菅義偉政権のコロナ対策がひどいことになっている。死者数がかつてない勢いで増えており、1月9日には、4千人を突破、今のペースが続けば、今月中に5千人に達する。東京など都市部では、重症患者の受け入れも難しくなりつつあり、治療の優先順位を決める「トリアージ」が始まっている(朝日新聞12日付朝刊)。また、英国で拡大し、強い感染力を持つとされる新型コロナウイルスの変異種が世界で広がり始め、日本でも帰国者や濃厚接触者計34人が確認された。空港検疫をすり抜けた例も出ている(東京新聞12日付朝刊)。
打つ手が後手後手
これに対して、政権の対応は、打つ手打つ手のほとんどがすべてが後手後手で、〃コロナ疲れ〃も手伝って国民の不満は爆発寸前だ。テレビの情報番組やネットでは、1都3県の知事に強く背中を押された形で1月7日にやっと出された2度目の「緊急事態宣言」について「遅すぎた」「泥縄的」「場当たり的」「小出し」などコメンテーターのさまざまな政権批判の言葉が相次いだ。いずれも菅氏の〃及び腰〃の姿勢に対して、その「指導力不足」を指摘する国民の声が大きくなっていることは間違いない。
政権はさらに、状況を悪化させないためにも、この声を真っ正面から受け止めた対策を直ちにとるべきである。この「遅すぎた」原因が、菅氏の「経済重視」のせいなのか、「どうしても五輪をやりたい」からか、あるいは、側近すら信用せず、何事も口を出して、自分で決めたがるという菅氏自身の性格にあるのか。これらのすべてなのかー。正直言って、よく分からない。いずれにせよ、迷惑するのは国民である。ただ、菅氏が宣言発令に及び腰だったことは、発令までの経緯や会見内容などの発信の仕方でよく分かる。
国のトップリーダーがこのようなありさまだから、うつっても、軽症か、発症しにくい若者を中心にコロナをなめてかかる人も出てくるのは当然だ。だから、感染がどんどん広がる。若者と異なり、重症化リスクの高いわれわれ老人にとって、コロナはやはり怖い。
共同通信が1月9,10日に実施した世論調査では、内閣支持率こそ40%台をかろうじて保ったものの、12月から9ポイントも下がって41・3%、不支持が42・8%と支持を上回った(TBSを中心としたJNN調査は、支持、14・3ポイント減の41%、不支持14・8ポイント減の55・9%)。少し前の他のメディアの調査でも支持率30%台のところが出てきており、政権発足当初は60~70%もあった支持率がたった4カ月で政権保持の〃危険水域〃といわれる水準近くまで落ち込んでいる。コロナ対応で打つ手が裏目に出る菅政権に対して、10月に任期切れとなる衆院選を控え、自民党内では「菅氏では戦えない」と〃菅降ろし〃の動きすら出てきたという報道もある。
テレビ出演で証明された危機感の欠如
共同調査でも、2度目の「宣言」を出すのが「遅すぎた」という回答が8割近くを占める。8日夜のテレビ朝日の「報道ステーション」に出演した菅氏の発言をみると、その危機感のなさが浮き彫りになる。私はこの番組を見ていたが、念のために、ネットメディアの「リテラ」がこのときのやりとりを再現した12日の記事によると・・・。
富川悠太キャスター「8日の東京都の感染者数は2392人と2日連続で2千人を超えました。率直にこの数字をどうご覧になりますか」との問いに、菅氏「あの、去年の暮れにですね、1300人ってのがありました。あの数字を見たときに、えー、かなり、えー、先行き大変だなというふうに思いました」と答えた。
さらに、富川氏が「もっと早く緊急事態宣言を出すべきだったのでは」と質問すると、菅氏は「ここはいろんなご批判もあろうかと思いますけど、ただ私自身が判断しましたのは、やはり、年末の1300人。あの数字を見たときに、そこは、判断しなきゃならないのかな、というふうに思いました」と答えている。
菅氏は「思う」という言葉を多用しすぎで、そのためにアピール度が低くなる、との社会心理学者の指摘もある。しかし、菅氏の話し方から受ける〃フワフワ感〃は別にして、問題はその甘い見通しと危機感の欠如である。
菅氏らしい感じが出ているので、細かい言い回しまで紹介した。この人は、何度も専門家らの指摘があったにも関わらず、12月31日に東京で感染者が1300人を超えるまで、それほど大きな危機感は持っていなかったことを、テレビ出演でのこれらの言葉で証明してしまった。
