う「国のトリチウム検討会」も、このタスクフォースと小委員会を指す。

 たまたまだろうが前述のテレビ番組放映直後の9月4日付朝日新聞朝刊は「始まった処理水放出」という記事の中で、「政府の専門家会議」が五つの方法を検討した結果、前例もあり環境影響を監視しやすい海洋放出がよいとする報告書を2020年にまとめている事実を紹介している。これも「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」の報告書を指している。五つの方法とは①地層注入②海洋放出③水蒸気放出④水素放出⑤地下埋設―で、5番目の「地下埋設」が固化処理法のことだ。

 「真剣に検討されなかった」とテレビ番組で述べた高名な学者の批判は妥当だろうか。経産省のホームページで公開されている「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」の報告書018_00_01.pdf (meti.go.jp)と「トリチウム水タスクフォース」の報告書160603_01.pdf (meti.go.jp)、さらに17回開かれた小委員会の会議資料多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会情報 (METI/経済産業省)から見てみたい。

 低レベル放射性廃棄物を固化体にしてドラム缶に詰め、太平洋の深海底に投棄する。1980年に日本政府はこのような計画を公表し、国際環境団体、南太平洋諸島諸国さらには小笠原諸島の漁業団体からの強い反対で断念したことがある。その後、放射性廃棄物固化体の海洋投棄は国際条約でも禁止された。従って処理水を固化処分するとしたら陸上ないし地下に置くほかない。小委員会では福島第一原発敷地内の地下に埋設する以下のような方法が検討された。

 地下19メートルの深さに地下水の侵入を防ぐベントナイト混合土層(厚さ2メートル)で覆われたコンクリートビットを設置、処理水とセメントを混ぜて流し込む。コンクリートでふたをした上に2メートルのベントナイト混合土層をかぶせ、さらに数メートルの土壌で覆う。埋設部分はベントナイト混合層も含めると長さ1,880メートル、幅150メートル、高さ6.7メートルで、もともとの処理水の容積の2.3倍になる。これを埋設する地表面の面積は28万5000平方メートルとなり、福島第一原発の敷地面積約350万平方メートルの約8%に相当する。

 要する費用は2、341億円と、他の四つの方法のうち最も費用がかかる水素放出法の1,000億円よりも高く、最も安く済む海洋放出法の34億円の70倍近い額となる。大量のセメントやベントナイトが使われることが高費用の大きな理由の一つとなっている。

 ただし、これらの数字は処理水の総量が80万トン(80万立法メートル)とみなした結果。現在、敷地内にたまっている処理水は134万5、000トンに増えているので、これ以上増えないと仮定しても、計算上は埋設体積、地表面の敷地面積とも報告書で示された値の約1.7倍に増える。費用もさらに高くなるのは間違いない(事故を起した原子炉内には地下水が今でも流入し続けており処理水が今後どれだけ増えるかは不明)。

 結局、地下埋設は地層注入、水素放出とともに規制的、技術的、時間的な観点から現実的な選択肢としては課題が多い、というのが「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」の評価となっている。具体的には固化による発熱があるため、水分の蒸発(トリチウムの水蒸気放出)を伴うほか、新たな規制の設定が必要となる可能性があり、処分場の確保も課題となる、といった問題点が挙げられている。海外で実績がある水蒸気放出が海洋放出とともに選択肢として残ったが、さらなる検討の結果、原子炉で実際にこれまで行われてきている実績や、放出設備の取扱いの容易さ、放出された放射性物質のモニタリングのしやすさなどから、海洋放出の方が水蒸気放出よりも確実に実施できると考えられる、とされた経緯がある。

 海洋放出管理目標値とは

 海洋放出についての危険性については次のような検討が行われた。通常運転時に放出が許される放射性物質の量については、これまでの設計、運転と経験からみて実現可能な値として原子炉ごとに努力目標値として放出管理目標値が定められている。福島第一原発は6基全体で年間22兆ベクレルという値が定められている。この値は通常運転時の環境への放射性物質の放出に伴う周辺公衆の受ける線量目標値を年間0.05ミリシーベルトとするという原子力委員会の指針に則っている。またその指針は「すべての被ばくは社会的、経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成可能な限り低く抑えるべきである」とする国際放射線防護委員会(ICRP)の線量低減の原則に沿ったものだ。福島第一原発では、事故前の2020年に放出管理目標値を大幅に下回る年間約2.2兆ベクレルの海洋放出が行われていた。

 では処理水海洋放出で計画されている年間22兆ベクレルのトリチウムが海洋に放出された場合、周辺公衆の受ける線量は実際にどの程度見込まれるのか。保守的に見積もっても年間0.00001ミリシーベルトで、原子力委員会の定めた年間0.05ミリシーベルト、自然放射線による影響とされる年間2.1ミリシーベルトのいずれと比較しても十分に低い値だとされた。

