「女帝 小池百合子」出版で再燃した「学歴詐称問題」 都知事選控え問われる説明責任

投稿者:

 6月18日告示、7月5日投開票の東京都知事選を前に、5月末に発売した石井妙子氏の「女帝 小池百合子」(文藝春秋)がいま、注目を浴びている。6月上旬には7万部を超え、アマゾンの本ランキング(6月10日現在)で3位(議会・国会部門では売れ筋1位)にまで上昇した。石井氏は2016年に「原節子の真実」で第15回新潮ドキュメント賞を受賞しているノンフィクション作家。この本がなぜ注目を集めるのか。石井氏の3年半に及ぶ丁寧で詳細な取材と疑惑とされる数々の新事実の暴露、読ませる文体が444ページもの大著であるにもかかわらず、読者を飽きさせないからだろう。

 小池氏といえば、17年10月の総選挙で都議選に圧勝した勢いで、自らが代表となる新党「希望の党」を立ち上げ、民進党との合流に際して(安全保障や憲法観で一致しない)合流組の一部を『排除いたします』と言い切って国民の支持を一挙に失ったことが思い出される。しかし、コロナ禍で「オーバーシュート」「ロックダウン」などと得意の横文字言葉を連発。東京都のCMが「選挙の宣伝」などと批判されながらも、連日テレビに露出し、「小池劇場の復活」とまでいわれる勢いをみせている。最近は、自民党に候補者がいないこともあり、二階俊博幹事長や安倍晋三首相までも取り込み、自民党の支持を得て今回の都知事選は万全と言われている。そのような中で小池氏の“アキレス腱“とされる「学歴詐称問題」がこの本により、また大きくクローズアップされた。

 3月の都議会では、野党の自民党や小池氏の与党「都民ファーストの会」をやめた都議らがカイロ大学卒業を証明する書類の公表などを求めてこの問題を追及。石井妙子氏に加えて、作家の黒木亮氏や元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士までが参戦、インターネットのブログや週刊誌などで疑惑追及の持論を展開している。一方で小池都知事には、よほど触れてほしくない問題なのだろう。「カイロ大学は卒業した」との従来の見解を都議会で繰り返し、卒業証明関係書類の公表には応じていない。小池氏の元秘書が編集長の経済雑誌が懸命に擁護記事を書いている。さらに、都知事選告示とタイミングを合わせるかのように、エジプトのカイロ大学が6月8日、「1976年に小池氏はカイロ大学を卒業したことを証明する」との異例の「学歴詐称否定」の声明を出した。

 カイロ大側はメディアの取材などに、これまでに何度も小池氏の76年の卒業を認めている。だから、告発側の石井氏や黒木氏にとって、このような展開は予想の範囲内なのだろう。小池氏は、疑惑を晴らすために、都議会でも求められているカイロ大学の卒業証書や卒業証明書の現物を公開し、都知事としての説明責任を果たすべきである。小池氏については、1992年、テレビのキャスターから国政進出するときからメディアなどで「学歴詐称」がたびたび問題となってきた。その問題の動きを探った。

疑惑問題のキーパーソン元同居人女性の証言は

  「女帝 小池百合子」や週刊文春6月4日号の「小池百合子 カイロ大首席卒業の嘘と舛添要一との熱愛」によると、小池氏の学歴詐称とされる疑惑は、小池氏がエジプトのカイロ大学に入学したという48年前の1972年(昭和47年)にまで遡る。同年4月、小池氏はカイロにやってきた。同5月に語学留学中の商社マンを通じてこの問題のキーパーソンである早川玲子(仮名)さんと知り合い、6月21日から同じアパートに同居。早川さんの話では、このとき、小池氏は学校には行っていなかったという。その理由について、「カイロ大学に入学できることになっているからいいの」と語っていた。小池氏の父が当時、エジプトの情報相と知り合いだからコネで入れてもらえる、と安心している様子だったという。ある時、小池氏のアラビア語の勉強ノートを見ると「英語で言えば、THIS IS A PEN」に当たる文章がアラビア語でぎこちなく書かれていた。「日本でアラビア語を学ばずに来てしまい、相当、苦労しているのだなと察しました」と早川さん。そこで早川さんが自ら通う語学学校に小池氏を連れて行ったのは72年10月4日。小池氏がカイロ大学文学部に入学したと説明してきたのも「72年10月」だ。語学学校に連れて行ったという時期とカイロ大学入学の時期が重なるのはなぜか。翌11月、朗報が舞い込む。「小池氏が73年10月からカイロ大学に入学することが決まったのです。お父さんが情報相に頼み、いきなり2年に編入できることになった」。その後も、小池氏の生活は変わるどころか、より社交やアルバイトにいそしむようになった。そして、12月、早川さんは同居解消を申し込む。すると、小池氏は日本人男性と結婚して暮らすから大丈夫と告げたという。

