「事実を知りながら嘘をついたとしても、秘書の説明を鵜呑みにして嘘をついたとしても。いずれにせよ議員失格」。11月25日の朝日新聞夕刊のひとくちコラム「素粒子」はこう書いた。全くその通りである。
朝日は12月4日付朝刊の1面トップで「安倍氏公設秘書ら略式起訴へ」と報じた。安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」の前日に開いた前夜祭(夕食会)の費用の一部を安倍氏側が補填していた問題で、東京地検特捜部は安倍氏の公設第1秘書と事務担当者の2人を政治資金規正法違反(不記載)で略式起訴する方向で検討に入ったという。朝日によると、対象は2016年から19年の4年間とし、安倍氏側の補填分を含む総費用と参加者の会費で計3千万円を政治資金報告書に記載しなかったことが認定される。東京や大阪の地検特捜部に10年近く在籍した前田恒彦氏によると、国会議員がらみの政治資金規正法違反だと、検察では総額で1億円を超えていなければ起訴しないとの暗黙のルールがあるという(11月25日ヤフーニュース「安倍氏の聴取はある?首相辞任で風向き変わった『桜を見る会』)。だから「略式起訴」は、〃暗黙のルール〃に従ったということなのだろう。
特捜部は、安倍首相本人の事情聴取も要請しているが、おそらく形式的なものになることは避けられない。正式裁判は開かれず、罰金で幕引きということになりそうである。それでもこの9月まで2度にわたり9年弱も首相を務めた人物を検察が事情聴取することの意味や国民に与える衝撃は大きい。野党の会期延長要求にもかかわらず与党は拒否し、5日に臨時国会は閉会する。安倍氏は、1年間も「桜を見る会問題」で「事実を知っていたか」は別にして、結果として国会や国民をだまし続けたことになる。前首相として、記者会見を開き、国民に謝罪し、その「説明責任」を果たすだけではなく、衆院議員を辞職して、その「政治責任」をも果たすことは、政治家として当然の身の処し方ではないのか。
検察の動き判明は読売のスクープ
「桜を見る会」問題では、今年1月以降、計3回にわたり、弁護士や学者らから刑事告発されていたが、検察は一向に動き出す気配がなかった。それが動いたことが判明したのは、11月23日付朝刊1面で読売新聞が放った「安倍前首相秘書ら聴取 『桜』前夜祭会費補填巡り 東京地検」のスクープだった。この報道が約1年前の国会で指摘された安倍前首相の「桜を見る会」疑惑を再びクローズアップさせた。それから10日以上が経過した。12月3日付読売朝刊1面トップには「桜前夜祭 安倍氏公設秘書立件へ 東京地検 不記載4000万円か」との記事が掲載され、NHKは12月3日の昼のニュースで「安倍前首相本人の任意聴取を要請」とメディア各社に先行した。
少し脇道にそれるが、メディアがよく使う「立件」という言葉はあいまいな用語で、「捜査当局が事件台帳に載せる」と言うぐらいの意味だと、私は共同通信の検察担当時代に当時東京地検次席検事だった伊藤栄樹氏(後に検事総長、故人)に教わった。おそらく「略式起訴」を含めた起訴の方向を指すのだろう。少なくとも刑事訴訟法上の用語ではなく、メディアが使いたくなるのは分かるが、安易に使うべきではないと考えている。
NHKは、読売の第1報が出た11月23日のうちにすぐさま独自のホテル側資料に基づいたネタ「〃安倍前首相800万円以上を負担〃示す内容 ホテル側領収書に」を放送している(雑誌「選択12月号 安倍前首相『秘書聴取』の衝撃 NHK報道には『不自然な』動き)。同誌は「NHKはすでに情報をつかんでいたにもかかわらず、何らかの理由で放送しなかった疑いがある」と報じている。私は現場の記者が頑張ったと思うが、なぜかここまで疑われるNHKの報道。残念ながら、上層部の姿勢に問題ありだからだろう。
