第16回「若狭・越前の神々 高向神社」
継体天皇の母振媛祭る 渡来系氏族に多い高向姓
せっかく敦賀まで来たのだからと、少し足を延ばしてでも継体天皇が幼少期を送った故郷や母の振媛(ふりひめ)を祭る高向(たかむく)神社を見なければと思った。振媛の故郷は現在の福井県坂井市丸岡町高田とされる。
高向神社には福井から越前鉄道で松岡駅に行き、ここからバスに乗る予定だったが、あいにく次の日程が詰まってしまったので、奮発してタクシーで行くことになった。
古事記と日本書紀で異なる継体天皇の出身地
古事記には武烈天皇の死後、日嗣がなく「品太(ほむだ・応神)天皇の五世の孫、男大迹王(おおとのおう・継体天皇)を近淡海国(ちかつあふみのくに)より上り坐しめて…天の下を授け奉りき」とあり、継体天皇は近江から迎えたことになっている。
ところが日本書紀は継体天皇の父彦主人王の死後、振媛は故郷の三国に帰り男大迹王を育てた。そこで武烈天皇の下で大伴金村らが三国(現坂井市)に出向き、男大迹王に日嗣になってくれるよう説いたとある。
高向神社は九頭竜川の右岸の国道沿で、振媛が住んでいた高向宮の地にある。一帯は田園地帯で、高向神社は式内社だが社域は広くはなく本殿も小ぶりだ。
高向神社北方に継体天皇を祭神とする横山神社
驚いたのはこの周辺は古墳が多いことである。まず松岡駅の南の松岡古墳群には128㍍もある前方後円墳がある。高向神社の近くの小高い山には丸岡古墳群が広がりこのうち六呂瀬山古墳は、全長147㍍で北陸一と言われる。高向神社の北方の金津町にも230基近くの横山古墳群があり、ここには継体天皇を祭神とする横山神社がある。古墳はいずれも4世紀中ごろのものとされ、古代豪族に関係するものに違いない。
継体天皇母方の古墳から新羅や伽耶風の冠出土
着目されるのは、古墳群は渡来人の影が濃いことである。「森浩一・上田正昭編『継体大王と渡来人』」の中で、森氏は「継体天皇の母方の力というものが、想像されていたよりも非常に大きいと実感した。母方の家のものと推定される古墳からは新羅風、あるいは伽耶風の冠が出ています。それも5世紀のものと思われます」と、指摘している。
また谷川健一編の「日本の神々」(第八巻)で、郷土史家の足立尚計氏は、高向神社について「『新撰姓氏録』逸文には応神天皇の時に帰化した七姓のうち高向村主・高向史・高向調使が見え、渡来系氏族に高向姓を名のるものがいたことが知られる」と説いている。
驚くほど多くの古墳に古代史の謎詰まる
近くの久米田神社にも足を延ばした。ここは継体天皇が自分を推戴してくれた大伴金村を感謝の意を込めて祀った神社とされる。丸岡古墳群のある山の麓にあり、長い参道を歩いていくと、その先に百段をこえる長い緩やかな石段が続く。社殿は簡素で、人影はまったくない。太古の静けさそのままの感じだ。
ここから見渡すと古墳の多さに驚くばかりだ。大昔は大変繁栄していたのではないか。この地方にはまだまだ知られざる古代史の謎が、たくさん詰まっているように思われた。