発言の一部を切り取ったという批判はあろうが、私には菅氏がこのようなことを言うこと自体が不思議に感じられた。それほど、経済が大事だったのか。あまりよく考えていなかったのか。どちらにしろ、国の最高責任者として、その無責任さに思わず、のけぞりそうになる言葉である。政治家にとって「言葉」は生命線である。せっかくテレビに出たのだから、このチャンスに、それこそ分かりやすい丁寧な言葉で、「宣言」を出した意味を説明し、国民に最大限の我慢を心の底から訴えてほしかった、と考えるのは私だけではないはずである。
GoToへのこだわりも感染拡大の原因
この約2カ月間の動きをみても、菅氏の「GoTo」へのこだわりがみてとれる。11月に入り、大幅に感染者が増加。11月9日には政府の感染症対策分科会が全国的な新規感染者の増加を受け、クラスター(感染者集団)対策や水際対策の強化を求める緊急提言をまとめ、医療の専門家らから「GoToキャンペーン」が元凶との指摘が出ていた。それにもかかわらず菅氏は11月13日、「専門家も現時点で(GoTo見直しをするような)状況にはないとしている」とどのような根拠か分からないが、自分のしていることは絶対に正しいという姿勢を取り続けた。 しかし、この後、全国各地で次々と感染者が過去最多を更新し、11月18日から20日まで3日間連続で2千人を上回るに及び、11月20日に政府の分科会が今度は感染拡大地域での「GoToトラベル」の運用見直しを求める提言を出した。翌21日夕になって、ようやく菅首相は感染拡大地域を目的地とする旅行の新規予約の一時停止を表明。西村康稔経済再生担当相が「勝負の3週間」と呼びかけたが、効果は出なかった。このころから「政府のその対応が遅すぎたのではないか」との指摘が多くの専門家から出ていた。
このように、感染症の専門家や医師会が警告していたにもかかわらず、菅氏は自分の肝いりのGoToキャンペーンをやめようとせず、12月14日になって、ようやく年末年始(12月28日から1月11日)に限って全国一時停止した。12月27日まで「GoTo」は止まっていなかったのだから、「GoTo」が感染拡大の一因であったことは間違いない。専門家の見解を待つまでもなく、人が動けば、人とともにウイルスも動く。大体、感染が治まってもいないのに、前倒ししてまでGoToを強行した菅氏の見識こそ疑うべきだ。本人はあまり感じていないようだが、その重い責任を旅行業界のドンで盟友の二階俊博幹事長とともに、自覚してほしい。
「移動で感染しない」の菅発言を尾身氏は否定
菅氏は12月11日のネット番組に出て、まるでひとごとのように「いつの間にかGoToが悪いということになってきた」と述べ、「移動では感染しないという(専門家からの)提言もいただいていた」と強調した。この発言についてネットのバズフィードの記者が対策分科会の尾身茂会長に確かめたところ、尾身氏は「そのような提言はしていない」と答えている。本当に「移動では感染しない」といった専門家がいたのか不明である。菅氏がこのような場面で嘘をついたわけではないのだろう。しかし、記者会見やテレビ出演での菅氏の発言を詳しくみると、語尾がよく分からない場面が多く、説明が足りないために、誤解を招きかねない表現となる部分がけっこうある。また、思い込みも多い。自分もそうだから、あえていうが、70歳を超えたら、個人差はあるものの、思い込みや勘違いは、時々起きる。
〃ステーキ会食〃に国民は失望
その14日夜に、菅氏が自民党の二階幹事長ら8人で〃ステーキ会食〃をしていたことが明らかとなり、国民をあきれさせた。どうも、二階氏にステーキ店から携帯で呼び出されたというのが真相で、「GoTo」中止の決定がきちんと二階氏に伝わっておらず、二階氏が激怒、これをなだめるためという話もある。それにしても、菅氏を止める側近は誰1人いなかったということらしい。幹事長に呼び出されたからといって、すぐに押っ取り刀で駆けつける首相とは、一体何なのか。いくら、二階氏に首相にしてもらったとはいえ、情けなくないか。この〃ステーキ会食〃が与えた国民への失望感は極めて大きく、そのインパクトや破壊力は計り知れない。この後の、二階氏の「特権丸出し」の弁明がさらに国民の怒りに拍車をかけた。これは政権のコロナに対する甘い認識を象徴するものだ。認識が甘いから、やることなすことが後手に回り、国民の批判を受けることになる。
そして、1月7日に表明した2度目の「緊急事態宣言」。12月25日、首相就任後、コロナ対応の説明を主な目的として初めて開かれた官邸での記者会見。ここで「緊急事態宣言なしに、国民の行動を変えられるのか」との記者の質問に菅氏は「(緊急事態宣言がなくても)ありとあらゆる機会に現状を丁寧に説明すれば、理解いただける」と述べた。直接の言及は避けたものの「宣言発令の否定」だった。