読売のスクープ記事の内容は、安倍氏側が主催した「桜を見る会」の前夜祭を巡り、安倍氏らに対して政治資金規正法違反などで告発されていた問題で①東京地検特捜部が安倍氏の公設第1秘書らから事情聴取していた②特捜部は会場のホテル側に支払われた総額が参加者からの会費徴収額を上回り、差額分を安倍氏側が補填していた可能性がある③特捜部が立件の可否を検討しているーの3点。
読売は翌24日付朝刊の続報(これもなぜか1面準トップ)で「安倍氏側800万円超補填か」の見出しで「会場のホテル側に支払われた総額が、昨年までの5年間に計約2300万円に上ったのに対し、参加者からの会費徴収額は計1400万円あまりにとどまっていた疑いがあることが関係者の話で分かった」と補填金額を特定した連続のスクープ報道をした。朝日は25日付で「安倍氏側5年で916万円補填」とホテル側が発行した領収証をもとに、さらに具体的な補填額を報道、巻き返したものの、読売も同日付で「安倍氏側 領収書廃棄か」とスクープが続いた。
ともかく、一連の報道をみると、これまで安倍政権下でとかく「政権寄り」と見られてきた読売とNHKの圧勝である。
安倍氏側の反撃に乗せられたメディア
安倍氏は24日午後、国会内で報道陣に「捜査に事務所として全面的に協力している。それ以上は今の段階では答えられない」と語ったが、この後、「安倍氏周辺の関係者」が2013年以降安倍氏側が費用の一部を補填していた事実を認めて事態が変わる。さらに、この関係者は「政治資金収支報告書に記載すべきだったという事実を知っていたが記載しなかった」と語り、安倍氏が国会答弁で前夜祭の費用の一部補填を重ねて否定したことについて「当時、秘書が安倍氏に虚偽の説明をしていた。こうした内容を伝えたのは、秘書らの事情聴取が報道された23日だった」と語っている。
この「安倍氏周辺の証言」により、25日付の在京新聞6紙が「秘書が安倍氏に報告していなかった」との〃アリバイ報道〃を一斉に拡散した。要するに安倍氏は秘書の説明を鵜呑みにしていたという安倍氏にとって都合がいい、もっともらしい言い訳が広がってしまった。
安倍氏は本当に秘書の説明を鵜呑みにしたのか-。3日発売の週刊文春12月10日号「安倍『秘書のせい』3つの嘘」によると、「安倍氏周辺」とは、安倍氏が代表をつとめる政治資金団体の「晋和会」の会計責任者で、自身も東京地検特捜部に聴取された私設秘書の西山猛氏。24日、西山氏は安倍氏が属する「清和会」担当で、旧知の朝日、毎日、読売、産経、NHK、フジテレビの記者に連絡した。議員会館の安倍事務所に呼ばれた記者たちは「無理に総理に補填していると答弁させるわけにはいかなかった。私や公設秘書が安倍氏に伝えなかったのが悪い。記載しなかった私が悪い。(安倍氏に)本当のことを伝えたのは読売が報じた23日だ」。
週刊文春によると、西山氏の説明には①西山氏は、安倍氏らから前夜祭について「昨年11月末から12月に問い合わせがあった」と発言したが、安倍氏はその前の11月15日、記者団とのぶら下がりで「事務所から詳細について今日報告を受けた。安倍事務所としての収入・支出は一切ない」と答えている②11月15日の前日の14日、NHKがホテルニューオータニのコメントとして「(夜のパーティーの)最低価格は1万1千円からで値切り交渉には応じられない」と報道した。安倍事務所は翌15日、ホテルニューオータニ幹部を呼び出し、そこで「会費5千円」を〃厳重に確認〃、口裏合わせをした。
この3日後、週刊文春の取材にホテルニューオータニの東京総支配人は「商売なんだから予算に応じて検討する」と答えている。こうして総支配人までが「5千円で引き受けた」という嘘をつくことになった-など三つの嘘があるという。「秘書の嘘」「ホテルの嘘」「安倍氏の嘘」。
