大昔から交流があった出雲と武蔵
日本には神社が約8万社ある。明治のころは12万社だった。神職はおよそ1万2000人とされる。神社を知るには、三つの視点が大事だとある高名な古代史学者から教わった。一つ目は「神は人なり」で、神社の80%はその地域を開拓した人を、子孫が顕彰したもので、残る20%は雨、風、雷など自然現象と怨霊などであること。二つ目はかつて朝鮮半島と日本列島には国境はなく、人々は自由に往来していたこと。三つ目は祭神は神話に登場する天孫降臨の神か、それ以前からの国津神だったのかだ。
なぜ氷川神社の総社がさいたま市に
神社に関心を持ったのは、住んでいるさいたま市の自宅からJR大宮駅に出るには、「武蔵の国一宮」、氷川神社の参道を、横切らねばならなかったからである。武蔵の国とは、埼玉から東京、川崎、神奈川を含む広い範囲で、この地域に230の氷川神社があり、その総社が東京や横浜ではなく、さいたま市にあることもまた不思議だった。
参道の両側には大人が何人も抱えるような欅の大木が2キロ続く。昭和の初めは松が多かったが欅に替わった。社伝によると、創立は第五代孝昭天皇の3年だ。神社の歴史には怪しいものが少なくないとされるが、そこを少しでも分け入りたいという関心もまた沸いてきた。
出雲の神が武蔵の国で祭られる不思議
祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と櫛稲田姫(くしいなだひめ)で、広い境内には宗像大社、御嶽神社、松尾大社なども祭られる。
もう一つ不思議なのは、古事記、日本書記の主役の一人、素戔嗚尊は出雲の神だが、なぜ遠いこの地に祭られているのかである。京都の八坂神社の祭神も素戔嗚尊だ。出雲風土記によると、氷川も出雲の簸川(ひかわ)に由来する。往古、出雲の神がなぜ遠い武蔵の国で祭られるようになったのだろうか。
神、神宮、神社、惟神の道は漢和辞典にあり、朝鮮の歴史書「三国遺事」には神宮建立の記事がみえる。神社は日本固有のものと考えるより、東アジアの歴史と広がりの中で考えることが大事なのではないか。
多くの歴史のロマン秘める
氷川神社権禰宜の東角井直臣氏は、「神社の裏手には古墳がたくさんあり、この人たちは出雲から来たと考えられていますよ」といった。神社の近くには加茂神社、奈良町、吉野原など古都、奈良にちなむ地名もある。神社の歴史をたどることはヒトとモノの交流の歴史を知ることにもなり、多くの歴史のロマンが秘められているように思えてきた。