ところが、12月31日に東京の感染者が1337人と初めて4桁を数えた。1月2日に小池百合子都知事ら埼玉、神奈川、千葉の4人の知事が西村担当相に面会して、1都3県に「緊急事態宣言」の発令を要請。菅氏は4日の年頭記者会見で「宣言の検討」を表明した。そして7日に、8日から2月7日までの1カ月間の1都3県の宣言発令を発表した。首相の宣言への対応は10日あまりで大きく「変容」していた。
コロナはやっかいなウイルスであり、まだまだ分からない部分も多い。誰がやっても、難しい対応である。だからといって、国民の命がかかっており、遅すぎる対応は致命的だ。これを「場当たり的」と批判されても仕方がない。菅氏と以前から仲の良い元大阪府知事の橋下徹氏ですら「カンでいい加減な国家運営をしているのでは」(10日、フジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」)と手厳しい指摘をするほどである。
今回の宣言は1都3県の飲食店の午後8時までの営業短縮、午後8時以降の外出自粛、テレワーク推進による出勤人数の7割削減、イベントの人数制限ーの4点で、昨年4月、全国にわたった1度目の宣言に比べてかなり限定的である。学校などを外したことは、保育所の関係などを考えると理解できるが、その範囲や期間、飲食店の営業短縮だけで大丈夫かなど、専門家からも〃小出し〃の対策に疑問の声が上がっている。当然の疑問だ。
早速、大阪、兵庫、京都からも「宣言要請」があり、これについても10日のNHKの与野党党首の「日曜討論」で菅氏が「必要であれば、すぐ対応出来るように準備はしている。数日状況を見る」と述べたことが、批判を招いている。(13日には、大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、福岡、土地基に宣言は拡大へ)。
菅氏にとって、首都圏やそれ以外地域への感染急拡大は予想外だったのだろう。そのことを割り引いても、対応が遅すぎないか。危機管理では「拙速実行」が大前提である。それにも関わらず、またグズグズ言っているように聞こえる。そもそも関西の3知事は「必要がある」から要請しているのではないのか。これでは、「令和おじさん」ではなくて「後手後手おじさん」だろう。
飲食店を「急所」として狙い撃ち
2度目の「緊急事態宣言」の中心は、飲食店を感染対策の「急所」として狙い撃ちしているところにある。
7日の記者会見でも、菅氏、尾身氏ともに、その説明は舌足らずで分かりにくかった。対象を「飲食」に絞った理由について、菅氏は「この1年間でコロナの感染状況など政府はかなり学んできた。東京の約6割の感染経路が不明で、その大部分が飲食店だ。今までクラスターの発生した場所とか、発生する可能性がある場所に絞って今回は行った」(かなり私が分かりやすくなるように意訳した)と話している。
さらに、尾身氏は首相の答えを以下のように補って説明した。ネットメディアの「THE PAGE」に掲載された記者会見全文をみても分かりにくいので、尾身氏が「急所」という言葉を繰り返した12月23日の分科会後の会見記事(12月25日、朝日新聞医療サイトアピタル「時短営業、都と国の分科会がせめぎ合い『急所』はどこ」から以下の通り、その要点を拾ってみた。
▽感染防止対策で、全部の社会活動を止める必要はない。急所を押さえることが極めて重要で、急所だけはぜひ押さえてほしい。(昨年)4月はかなり行動を抑えていただいたが、急所は当時は分からなかった。
▽急所とはどこなのか。分科会が挙げるのは飲食店だ。都内の12月の状況をみると、感染者の4割ほどは感染経路が分かっている。このうち、半数近くが家庭内感染で、会食は6から7%。感染経路不明の6割のうち、多くが飲食店で感染したと分科会はみている。
▽ エビデンス(証拠)はないが、飲食店を急所とする理由は3つある。①これまでの分析で、飲食を伴う会食がクラスター(感染者集団)発生の主要な原因だったこと②感染経路をよく追えている地方でも、飲酒を伴う場のクラスターが最近増えている③レストランを再開すると感染拡大につながるという欧州の研究報告がある。この三つを念頭に分科会は11月20日と25日の提言で、感染拡大地域での対策の筆頭に、酒類を提供する飲食店への時短営業の要請を挙げた。