安倍氏の側近に「モリカケと比べても桜を見る会は安倍氏が直接関わっているという意味で次元が違う」と語らせている。「安倍氏周辺の関係者」という匿名報道が説得力を持って安倍氏側の言い訳を正当化してしまったのではないか。メディアが「西山秘書」の実名報道をすれば、読者にもう少し安倍氏側の秘書の言い訳にすぎないことが判断できた可能性がある。西山氏は元毎日新聞記者だけに、報道の効果を十分に計算した結果だろう。
報道は情報源の明示を 「関係者の話」報道は問題
今回の報道の在り方の一端に触れたついでに、もうひとつ取材源の明示の問題についても書いておきたい。それは、読売新聞の最初のスクープ以降、メディア各社の後追い記事のほとんどが、情報源について「関係者の話」というあいまいな表現を使っていることの問題である。「関係者の話」では、情報源が「検察」なのか「官邸」なのか、あるいはその他のこの問題で事情をよく知る人なのかが分からない。当事者の場合もあり得る。
情報源があいまいだから、〃官邸陰謀説〃が出てくる。このところ、9月に体調の悪化を理由に辞任した安倍氏はもう首相でもないのに、「1月解散」に触れる発言をするなど元気なところをみせている。その上、菅義偉政権の日本学術会議問題での支持率低下や国会答弁やコロナ対応のまずさなども重なって、安倍氏の来年秋の自民党総裁選での再々登板の声が安倍支持者や自民党内部からも上がっていた。
このようなタイミングの中で「関係者の話」というあいまいな情報源による報道が行われたこともあり、〃官邸陰謀説〃が説得力を持ってブログなどで語られている。私は、今年10月以降に始まったと見られる東京地検特捜部の約20人にも及ぶ安倍事務所関係者の事情聴取は前首相がらみの事件なので、法務省経由で官邸に伝わり、菅首相も国会ではこのことを強く否定したが、おおよそのことは知っていたと思う。官邸は、報道でこの事実が出ることを黙認したのではないかと考える。黙認も官邸の〃陰謀〃といえば、そうなのかもしれないが、私は読売やNHKなどのその後の報道ぶりを見れば、政治部記者が書いたのではなく、社会部が担当する司法記者への検察のリークが発端だったという見方を取りたい。
情報源の秘匿はジャーナリズムに携わる者にとって、権力監視とともに最も大切な原則である。それとともに、できるだけ情報源を明らかにすることも記事の信頼性、正確性という面で同様に大切な原則ではないのか。
情報源を「関係者の話」とする報道は検察報道に多く見られる。例えば、12月2日に発覚した鶏卵業者による吉川貴盛元農林水産相の500万円提供疑惑の報道でも「関係者の話で分かった」と読売は書き、朝日は「複数のアキタ社(鶏卵業者)関係者らへの取材で分かった」と書くなど各社で割れた。これも検察の事件なので、朝日記事では「提供側」が主な情報源であることが分かる。読売の記事では情報源が分からない。もっとも、朝日も「桜を見る会事件」では「関係者への取材」と書いている。
「秘匿」と「明示」ではベクトルが逆なので、難しい判断を伴うだろうが、「情報源・関係者報道」はできるだけやめたらどうか。あくまでも情報源は「明示」が先にあり、「秘匿」はやむを得ない場合のみに限定すべきではないか。検察は「情報のリーク」を当事者から批判されることをことのほか嫌がる。そして、メディアに「出入り禁止」を課したりして統制することを好む。だから、検察主導による「関係者報道」になってきた可能性もある。
前首相の事情聴取まで検察捜査がいけた理由
捜査の中心は、13年以降、安倍氏が毎年の「首相主催の桜を見る会」前日に二つのホテルを使って開いてきた立食形式の前夜祭の費用についてだ。安倍氏は国会でもずっと、5千円の会費制で「会場入り口で安倍事務所の職員が5千円を集金し、ホテル名義の領収証をその場で渡した。集金したすべての現金をその場でホテル側に渡すという形で、参加者からホテル側に支払いがなされた。後援会への収入・支出はいっさいないことから政治資金収支報告書への記載は必要ない」という説明だった。また、安倍氏は前夜祭で提供されたサービスや価格が分かる明細書について、これを公開すれば、すべてが判明するのに「ホテル側からの明細書等の発行はなかった」と言い続けてきた。
