石川県の能登半島を襲った大地震から2025年1月1日で1年。地域の再生は思うように進まず、今も多くの方たちが不自由な暮らしを強いられ、人々の傷も癒えない。追い打ちをかけた9月の豪雨でも土砂崩れが多数発生し、住宅や道路など復旧作業がさらに遅れる要因となり、復興への長い道のりを感じさせる。
石川県輪島市の輪島朝市周辺は大規模火災に見舞われた。千年以上の歴史を誇り、地元の海産物や輪島塗を求める観光客でにぎわった地はいつ復興するのだろうか。
能登半島地震の死者は12月27日、504人になった。石川県内での住宅被害は10万3911棟で確認された。避難者は公民館などの1次避難所に計28人が身を寄せている。このほか9月の記録的豪雨の影響で221人が避難生活を続けている。一方、国道249号は27日、約1年ぶりに全線で通行できるようになった。
元日の能登半島地震や9月の豪雨を受けて活動してきた一般ボランティアが12月末、今年の活動を終えた。石川県社会福祉協議会によると、これまでに県内で延べ16万人以上が参加した。来年1月10日に再開する。
志賀原発が立地する石川県志賀町で震度7、志賀1号機の地下で震度5強を観測。変圧器が故障し、外部電源の一部が使えない状況が続いている。海抜11メートルの敷地海側を津波が約4メートルはい上がった。道路の寸断で孤立した地域があり、地震と原発事故が同時に発生すると避難や救援が難しいことが分かった。北陸電力志賀原発の周辺道路が土砂崩れなどで寸断され、災害時避難の困難さを突き付けた。運転停止中とはいえ、特に半島部の避難には依然課題があることをあらためて示し、。
能登半島地震は、半島北岸沖の海底活断層が起こした。地震が起きるまで、その存在を知っていたのは一部の人だけだった。国の縦割り行政と、海底活断層の新しい調査手法がなかなか受け入れられてこなかったためだ。北陸電力は、「最長96キロ。それ以上は連動しない」と予測していた活断層が約150キロも動き、北陸電力は178キロに想定を変えた。

輪島市の輪島朝市跡は手つかずだったビル外壁やトタンも撤去され一帯は更地に。(Photo by Ken Shindo)

志賀原発は北陸電力が唯一保有する原子力発電所。津波は海岸部分をおよそ4mの高さまで駆け上がった。敷地の高さは6m。地震では、外部から電気を受ける際に使う変圧器などが壊れたという。
北陸電力の説明によると、壊れた変圧器は、一部の配管が破損して絶縁用の油が漏れ出したことで、内部で熱を発する放電現象が発生し、機器が損傷した。また、津波の高さについては、敷地前面の海で、最大でおよそ3メートルに達したとしていたが、その後の解析で、海岸部分の岩場などを最大でおよそ4メートルの高さまで駆け上がったとみられることがわかった。
原子炉建屋などがある敷地の高さは11メートルあり、原発の安全性に影響はなかったとしている。このほか、地震のあと敷地内の道路や地盤で確認された、段差や沈下などによる変形は、およそ80か所にのぼったという。(Photo by Ken Shindo)

強風が吹き荒れる真冬の珠洲市の珠洲海岸。「珠洲原発」は当初、珠洲市高屋町に建設する計画だった。1976年、関西、中部、北陸の三電力会社は正式に原発計画を公表。関電が計画を進めた高屋地区では住民のほとんどが反対。住民らの長い反対運動が結果的に最悪の事態を防ぐことができた。(Photo by Ken Shindo)

崩れた珠洲市の名所である見附島の周辺は地震と津波の被害で壊滅的。液状化もひどく、飛び出したマンホールが道路を塞いだ。(Photo by Ken Shindo)