20日の米大統領就任を待ちきれなくなったのだろうか。トランプ次期大統領が年明けとともに国際社会を揺さぶる恫喝的な外交政策を打ち出し、世界を動揺させている。注目されるのは電気自動車や宇宙開発の起業家で大手交流サイトX(旧ツイッター)も握る世界一の大富豪の実業家イーロン・マスク氏が政府支出の効率化を担う新設組織のトップに据えられ、トランプ外交を側面から支える役割を担っていることだ。そこに同じ巨大IT企業のメタ(旧フェイスブック)のザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)がトランプ氏と摩擦のもとになってきた第三者機関によるファクトチェック制度の廃止に踏み切った。ザッカーバーグ氏は発表の会見で欧州(EU)が交流サイトの「検閲」を強化していると批判した。トランプ氏との関係を改善してその政権のもとに加わるのが狙いとみられている。米巨大IT企業各社が、米大統領に返り咲くトランプ氏との関係修復に向けた動きを活発化させている。
マスク氏のSNS作戦で逆転した大統領選
マスク氏は前2回の米大統領選では民主党候補だったクリントン元大統領やバイデン大統領に投票した。今回は移民問題などについての政策に反対の立場から共和党のトランプ候補支持に転じ、たちまち親密な関係を築いた。米メディアによると、マスク氏の交流サイト(SNS)を巧みに使った作戦がトランプ当選に大きな貢献を果した。トランプ氏は、選挙はかつてない圧勝と自負してきた。しかし、得票差はわずか1・5%のきわどい勝利だった(2020年にバイデン氏はトランプ氏に3・4%差をつけている)。この逆転勝利をもたらしたのがマスク氏の「SNS作戦」だった。
米国の主要メディアの報道によると、そのマスク氏の作戦はこうだ。共和、民主両候はともに有権者の40%を超える固い支持層を持っている。これを動かすことは難しい。中間の15%ほどの中でハリス候補に傾いている層に狙いを絞る。個人攻撃や非難・中傷、虚偽とすぐ分かるような情報は彼らには効果はない。民主党のハリス候補はイスラエルへの武器支援を止めると決断したが、バイデン氏に背くことはできずに引っ込めた、決断力がないーといった事実に沿った情報を流す。これでハリス支持層の投票所への足が鈍る。
大統領選最後の1週間に、マスク氏が買収したXで多数のフォロアーを持つインフレンサー300人以上を集めて、SNSサイトをはじめ電話、パソコン、テレビ、ラジオ、家庭訪問のあらゆるチャンネルに、こうした情報を流し込んだ。米主要メディの共同出口調査によると、最後の数日間のハリス氏の票の出足が明らかに鈍っていたという。マスク氏はこれでヒーロー視されることになった。
「SNS選挙」は東京都や兵庫県の知事選、衆院選で影響を及ぼし、ルーマニア大統領選挙などで大量の虚偽情報をばらまかれて予想外の結果を引き起こし国際的な関心を招いているが、マスク氏のそれは考え抜いた新戦術と言えそうだ。マスク氏がトランプ候補支援につぎ込んだ資金はこのSNS作戦を含めて2億7700百万ドル(約450億円)と報道されている。
「二頭政治」の様相
トランプは肥大化している政府機構の改革を担当する「政府効率化省」のトップにマスク氏を充てると表明した。マスク氏は交流サイトのツイッターを買収、直ちに社員を半分に削減している。マスク氏は政府支出の3割に当たる2兆ドルの削減を掲げた(最近、2兆ドルは目標、可能なのは1兆ドルとトーンダウン)。
トランプ氏は新年早々、国際問題についての発言をいくつも重ねた。デンマーク領グリーンランドの購入やカナダの吸収、中米パナマ運河の管理権奪還を主張し、カナダは米国の州の一つに併合した方がいい、北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国は国防費をGDPの5%に上げろ、メキシコ湾を「アメリカ湾」に改称すると公言。トランプ氏の基本政策「米国ファースト」には、外国のことにはかかわらないとする19世紀から20世紀初頭の米孤立主義への回帰の匂いも感じられる。だが、トランプ発言の言葉使いは、植民地主義時代そのままの感じだ。『米国を再び偉大に(MAGA)』というというトランプ氏の看板の中身はこういうことかとよく分かった。
マスク氏は、米軍がいまだに時代遅れの有人戦闘機をつくっていると国防予算削減につなげて批判、トランプ氏が目の敵にしている西欧諸国の内政に対しても公然と口を出し、あるいは干渉に当たるような発言を繰り返している。「二頭体制」との見方も出ている。
マスク氏は英国の労働党政府も攻撃している。攻撃の材料として取り上げたのは、英国で1990年代から2000年代にかけて多数の少女が誘拐されて行方不明になり、当局の捜査が進まないまま性的暴行を受けたり殺害されたりする事件。マスク氏はこの古い事件を取上げて、労働党政府が真相究明を怠り隠蔽隠していると攻撃、スターマー首相の辞任を要求している。
