政府が新型コロナウイルス対策として早期成立を目指す特別措置法や感染症法改正の本来の目的は、緊急事態宣言下での飲食店などへの時短や休業補償の根拠をきちんと法律に盛り込むことにあったのではなかったのか-。野党4党は昨年12月、「勝負の3週間」では感染拡大が止まらないとして、都道府県知事の権限強化などを盛り込んだ特措法改正案を提出したが、菅義偉政権はさっさと国会を閉じて、これに応じようともしなかった。だが、1月18日、政府が自民党に示した改正案の概要では、それがいつの間にか法の有効性を理由とした、特措法では過料という「行政罰」、感染症法では「懲役」といった刑事罰を適用した国民への恫喝にすり替えられた。
問われる強権的手法
いずれも、菅氏が「罰則導入に強い意欲を示した」(朝日新聞1月19日付朝刊)ことがその背景にあるという。国民からのコロナ対応への「後手後手」批判やそれに伴う低下が止まらない「支持率回復」を狙った菅首相の強権的手法そのものがいま問われている。法改正も、本来は平時にやるべきだが、罰則まで必要なのか。いくら何でも刑事罰の適用は乱暴過ぎないか。両法の改正案は、早ければ、22日に閣議決定し、29日から国会での審議が始まる。菅政権は、2月上旬には成立させたい考えだ。
18日に政府が示した改正案概要によると、緊急事態宣言時に事業者に対して、休業や時短に伴う減収分をどう支援するか、その根拠を法律に明記することがコロナ特措法改正のキモだった。13日に示した政府原案では「国や自治体の努力義務」にとどまっていた。
しかし、さすがに、メディアなどの強い批判や世論調査での急激な内閣支持率低下を受けてか、西村康稔経済再生担当相は17日になって、NHK番組に出演し「要請に応じた事業者に対しての支援を国や自治体に義務づける方向で検討している」と態度を軟化させた。そして18日午前、政府は「支援を講ずるよう努める」との表現を「講ずるものとする」に改めた改正概要を与党に示し、了承された。一歩前進だが、この問題は、特措法改正の中心だったのだから、当初の原案から盛り込んでいて当然である。このような政権の姿勢が国民からの信頼を得られない理由なのだ。
止まらない内閣支持率低下
コロナ禍では、やることなすことが後手後手に回り、それに伴い、直近の世論調査で12月の前回調査から7ポイント減の33%(毎日新聞)、同8・9ポイント減の34・2%(時事通信)、同6ポイント減の39%(NNNと読売新聞)と、いずれも不支持が支持を大きく上回る内閣支持率の急降下が止まらない菅義偉政権。8日からの2度目の「緊急事態宣言」でも、飲食店などへの午後8時までの「時短要請」や午後8時以降の外出自粛との中途半端な小出しの政策に「それでは昼食はいいのか」との批判が集まり、「ランチも自粛を」と訴えを変えた。
これに対しても、時間短縮や感染対策の徹底など政府の要請に応じてきた飲食業界から「夜も昼もダメとは、ではどうしたらいいのか」との大ブーイングが起きたのも、「場当たり的」としかいいようのない、政権の対応が原因だ。午後8時までを強調すれば、昼はいいのではないかと考えるのは自然の成り行きだろう。ここにも「Gotoキャンペーン」で政権が見せたアクセルとブレーキを同時に踏むという矛盾に満ちた政策をごり押ししてきたことのツケが回ってきたといえる。
政権は「誤ったメッセージが国民に伝わってしまった」と弁解したが、時はすでに遅く、この言葉も国民の不信感を増大させただけだったのではないのか。宣言は発令以来、2週間近くになっても、東京では新たな感染者数が相次いで千人を超し、静岡で英国への渡航歴のない感染力の強い変異種の感染者3人が出るなど、なかなか感染拡大が収まりそうもない事態に政権はいらだちと焦りの色を強めている。
宣言前段階の「重点措置」に潜む手口
今回の法改正の柱は、コロナ特措法が、都道府県知事による休業命令を新設し、休業や時短に応じない事業者に行政罰の「科料」(50万円が上限)を科す規定を追加すること。さらに、宣言の前段階に「まん延防止等重点措置」(以下は「重点措置」)を新設して、都道府県知事が飲食店などに営業時間の変更について権限の強い「命令」をできるようにする、という内容だ。違反した場合は、科料(30万円を上限)を科し、立ち入り検査を拒否した場合も20万円を上限に過料を科す、とした。そもそも、この「重点措置」という言葉が分かりにくい。13日の政府原案では「予防的措置」という名称だったが、18日の改正概要では、なぜかその名称は変更された。
