トランプ米大統領は5カ月に迫った大統領選挙での再選の道を、自らさらに険しいものにしたようだ。トランプ氏は黒人男性が白人警官の暴行により死亡した事件で全米に広がった黒人差別反対抗議デモを、正規軍部隊の投入によって制圧しようとした。「強い大統領」を誇示し、「コロナ禍」対策の失敗を一気に取り返したかったのだろうが、土壇場で軍部が造反して阻止された。今週発表のいくつかの世論調査によると、繰り返されてきた白人警官による黒人への暴力に対し「黒人の命は大切だ」と訴える抗議デモの本質をそらし、「暴力デモ・略奪」という治安問題にすり替えてきたトランプ氏に対し、世論はきわめて厳しい批判を突きつけている。
州兵動員で平和デモ制圧
トランプ氏は、各州知事にデモに対して弱腰だとして、通常時は知事の指揮下にある州兵(予備役)を治安出動させるなど強硬姿勢をとるよう指示し、さらにエスパー国防長官に命じて現役部隊2000人を首都ワシントン近くに進駐させた。抗議デモ発生から1週間たった1日夕、ホワイトハウスの向かい側にあるラファイエット公園を埋めたデモ隊は閃光弾や催涙弾を打ち込まれて排除された。
トランプ氏はエスパー長官、制服組トップのミリー統合参謀本部議長にバー司法長官、ホワイトハウス幹部らを引き連れて、得意げに無人となった同公園を抜けた先の聖公会系教会に向かった。トランプ氏は片手に聖書をもって立った。自らの支持基盤であるキリスト教保守派向け選挙運動のPRビデオの写真撮影だった。
平和的なデモの武力排除に続いてこの映像がニュースで報じられると、党派対立から中立を守り、政治目的に使ってはならないという米軍の基本理念を破るものとトランプ氏とそのお供を務めたエスパー、ミリー両氏に非難が浴びせられた。
トランプ氏はなおも翌2日、夫人を伴って別のカトリック教会で同じようにビデオ撮影を行った。どちらの教会にも事前の通知はなく、両教会の司祭はトランプ氏を強く非難する声明を出した。
軍コミュニティ挙げて造反
トランプ氏のこの行動は、軍にとっては「最後の一線」を超えるものになった。エスパー長官は、国防総省内部ではトランプ大統領に反対できない「イエスパー」とささやかれていたという。しかし、記者会見を開いて、米軍は党派対立にはかかわらないという憲法に忠誠を誓っており、同じ米国市民に対して軍事行動をとることは国家の危機における「最後の手段」であり、今はそんな事態ではないーと述べ、米軍の出動に反対を表明した。ミリー議長も同じ立場をメモにして4軍幹部に配布した。両氏は前日のデモが荒れて教会にも被害があったので、その視察に行くと思ったという。
トランプ氏は激怒し、すぐにもエスパー長官を解任しようとした(ウォールストリートジャーナル紙)。しかし、それは簡単にはできはないことがすぐ分かった。4軍の首脳部はミリー議長を中心に固まっていた。さらに歴代の国防長官や副長官、次官、次官補ら、制服組の統参本部議長、副議長、その他の将軍、提督らが次々に、そろってトランプ批判の声を上げたからだ。そこに流れているのは、米軍を大統領の政治の道具にさせないという誇りだ。
もっとも激しかったのは、マティス前国防長官がアトランティック誌を通じて発表した声明だった。マティス氏はトランプ氏の下で耐えて3年間も長官を務めたが、突然のシリアからの米軍撤退に抗議して辞任した。声明は「トランプ氏は国民を分断するばかりで、団結させるふりさえ見せなかった、こんな大統領は初めて見た」とトランプ氏を痛烈に非難した。
マティス氏の前3代の長官に副長官、次官など国防総省の元幹部89人が連名でトランプ氏批判の声明を発表、歴代統参本部議長ではのちに国務長官も務めたパウエル氏も加えて4人がトランプ批判に名を連ねた。現役・OBからなる米軍コミュニティにそろって反対されて、トランプ氏も立往生せざるを得ない。背かれたら必ず報復するのがトランプ氏。エスパー長官、ミリー議長、さらには軍部に対して報復のチャンスをうかがっているに違いないが、その隙を見つけられるだろうか。
強硬姿勢に厳しい世論
トランプ氏は、全米に広がった黒人差別への抗議デモの一部が暴徒化し暴行・放火・略奪が起きた混乱に乗じて、軍部を直接支配下に置く実績つくりに乗り出した。大統領は三権の上にいると思っているトランプ氏だが、これは禁じ手。トランプ氏が繰り出す独自の政策とその政治手法は摩擦を引き起こしながらも力ずくで押し通してきたが、屈辱的かつ初めての敗北を被った。再選戦略にとってこの傷は深い(6月3日拙稿「『米大統領選』トランプ氏、敗北受入れ拒否か」参照)。
今週に入っていくつもの世論調査の結果が公表された。それによると、黒人差別抗議デモに対するトランプ氏の対応は国民の強い批判を浴びて、大統領選挙戦で対決する民主党バイデン候補(オバマ前政権副大統領)に支持率の差をさらに広げられた。ワシントン・ポスト紙/ジョージメーソン大学共同調査(6月2-7日実施、9日発表)によれば、抗議デモに対するトランプ氏の対応を支持しないが61%、支持するが35%だった。