彼女がつき通してきた嘘の始まり 

    再び早川さんが小池氏とかかわるようになったのは、3年後の76年1月。「離婚したから一緒に暮らせないか」と言われた。小池氏が勉強する姿を見て早川さんは驚愕する。ただ意味も分からず教科書を丸暗記しようとしていたからだ。そのとき、小池氏は「テスト用紙が配られても、そこに書いてある問題もどうせ読めないもの」と言い放った。76年5月末から進級試験が始まり、結果は7月上旬に発表された。無論、落第。同じアパートに文学部の教授が住んでおり、小池氏はその教授に「どうしたらいいのか」を聞いてくる、と言って部屋を飛び出した。戻ってきたときに教授から「あなたは最終学年じゃないから、追試を受ける資格はない」と言われたという。早川さんはこのとき、小池氏が最終学年ですらないことを知った。

 その後、76年9月、小池氏は父親から日本に呼ばれ、11月に戻ってきた。小池氏からサンケイ新聞(76年10月22日付)と東京新聞(同年10月27日付)を手渡された。サンケイ新聞には「卒業式を終えて帰国した小池百合子さん。難関のカイロ大学を日本人として初めて4年で卒業した女性と讃えられている」。また、東京新聞には「9月卒業」と書かれていたという。早川さんが「そういうことにしちゃったの」と聞くと、小池氏は「うん」と答えた。「これが現在に至るまで彼女が貫き通している“嘘“の始まりだ」と週刊文春は書いている。メディアに「卒業した」と嘘をついたことが、後に次々と嘘をつき続けることになったということなのだろうか。

  やや長々と疑惑の書いたのも、この早川さんの証言が石井妙子さんの著書の骨格となっているためである。「彼女は実際にはカイロ大学を卒業していません」との早川さんの告発の手紙を石井さんが受け取ったのは、2018年2月。早川さんは、ある大手新聞社に手紙を出したが、ちっとも返事がなく、それまでに2度、月刊誌「文芸春秋」に小池氏の半生を描いてきた石井さんを頼ったという。同年4月に石井さんはエジプトの早川さんを訪ねて詳しい話を聞き、早川さんから手帳、写真や母親への手紙などの資料を受け取ったという。そして3年半、聞き取りをした関係者は100人以上に及ぶ。

作家黒木亮氏の小池氏の学歴が信じられない「七つの理由」

   黒木亮氏は、元銀行マンの小説家でロンドン在住、国際金融小説「トップ・レフト」で脚光を浴びた。黒木氏は5回の現地取材を含む2年以上の調査を踏まえて「小池氏がカイロ大学を卒業した事実はない」と結論付ける。ブログ「卒業が本当ならなぜ都知事は卒業証書提示を拒むのか」(JBpress6月3日」で小池氏の学歴が信じられない理由を七つ挙げている。

   まず1番目は、カイロ時代の同居人、早川玲子さんの証言を挙げる。これらの証言のもとになる手帳のメモや手紙のほぼすべてに日付の記載と消印があるそうなので、裁判において証拠能力を持つ。この女性の証言は首尾一貫しており、石井氏が取材した人々や、黒木氏が独自に取材した他の人々との話とも矛盾しない。