政府原案によると、まん延防止の措置を講じなければ、緊急事態宣言の回避が困難となる状況を想定。首相が予防的措置(その後、名称を「まん延防止等重点措置」と変更)を実施する期間と区域を指定する。都道府県知事は、事業者に対して営業時間の変更を要請でき、正当な理由なく応じなかった場合には、命令することができると規定している。また、この措置に応じない知事に対しては、首相が対策を講じるように指示できるようにする。18日の改正原案では、「首相」の権限部分が明確化されていない。ただ、重点措置の実施は、国民生活や国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあり、まん延防止のために、集中的に対策が必要である場合とするが、その要件は「政令」で定めると、政府の裁量に事実上、委ねられている。期間は最長6カ月だが、回数の制限は設けられていない。
確かに、現行のコロナ特措法では、国と都道府県知事との権限の分担があいまいで、その関係が必ずしも明確ではなかった。それが、首相と都知事のギクシャクした関係を生み、対応に遅れが出たことも事実で、それを明確にすることは必要である。
ただ、「重点措置」の期間や適用区域を国会(本来は承認にすべき)にもはからず、自治体の意見は当然聞くのだろうが、一方的に「政府の裁量」に委ねてしまうことはどうなのか。宣言の前に期間や区域についての権限などを政府(首相)に全権委任することにならないか。国会審議で政府の詳しい説明を聞いてみないとわからないが、危機下とはいえ、一種の政府への「全権委任条項」ではないのかと疑ってしまう。また、私の世代では、「予防的措置」というと、戦前の共産主義者から自由主義者までを取り締まった「治安維持法」の「予防検束」という言葉を思い浮かべる。だから、「予防的措置」の名称を、わかりにくい「重点措置」に変えたのか。安倍晋三政権以来、政府がよく使う手口だ。
議論が極端になる「リスキーシフト」に警告
日大危機管理学部教授の福田充氏は「社会心理学では『リスキーシフト』という概念があります。危険な状況に置かれているグループの中で議論をすると、結論が極端になるという理論です。特措法改正でも、このリスキーシフトは起こり得ます」(1月8日の毎日新聞デジタル「場当たり対応の末の『戦略なき発令』 危機専門家が見た緊急事態宣言)と警告する。ましてや、緊急事態宣言のさなかに国会で議論をするのだから、このことにいいは慎重の上にも慎重に議論を進めてほしい。 福田氏のさらなる以下の警告は極めて重要である。
「今回議論されているのは、飲食店への休業要請や命令に対する補償とセットにした罰則ですが、対象が今後広がっていくことはないのか。飲食店であれば、飲食や宴会の規制にとどまります。今後、スポーツやライブが含められてくるかもしれない。あるいは、後援会や政治集会はどうか。最終的には憲法で保障された表現の自由や政治活動の自由の侵害につながる議論なのです」
具体的根拠乏しく「強権策」
次に感染症法改正での現行法には規定がない主な改正点はー
【1】=入院勧告=入院措置に従わない人や入院先から逃走した場合、懲役1年以下、または100万円以下の罰金
【Ⅱ】=疫学調査=保健所の積極的疫学調査を拒否した人や虚偽答弁した場合に、50万円以下の罰金
【Ⅲ】=国と自治体の権限強化=患者を受け入れる病床を確保するために、医療機関への強力要請を、より強い「勧告」とする。正当な理由がなくこれに医療機関が応じない場合、厚労相や都道府県知事が機関名を公表できるようにする
厚労省は1月15日、「入院を拒否したり、入院中に逃げ出したりした例が多く報告されている」と罰則の必要性を強調した(16日付朝日新聞)。しかし、感染拡大防止に必要だという根拠である「立法事実」について、13日の記者会見では、菅首相は具体的な理由を示せなかった。また、厚労省も感染症法改正案を専門部会に提示する際に「根拠を網羅的に把握するのは難しい」としている。具体的な根拠に乏しいのに、なぜ、このような懲役刑を含めた「強権策」を打ち出すのか。18日の自民党の部会でも「罰則を導入するならば、立法事実を具体的に示すべきだ」との声も上がった(朝日新聞、19日付朝刊)という。当然の疑問である。
感染がまだ収まっていないにもかかわらず、首相の肝いりだからとして前倒ししてまで強行した「Gotoキャンペーン」などの政権による政策判断の大きなミスも総括せずに、国民に懲役刑を含めた罰則を科すとは、あまりにも乱暴すぎないか。
事業者に行政罰を科すことも、もともとが休業や時短で満足な補償もないために、追い込まれた末、事業者が生きていくために、やむを得ず、勧告に応じられないということではないのか。これは、憲法の「営業の自由」にかかわる問題であり、ましてや、入院勧告に従わない感染者に懲役か罰金とはー。あきれるよりも、このような発想をする無能な政権に怒りすら感じる。いまや「調整中」として入院したくても入院できない感染者が激増している。東京都で「調整中」感染者は、18日に7000人を超えた。これも妙な言葉だが、入院待ちという意味なのだろう。調整中に「死者」すら出ている現状は重い。まずこのような事態が解消することが先ではないのか。罰則よりも先にやることがある。このような、人権無視の罰則案は直ちに撤回すべきである。