 こうした内容が盛り込まれた小委員会の報告書を2020年2月に受けた後、政府が海洋放出を処理水処分法として2021年4月に決定するまで7回にわたり福島県や東京で自治体、経済団体、農業・漁業関係団体、旅行業関係、小売業団体、消費者団体、市民団体の関係者から意見を聴く会が開かれている。並行して一般に対する書面による意見の募集も行われている。こうした活動も多くの日本国民の関心を引くことはなかったということだろう。

 増える専門家の重要発言

 しかし、こうした情報を知らされたとしても、処理水の固化処理が選択肢から外されたことに多くの国民が納得するのは難しいかもしれない。筆者がかすかな希望を感じるのは、処理水放出に対する中国の猛反発の結果、原子力専門家の積極的な発言を伝える新聞記事が多くなったように思えることだ。8月31日の毎日新聞朝刊には更田豊志前原子力規制委員長のインタビュー記事が載っていた。更田氏の次のような言葉に、「エッ」と思った読者は多いのではないだろうか。

 「再処理工場は、健全な燃料を壊して溶かしているという意味で、感じとして(福島第一原発の)処理水に近い。トリチウムの量でいえば、福島第一の処理水全量と同じくらいの量を、青森県六ヶ所村の再処理工場が完成すれば、1カ月で放出する」

 要するに日本で建設中、海外ではすでに運転中の再処理施設からの排水と、中国が「汚染水」と呼ぶ福島原発の処理水は性質としては同じようなもの。トリチウム量を比較したら再処理施設からの排出量の方がはるかに大きい、と更田氏は言っているということだ。

 日常的にトリチウムを放出しているのは再処理施設に限らない。国内外の原発(軽水炉、重水炉)の多くからも処理水を上回るトリチウムを含む排液が恒常的に海洋に放出されている実態は7月に掲載済みの拙稿「数値重視の議論なぜできぬ 重要課題将来世代に押しつけか 福島原発処理水海洋放出 – ウォッチドッグ21 (watchdog21.com)」で紹介済み。日本原子力文化財団の資料「トリチウムの年間排出量」に明記されている数値である。同じ数値を前述の朝日新聞記事も伝えていた。毎日新聞が伝えた更田氏の発言、朝日新聞の記事は、処理水の海洋放出が危険という理由で駄目となったら、再処理施設ばかりか世界中の原発の運転停止も求められかねないことを示していると言えないこともない。

 朝日新聞では9月19日付朝刊の宮野廣日本原子力学会・廃炉検討委員長のインタビュー記事も目を引いた。「処理水放出しても『51年廃炉』はあり得ない」と題する記事の中で、2051年までに福島第一原発の廃炉を完了させるという政府・東京電力の方針について、宮野氏に次のように言わせている。「一般の原発は、炉心に核燃料がない状態から廃炉作業が始まって30~40年かかる。福島第一原発は今も炉心に燃料デブリが残った状態だ。それで2051年に廃炉が完了というのは、ありえない話だ」。これもまた、多くの日本国民にとってあまり目や耳にしたことがない指摘だろう。

 「雨や地下水が入り込むことで処理水の基になる汚染水が発生し続けている状況をそのままにしていてよいのか」。「燃料デブリの取り出しが廃炉の本丸。まず重量のある原子炉上部の構造物を切断・分解し、撤去するのが先だ。撤去しないと老朽化して倒壊の恐れが出てくる」。朝日の記事に出てくるこうした宮野氏の指摘は、目先だけでも困難な作業が福島第一原発の廃炉には数多く存在している現実を明確に示している。

 負担・責任は若い世代に

 氏は日本原子力学会・廃炉検討委員長として2020年7月に「国際標準からみた廃棄物管理‐廃棄物検討分科会中間報告」福島第一原子力発電所廃炉検討委員会 (aesj.net)をまとめている。この中で福島第一原発の廃炉作業として四つの選択肢を示しており、これも前述の朝日新聞記事は紹介している。四つの選択肢はいずれも廃炉完了までに政府や東京電力が明らかにしている30~40年より長い年月がかかり、選択肢によって作業完了までの期間の差も極めて大きい。記事の中で目を引くのは、次のような宮野氏の言葉だ。「四つのうちどれを選ぶかは若い人たちが決めないといけない。決めるための情報を提供したいと思った」。処理水放出は長年を要する福島第一原発の廃炉作業の一部にすぎない。廃炉の基本的な進め方からして議論が残っており、長年かかる困難な廃炉作業の多くは若い世代に頼むほかない、という現実を宮野氏ははっきりと認めているということだ。

          (続)