 2番目は、3月の都議会で自民党の4人の都議が、代わる代わる小池氏に卒業証書類の提出を要請したが、小池氏はことごとく拒んだ。すでに何度も公開しているので、これ以上、公開する理由はないとしている。前回の都知事選前のフジテレビの情報番組「とくダネ!」で見せたが、スクリーンショットの卒業証明書は有効性の最重要要件であるスタンプの印影がことごとく判読不明、4カ所ある署名欄は二つの署名しか確認できない。発行日も判読不明。卒業証書に至っては明らかに複数の要件を欠いている。筆者はこの画像を複数のエジプト人に見せたが、全員が「読めない」と答えた。

  「卒業証書や卒業証明書の公表」については、石井氏と元政治記者近藤大介氏との対談記事(6月5日、現代ビジネス)によると、小池氏の処女作「振り袖、ピラミッドを登る」(1982年、講談社)の著者略歴には「1972年10月、カイロ大学文学部社会学科に入学。1976年10月、日本人として2人目、女性では初めてで、首席卒業」と書かれている。この本の扉に、卒業証書とおぼしき写真が使われ「正式の卒業証書が手に入ったのは、何と2年後であった。1枚1枚が手書きだったからである」と書かれている。「公開」といわれれば、これが1回目。ただ「この卒業証書には中東の民族衣装に身を包んだ小池氏の全身写真とコラージュされていて、教授たちのサインがあるはずの下部が読み取れないように工夫されている」と石井氏は発言している。小池氏はその後、卒業証書や卒業証明書を2回〃公表〃している。1993年4月9日号の「週刊ポスト」。これは名刺の半分にも満たない大きさで、字の判別がつかないという。3回目が前回都知事選前の2016年6月30日のフジテレビの「とくダネ!」。ぼんやりとしたコピーが短時間映されただけで、1982年の小池氏の著書のものとはロゴマークが異なっていて、明らかに「別物なのです」と石井氏はいう。

  3番目は「卒論」に関する嘘。3月都議会で自民党議員の「カイロ大学を卒業したのなら、卒論を書いたでしょう」との質問に「自分が卒業した社会学科には卒論はなかった」と答えている。これに対して黒木氏は、2018年9月にカイロ大学社会学科を訪問し、小池氏が卒業したとしている1976年と同じ年に同学科を卒業した現役の社会学科教授に会った。その教授は「全員が卒論を書かなくてはならない」と証言した。さらに、黒木氏は、詳細を省くが①学業に関する様々な嘘②お使いレベルのアラビア語③有効性に疑義のある卒業証書類④カイロ大学の“お友達人脈(証書偽造の疑いの可能性も指摘)-を挙げている。   その上で黒木氏は 、小池氏には二つの問題があるとし、一つは、有印私文書偽造・同行使の疑い。これは都議会に卒業証書類の現物を提出し、疑いを晴らす必要がある。二つ目が学業実態の有無だ。いくら大学が認めようと、正規の卒業条件を満たさず、カネやコネで卒業証書を手に入れても学歴と認められないのは当然だ。小池氏は証拠に基づき、学業実態があったことを証明する義務がある。それができないなら公職を辞任するしかない、と手厳しい。

事実ならば虚偽事項公表罪と偽造私文書行使罪の可能性も

  「もし本当だとしても単に学歴を偽っただけではないか」という方もけっこうあると思う。しかし、就職の際に嘘をついても、取り消しになる可能性はあるし、政治家の場合は、特に選挙で学歴を偽ると、公職選挙法(虚偽事項公表罪)違反に問われる可能性がある。元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士によると、これまで処罰された事例として、1992年の参院選愛知選挙区で当選したに新間正次議員(当時民社党)のケースを挙げる。新間議員は、虚偽事項公表罪で起訴され、禁固6月、執行猶予4年の判決が確定、失職した。問題となったのは①選挙公報等で、入学していない明治大を「中退」と公表②政談演説会で、約700人の聴衆に対して、その事実がないのに、「中学生当時、公費の留学生に選ばれ、スイスで半年間ボランティアの勉強をした」と演説した-との二つの行為が公選法違反に問われた。この事件では40年以上も前の留学歴についての発言も「虚偽事項公表」とされ、名古屋高裁は「選挙人の公正な判断に影響を及ぼす可能性がある」と判断していることに注目したい。