病床不足は本当に民間病院のせいなのか
また、【Ⅲ】の「医療崩壊」防止のための病床確保は、一刻も早く解決しなければならない緊急課題である。なぜこれまで、こうなることは専門家が指摘していたのに、国は長い期間、適切な措置がとれなかったのか。それにしても、違反施設の「病院名公表」とは、あくまでも力ずくでやるという政権の意思の表れだろう。自分のヘマを棚に上げてこのような強権案が出てくること自体が恥ずかしい。
確かに、人口千人あたりの病床数は世界でも日本は最多。欧米に比べ感染者数も桁違いに少ない。コロナ患者を受け入れている病院は公立・公的病院がほとんどで医療法人や個人が開設する民間病院は約2割とされる。民間病院の患者受け入れが少ないのは、新聞報道などによると、①コロナ患者を受けると、感染防御のために1人の患者のケアに必要な看護師が多くなる②ほかの診療が出来なくなり減収や赤字につながると、コロナ患者を敬遠する施設も多い③感染症に対応できる専門スタッフも少ないーなどだそうだ。AERA1月25日号は「世界一多い病床で活用できない理由」で「病院が多すぎて医師が分散。治った高齢者の行き場がない」とその理由を書いている。が、本当に民間病院のせいなのか。
国も自治体も医師会もこの点では、互いの責任を追及している場合ではない。コロナ禍が起きる前に安倍政権は、診療実績が少ない病院の統合を検討、推進してきた。また、19年10月の経済財政諮問会議では、官民合わせて約13万床を「過剰な病床」と認定し、病床を減らすには、民間病院も再編する必要があると指摘してきた。このような方向性を決めた効率や利益を重視した経済財政諮問会議の新自由主義的な医療政策の影響も大きいのではないかと私は考えている。
民間病院を悪者に仕立てても何の解決にもならない。特にこの問題では、「官邸の意向が働いた」(朝日新聞16日付朝刊)そうで、菅首相は14日に日本医師会など医療団体と会談して強く協力を求めたという。これもまた「場当たり的で遅すぎる対応」と言われても仕方がない。14日に東京都が都立・公社のつの病院を実質的に「コロナ専門病院」にすることを決めた。1000病床ある東大病院の活用を訴える研究者もいる。「病院名公表」などの方法ではなく、国、自治体、医師会が互いに知恵を出し合うべきである。
強制収容の負の歴史踏まえた緊急声明
「過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群の感染症の患者等に対するいわれない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かす必要がある」
この言葉は今回改正される感染症法の理念を掲げた前文部分だ。この理念を踏まえて医学系136学会が加盟する学術団体「日本医学会連合会」(門田守人会長)は14日、入院強制や検査・情報提供の義務に罰則を伴う条項を設けることに反対する会長名の緊急声明を出した。日本公衆衛生学会と日本疫学会も同日、同様の声明を出した。
この緊急声明では、「(かつてハンセン病などで)科学的根拠が乏しいにもかかわらず、患者・感染者の強制収容が法的になされた歴史的反省の上に成り立つことを深く認識する必要がある」とした。そのうえで(入院を拒むものには様々な理由があるかもしれず)「抑止対策をせずに、感染者個人に責任を負わせることは、倫理的に受け入れがたいと言わざるを得ない」としている。声明は、ハンセン病という強制収容の負の歴史を踏まえたインパクトのある重要な指摘をしている。非常に大切な指摘なので、国会の法改正もこの観点から議論してほしい。
平時に行うべき特措法や感染症法の罰則伴う論議
遅きに失したものの、1月18日から通常国会がやっと始まった。菅首相の所信表明は、45分のうちナ対策に触れたのはわずか7分。具体的な内容にも乏しかった。本来ならば、国の危機なのだから臨時国会を閉じずに通年国会にして、法改正の論議をすればよかったのではないか。
菅政権は、「桜を見る会」疑惑を野党から追及されることを恐れて早々と国会を閉じてしまった。通常国会の開催を正月早々にやる手立てもあったはずである。1度目の「宣言」終了後のやや感染者が減少してきたときに、特措法や感染症法の改正論議を国会で行う時間も十分にあった。「基本的人権重視」の人とはとても思えないが、なぜか、「私権制限」を口実に「緊急事態宣言」を出し渋ってきた(この言葉を何度も口にしている)のは菅首相である。
繰り返しになるが、そもそも、特措法、感染症法の罰則を伴う論議は平時に行うべきである。ましてや、罰則案を多数でもって強行採決することなど、とても国民の理解を得られるはずはないし、そうならないことを心から願っている。野党も罰則については、変な妥協をするべきではない。