支持を支持党派別にみると、民主党支持者で87%、無党派で76%とさらに高く、与党共和党支持者でも過半数の53%が不支持に加わった。共和党支持者はトランプ氏が何をしても40%前後が支持するのが普通だから、例のない不人気である。
NPRラジオ/PBSNEWS (米公共放送)が6日明らかにした抗議デモについての世論調査でも、トランプ氏の対応は緊張を高めたが67%、緊張を抑制したが18%で、さらに強いトランプ批判が示された。共和党員だけで見ても、トランプ氏が緊張を押さえたと41%が評価した一方で、29%が緊張を高めたと答えている。
共和・保守派からも批判
ワシントン・ポスト紙調査をさらに詳しく見る。白人警官が手錠をかけられ組み敷かれた黒人の首を圧迫して殺害したのは警察の在り方という、より大きな問題を示しているとの見方が71%、個別の事件との見方が29%。2014年の同様事件のとき同じ質問への答えは、より大きな問題とみるのが43%、個別の事件とみるのが51%だったので、6年間で世論が大きく逆転していることが浮かび上がった。
抗議デモを支持すると答えたのは全体で71%。党派別にみると、民主党87%、無党派76%と高く、共和党でも53%が支持した。これに抗議デモの評価を重ねてみる。
抗議デモは概ね平和的か、概ね暴力的かの見方では同数の43%。これを政治的立場と支持党派別にみると、平和的との評価はリベラル71%、民主党56%、暴力的との評価は保守が60%、共和党が65%。無党派では平和的44%%、暴力的42%とほぼ二分された。
注目されるのは、多数が抗議デモは暴力的とみる保守派(60%)と共和党(65%)の中から、相当数が抗議デモそのものへの支持(前出、共和党53%)に回っているとみられることだ。
「黒人の命は大切」
抗議デモはミネアポリス(ミネソタ州)からたちまち全米に広がり、2週間を超えて続いている。黒人、白人、ヒスパニック、アジア系と多様な人種が加わり、若者の姿が目立つ。デモの規模、参加者の多様性、持続性、世論に与えたインパクトーこれらの面で黒人差別反対運動としては、1950-60年代にキング牧師が率いた公民権運動以来の大きな成功を収めつつあるといっていい。
グローバリズムの下で貧富格差が極端に拡大、誰にでも成功のチャンスがあるという「アメリカン・ドリーム」がまさに夢になった状況、リベラル民主主義を嘲笑するトランプ大統領の登場、そしてコロナ禍。全米を覆ったデモはこうした政治、社会の現実の中で起こった。
だが、抗議デモの背後には「#BlackLivesMatter」(BLM、黒人の命は大切)をスローガンにする地道な活動の積み重ねがあったのである。
2012年に同じように黒人が警官に殺される事件が起きた。若い黒人女性3人が翌年、「#BlackLivesMatter」の呼びかけをはじめ、2014年にファーガソン(ミズーリ州)で起きた同様の事件で、SNSを通じて動員をかけた。これがBLMの大衆運動の始まりとなった。それまでの黒人の差別反対運動のように有名な指導者の下に全国組織がつくられるのとは違い、どこにでもBLMがいて、それぞれの運動を展開してきた。
大規模なデモは一部の暴力が警官隊との衝突、放火、略奪、暴動へとつながることが少なくない。突発的なこともあれば、政権を含めて政治的意図を持った挑発・弾圧の危険は常に伴う。各地のデモでは、警官隊に向かって片膝をつき、両手を挙げる姿勢を取って「平和デモ」を守り、誰かが暴力行為に走らないよう注意を怠らないといったデモ側の自制が報じられている。BLMメンバーがおのずとリーダー役を務めていたと思われる。一部で放火・略奪も起こったが、最小限に食い止め、「平和デモ」を守り切った。これがトランプ氏の正規軍動員の野望封じにつながった。
追い込まれたトランプ氏
「黒人の命は大切」デモへの対応でトランプ氏の支持率はさらに低落した。7日発表のCNN世論調査では、民主党のバイデン候補(オバマ政権副大統領)とトランプ氏の支持率はそれぞれ55%、41%で、その差はこれまで最大の14ポイントに広がった。トランプ氏には大ショックだったようで、「調査はでっち上げ」とCNNに訂正と謝罪を求めて一蹴された(12日)。 そのほかの世論調査でも両者の差は数ポイント広がって10ポイント・ラインに届き始めている。
ニューヨーク・タイムズ紙国際版は11日付で、各社の世論調査を分析したうえで、トランプ氏にとって深刻なのは固い支持基盤だった高卒白人層に離反が起きたことだと指摘。まだ挽回のチャンスは残ってはいるが、10ポイントに開いたバイデン氏との差が定着すると再選は無理だろうと予想している。
―6 月12日記-