この問題で1月31日と3月9日の2回、学者、弁護士、市民らが「桜を見る会に自身の後援者らを多数招待し、予算を大幅に超過したのは背任に当たる」などとして安倍氏らを告発したが、東京地検は「代理人による告発は認められない」との奇妙な理由で告発状を受理しなかった。おそらく告発されたのが現職首相だったかららしい。さらに、5月21日、全国の弁護士らが、今度は前夜祭に絞って公選法違反(寄付)と政治資金規正法違反(不記載)で3回目の告発をした。この3回目の告発が「前首相の事情聴取」まで検察の捜査を進めさせることになる。
1月31日には、「官邸の守護神」といわれた黒川弘務元東京高検検事長の定年延長の閣議決定が一方的に行われ、「政権による検察の人事介入」などと野党や検察OBなどが問題視し、ツイッターデモなどの反対運動が盛り上がりを示した。ところが、週刊文春により、黒川氏と産経、朝日記者との賭けマージャン問題が明らかになり、黒川氏が辞任。結局、黒川氏のライバルの林真琴名古屋高検検事長が黒川氏のあとの東京高検検事長となり、7月17日には検事総長となった。このことは「桜を見る会」疑惑の事件化を恐れる安倍氏側にとってはかなりのストレスになったことが予想される。週刊文春によると、8月に入り、検察は秘密裏に3回目の告発を受理。8月28日、安倍氏は辞任を表明、10月ごろから、東京地検特捜部による安倍事務所への秘書らの事情聴取が始まったという。
「守護神」の黒川氏が退いたから「前首相の事情聴取」までいけたのか。7月31日付で「特捜のエース中のエース」といわれる森本宏氏が津地検検事正に転出、法務省経験のない〃現場派〃の新河隆志氏が東京地検特捜部長に就任した。就任に当たって新河氏は「派手な所作はいらない。ひたすら誠実に地道に真相解明したい」と抱負を語った。その上で検察と政治の関係を問われると「検察の仕事が国民に信頼されるには、政治との間は相当な距離が必要だ」とその覚悟を話している(毎日新聞8月1日付朝刊)。安倍氏が首相を辞めたから告発を受理したと考える検察OBもいるが、文春報道だと受理は「8月に入ってから」ということなので、あくまでも推測にすぎないが、検事総長や特捜部長人事にも関係があるかもしれない。
菅首相にも虚偽答弁を補強した責任
4日付の朝日朝刊の「公設秘書ら略式起訴へ」との報道を総合すると、繰り返しになるが、公設第1秘書ら2人の政治資金規正法違反での略式起訴、安倍前首相の事情聴取で事件は幕引きということになりそうである。検察が金の出と入りをきちんと捜査するのは常道だ。5年間で900万円超に及ぶ補填の資金はどこから出たのか。その捜査結果は明らかにされるべきだろう。安倍氏が事情聴取で「補填を知っていた」と答える可能性は低いだろう。そうすると、秘書だけの処分で事件は終了することになる。大物政治家による「秘書のせい」はこれまでにもあった。本当にそれでいいのか。
少なくとも、「桜を見る会事件」の再燃と一連の報道により安倍氏の再々登板はなくなったのではないか。そういう意味で、いまや菅首相にとって、来年総裁選の最大のライバルとなっていた安倍氏の芽は摘み取られたといえるかもしれない。当時、官房長官でこの問題で安倍氏を終始かばった菅氏だが、安倍氏に比べたらその被害は小さく、3度目の登板をつぶした効果は大きい。高笑いが聞こえてきそうだ。しかし、菅首相には安倍氏の虚偽答弁を補強した責任があるはずである。その意味で同罪である。それを不問に付されていいわけがない。