   ただ、郷原氏はブログ「小池百合子氏『卒業証明書』提示、偽造私文書行使罪の可能性」(ヤフーニュース6月6日)で、「虚偽事項公表罪」による刑事責任追及の壁についてもこう指摘する。

  「虚偽事項公表罪」について、小池氏が今回の都知事選に立候補し、選挙公報に「カイロ大学卒業」と記載した場合に、告発が行われるなどして東京地検特捜部の捜査の対象とされ、検事がエジプトに派遣されて「卒業の事実」の有無が明らかになる可能性がある。石井氏の著書に登場するカイロ時代の元同居人女性の証言など小池氏の説明を疑う証拠は豊富であり、刑事事件の捜査で真実があきらかになる可能性も十分にある(郷原氏は9日、記者会見し、ただし、前回の都知事選では、「虚偽事項公表罪」の公訴時効が3年のためにすでに時効が完成している、としている)。

 しかし、虚偽事項公表罪を適用するうえで最大のネックとなるのは「カイロ大学の政治的背景である」とする。この政治的背景というのは、カイロ大学の権力を完全に掌握しているのは、軍部・情報部で、日本からのメディアの取材に対して、カイロ大学が卒業を認めることを繰り返してきた背後には、カイロ大学日本語学科長らエジプトの軍部・情報部と大学の権力階層構造があるという。カイロ大学側が「小池氏は卒業した」と言い通せば、その説明がどんなに怪しくても、卒業が「虚偽」であることを立証するのは容易ではない、と指摘する。この事実は6月8日にカイロ大学が「小池氏が1976年に卒業したことを証明する」との異例の声明を出したこととも関係しているようにも思われる。

  「学歴詐称問題」でも一つの犯罪容疑といえるのが、卒業証明書偽造疑惑。このことについては、黒木氏が「小池氏の学歴が信じられない7つの理由」の 中で前回の都知事選前のフジテレビの「とくダネ!」で証明書を見せたが、スクリーンショットの卒業証明書は有効性の最重要要件であるスタンプの印影がことごとく判読不明、4か所ある署名欄は2つの署名しか確認できない。発行日も判読不明。卒業証書に至っては明らかに複数の要件を欠いているーとの指摘が大事だと、郷原氏はいう。そこで刑法159条の「有印私文書偽造罪」について検討すると、この証明書に偽造行為があったとしても、40年も前のことなので時効が成立している。しかし、その「行使罪」について考えると、「とくダネ!」の放送は2016年6月30日なので、来年まで5年の公訴時効は完成していない。処罰可能と言うことである。この罪で6月9日、東京都の男性が小池氏への告発状を東京地検に郵送した(共同通信、9日)。地検が受理したかはまだ不明である。

  小池氏は92年に政治家になって以降、細川護煕元首相、小沢一郎氏、小泉純一郎元首相、そして最近は二階氏や安倍首相と最高権力を持つ人にすり寄り、常に敵を作ってターゲットにするという手法で政界を渡り歩いてきた。「恐ろしい女」(安倍首相)、「度胸がいい」(小泉元首相)などと評価が分かれる中で環境相、防衛相を歴任、都知事にまで上り詰めた。その目線は常に強者に向いており、弱者には冷たい。ただ「クールビズ」という言葉に象徴されるように、善し悪しは別にして人を引きつける言葉を作る能力は抜群である。都知事になってからも、築地市場の豊洲移転で「築地を残す」と言ったが、どうなったか。そのほか、目立つ五輪には夢中になるが、「待機児童対策」などはさっぱりだ。コロナ禍をきっかけに、吉村洋文大阪府知事を強く意識しながら、安倍政権とのやりとりで「コロナ対策」に先手を打ったようにみせかける技が功を奏してか、いまや、「女性初の総理大臣候補」とメディアで持ち上げられるほど人気者になった。そのしたたかさは、やはり「恐ろしい人」である。