ドイツで勢力を伸ばしている極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)アリス党首とXで長時間インタビューし、支持を表明して2月の総選挙で投票するよう呼びかけた。こうなると露骨な選挙介入ではないかと思う。
フランス、イタリア、オーストリア、オランダ、イタリア、スペインなどの西欧諸国で極右勢力が台頭し、民主主義が苦闘している。その中で英国では保守党政権が自滅的に崩壊状態に陥り、リベラル社会主義の労働党政権が再登場した。トランプ政権の攻撃目標とされている理由だろう。
トランプ人事の「踏み絵」
トランプ氏が新政権の首脳部にどんな人物を求めているのか。その人選が大きな問題を引き起こしていることは広く報道されている。必須条件はトランプ氏に対する絶対的な忠誠心。2020年大統領選挙で自分が勝ったのにバイデン氏が不正投票・開票によって盗み取ったとする主張を支持していること。したがって不正選挙に抗議する議会乱入は平和的請願であり、それを訴追したのはバイデン政権の政治捜査と信じること。この二つが「踏み絵」だ。
これによって新政権の首脳はすべて(内心はどうあれ)「トランプ信者」でなければならないことになる。担当分野についての経験、知識、適性、人格識見などは二の次ないし三次的な条件であり、あるいはないに等しいのかもしれない。
「法の支配」の総元締め、司法長官に指名されたゲーツ元共和党下院議員は未成年女性との性交渉や違法薬物使用の疑惑を抱えていることが分かり、自ら辞退に追い込まれた。トランプ氏は、米国最大の組織である米軍を統括する国防長官にトランプ支持の陸軍州兵出身でFOXニュースの司会者ピート・ヘグセス氏を充てると表明。トランプ氏の気に入る米軍批判をしてきたことが買われたといわれるが、軍籍の経験があるだけで国防総省の運営には全くの素人。この人物も女性問題が付きまとっていて寝強い反対が出ている。
犯罪取り締まりにあたるいくつもの機関の中心を占める連邦捜査局(FBI)長官には1期目トランプ政権で国防総省の幹部に起用されて気に入られ、側近となったカシュ・パテル氏の指名を検討しているという。議会襲撃事件などで起訴されたトランプ氏の熱烈な支持者で、FBIの解体を訴えている。民主主義制度の下では、司法省はもちろんFBIやその他数多くある犯罪取り締まり機関は、政敵に不利益を与えたり迫害するために権力を乱用したりしないよう政府権力からの独立制が求められる。これは基本的人権の擁護、人種差別反対などとともに民主主義体制の基本的な価値観の一つだ。
捜査機関や軍隊は「私兵」
米国では大統領およびそれに続く高官は、就任時には資産を第三者機関に委託することがルールになっているが、トランプ氏はこれを拒否したまま現在に至っている。こうしたトランプ氏の新政権首脳部を選ぶ人事を見ると、人選の条件が自分に対する忠誠心、側近、親しい友人、高額献金をした資産家、家族・肉親とその縁者で固められている。トランプ氏とその周辺にはこの民主主義社会の原則は存在していないように見える。
トランプ氏が何の証拠も示さずに2020年大統領選挙を盗まれたといい、バイデン氏の当選を認定する上下両院合同会議でこれを阻止するために支持者の武装デモなど4件の違法行為によって訴追・起訴されたのは、すべてバイデン政権による「政治弾圧」であると決めつけて、政権を奪還したらバイデン氏と政権の関係者に報復すると公言してきた。捜査機関から軍隊まで、トランプ氏は「私兵」と思っているようだ。
こうしたトランプの新政権での幹部人事を見ると、バイデン政権とトランプ新政権との違いは、リベラルな民主主義政権とやや強権的な保守派民主主義政権という違いをはるかに超えている。世界は二つの世界大戦と冷戦を経てイスラム世界との「文明の衝突」を戦いながらリベラルな民主主義国が主導する世界をつくってきた。それを主導したのは米国だった。
しかし、トランプ新政権の持つ価値観は普通の民主主義国家の基本になっている価値観と大きな隔たりが生じている。独立戦争と南北戦争、二つの世界大戦、続く冷戦を主導し、文化・芸術で世界をリードしてきた米国デモクラシーから離れてしまったのではないか。プーチン大統領が統治するロシアのユーラシア共同体専制主義でもないし、中国の一党独裁主義でもない。トランプ型の「君主独裁制国家」が生まれようとしているようだ。
就任日に実行する波乱呼ぶ公約
トランプ氏は1月20日、正式に大統領に復帰する。政権を奪還したらその日のうちに実行するといい続けてきた波乱を呼ぶ公約がいくつもある。1100万人の「不法在留」移民の大量国外追放、中国など外国からの輸入品に一律高関税発動、自分に対する不当な政治捜査を行ったバイデン氏とその協力者に対する報復、国家請願デモを犯罪視して訴追された1600人の愛国者の恩赦、ウクライナ戦争の停戦・・・。米国や世界は一体どうなるのか、注視していかなければならない。(1月11日記)