この後のことだが、これらの理由を挙げて西村担当相は小池都知事に午後10時からの営業短縮を午後8時からにするよう小池都知事に求めたが、小池氏は応じなかったことも明記しておくべきだろう。いくら菅氏と不仲だといっても、この点で小池知事も責任があるのではないか。この記事では、「東京も大阪、北海道と同じぐらいに時短営業の要請を強めれば、改善の余地がある」と、分科会はみていたと書いている。
「急所」については、厚労省のクラスター対策班にいて「8割おじさん」と呼ばれる西浦博京都大教授(理論疫学)も、岩田健太郎神戸大教授(感染症学)の近著「丁寧に考える新型コロナ(光文社新書)」の対談で「、社会の一部で工夫して『急所を叩けばうまくいくよ』的な解(最適解)が見つかれば、とりあえず走り抜ける時に痛みをそこまで伴わずに、かつ保健所の人も疲弊しすぎずに済むわけですよね」と「急所」の大切さに言及している。ただし、西浦氏はその「急所」が「飲食店」であるとは、いっていない。
また、今回のコロナ禍でクラスター対策では、世界的に評価を受けたといわれる厚労省のクラスター班を率いる押谷仁東北大教授(分科会メンバー)は、1月8日の分科会で、昨年12月に発生した807件のクラスター分析の結果を報告した。それによると、医療関係や福祉施設での発生が45%を占めた。飲食に関連したものは約2割だったが、押谷氏は「医療機関や福祉施設、教育施設のクラスターをきっかけに地域に流行が広がることは少ない」と指摘。感染拡大を抑える上では「飲食の場が重要で、そこを抑えていかないといけない」と話している(朝日新聞1月9日朝刊)。
年齢なりにややぼけてきた私でも、エビデンスはないが、「飲食」が急所であるという分科会の主張は、大雑把だが理解できた。だからといって、午後8時までの営業短縮で十分なのだろうか。その効果や実効性は、酒を飲む時間がより少ないことぐらいだろう。酒だけを出すバーなどでは、ほとんど営業ができないのと同じだ。
分科会は大阪や北海道の営業短縮も成功例として挙げているが、大阪は感染者がその後拡大し、知事は緊急事態宣言を要請している。大阪の例は、逆にかならずしも、営業短縮だけでは、十分でないことを示しているのではないのか。北海道は札幌市のすすきののキャバレーなどに年末、休業要請している。当たり前のことだと考えるが、コロナ対策には、やはり「営業短縮」では不十分で「休業要請」はきくのだろう。政権が財政への負担を考えるのは、大切だが、いまはケチるべきときではない。
危機管理の要諦
危機管理の要諦は、「戦力の逐次投入」は、被害をかえって大きくする可能性があるということだ。太平洋戦争時のガダルカナル島攻防戦は歴史の教訓である。要するに「小出し」では、だめだということだ。やるときには、全力を投入する。問題は、狙った「急所」の対象範囲や時間などが十分なのかどうかだ。午後8時までで大丈夫か。休業要請しなくともいいのか。飲食店を「急所」とし、本気で感染を止めるなら、選択肢は当然「休業要請」しかあり得ない。今回のやり方で感染者がそれなりに減少することを祈るだけである。
分科会も自説を曲げない頑固な菅氏にまさか、忖度していないとは思いたい。尾身氏は、月刊誌「文芸春秋」2月号掲載の「東京を抑えなければ、感染は終わらない」でこう書いている。今は残念ながら、政治家の言葉は信頼できない。分科会の専門家の言葉を信じるしかない。
「私たち専門家は、政府からの諮問に答えるだけでは、役割を果たせないと思う時があります。感染増加を押し下げるため、政府に煙たがれることをいとわず、積極的に発言しなければいけない局面があるのです」
政府は大きな視野で反対の専門家らの意見聞け
「急所」については、高千穂大学教授の五野井郁夫氏(国際政治学)の以下のような批判もきちんと抑えておきたい。
「飲食店をスケープゴートにし、無策をごまかす政府の意図を感じます。英科学誌『ネイチャー』に掲載された米スタンフォード大の論文を切り取り(レストラン再開が感染を最も増加させる)としているのも、こじつけ。日本と慣習が異なる欧米ではハグやキスなど密なコミュニケーションが避けられない。人々が出歩けば体が触れあう機会が増え、感染につながりやすいのです」(日刊ゲンダイ、1月8日)
この五野井氏のコメントにも説得力があり、無視すべきではない。コロナは、まだまだ未知の部分が多く、それだけ対応は難しく、簡単に結論が出る問題ではない。だからこそ、最終判断を下す菅政権は、大きな視野を持ち、対策分科会だけでなく、分科会とは正反対の専門家の意見や野党の意見も謙虚に聞き、場合によったら取り入れることが必要なのではないか。